雪割草 #2
最初のうちこそ、早急に身体を作らせると無理が出て色子として短命だからと渋っていた店も、上得意が名乗りを挙げると手のひら返したようにサンジの身体に準備を施そうと躍起になりはじめた。
その境遇にどれだけ抵抗しても、受け入れられる器官にするための拡張はもちろん、肌、髪、爪、体臭、言葉使い、仕草まで、男であることを感じさせない身体に作り変えらていく。
「身体中、香油みたいなもん塗られて磨かれて、奥のほうも塗られて、寝る時も細い金棒みたいなのを入れたまんまで…」
おぞましさを思い出すのか、サンジは時々身震いしたり唇を噛んだりする。
「でも俺ァ運が良かった。いよいよ水揚げが数日後に迫った時に陰間茶屋取り潰しの命が出てよ、茶屋が閉業になっちまった」
『改革』という名でお上が贅沢を禁じ、娯楽を制限したのは数年前だ。出版物の検閲に始まって中小規模の芝居小屋や見世物小屋が制限され、改革の終わりには岡場所や陰間茶屋や乱れた営業の湯屋などが一斉に取り潰された。
だが、これで自由の身だと言われても帰る当てなど無い色子のほうが多かった。
結局殆どの色子が馴染みの「旦那」に囲われることになったのだから、性の奉仕から解放された者は少なかった。
サンジ自身も、ほかの色子たちと同じ運命だろうと半ば諦めていた。
役人には『俺は薔薇亭って料理屋の奉公人で騙されてここに来たんだ』と訴えはしたが、薔薇亭の住所もわからないのに連絡がつくとは思えない。
うまいこと連絡がついても、ゼフはもう自分など愛想つかしているかもしれない。片足にさせた挙げ句、ゼフの世話もせずに遁走したとでも思われているのが関の山だ。
水揚げを申し出た旦那がサンジを引き取りたがっているから、結局あの酷薄そうなおっさんに囲われるしかないのだろうと、諦めていた。
「なのにあのジジィ、俺を迎えに来たんだぜ。笑っちゃうだろ。自分の足を奪ったガキだぜ。板前修行もひとつも始まってなくて、なんにも出来ねェ石潰しのガキだぜ。そんなガキをさ、引き取りに来たんだぜ」
「しかも、水揚げ代をもう茶屋に払ってるから一回やらせろとか言いやがったクソ野郎に、水揚げ代を返金すりゃ文句無ェだろとか言って、ばかみてぇな大金払っちまってよ…店を再建させる金だったのに、すっからかんになっちまってよ…」
そんな大恩のあるゼフを10日前の客は愚弄したのだ。
店の応対がぞんざいだとかジジィが頑固で融通が利かないとかいうなら、それは事実だから、まあ受け流す。
ゼフの料理がまずいというのは大層むかつくが、味がわからない奴もいると思って我慢できる。
自分が色子と言われただけなら百歩譲って我慢した。
だが客の言った内容は許せねェとサンジは言う。
「あのクソ野郎、今でもぶっ殺してェ!」
と言いながらポロポロ涙を零すサンジを見て、怒りで涙が出るというのは本当にあるのだと、エースはこの時知った。
この事件を境に、サンジは今まで以上に男らしさを強調したがるようになった。
「俺が色子と見られるような姿してっから、ジジィが愚弄されるんだ」
粋を気取っていた男はそう言って、髭を生やし始めた。
いいとこのおぼっちゃんに見えると女の子に評判だった着流しの服も着なくなった。
色気があるだの綺麗だの可愛いだのと言われる原因になりそうなものはすべて捨てた。
(そして俺はさ、サンちゃんに手を出せなくなったんだよな…)
野郎であることを強調しようとしている懸命さを、踏みにじってはいけないと思った。
身体に手を加えられはしたが最終的に男を受け入れずに終わったということが、『自分は色子だったことはない』という気概の支えになっているなら、それを崩してはいけないと思った。
もう少し彼が大人になって、もう少し物事を柔軟に考えられるようになるまで待とうと思ってきた。
そのためには自分の欲望も気持ちも、しばらく我慢してもいいと思うほど彼を大事にしてきた。
それなのに今、目の前のサンジには髭が無い。
するんとした綺麗な顎のかたちを曝して、サンジは風車の板場に立っている。
サンジが居なくなった、かどわかしに遭ったらしいと聞いたのは一昨日のことだ。
訳あって人探しをしているエースがこの界隈から数日離れていた間の出来事らしい。
なんて間の悪い…と慌てて風車に行ったら、事件は解決したと言う。
「明日はいつもどおり来てくれるはずよ」と言ったナミの予想は外れて、翌日…つまり昨日はサンジは風車に来なかった。
気になって仕方が無かったが、ゾロがひと言「大丈夫だ」と言うので、それ以上詮索することも様子を見に行くことも憚られた。
明けて、今日。
開店早々風車に乗り込んで、エースはサンジを見るなり、ぽかんと口を開けた。
(髭が無ェ…)
あんなにこだわっていた顎鬚が無い。
それは馴染みの客なら誰もが思うことのようで…
「あれっ、サンちゃん、それ、どうしたの?」
「わ、誰かと思ったぜ、なんかあったのか?」
「お、どっかの女でも口説く気か?」
風車開店から、何度この手の言葉が聞かれたことだろう。
そのたびサンジは 「やっぱりな、言われると思ったんだよ」とか「なんもねェよ」とか、軽く答えながら客をあしらっている。
この「軽くあしらう」というところもエースには信じられない。
「お、ずいぶん可愛くなっちまって!」と客が言った時には、エースは思わず、その客が蹴られるんじゃないかと身構えた。しかしサンジは「るせー、さっさと飯食って仕事行きやがれ!」と憎まれ口をきいたが気を悪くしたような気配は無い。
エースは店の端で小鉢を突付いているゾロを横目で見た。
グランドジパングの朝は肉や魚は摂らずに、白飯、味噌汁、香の物というシンプルな取り合わせが定番だが、風車では朝でも煮物や和え物の小鉢が用意されているので懐が豊かな者はそれを追加する。もっともゾロの場合は懐が豊かというより、サンジの好意に違いないが。
エースはゾロの隣に移動してきて、「飲まないのか?」と声を掛けた。
「朝から飲むんじゃねェと、うるせェんでな」
嫁菜の味噌汁をずずっと吸ってゾロが答える。
「サンちゃん、髭、無ェな」
「あぁ」
「なんでだ?」
「知らねェよ」
「てめェの故郷じゃどうか知らねェが、ここグランドジパングではさ、髭なんか生やしてる男はもてやしねェ。所帯を持ったあとに髭を生やすのが上級武士の間で流行ったこともあるが、ま、若い男の髭面は無粋ってのが常識だ。あの女好きのサンちゃんだったら、当然髭なんか生やさねェはずなのよ。なのにずっとぽやぽやした顎鬚を生やしてたわけよ。なんでか知ってるか?」
「知らねェな」
ゾロはそう言いながら小鉢の煮物を箸でひょいと摘まんで「てめェも食うか?」とエースに突き出す。
それを断ってエースはちらっとサンジを見た。
ちょうど「なんだよ、髭が無ェとえれェ別嬪さんじゃねェか!」と言った客にサンジが「バーカ!」と言い返してるところだった。
「怒ってねェなぁ、サンちゃん」
「あ?」
「以前はさ、髭が無いほうが可愛いだの別嬪だの言われたらキレまくってたんだぜ。なんで今日はあんな穏やかなんだろうな。俺がいない間に、何があったんだよ」
「だから知らねェよ。あいつが、なんもねェって言ってんだから、なんもねェんだろ。俺ァ、仕事行くぜ」
はぁ、とエースは溜息をついた。
ゾロには隠し事をしようという気配は無い。
具体的に何があったのかはわからなかったが、サンジが髭を失っても笑っていられるのはゾロが原因だろうということは見当がつく。
だがこの朴念仁は自覚が無いらしい。
(この鈍感さがサンジにとっちゃ救いなのかもしんねェなぁ)
サンジが流れ者の破戒僧に手篭めにされたとわかった時には、そいつは身体を奪った以上に、サンジが懸命に築いてきた矜持を蹂躙したのだと思って深く憎んだ。
それなのにサンジがその男に情けをかけて、自分を踏みにじった男を懐に入れようとしているのがわかると、憎しみは一層深くなった。
あの憎しみは、今思えば妬心だった。
サンジの煩悶を解きほぐしてやるのは、自分でありたかった。
悔しさも寂しさもあるが、どこかで安堵もしている。
何よりも彼に幸せでいてほしい。
ふらりと風車を出て行くゾロの背を見送って、エースは酒を注文した。
つまみは要らない。
肴は、サンジだ。髭が無くて、いつもの数倍あどけなく見えて、まるで出逢った頃に戻ったようなサンジだ。
今日の小鉢は、おろし蓮根の団子とくわいを出汁で丁寧に煮たもので、それはひどくそそる品ではあるれど、サンジとの思い出を反芻するなら、なまじ彼のうまい料理なんて食わぬほうが良い。
朝っぱらから飲む酒は、いつもより早く利いて、エースの胸にきゅううと沁みた。
(了)
サンちゃん、みんなに愛されまくり。
(2010.03 サンジの誕生日に捧ぐ)
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