振袖より淡き #2


もう、城下見物というより、ただのいちゃいちゃデートと化しているバカップル。ようやく生姜市で賑わう芝神明に辿りついた。
ついてみてゾロは、これがただの市ではなくて、神社の大祭だと気づいた。
しかも今日最初に訪れた『明神さん』に劣らぬ立派な社だ。
実は芝神明は、普段から飲食の屋台はもちろん、芝居小屋や見世物小屋まで立ち並ぶ城下指折りの盛り場でもある。
それが大祭ともなれば、いっそう賑わい人で溢れている。

さて生姜はどのへんで売ってるんだ?と見渡したら、
「あぁ、素敵なレディがいっぱいだ〜〜!」
うわずった声が隣で上がる。
「おい、生姜買いに来たんだろうが!」
「てめェ、こんなに素敵なレディがいっぱいなのに、なんとも思わねェほうがどうかしてんぜ」
袖振り合うも他生の縁、縁あるレディがいらっしゃるかもしんねェ、などと、あっという間に瞳がハートに変わる。

「おい、生姜買ったら帰るぞ!」
ハート目のサンジの腕を引き、生姜の並ぶ店先へとズンズン歩く。
サンジはぶつぶつと文句垂れていたが、葉生姜を前にしたら、さっそく葉を見たり根元を触ったりして良し悪しを探っている。
ゾロにはみんな同じに見える葉生姜。
「俺には何が違うんだかわからねェが、てめェの顔付きがさっきと違うのはわかる。いつも、そういう面してろよな」
ゾロはサンジの肩越しに呟いた。
だがサンジは振り向かない。聞こえなかったのか、と思ったが耳たぶが染まっている。
照れ隠しに無視を決め込んだらしい。

やがて風呂敷包みにいっぱい葉生姜を買い込んできた。
「そんなに買って使い切れんのか?」
思わずそんなことを聞いてしまったくらい大量だ。
「あぁ。甘酢に漬けたら日持ちすんぜ。生のまんまおろしたり、味噌つけて齧ったり、ってのはもちろん格別だが、甘酢漬けも美味ェぞ。それにチョッパーんとこでも使うだろ」

参拝が終わったら、今度はサンジがゾロの腕を引いた。
「あちいから、甘酒飲もうぜ」
グランドジパングでは甘酒は一年中飲まれる。寒い時期には温めて、今のように暑い時期には冷やして飲む。疲労回復に効果があるため、暑い時の庶民の栄養ドリンクのようなものだった。
ほら、と渡された椀から麹が香る。
(これを飲んだら、あとは帰るだけか)
ゾロはそう気づいて飲み干すのが惜しくなった。
日中こんなに長いこと二人でいることはないのだ。もう少しゆっくりしていたい。
冷えた甘酒が入った椀がゾロの手の中で揺れる。
「疲れたか? 体力余ってるてめェが、んなわけねェよな。だったら人の多さに中てられたか?」
サンジが気遣って声を掛けた。
「いや、なんでもねェ」
「ならいいけどよ。てめェはそこで甘酒飲んで休んでろよ。俺、ナミさんに千木箱買ってくっから」
「千木箱? なんだそれ?」
あれだ、とサンジが示すほうを見ると、可愛い娘が、小判型の木箱を三段重ねにしたものを持っている。
「なんだありゃ?」
「芝神明の縁起物だ。千木が千着に通じるとかで、あれを箪笥に入れとくと一生着るもんに困らねェんだと」
「それをナミに買ってやるのか?」
「あぁ、生姜市に来た時は必ず土産に買ってんだ」
道理でおナミがすんなりサンジを生姜市に送り出すはずだ。
着るものに困らないお守りとなれば、おナミが欲しがらない筈はない。だがおナミ自身でここまで来るのは面倒というわけだ。

「いいか、俺が戻るまで、絶対こっから動くなよ」
サンジはそう言って、日陰で休むゾロに生姜の包みをポンと渡した。
絶対動くなよ、と何度も念を押して、サンジは、千木箱とやらを売っていると思われる方向に駆けていく。
その痩身が人波にまぎれて見えなくなったところでゾロはハタと気づいた。
着るものに困らないお守り…それを欲しがるのは男より女だろう。
ということは、その店には女がわんさか集まっているということになる。
女好きのサンジにとって天国だ。
そういえば、
(生姜市の楽しみは生姜だけじゃねェ、って言ってたよな。てめェなんか連れてったら…、とも言ってたな)
そういうことかよ、とゾロは立ち上がった。
自分を置いていったのはナンパの邪魔になるからか、と邪推する。
「てめェの好きにはさせねぇぞ」
動くな、と言われたことも忘れて、サンジの後を追いかけた。



「ゾロ?」
サンジが買い物を済ませて帰ってみると、ゾロがいない。
「あんの野郎、勝手にどっか行くなって言っただろうが!」
ったく手間のかかる!
サンジは怒り心頭で辺りを探した。
甘酒屋の周りをぐるっと回る。
ここで待て、と指示した木の上も見上げてみた。千木箱売りの店まで往復してみた。
ついには社の正面から入口の鳥居まで駆け回る。

ゾロの姿はどこにも無かった。
緑の髪に三本刀…そうそう無い格好だ。
だが、こういうバカを見かけなかったか?と参道の人々に尋ねてみても、いっこうに行方が知れない。
必死の様子で尋ねていたら、ようやく、それらしい人物が鳥居をくぐって出て行くのを見たと言う人が現れた。
「クソバカ、勝手に出て行くな!」
社から出られたら、探す範囲が広すぎて取り返しがつかない。慌てて社を飛び出した。

だが、門を出てから右を探せばいいのか左を探せばいいのか、まったくわからない。
とりあえず、あちこちをひとっ走りしてみるが、目的の人物はまったく見当たらなかった。
「どこ行きやがった、クソ緑!」
サンジは悲痛な声を上げた。
はぐれたらあの破戒僧は絶対に家に帰って来られない。
サンジにはそう確信がある。
もうだめだ。
サンジはフラフラと傍の大木に寄りかかった。
落ち着こうと煙管を取り出す。
煙を吸い込んでふううと吐き出す。
だが、気持ちはいっこうに晴れない。
「あれほど、動くなっつったのに…」
泣きたい気持ちになった。

(アイツは別に俺の家に帰ってこれなくたって、のたれ死ぬような奴じゃねェし。心配には及ばねェさ。だけどそしたら、もう、これっきりだ。きっとアイツのことだから、俺の家に帰るのなんて早々に諦めて、ふうらりとまたどっかに行っちまうんだろう)
サンジは、いつも心の隅で思っていた。この男はいつか自分のもとを去るのだろうと。
根拠はない。だが、ゾロを見るとそう思う。一緒にいる月日が長くなればなるほど、その思いは逆に強くなる。
だが、その別れが、こうも突然にやってくるものとは思わなかった。
(袖振り合うも他生の縁、縁あるレディがいらっしゃるかもしんねェ)
生姜市に集う女性たちを見て、自分はそう言った。
(てめぇとは袖以上に触れ合ったのに、別れの口上を交わす縁すら無かった…)



(恨むぜ、神様。お参りしたってのに。いや、恨んじゃなんねェな。最後にこんな思い出が出来たんだ。 坊主のてめェが神社さんに手ェ合わせる姿ってのも可笑しかった。食べ歩きもできた)
今日一日の様々な出来事をサンジはひとつひとつ慈しむように思い出す。
「おっさん、せっかくの好意だが、無用になっちまったぜ」
袂の中の薬袋を取り出して、そう呟けば、今晩は独り寝なのだと改めて認識する。
「あの口付けが最後か…」
柳の影で深く口付けられたことを思い出して、たまらなくなった。
だが、いつまでもそうしてはいられない。
「そろそろ『風車』に帰んねェと…」
サンジはもうひと回りだけ社内を探してから帰ろうと、煙管の灰を落とした。

その時、人が近寄る気配を感じてサンジは顔をあげた。
先程から見られているのはわかっていたが、何も仕掛けてこないので放っておいたのだ。
その連中が近づいてきた。
中央にいる男は、黒っぽい色の長めの着物をぞろりと着て、腰高の帯をしめている。右手には銀煙管。周りに数人、腕っ節の良さそうなのを従えて、いかにも成金商人の放蕩息子という風体である。
(なんの用だ、コイツら?)
眉根を寄せたサンジに話しかけたのは、その放蕩息子でなく取り巻きのほう。
「おい、おめェ、一分(いちぶ)で何切れだ?」
「あ?」
言われた意味がわからなくて、怪訝な顔をすると、
「もう女人専門か? まだ、男もいけるんだろ? 我等の坊ちゃんのお目に留まったことをありがたく思え」
ようやく話の意味がわかった。
一分の金で、どのくらいの時間、お前を好きに抱けるのか? と聞かれたのだ。

人が集まるところには、客商売の店が集まる。飲食しかり、雑貨屋しかり。ちょっと奥へ行けば春を売る店も。
特にこの門前は、数年前にお上の改革の手が回るまでは男の身体が売り物の陰間茶屋も多かった。 今ではすっかり取り払われてしまったが、茶屋は無くなっても、かつて茶屋があったあたりに客引きに立つ者は途絶えていない。
そんなところで着流しの細身の身体を独りポツンと木にもたせかけ、薬袋なんて取り出していれば、間違えられるのも無理はない。
もっともサンジの歳では男の相手はそろそろ引退で、女性を床(とこ)で喜ばせる、つまり現代で言うところのホストに転身するのが普通だ。 だから「もう女人専門か?」と付け加えて尋ねられたのだ。

「あんたの容姿なら、その歳でも、まだ男の客がいるだろう?」
「いい加減にしやがれッ!!」
サンジを検分するように銀煙管でサンジの顎を持ち上げた放蕩息子を、思い切り蹴り上げる。
「何しやがる!」
周りの取り巻き共が一斉にサンジに飛び掛ってきた。
「うるせェっ! 客を取るような輩に俺が見えるのかよッ!!! クソむかつくんだよ、この下衆野郎ッ!」
陰間に間違えられた腹立たしさだけではない。
ゾロとはぐれた鬱屈も手伝って、サンジは暴れまくった。



「喧嘩だ喧嘩だ、門前で喧嘩が始まったぞ!」
火事と喧嘩が名物のこの城下。
芝神明の境内に、喧嘩騒ぎはあっという間に伝わった。
「誰と誰が喧嘩だって?」
「なんでも陰間に間違えられたとかで、細っこい男がキレて大立ち回りさ」
「へぇ? 間違われるような綺麗な男かい?」
「白い肌に金の髪。容姿はいいが、口が悪ィ。あんな言葉遣いじゃ陰間のわけがねェが、蹴り上げるたんびに着物の裾が割れて見ものらしいぜ」
やいのやいのと野次馬が門前へと流れていく。

その野次馬達の言葉を耳に拾った破戒僧。
「おい、その金髪野郎の喧嘩ってのは、どこだッ?」
こっちだこっちだと言われるままに参道の外へ向かっていく。
が、途中で、波が返すように人の流れが参道の中へと戻ってきた。
「なんだ? 喧嘩はこっちじゃねェのか?」
戻ってきた人々に聞いてみる。
「もう終わっちまったよ。呆気無ェ。あっという間に金色いのが全員蹴り倒して仕舞いだよ」
「なんだよ、もう終わりかよ。つまんねェなー」
そういう周りの声にゾロは焦った。
(終わっちまったんなら、板前の行方がわかんなくなっちまうじゃねェか!)
「ちょっと、通せ! どけったら!」
人の波に逆らって、ゾロはようやく喧嘩の場所へたどり着いた。

(あ、良かった、居やがった…)
この時ほど、サンジの猛煙家ぶりに感謝したことはない。
喧嘩の後の一服…サンジは、そんな様子で、ぷかりと煙管を吹いていた。
「おい…」
躊躇いがちに声を掛ける。
振り向いたサンジは、目ん玉が零れ落ちるんじゃないかと思うほど、目を見開いた。
(おもしれェ顔だ…)
そんなことをゾロが思ったのは一瞬だ。
次の瞬間、有り得ない衝撃が身体を走る。
「てんめェ、どこ行ってやがったーーーーッッッ!!!!」
ゾロが空中を舞ったのは本日2度目。
「けっ、そのまま愛宕山まで飛んでいきゃあがれ!」



その愛宕山に今、二人は向かっている。
ゾロは芝神明が今日のデートのゴールだと思っていたが、サンジは最後に愛宕山に登ろうと思っていたのだ。
愛宕山は90尺(約27m)ほどの小さな山だが、それでもお城付近では最高峰だ。
天辺からは城下の町を端から端まで見渡せる。
その風景を今日のデートの締めにするつもりだったのだ。
「あれほど待っていろと言ったのに動きやがって!」
愛宕山の天辺に着くまで、サンジはくどくど小言を言った。
切ない思いをした分、サンジの怒りは生半可ではない。
こういう時は嵐が過ぎ去るのを待ったほうがいい。
不機嫌を表わしたかのようにドスドスとガラ悪く歩く板前に、ゾロは黙ってついていく。

丘、と言ってもいいくらいの小さな山。
あっという間に天辺について見晴らしが開けた。
日は西に傾き始めており、もう少ししたら空が茜色に染まるだろう。
空を眺め、町を眺め。
その風景と風の心地好さにようやくサンジの溜飲が下がったようだ。
俺たちの家はあのへんで、『風車』はあのへんだ、とゾロに教え始めた。
「今日、最初に行った明神さんはあのへん。あそこに川が見えるだろ。あの川を渡って、もうひとつ手前の川のとこが日本橋だ」
そっから、ずっと南へ下って…。
サンジは説明しながら、今日一日の出来事を反芻するのは2回目だと気づいた。
1回目はゾロとはぐれて、今日がゾロとの別れの日なのかと思いながら今日の出来事をなぞった。
2回目の今は、別れたはずのゾロに話しかけている。

それに気づいたとたん、サンジの口が止まった。
「あぁ…」
知らず熱い溜息が零れる。
散々探したこと。もう見つからないと諦めたこと。あの接吻が餞別になっちまったと切なかったこと。
今になってようやく、そうした緊張がどっと解けた。
「泣くな」
ゾロが抱きしめてきた。
「泣いてねェ」
肩口にもたれかかってそう返事を返す。
「泣きそうな面してる」
「泣かねェよ。なぁクソ坊主、てめェ、俺のこと探したか?」
「探したさ」
「見つからなくて、もう仕方がねェと諦めたか?」
「いや、どこ行きやがったと、そればっか思ってた」
くく、とサンジは笑った。
そうか、ずっと探してたのか。今日はそれだけで充分だ。

サンジは風景を見渡して尋ねた。
「てめェの故郷(くに)はどのへんだ? あっちか? そっちか?」
「さぁ、わからねェ」
「だよな、方向音痴だもんな。でも…いつか帰るんだろ。来た時みてェにてめェはふらっと行っちまうんだろ。そん時のために、ちゃんと調べとけよ」
「……」
ゾロは無言だった。
代わりに、サンジの手が、ぎゅと握られた。
離れたくない、とでもいうように。

夜に身体を重ねても、昼に手を重ねたことなんて無かった。
重ねた掌(てのひら)から、ぽぉっと熱がかけめぐる。
身体が熱い。頬も熱い。耳たぶまで熱い。

愛しいこの男を自分は幸せにできないと思う男と、愛しいこの男はいつか自分から離れていくのだろうと思っている男。
だが、だから、今伝わってくるこの温もりが、一等大事だ。かけがえのないものだ。

「だめだ、我慢きかねェ」
茜に染まる空の下、ゾロはサンジの身体をかき抱いて、貪るように口付けた。



(了)



青○開始なところで終わりですみません(^^;

えーと、私の設定では、海賊な彼らよりもこの破戒僧×板前のほうが、いろいろなしがらみがあって自分達の意志だけではどうにもならない部分を抱えています。
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