かわいいあの娘と水遊び #2


レーナと連れだって公園北側の噴水池に向かっていきかけると、おおーいと声がした。
水着の上にバスタオルを引っ掛けただけの集団が追いかけてくる。アザラシ倶楽部の連中だ。
「ここは海水浴場か!」
ゾロは突っ込んだが、公園内で行きかう人々は気にも留めていない。
やはり公園の池で泳ぐのは珍しいことではないのだと思い知らされる。
「ルリさん、なんの用意もしてないんだろ? 俺らのタオル、使ってくれよ」
「お、サンキュ」
バスタオルを受け取ってそのまま北側へ急ごうとすると、アザラシ倶楽部の連中もそのままついてくる。
「なんだ、おめェら?」
「いや、ルリさんて水遊びするんだなーって思ってよ」
「はぁ?」
「ルリさん、寒中水泳なんてやる奴の気が知れないと言ってたじゃねェか。冷てエからイヤなんだか水に入ること自体がイヤなんだか、判断つかなかったんだよ。ほら、ルリさんていつも襟付きのシャツ着て、きっちりアイロンかけたスラックスを着てるだろ。ああいう手合いは水遊びなんてしたがらないのが多いからさ」
そんなふうに思われていたとは驚きだ。水遊びどころか、アイツは水ん中で闘うぜ! 
平和なリトルノースではそ闘う姿を見せることはないだろうが、アイツの泳ぎを見たら、泳ぎ自慢のこいつらが一体どんな顔をするだろう。
細身で女に甘くて料理が上手くて……そういう一面だけでなよなよした優男だと誤解されているあの男の真の姿を見せてやりたい気分になる時がある。今回はちょうどよい機会だ。泳ぎっぷりはもちろん、細マッチョな身体にも驚くがいい。
脚力だけでは強力な蹴りを瞬時に出すことは出来ない。腹筋・背筋・上腕筋がしっかりついていることが重要だ。だからサンジの上半身は強靭な筋肉で作られている。ゾロはエロい意味だけでなくあの身体が好きだ。
「マリさん、何ニヤニヤしてんだよ」
「行きゃ、わかるさ」
ゾロはもったいぶって答えた。

ゾロたちはゆるやかな傾斜を上った。白鳥の丘公園はその名のとおり丘の上に広がっているので公園内に起伏がある。南側が低くて北側が高い。蛇行した遊歩道があるが、それを無視して青々とした芝を踏みながら直線で北側へ向かったものだから、レーナが遅れ始めた。
「俺たちの歩調に合わせなくていい。あとからゆっくり来い」
ゾロがレーナの持つバスケットを取り上げた。
水着にバスタオルにサンダルの男たちに先導されて、ゾロは北側の噴水へ向かった。もうすぐアザラシ倶楽部の連中の驚き顔が見られると思うとまた頬が緩む。

が、北側の池が目に入るとゾロはがっかりした。
泳げるほどの池では無かったのだ。
ジナイダおばさんやアザラシ倶楽部のメンバーが泳いでいた池は、ひょうたん型をしていて、ひょうたんのクチの部分から底の部分まで40メートル以上はある池だった。
見えてきた噴水池は、噴水がメインの小さな池だ。池の直径は7〜8メートルしかないだろう。
中央の3メートルほど水柱の周りに、放物線を描く細い水柱が円形に配置されて王冠のような形を作っている。池の外郭には白鳥やイルカとたわむれる女性の像がある。周りにあるのは優雅な白樺の木々で、恋人が愛を囁くほうがふさわしいような噴水だ。
『ルリさん、水遊びはするんだな』と言われたセリフに今さらながら納得する。
確かにこりゃあ、水遊びがせいぜいだ。水深だって50cmくらいしかなさそうだ。

近づくにつれ、きゃぁきゃぁ騒ぐ声が聞こえてきた。
「このクソガキ共! やめやがれ!」
口汚い言い方とは逆に、楽しそうに笑いながら噴水の裏から出てきたのは、上半身裸のサンジだ。シャツはどうした?と見れば、近くの白樺の枝でひらひら揺れている。
サンジの後ろからはトーレとオクトが現われた。サンジのスラックスのウエスト部分を引っ張っては、空いた隙間からポリ袋にくんだ水をザーッと入れている。
水の重みでズリ下がりそうなスラックスを、サンジは懸命に押さえている。
「わははは! ルリさん、水もしたたるイイ男じゃないか!」
アザラシ倶楽部のメンバーが笑いながら噴水に駆け寄った。
「なんだてめぇら。水着とは用意周到だな! 俺に寄越せ!」
振り向いたサンジは噴水に入ってきた男の水着を脱がすような素振りをしながら、邪気のない顔で弾けるように笑った。
その表情を皆、一瞬、呆けたように見入り、それから釣られるように大爆笑になる。
アザラシクラブのメンバーは次々噴水に入って、水の掛け合いが始まった。

ゾロは噴水に入り損ねた。
屈託のないサンジの笑顔にみんなが見惚れたことが、ゾロの気持ちをもやっとさせて、出遅れたのだ。
サンジの裸を見てエロい気持ちを抱くのなら、まだいい。その輩はサンジのうわっつらのエロさに惑わされただけだからだ。
だが、あいつらが見惚れたのは身体のエロさじゃなかった。
どれだけ汚い言葉をしゃべろうともどれだけ人を蹴りつけようともどれだけ人を眇めた目で見ようとも、心の中に卑しさが無いということが滲み出てくるような瞬間がサンジにはある。
女より男に惚れられることが多いのは、男のほうが、そういう純粋さに弱いからかもしれない。
また親衛隊を増やす気か?

「あははは、なにやってんのよあの人たち!」
ようやく到着したレーナがト−レを叱ることも忘れて豪快に笑ったことで、ゾロのもやもやも、どうにか晴れるかと思いきや…。

「ルリさん、あんた結構、筋肉ついてんのな」
噴水の中ではしゃいでいたアザラシ倶楽部のひとりが、サンジの腹筋をぺたりと触った。
「へぇ、カチカチじゃねぇか!」
「どれ…。うぉ、ホントだ! 意外とイイ身体してんなーとは思ったけど、こりゃスゲーや」
別のひとりが同じように触って感心した声を上げた。
「なんだよ、料理なんかするし、優男かと思ってたよ」
「料理は重労働だぜ。立ちっぱなしだし、鍋もフライパンもデカイし。コックさんを舐めんなよ」
「そう言うけど、食堂やってるボリスなんて、腹ぽっこりだぜ。コックの仕事だけで、ここまでカチカチになるもんか?」
「ルリさんの腹、そんなに硬いのか? どれ、俺にも触らせ…」
セリフを全部言わないうちにゾロの声が響いた。
「コック! 帰るぞ!!」

「あれ、マリモ…」
おまえ、居たんだ?と言いたげな表情に、ゾロはプチンと切れた。
つかつかと近づくなり、サンジに頭突きを食らわせた。ゴンッといやな音が響く。
「ちょっ! マリさん!! 何やってんだよ!」
「うるせぇ! はしゃぎ過ぎだ。みっともねェ」
アザラシ倶楽部の抗議の声を一喝して、ゾロはサンジの腕をグイと引くや、肩に抱え上げた。
「何してくれてんだ、コラァ!!!」
それまで『うーーーー』と唸ったまま額を抑えていたサンジが、とたんに暴れはじめたが、おかまいなしにゾロはすたすた歩き始めた。
「降ろせ、クソマリモ!」
わめくサンジの声が遠ざかっていくのを、残ったメンバーは呆気に取られて見送った。



「おい、いい加減、降ろせよ」
木立に遮られて、噴水の周りにいる連中から見えなくなったところで、サンジがなだめるように言ってくる。
けれど、ゾロのふくれっ面は戻らない。
「そんな顔してるとみんなが怖がるじゃねーか。ただでさえ凶悪面なのに…」
サンジの手が眉間のしわを伸ばすようになでる。肩の上に抱えられているから、ちょうど触りやすいのだろう。

狭量だとわかっているが、抑えられなかった。サンジの男らしいところを皆に知らしめたいと思っていたのに、あの筋肉質の身体に驚くがいいと思っていたのに、サンジの腹に手が伸びたとたんに、妬心が湧いた。
もし連中が、サンジの笑顔に見惚れていなかったら、単にサンジの筋肉に興味を示したのだと思えただろう。
けれど奴らはまずサンジの内側にあるものに惹かれ、そのあと身体に触ってきた。
そんな深い意味は無いと彼らは言うだろう。けれど見過ごせなかった。

サンジはそんなゾロの気持ちがわかったのかもしれない。
頭突きを食らわせたときも、反撃してこなかった。
やられっぱなしで引き下がるような男ではないのに。

そうだ。やり返してはこなかった。

ゾロはゆっくりとサンジを降ろした。そしてサンジの頭からタオルを被せて、力任せにごしごし拭く。
「イテテテ! 髪引っ張んな、この馬鹿力!」
金髪が鳥の巣のようにぐしゃぐしゃになったのを見て、ゾロの溜飲はちょっと下がった。
顔に垂れた金の髪を上げると、くるりと巻いた眉毛の少し上が赤く腫れている。そのおでこを中指の背でそっとなぞる。
「悪かった…」
「殊勝な事言ってんじゃネェよ、ばーか。帰ったらカーテン洗え。リビングに掛かってた冬用の重たい奴。それで許してやる」
偉そうな物言いだが、鳥の巣頭だから凄味が無い。しかもくしゃくしゃになった頭に、風に乗って流れてきた白い花びらが、次々引っかかり始めた。
どこから流れてくるのだろうと見回すと、公園の一角が白色で覆われている。あそこは確か、先月花見をした場所じゃなかったか?
「アレは桜だったよな? まだ咲いてんのか…?」
「サクラは本来、すぐ散るもんじゃねェんだ。受粉して実をつけるためには少しでも長く咲いているほうがいいからな。ノースやウェストのサクラも、すぐには散らねェ。3週間くらいは咲いてるぜ」

そうか、あの歌詞は正しいのか。5月に咲いた桜は6月になってもまだ咲いているのか。

♪麗しの6月~~~ かわいいあの娘と水遊び――
♪ヴィ……(=桜)の花が舞う木蔭でキスしたよ――

水遊びは、し損ねた。俺のケチな妬心のせいで。
でも『桜の花が舞う木蔭でキス』なら今からでもできる。

ゾロはサンジの手を引っ張って花の並木をめざした。



(了)



気に入ってくださったらポチっとお願いします→(web拍手)
(2014.06)