北国気質


暖かかった午前中とはうって変わって、午後から冷たい風が吹き出した。
澄んだ青色の空が、風に乗って運ばれてきた雪雲に徐々に覆われていく。
夕方からは粉雪が舞い始めた。
3月を目前にして日は伸びていたが、低く垂れこめた雪雲と白い粉雪は夕焼けを覆い隠し、突然夜を連れてくる。
ゾロの帰りが遅いとサンジが気づいた時には、すでにあたりは闇に包まれ、しんしんと冷えていた。



 ◇ ◇ ◇

「ぎゃははは、てめっ、何、そのカッコ…ひっ…ぶぁっははははっ!!」
ようやく帰ってきたゾロを見るなり、サンジは笑い転げた。

昼過ぎに家を出ていったときはジジシャツの長袖バージョンに腹巻に黒スボンという、
19歳ゾロのジジシャツが長袖になっただけの格好のうえに着物風ガウンを羽織っていたはずだ。
ところが帰ってきたゾロは様々な小物をまとっていた。
あまりに笑い転げるサンジにむっとしてゾロがそれらを取ろうとすると
「あっ待て待て、それはレディのご厚意だろうが! 乱暴にむしりとるな、じっとしとけ!」
とサンジがビシッと制止する。
そういう端からまた笑う。
ひーひー笑っている途中で、煮込み料理を火にかけたままだと気づいた料理人は笑いで震える手で火を止め。
またゾロを見るなりこらえきれずに腹を抱えて笑う。
「ひー、腹痛ェ。何笑かしてくれてんだ、この面白植物!」

サンジがじっとしとけと言うからオプションを取らずに馬鹿笑いが収まるのを待っているというのに、酷い言い草だ。
まあ、そんなことではゾロは動じない。
涙流して笑うサンジの表情や、笑いを収めようとして失敗してむせて咳き込むサンジの様子などのほうがよっぽど阿呆っぽくて面白いからだ。
それに自分の格好が珍妙なのは十分知っている。
頭には赤地にオレンジや黄色の小花が描かれた大判のショールをほっかむり。しかも顎の下に結び目のある赤ずきんちゃんスタイルだ。
肩には黒地に濃いピンクやすみれ色の大きな花が描かれたフリンジ付きショールを引っ掛け。
その奥の首元には小紋柄の金茶色ベースのネッカチーフが結ばれている。



「しかしまぁ、緑苔がこんなに華やかになっちまって…」
サンジはようやく笑いを抑え込んで…それでも時折くすくすと笑うが…ゾロが身に着けてきたものを解いてやろうと手を伸ばした。

「何があったか聞かねェのかよ」
とゾロが言えば
「聞いてほしいなら聞いてやるよ。まぁだいたい想像つくがな」
と返ってきた。
けれどもその目はゾロの口から顛末が語られるのをうずうずと待っている様子だったので、ゾロは期待に応えて語ってやった。

「最初はこれだ」
ゾロはそう言って肩にかけたショールを示した。
「いつものようにライドン牧場にブリキ缶を返しに行ったら、ライドン牧場が引っ越してやがってな」
(いや引っ越してねェよ、てめェまた迷ったんだろうが…)
そう思うが黙っておく。話が進まないからだ。

サンジはライドン牧場に、毎日新鮮なミルクを届けてくれるよう頼んでいる。
毎朝、牧場の息子のオクトが荷運び用のソリを上手に繰りながらミルクの入ったブリキ缶を運んでくる。
それをビンに移し替え、空になったブリキ缶を洗って戸外に出しておくと翌朝新しいミルク缶と交替に回収してくれる。
ところが真冬の今では、出しておいたブリキ缶が夜の間に凍ってデッキに張り付いて、引きはがすの一苦労であることが多いので、
回収を頼まずに昼過ぎにゾロが牧場に届けるのが日課になっていた。
今日もブリキ缶二つと、サンジが焼いたドライチェリー入りシナモンケーキを持って出かけた。

『雲や馬を目印にすんじゃねェ! 木とか家とか看板を目印にしろ!』
と再三サンジが繰り返したので、だいぶ道を覚えてきたが、ちょっと気になるものを目にするとゾロはそちらに逸れていってしまう。
今日もどうやら本人の自覚なしに道を逸れたのだろう。
「で、ライドン牧場にはついたのか?」
「あぁ、途中で引っ越し先を聞いた。そしたら教えてくれた婆さんが『そんな薄着で丘の上に行くなんて』とか言って俺にこの風呂敷を被せやがってよ」
「風呂敷じゃねェよ」
「俺は要らねェって言ったんだが『私はもう一枚持っているから大丈夫』って頑固でよ。しょうがねェから受け取って、牧場の女に渡せっておめェに言われていた菓子を、半分に割ってその婆さんにやっちまった」
「マリモにしちゃあ気がきくじゃねェか」
「おめェ、毎度言うじゃねェか。女の恩はもらいっぱなしにすると後が怖いとかって」
「怖いなんて言った覚えねェぞ! 必ずご恩に応えろって言ってんだよ!」



「で、次がこれだ」
ゾロは首元のネッカチーフを指差した。
「ライドン牧場に行く途中で池の端を通ったらよ、爺さんが池に張った氷を割っててな」
(池ってどこのだよ? いったいどこまで行っちまったんだコイツは…)
そう思うが黙っておく。話の先を促すと。

「何してんだ落し物か?って聞いたらよ、魚を助けてんだって返事が返ってきた」
「魚を助ける? 獲るんじゃなくて?」
「爺さんが言うには、池や沼の表面が隙間無く凍っちまうと氷の下の魚が酸欠になるんだと。酸欠になると酸素を求めてわずかな氷の隙間に魚が殺到する。それに気づいた鳥たちがそこに殺到する。だから氷上のある一点に鳥が集まってギャーギャー騒いでいたら氷を割るんだそうだ。そうしないと池の魚がみんな死んじまうんだってよ」
「へーそりゃ森の知恵ってやつだな。海じゃ海面が隙間無く凍るなんてこと無ェから、そんな光景見たこと無ェよ」

「でもその爺さん危なっかしくてよ、氷を割るついでに自分も一緒にドボンと落っこちそうだったから、俺が代わりにやるから岸に上がれって言って」
「割ってやったわけか。え、まさか刀で?」
「大丈夫だ。爺さんに『ちょっと向こうむいてろ』って言っといたから見られてねェだろ」
「いや待て、いきなり氷がすぱんと綺麗に真一文字に切れてたらおかしいだろ」
「そうか?」
「そうだよ!」
「そうか…。でもまぁもうやっちまったもんは仕方無ェ。そんで俺は牧場に向かおうとしたら爺さんが『そんな恰好じゃ寒かろう』って俺の首にこの、ちっせー手ぬぐいみてェなもん巻きつけてよ。要らねェけど、爺さんなりのお礼なのかと思ってまぁ貰ってきた」
「手ぬぐいってこれ、ドスコイパンダブランドの高級ネッカチーフじゃねェか!」



「そん次がこれだ」
ゾロは頭に被ったショールを外そうと結び目を引っ張った。
「そこを引っ張ったら余計に締まるって!」
サンジが手を伸ばした。
んーと顎を持ち上げて結び目が解けるのを待つゾロは、よく躾けられた犬のようでサンジは苦笑した。

「牧場につく前に雪が降ってきて、そしたら博物館みてェな建物の前で粉雪をほうきで履いてた女が、帽子を被れって言ってきてよ。『帽子は無ェ』と言ったら『脳が寒さで麻痺する』とか言いやがって」
「あぁノースでは誰もがそう言うな。厳寒の日に帽子被らず歩いてて脳の血行が悪くなって言語障害起こした男の話を子供のころにされたっけ。まぁそれは極端な例だけど、ノースじゃ冬に帽子被らないのはバカのやることだって言われるな」
「おめェ、俺にそんなことひと言も言わなかったじゃねェか」
「そりゃマリモ頭はこれ以上悪くなりようが無ェし。おっと刀抜くなよ! 続きを話せって! そのレディがショール貸してくれたんだな?」

「ショールってこの頭巾のことか? 自分が被ってた頭巾をはずして俺に差し出すからよ、さすがにそれは要らねェって断ったら『私は帽子も持っているから大丈夫』って無理矢理俺にほっかむりさせて、知らんぷりして掃除に戻りやがって」
「さりげない優しさじゃねェか。そのレディは照れていらっしゃったわけだ」
「そうなのか? 俺は返したくても結び目が解けねェから面倒くさくなって『じゃあこれは借りておく』って言って、残ってたおめェの菓子を半分に割って渡してきた」
「はは。俺の菓子がいろいろ役立ってるじゃねェか。で、牧場には着いたのか?」
「あぁ。この格好だから、牧場の小僧が絶句してたな。でも雪も本降りになってきたから、牛乳缶とおめェの菓子、っつても半分の半分しか残ってなかったが、それを渡してさっさと帰ってきちまった」
「えらい長旅、ご苦労だったな」
サンジのちょっとした皮肉に気づかずゾロは「おう」と答え。
ポケットをまさぐって、あ、と声を上げた。

「どうした?」
「もうひとつあった」
緑のガウンコートのポケットから取り出したのは、スキットル(尻ポケットに入れる携帯水筒)だ。
「帰りにどっかのおっさんに呼び止められてな。『なんだ、でかい女が歩いてると思ったら、男の女装か』と言われたから『そうじゃねェ』って説明したら、『どこまで帰るんだ』って言われたからこのコテージを言ったら『そりゃあ随分遠いな』って言われてよ」
(ずいぶん遠いって、大した距離じゃないだろうが。あ、そうか帰りも迷ったのか…)
そう思うが黙っておく。話の先を促すと。

「『日が落ちたらとたんに冷えてくる。これを持って行け』って言って、コイツをくれたんだ。酒だったからこれは遠慮せずにもらってきた」
喜色満面でゾロが言う。
サンジは一気に脱力した。
「てめェ、わかってんのか。その酒だって多分、そのおっさんが暖を取るためのものだったんだぞ」
そう言うと、ゾロは頷いた。
「あぁわかってるよ。風呂敷も首に巻く手ぬぐいも頭巾も酒も、防寒のためだ。それをここのやつらは、見ず知らずの俺に貸しちまう。返ってくるあても無ェのに」
なんてお人よしな連中なんだ――そうゾロがつぶやくと。

「ノースの血さ」
サンジが答えた。
「てめェ、俺がここに着く前、散歩に行って帰ってこれなかったことがあったんだって? そんときレーナさんたちがめちゃめちゃ探したっていったぜ。この島に来てまだ10日しか経っていない人物にそんなふうに一生懸命になれるのは、ノースの血だろうよ。見るからに寒そうな格好をしているもんを見かけたら、それが屈強な筋肉を持った男であっても、自分の防寒具を分けてしまうのもノースの血だろうよ」

冬が長いノースでは助け合わなくては生きていけない。
食べ物を狩り、蓄え、暖を取る薪や燃料を蓄え、暖炉や屋根を修繕し、大雪の時には子供たちを学校へ送り…。それをひと家族だけでやるのは困難だ。病人や老人であれば尚更だ。
今、自分の家族が健康で、人の手を借りずになんでも出来たとしても、それが永遠に続くとは限らない。明日は我が身。
だから厳しい寒さの中で、ノースの人々は自然と手を貸し合った。
放っておいても凍えず生きていける南国とは違う。年中実のなる木があって食べ物に困らない南国とは違う。
困っていたら知らない人でも損得を考えずに手を差し伸べる――その意識は、マーケットで食料が豊富に手に入るようになり全戸に温水暖房設備が行き渡った今でも、脈々と流れている。寒い土地ほど人情は温かい。

(おめェの中にもそういう血が流れてるってわけだ)
今日出会ったすべての人が、いやこの島のすべての住民が、サンジと同じ気質を持つ人たちなのだとゾロは改めて気づいた。



(了)


ゾロを見つけるとつい「どこへ行くの」って聞いてしまうレーナさんも、島の面々も、人情に厚いノースの世話焼き体質を受け継いでいるようです。
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(2013.03)