春をいざなう #2


「あーー、もうちょっとだったのに惜しかったよなぁ」
「しょうがねぇよ。毎年船大工チームがダントツで強ェのに、俺たち3セットまで持ち込んだんだぜ。それだけでも凄えじゃねーか」
「マリさんのお陰だな」
「ああ3位入賞はマリさんのお陰だな」
アザラシ倶楽部チームは1回戦2回戦を勝ち進み、3試合目の準決勝戦で優勝候補の船大工チームと当たった。2セット先取の3セットマッチでフルセットまで粘ったが力及ばず、3位決定戦に臨んだ。そこで勝利して3位を獲得した。
「なぁ、3位の賞品は無ェのか?」
ゾロはみんなが健闘をたたえ合っている中、そう聞いた。
「わははは、そんなもん無ェよ。なんだマリさん、賞品があったらもっと頑張ったか?」
「いや、そんなこと無ェが」
ゾロは頭を掻いた。10年以上も守銭奴航海士と一緒にいたせいか、
(賞品を忘れずに貰って帰らなくては…)
と考えるくせがついてしまった。大剣豪であろうと海賊王であろうと奇跡の海を見つけた料理人であろうと航海士には敵わない。
「さーて、10枚重ねのクレープ食いに行くか! マリさんも食うだろ?」
「食うこた食うが、10枚も要らねぇよ」
「だめだめ。10枚食ってこそ意味があるんだぜ。『雪送り祭』のクレープは太陽を意味してるんだ。雪送りで冬将軍を返すだろ。そこから来年のモミの木祭りでまた冬将軍を迎えるまでの10か月、太陽さんの恵みがこの大地に与えられますようにってわけで10枚だ。それより少なくなんて売ってくれねぇよ」
子供たち用には枚数を減らすのではなく、大きさを小型にして、やはり10枚重ねるのだと言う。
そういうことなら10枚食わねばなるまい。残したら大目玉を食らうのは目に見えている。誰にってもちろんコックにだ。

そのコックがいるはずの露店に近づいて、アザラシ倶楽部のメンバーは「お?」と首を傾げた。
「なんかいつもと様子が違うぞ」
時刻は3時を回ったところだ。毎年この時間が一番混雑するらしい。確かに人だかりがしている。しかし列は順調に進んでいる。
「なるほどよく考えられてるなぁ」
アザラシ倶楽部のメンバーが感心したように声を上げた。
テントの中では5つのフライパンが横一列に並び、それぞれのフライパンに二人がついている。その二人を仮にAさんとBさんとすると。
まずAさんが壺からバターをすくってポンとフライパンに投げ入れる。
バターをフライパン全体に広がったところでBさんがボールからレードルで生地を流し込む。
しばらくしてAさんがクレープをひっくり返す。
両面焼けたところでボールを皿に持ち替えたBさんが、フォークでクレープを引っ掛けて皿に乗せ、その皿をフライパンの列の後ろにあるテーブルに置く。
後ろのテーブルでは出来上がったクレープをサンジがひとつの皿にささっと積み上げていく。10枚になったら一人前の出来上がりだ。
その間にフライパンでは次のクレープ作りが繰り返されていく。
二人ひと組での流れ作業だが、ひとりですべての行程をこなすよりもロスがない。
ロスが無いとリズムが生まれて、待つ人々の目を楽しませているというわけだ。

さらに画期的だったのは、子供用の小さいクレープを焼く方法だ。
これまでは大人用と同じように、ただサイズを小さくして作っていた。
それをサンジが『セルクル』を使いましょうと提案したのだ。
「セルクル?」
「ケーキ型のことなんだけど、別に本物を買わなくていいんだ。こんなふうにアルミ箔を輪っかにして…」
サンジはアルミ箔で直径8センチほどの輪っかを4つ作ってフライパンに並べた。
「そしてこの中に生地を流し込む」
生地がアルミ箔の枠にせき止められて、直径8センチで固まり始める。
「こうすると一度に4枚焼けるだろ。5つのフライパンで一度に20枚焼けるよ」
「すごい! 知ってしまえば簡単なことだけど、今まで誰も思いつかなかったわ!」

そんなこんなでクレープ作りは順調に進み、終了時刻の4時半になった。
やれやれ無事終わったと女性陣がお茶を飲もうとしたその時、オクトがトーレの手を引っ張るようにして駈け込んできた。
「おばさん、まだクレープある?」
そう尋ねるオクトの後ろでトーレが「いいってば!」と言いながらオクトの手を引きはがそうとしている。
そうはさせないとばかりにトーレの手を必死に掴んだままオクトが言った。
「トーレったら、クレープを落っことしちゃったんだ」
「やだ、何やってんのよ、この子ったら」
レーナにそう言われてトーレはむすっと下唇を突き出した。
「だから母さんに言うなって言ったのに」

「生地がもう無いんだ。だよね?」
サンジは確認するように振り返った。残してもしょうがないからと、最後の何人かに特大クレープを作って生地を使い切ったはずだった。
ところがレーナは他の女性と顔を見合わせて、それから観念したように言った。
「実は少し残してあるんだけど、それはルリさんの分なの」
「俺の?」
「手伝ってくれたお礼に、ささやかだけど私たちからクレープをプレゼントしようと思って取っておいた分なのよ」
その心遣いはとても嬉しい。
女性たちが自分のために作ってくれるなんて、考えただけでメロリンしてしまう。
しかし、食べ損ねたという人間を放っておくなんてサンジには出来ない。
「トーレ、何枚食ったんだ?」
「5枚」
「ってことはあと5枚あればいいんだな」
サンジは自分用だという生地を半分使うことにした。自分の分は、残りの量で小さいクレープを10枚作ってもらえばいい。
レーナはトーレの分こそ小さいクレープでいいわよと言ったが、
「太陽が途中から小さくなったらダメだろう?」
サンジはウィンクして――片目が髪に隠れているから誰もそれがウィンクだとは気付かなかったが――コンロの火を点けた。

休んでいた女性たちがヨッコラショと腰を上げてフライパンの脇につこうとするのをサンジは制した。そして。
「いいか、ショーは一回きりだぞ」
にやりと笑ってサンジはトーレにそう言い。
バターの壺を抱えるや、壺からバターをすくってはフライパンに投げた。
パタパタッとバターが5つのフライパンに落下して、ほどよく温められたフライパンの上でシュワッと音を立てて溶けだす。サンジがフライパンを軽く揺すると、溶け出したバターがなべ底をすべって香ばしい匂いが立ち上る。
なべ底全体にバターが回ったところで、とろりとした淡いクリーム色の生地をレードルですくって勢いよく流し込む。5つのフライパンに次々と生地が流し込まれ、流し込まれた勢いで、黄色いバターの海を押すように生地がぐいぐいとフライパン上に広がる。
薄く広がった生地は、まず端のほうがバターと溶け合うようにぶくぶく泡立ち始め、やがて固まって、端っこに狐色のまあるい輪郭ができる。
バターの香りにバニラの香りが混じって甘い香りが立ってきた。
狐色の輪郭がカリカリになるころには、今度は真ん中がぷくんぷくんと泡立ってくる。気泡が出来ては弾け、出来ては弾け。小さなクレーターがたくさんできて表面が乾き始めたらひっくり返すタイミングだ。
サンジは木べらをクレープの端っこに引っ掛けてフライパンを軽く揺すった。生地がフライパンから離れるのを確認するや、木べらを奥まで突っ込んでポンと跳ね上げる。クレープがひらりと空中へ舞い、くるんと綺麗にひっくり返ってすとんとフライパンに戻ってくる。
その作業を一瞬で終えると隣のフライパンへ。
ひらり、くるん、すとん。ひらり、くるん、すとん。横へ横へと移動しながら、サンジは瞬く間にすべてのクレープをひっくり返した。
「おおおーーー!」
オクトが歓声を上げた。
その歓声に、にぃと笑って見せてから、後ろのテーブルの中央に皿をセットする。
両面焼いたらもう一度木べらを突っ込んでクレープをポンと後ろへ放り投げる。
振り返っていないのに、クレープは見事にセットした皿に着地した。
残りの4つのクレープもサンジが次々に背中の方へ投げると、すべてきちんと皿に着地して、5枚の層が出来上がる。

「ルリさん、最高!」
オクトがはしゃぐ隣りで、トーレは声を上げることも忘れて見入っていた。
トーレにとってかっこいい職業とは自分の父親のような鍛冶屋とか船大工とか漁師とか、いかつい男たちの仕事だった。あるいはオクトの父親のような牧場主とか校長先生とか、人のトップに立つ仕事だった。
料理人や菓子職人をかっこいいと思ったことは今だかつて無かった。
しかしサンジを見ながら頬が紅潮してきた。ドキドキと胸が鳴った。
サンジからクレープの5枚重ねを受け取りながら、トーレは思った。
(すげえ…。かっこいい…)



「で、お前は食ったのか? また人に食わせてばっかで自分は食ってねぇんじゃねーだろな?」
「食ったぜー! 店を閉じてからご婦人方が俺のために丹精込めて作って下さった! そりゃあもう美味かったぜ。マダムたちの愛情ぎっしりだもんよ〜〜〜」
思い出してはサンジはとろんと夢見がちな表情をする。
「粉砂糖で食べると繊細な少女のような味がして、蜂蜜だと色っぽいレディのような味がする。カッテージチーズ添えはボーイッシュなレディだ」
「へーへー」
食べ物を女性にたとえられてもちっともイメージが湧かないゾロが聞き流す。
それに構わずサンジが続ける。
「どれも美味いんだが、婦人会お手製の『シナモンアップル入りバニラアイスクリーム』で食べると最高だったぜ〜〜! ナミさんやロビンちゃんにも食べさせてェから、今度作り方を教えてもらうことにしたんだ」
サンジは子供のように目を輝かせた。
(嬉しそうにしやがって…)
ゾロは時々、料理に嫉妬を感じることがある。こんな表情、どうやったって自分では引き出せない。
けれどそれで良いのだろう。ゾロにとってもサンジにとっても、お互いよりも夢中になれるものがあるからこそ、二人はちゃんと並び立っていられる。

「マリさんルリさん、焚火が始まるぜ。広場に急げ!」
アザラシ倶楽部のメンバーにポンと肩を叩かれて、二人は広場に走った。
広場の中央に小枝や藁(わら)の束がうず高く積み上げられ、束のところどころに白と青と組みひもがはさみこまれている。
火を点けた松明(たいまつ)によって焚火が点火された。
最初はくすぶるように煙が細く立ち上っているが、やがて乾いた藁(わら)が燃える香りがし始めた。少し遅れてパチパチと小枝が燃える音が鳴り始める。
焚火のそこかしこでポッと小さな炎が表面に現れると、その炎が焚火全体になめるように広がり、勢いを増していく。
西の森の向こうに太陽がゆっくりと沈み始めた。
その太陽と同じ色をした炎が、暮れゆく空を焦がす。紫紺の色を濃くしていく空を背景に、振りまかれた火の粉が小さな星のように瞬く。
リトルノースの町々で今、同じように焚火が燃やされている。
ゆっくりと時間をかけて、少しずつ崩れて。
太陽が沈み切った頃、火の勢いが少しずつ弱まってくる。
そろそろ雪の王女と冬将軍が煙に乗って天の氷の国へ旅立っていくに違いない。
ゾロは左隣にいた年配の婦人に手を取られた。
え?と見ると、皆が手を繋ぎ始めている。
それでゾロはその婦人と手を繋いだ。
サンジも右隣の子供に手を差し出されて、その手を握った。
丸いクレープも火を囲む人たちによる丸い輪も、太陽の象徴だ。見知らぬ人ともよく知った人とも手を取り合って、共に太陽の季節を迎えるのだ。

ゾロはサンジを見た。サンジもゾロを見た。
そして空いた手をそろそろと差し出して、手を繋いだ。
頬が熱い。
多分きっと焚火のせいだろう。


(了)





気に入ってくださったらポチっとお願いします→(web拍手)
(2013.03)