モミの木祭り


(あら、あの人…)
レーナは「モミの木祭り」へ向かう雑踏の中に緑の頭を見つけた。
そして隣りにあるはずの金色を探した。
(今日は一緒じゃないのね…)
そう思ったとたん、はっとしてレーナは人混みをかきわけて緑髪の男に近づこうとした。
だが今日は祭りでごった返している。なかなか男との距離が縮まらない。

レーナはついに声を掛けた。
「マリさん、どこへ行くの?」
男は振り返らずに歩いていく。
もう一度、今度は大きな声で呼び止めた。
「マリさん、待って!!」
男はようやく振り返った。
「あ、俺のことか…」
どうやら最初の呼びかけも聞こえていたらしい。
それなのに自分が呼ばれていると思わないなんて、本当にこの人はちょっと滑稽なところがある人だとレーナは思う。
そう思うのは訳がある。
男がこのリトルノースにやってきた時のことだ。



足を痛めたジナイダおばさんに代わって、最初の1週間はレーナの妹のマリーナが家政婦役を務めた。
周囲の者は男一人のところへ年頃の娘を家政婦にやって大丈夫かと心配したが、レーナはかえってよい機会だと思っていた。
11歳離れた妹は妙に奥手なところがある。今のマリーナの歳にはレーナは結婚していたというのに、恋愛経験はゼロだ。
今度来る男は独身らしいし人物紹介書に貼られた写真はピンボケしていたが、そう不細工でもなかった。惚れた腫れたにならなくても、男性に免疫がつく機会になれば調度良い。
そう思ったのだが、初日、マリーナはものすごい勢いでレーナの元に駆け込んできて言った。
「マリさんて男の人じゃないの!」

我が妹ながら少々がっかりした。マリさんが女性だと思っていたせいで驚愕したのはわかるが、逃げ帰ってくるとは…。
わたわた慌てる妹をなだめて、自分も一緒にコテージに行った。
(あら、イイ男じゃない…)
レーナはひと目見るなりそう思った。
はっとするほど良いマスクだということではない。むしろ顔の造りはウェストやノースの人間よりも扁平(へんぺい)だ。
だが、きりっとした美しさがある。堂々として姿勢が良く、野性味と礼儀正しさがほどよく調和している。印象が端正なのだ。

好印象だとすべてが良いほうへ解釈される。男が腰に差している白鞘の刀も護身用としか思わなかった。
しかしマリーナのほうでは、堂々とした態度が横柄な態度に見え、刀は粗暴の象徴に見えていたのだから、人の印象というのは難しい。

萎縮したマリーナは、レーナに促されてようやく男に自己紹介をした。
「…というわけでジナイダおばさんに代わって、私が1週間通いますのでよろしくお願い致します。えーとそれで…」
マリーナはジナイダから預かった家政婦マニュアルを見ながら言った。
「お世話をする際に次のことを確認すること…あっいえ、確認させてください。嫌いな食べ物はありますか? 掃除をするときに触られたくないものはありますか? 夕食はこちらで用意する決まりですが、昼食は別料金になりますがご用意できます。ご希望でしょうか? 朝食はご自分で調達していただきますが、新鮮なミルクやパンをお届けする農場やパン屋をご紹介することができます。パンフレットをご覧になりますか? 基本的に午前中にお邪魔しますが、何時ごろに起きていらっしゃいますか?」
緊張のせいで男の答えを待たずに矢継ぎ早に質問を繰り出すマリーナに、聞いていたレーナのほうが慌てた。
「ちょっとマリーナ、ひとつひとつゆっくり…」

「いやいい」
男がレーナの言葉をさえぎった。
「どうでも俺は気にしねェから任せる。ただ最初に言っていた『触られたくねェもん』てのがある。そこだけ守ってくれ。いいか、コレとコレには触るな」
そう言って示されたのは、ひとつは1メートル以上ある細長いズタ袋。中味はわからぬがそれはいい。問題はもうひとつのほうだ。
彼は自分の腹を差し示した。身体に触るなということだろうか?
「はあ?」
マリーナもレーナ同様意味がわからなかったらしい。怪訝な声を上げた。
「これは自分で洗うからいい。他のもんは適当に洗ってくれ」
そう言われて初めて、腹を示したのでなく腹の上の腹巻を示したのだとわかった。

「ハラマキ…ですよね?」
腹巻に見えて実は違うものなのか、或いは特別デリケートな素材で出来た腹巻なのか?
男性以外には好奇心旺盛なマリーナはつい手を伸ばした。とたんに。
「触るな!」
男がさっと上着で腹巻を隠した。
そのさまが随分と真剣で、しかし子供っぽくもあり、レーナはつい吹き出した。
(なんかちょっとおかしなところがあるわ、この人…)
そう思った最初の出来事だった。

次にそう思ったのは一週間後だ。足の具合が良くなったジナイダおばさんがマリさんのコテージに行くようになって2日目のこと。
ジナイダおばさんは長期滞在者の家事手伝いのベテランだ。滞在者の生活スタイルは3回行けば把握してしまう。早起きなのか朝寝坊なのか、几帳面かずぼらか、シャツに糊を付けてパリッとさせたいのか糊をつけずに柔らかいほうが好きなのか、無駄口叩かずに仕事をきっちりしてほしいのか話し相手が欲しいのか。
1週間マリさんの面倒を見たマリーナからの情報もあり、ジナイダおばさんはマリさんの生活スタイルは1日目にして把握したようだ。
捨ててよい物や場所を移動させてもよい物なども、もうマリさんにいちいち確認しなくてもわかる。
「だから散歩でも勧めてみようと思うのよ。マリーナの話だと島へ来て以来、ほとんどコテージの周りだけで過ごしているらしいからね」

そのジナイダおばさんが午後2時過ぎに、レーナのところへ駈け込んできた。まるでマリさんと初めて会った時のマリーナのように慌てた形相だ。
「レーナ! マリさんが! あぁどうしましょう!」
「何ごと? 今度はマリさんが何をしたの?」
「帰ってこないのよ。もう4時間以上経っているのに!」

麦わらのメンバーなら思っただろう「ファンタジスタだもんな」と。
ついでに言っただろう「放っておいても死にゃあしねェよ、ゾロだもんな」と。

だが、そうとは知らないレーナは、池に落ちたのか或いは怪我でもして動けないのかと思って、数人を伴って慌てて森へ向かった。ジナイダおばさんの話では森の池までの散歩を勧めたということだったからだ。
池までは一本道。行って帰って約1時間半の簡単なルートだ。
しかしマリさんは見つからない。池に落ちた形跡もなく行方不明だ。
そうこうしているうちに日が傾いてきた。空には雪雲が張り出し始めている。予報通り今晩は雪だ。
早く見つけなければ…。
レーナたちの表情に焦りが現れてきた。

ところがそんな彼らの前に、マリさんがハリーの荷馬車に乗ってひょっこり現れたのだ。
どうやらマリさんは学校の裏庭にある体育館で寝ていたらしい。
発見したのがマリーナが補佐しているクラスの子だったのは幸いだった。
「なんだもうこんな時間か、小屋に帰らねぇとな」と言うくせにコテージと反対方向へ行こうとするから、マリーナが荷馬車引きのハリーを呼んだらしい。

その話を聞いた全員が考えた。どこをどう行けば学校へ着くというのだろうと。
森の池はコテージの西側にあり、学校はコテージの東側にある。まったくの反対方向なのだ。
「世話掛けたな、すまねェ」
とマリさんは集まった皆に謝っている。
だが家に帰れなかったかもしれないとか、あのまま野宿では凍え死んだかもしれないとか、そういった危機感はその表情にまったく浮かんでいない。状況判断が出来ないユルい頭なのだろうか。そうは見えないが…。
「とにかく良かったわ、あなたの凍死体に出会わずにすんで」
とレーナは言いながら思った。この人ってやっぱり少し変わってる人なのかも…。



それ以来、レーナたちはマリさんが独りでいるのを見かけると、ついどこへ行くのか聞いてしまうようになった。
(あの時みたいに、またこの人の方向音痴に振り回されては大変)
レーナはそう思って『モミの木祭り』の会場方向へ向かうマリさんを呼び止めたのだ。

「マリさんもモミの木祭りを見に行くの?」
レーナは気になっていたことを聞いてみた。
モミの木祭りは子供たちが主役の祭りだ。仮装をした子供たちが、広場のモミの木の周りに集まる。そして踊ったり歌ったりして『雪の王女』を誘い出す。現れた『雪の王女』は父親の『冬将軍』を呼ぶ。『冬将軍』は娘を楽しませてくれたお礼としてお菓子の入った『雪玉』を子供たちに配るのだ。
微笑ましい祭りなので集まるのは子供や孫がいる家族連れが多く、マリさんの関心を引きそうな要素はない。どんな祭りか見てみようかという好奇心だとしても同居しているルリさんが一緒でないのは不自然に思えた。

「祭りには興味無ェ」
レーナが思ったとおりマリさんの返事はそっけなかった。
「じゃあどちらへ? あ、ごめんなさい。詮索するつもりはないのよ。ただ良かったら案内しようかと思って…」
「コックを見なかったか?」
「コック?」
「金髪の。眉毛がぐるぐる巻いてる」
「あぁルリさん。見てないわ。いないの?」
「今朝起きたら朝飯の用意だけされてて、アイツがいなかった」

(今度はルリさんが行方不明なの? なんてことかしら、この人たち…。いえそれよりも、ルリさんを探しにマリさんが出て行ったら、きっと次はマリさんを探すはめになるに違いないわ)
レーナは経験上そう思って言った。
「ちょっと買い物に出てるのかもしれないわよ? マリさんは家で待ってたほうが良いのじゃなくて?」
「いや、多分、アイツはこっちにいると思う」
どこからその自信が来るのだろう。
「どうしてそう思うの?」
「勘だ」
だからその勘がアテにならないのよねとレーナは叫びたかった。
ところが真剣な顔でマリさんが尋ねてきた。
「なんとか祭りってのは着飾った娘が集まったりするか?」
「着飾ってくるのは子供たちよ。娘って年じゃないわね」
「じゃあ違うのか…? こっちにアイツがいるような気がすんだけどな」
『気がする』というだけで進むから迷子になるのね、とレーナはこっそりため息をついた。



ところが、モミの木祭りの会場についてみたらマリさんの勘どおりだった。
祭りが始まり仮装した子供たちが歌い踊りながら『雪の王女』を呼んだ。
楽しそうな声に誘われて純白とアイスブルーの美しい衣装に身を包んだ『雪の王女』が登場した。
そのとたん、子供たち以上にくるくる踊る男が現れたのだ。
踊りながら賞賛の言葉とハートを盛大に飛ばしている。ルリさんだ。

(あぁそうだった、ルリさんはとんでもなく女好きだったっけ。それにしてもマリさんてホント変わっているわ、方向音痴なのにルリさんの居場所はつきとめられるなんて)
そう思うレーナの横で、マリさんが叫んだ。
「やっぱりここにいたか、クソコック!!!」

「げ、クソマリモ…」
「帰るぞ!」
「帰ってたまるか! 俺はコンテストん時から今日という日を楽しみにしていたんだぞ!」
「コンテスト?」
「先月『雪の王女』役を決めるコンテストがあったのよ。」
「そんなのあったか?」
「えぇ12月9日に公会堂で。16歳から25歳までの女の子たちがエントリーできるの。その年頃の子はみんな『雪の王女』の衣装を着ることを夢見るのよ」
「9日ならてめェもう体調崩してた時期じゃねェか? そんな時に公会堂に行ってたって?」
「うっせェ! 俺はいつでも美しい女性のしもべだ!」
「…ったくてめェの女好きも異常だな!」
罵りあいを始めたマリさんとルリさんを見てレーナは笑った。
リトルノースはおかしな滞在者を迎えたらしい。どうやら今年は退屈しなさそうだ。



(了)


『雪の王女』の衣装は白とアイスブルーを基調としたAラインコート。くるぶしまであるドレス丈で、白のファーと銀の刺繍が施されています。お揃いのヘッドドレスを付けます。
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(2013.01)