来るを待つ

一滴様

「姐さん」



すっきりとした線の横顔に呼びかけると、今まで流れる景色を眺めていた目がこちらを見た。
空の青より淡い、青。

「着きやした」

「え?」

もう?と、不思議そうな顔つきで辺りをキョロキョロと見回した。

「・・・ここじゃございやせんか?」
車を停め、姐さんのひざに掛けていた掛け物を畳みながら訊ねてみる。

「・・・や、歩きゃ小一時間ほどかかるって聞いてたもんだから」
まだ辺りを見定めながらそう返って来た返事に、あっしはちょいと首をひねっちまった。

「・・・北ッ角に大きな松のある家っつったら、ここいらじゃまずここしか思い浮かびやせんが――」
その言葉に沿うように二人が視線を回すと、その先には堂々と枝を伸ばした松の木があった。

「・・・ああ、すまねえ。多分こっちの勘違いだ」
置いた踏み台に姐さんが足を掛けた。

「こちらさんじゃねえなら、お探ししやすよ?」
軒を見上げつつ、いつもの流れですいと手を差し出すと、
どういうわけか姐さんはちょっとびっくりしたご様子で―――びっくりしたお顔もお綺麗で。
見惚れるあっしの顔を見てふ、と笑って、差し出した手に白い指を乗せてくれなすった。

「ありがとよ」

車を降りる軽い身のこなしに支えなど無用だったことを知る。
無造作だが綺麗な身のさばきだ。何か心得のあるお人なのだろう。
目の前を通り過ぎていく姐さんの姿を目で追っていくと、ニ、三歩行きかけたところで立ち止まり、振り向いた。

「悪ィけどお前」
「へィ?」

「ちょっとそこで待っててもらって構わねえ?中、確かめてくっから」
「あ、それならあっしが―――」
「ああ、いい、いい。直接のが早え」

姐さんは手をピラピラさせながら行こうとしたが、おっと、と再び足を止め、先に渡しとくわ、と
紙の包みをあっしの手に握らせなすった。車代なら最初に貰ってる。それにこれは―――小銭じゃねえ。
あわてて顔を上げてお顔を見た。

「姐さん、こいつぁ―――」
「ん、酒手にでもしてくれな」
煙管を喫みながら姐さんはちゃりちゃりと踏み石を踏んでそのまま中へ入っていった。

芝居にでも出てきそうな振る舞いに心がしびれちまって寸の間動けなかった。
ようやく我に返って、大きな塀わきの一隅を借りて一服付ける。
ゆっくり深く喫って長々と煙を吐き出した。

―――なんてぇか
きっぷもいい。姿もいい。心もいい。

―――惚れちまうね
今しがたまで姐さんを乗せて走ってきた高揚がまだそこいらに残ってる。
もうひとつ煙草をゆっくり喫りながら、車屋は昼からの事を思い返していた。








「車を頼んでたもンだけど」

ちょうど昼頃。そう声を掛けて入ってきなすったお人に目を奪われた。
白い肌、金の髪。なにより目の色がうすい瑠璃色だった。

車ン乗せて走っているとみんながこっちを見ているようで心が弾んだ。
見てくんねぃ。あっしの今日のお客はきれいだろ?粋だろう?
小股の切れ上がった美人ってのはこういうお人のことを言うんだ。憶えときねい!

自然、車を引く手にも力が入る。一日中でも走っていたい気分だった。
こっそり一筋、遠回りはしたけれど、それでもいつもより足が回って着くのは早かった。





―――この家ぁ・・・

ぷかり、と煙を吐き出してりっぱな造りの軒を見上げて見る。
酔狂な家主が、金と暇をかけて拵えはしたものの、住むことはしなかった。
それでも手は入れて綺麗にしてたもンだから、時々、買いたい、借りたいと言う人間が現れる。
けど結局、誰の手にも渡さず、自分も住まず、今まで人の住むことのなかった家だ。
まるで誰かを待っているようだ、と噂がたって、いつしか“待つの家”と通り名がつくようになった。

それがどういうわけか、先刻から強面の旦那がひとり住みだしたのだ、と。
古い街じゃ新参者は注目の的だ。その上、“待つの家”に住んで髪の色が珍しいってんじゃよけいに目立つ。

先刻、ふらりと入った小料理屋でゆるゆる飲ってるとこへ、よせばいいのに若ぇの二人が因縁つけたらしい。
まわりの人間が事の成り行きを固唾を呑んで見守ってたら、どうだ。二人そろって一瞬で外の道ッ端に飛ばされたってぇじゃねぇか。旦那ぁ何事もなかったようにまた飲み始めたがこれが底なし。飲んでも飲んでも乱れねぇ。腕っぷしも酒もめっぽう強いとなりゃ誰も文句はつけめぇ。外で伸びてた若ぇのが謝りにきたら今度は『飲んでけ』、だ。肝が太いっつぅか、頓着ねぇつぅか。ま、並の神経じゃねぇのは確かだ。そいでいっぺんに旦那に惚れた二人が今じゃ甲斐甲斐しく身の回りの世話してるってんだからそれこそ世話ねぇや。

―――青い目の姐さんと、緑髪の旦那・・・

珍しいお人同士の組み合わせ、か。しょせん自分とは縁の無ぇ高嶺の花だ。
そう思うと普段でも黒々とある目の下のクマがいっそうくっきり濃くなる気がした。

―――いけねえ、いけねえ。詮無いことは考えちゃいけねえ

気を取り直し、車輪に跳ねた泥など拭いながらひとしきり姐さんを待つ。が、あれっきり出てこない。
車屋はちょっと心配になってきた。
待たせるにしても帰すにしても、いったん返事をしに出てくるものだ。

―――もしや中で何かあったんじゃ・・・?

あの人の入っていった引き戸をじっと見やる。物音ひとつ聞こえてこない。静かすぎる。
暗い予感が横切ると、にわかに不安が広がってくる。

―――いざとなりゃあ・・・

車屋が、ぐっと下腹に力を込めた。
あの姐さんを引っ攫ってでも逃げる。
たった一日だが、あっしの車に乗ってくれた天女様をお守りしねえで何が男か。
“強面の旦那”は恐ろしいが、韋駄天に走りに走りゃなんとかなる。足にゃあ自信がある。
車は揺れるがしょうがねえ。そん時ぁ勘弁してくんなさいよ、姐さん。

―――それに

少々、腕にだって覚えはある。車の下に忍ばせた護身用の鉄製トンファをそっと撫でる。
いつでも駆けて出られるようにと、頭の中で算段をつけはじめたその時だった。




「車屋」




低いが、よく通る声が真上から落ちてきた。腹に鉛を喰らったようにずしりと響く。

はっと振り仰ぐと、ぽうんと空から何かが降ってきた。
小さな影を慌てて受け止め二階を見ると、張り出し窓に鮮やかな緑の髪の―――“旦那”。

あっしが落ちてきたものをしっかり握り締めているのを見届けると、すっと窓が閉まりかけた。

「あ、もしっ!旦那っ!」
慌てて声を掛ける。閉めるその手が途中で止まった。

「こちらさんで、間違いありやせんでしたか?!」
「ない。帰っていいぞ」
それだけ言うとまたすっと閉まりかける。

「ああ、いや旦那っ!こいつァ頂きすぎで!さっき姐さんからもたっぷりはずんでもらってまさ!
これじゃ貸切にしたって追いつかねえ!」
「アイツを早く連れてきてくれた礼だ。取っとけ」
「いや、そいつぁ―――」
言い澱むあっしに、旦那は取っとけ、と顎で合図しなすった。これ以上の断りは無粋だ。
・・・へえ、じゃあ、頂やす、と頭を下げると、旦那が微かに微笑んだ。

おひねりを持ったまま見上げていると、旦那の横手に姐さんの着物が近づくのが見えた。
旦那の腕がその細腰を掴まえるのと、後ろ手に窓が閉じられるのとが同時で、
これより一切の関わり無用、と窓はぴしりと閉じられた。







元来た道を車屋が帰っていく。さっきまで意気揚々と引いていた車はやけに軽く、足取りは湿っぽい。
恐い旦那から首尾よく姐さんを連れて逃げて、『ありがとう車屋さん!!』なんて抱きつかれて。
あわよくば指しつ指されつ、なんて。
一瞬とは言え我ながらバカな夢を見たもんだ。

―――姐さんと旦那ァ、今ごろ・・・
重なるふたりを想像すると、なんでだか目頭が熱くなった。

―――あのふたりァ・・・
察するに、訳あって久方ぶりに会ったんだ。こいつぁただの勘ぐりだ。でもそれぐらいはわからぁ。
もう離れねぇって、離さねぇって、旦那のあの腕が語ってた。

―――あの旦那・・・
あの旦那も、ベタ惚れだね。あの姐さんだ。誰だってそうならぁ。ならいでかってんだコンチクショウ。

―――あ

車屋が思い出したように道の真ん中で立ち止まった。
後ろを走ってきていた物売りが怪訝な顔して追い越していく。

―――迎えが要るのかどうか聞くのを忘れちまった
今来た道を振り返る。

―――すぐにとって帰っても・・・・・無駄だろうなぁ。出ちゃくれまい。いや、ヘタすっと殺される。

仕方ねえ。松の家から御呼びが掛かりゃあ、必ずあっしが参えりやす。
そいでもし、万一旦那とケンカなんかしなすって、どこぞに行きたいと思ったそン時は、あっしが足になりやすから。
姐さんを、どこへでもお運びする足になりやすから。

目の下に濃いクマのある車屋ギンが、ぐしっと鼻をすすり上げ、てやんでぃっ!と気合を入れて駆け出した。

それから、用もないのに松の家近くをうろうろするギンの姿に、二人のチンピラ、ジョニーとヨサクが不審がること
この上なかった。








「早かったな」
「早かったな、じゃねえよ。超近えじゃねえか。車使うまでもねえ」

「使ったから早く着いたんだろ」
「使わなくても早えよ。ったく、どんだけ迷子だ」
喋りながらもゾロの手がどんどんサンジの帯を解いていく。サンジもさしたる抵抗も見せず、するに任せている。

シュ、シュという衣擦れを聞きながらぼんやり天井を眺めていたサンジが、「なあ」、と言葉を継いだ。

「あァ?」
「シたかったか?」
問いかける顔はいたずらっ子のようだ。

「・・・聞くのか」
笑いもしない顔がグリと滾りを押しつける。サンジが楽しそうにくくっと笑った。

「お前ェこそ」―――どうしてた?と褐色の目が問うてくる。
「んー?おとなしーくしてたぜぇ?てめえを想いながらよ」
短い髪に指を埋めながら、愛おしそうにさりさりと撫でる。

「・・・この家に、お前ェと住まう。ずっとだ。話はついてる」
「・・・うん」

「なんの心配も無ェ」
「・・・いろいろ買わなきゃ、な。さっき見たけどなーんも無え」

すっぱりと顕わになったなめらかな肌に緑の髪が重なっていく。
白い腕が逞しい背中をしっかりかき抱くと、会話はそれきり途切れた。


END


和物、待ってました! しかもギン視点ですよ、おくさん!! 文体は小気味よく、内容は色っぽく…あぁ、この世界のふたり、是非ともデバガメしたいわーー。しっとり艶っぽい作品をありがとうございました!
一滴様のサイト:『青月長石』