花の宴


5月初旬――
「おいマリモ、てめェ、木曜の午後、ヒマだよな?」
「ヒマじゃねェ」
「あ? 昼寝じゃねェの?」
「昼寝だ」
「じゃヒマじゃねェか」
「ヒマじゃねェ。昼寝で忙しい」
というバカな会話をしたのは3日前。
「昼寝できるような状況をヒマっつーーーんだよッ!!」とコンカッセを食らったのも3日前。
「いってェなこの暴力コック!!」
一般人なら骨折するであろうに、たんこぶをさすりながらロロノア・ゾロもといマリさんは、サンジもといルリさんと盛大に喧嘩をおっぱじめようとして。戦闘態勢に入った二人は、攻撃を仕掛ける寸前に、しまったココは平和なリトルノースの平和なコテージの平和な庭先だったと気づいた。

慌てて室内に駆け込むや…
「あーーー、海賊だとバレないようにするのは、ひと苦労だぜ、なぁ」
「だな」
と肩を叩き合い。
「あれ? 俺たち喧嘩するとこだったんだよな」
「おう」
「よし喧嘩だ、マリモ」
「望むところだ、クソコック」
と喧嘩をしたのだった。バカである。
それも3日前。

さて。3日前のバカップルの行状はこれくらいにして木曜の午後のことだ。
マリさんは、ばかでかいバスケットを持って…というか持たされて、ルリさんの後から仏頂面でやってきた。どこへって『白鳥の丘』の隣にある公園だ。

3月の誕生パーティ以降、サンジは奥様方によく誘われる。
ジナイダおばさん、食料品店『エンジェル』の奥様、そしてサンジの誕生日パーティに来た学校の先生アナトリーの奥様の3人が常連メンバー。その3人にレーナだったりライドン牧場の夫人だったりアザラシ倶楽部の女性だったりが加わる。
最初は「『エンジェル』で仕入れた新しいスパイスを使ったお菓子を考案中なのだけど、ルリさんも一緒に考えてくださらない?」というお誘いだった。
だがフタを開けてみれば、奥様方はお菓子を考案する気などさらさらなく、スパイスを味見するサンジを期待に満ちた目で見つめている。

結局サンジが単独でお菓子を考案し、試作し。
奥様方は試食して「もうちょっと甘くてもいいわ」「ひとくち大にすると食べやすいわね」などと評し。
その言葉を参考にサンジがまた試作し奥様方が試食し「美味しいわーー!」と喜ぶ会となった。

その後も「春島から新鮮な果物が届くのよ!」と港の市場に誘いつつ、その果物をサンジがコンポートにしていたり。
「グランドローズのお茶が手に入ったの。お茶会するからルリさんもいかが?」と誘われて、サンジが手ぶらで行くわけはもちろん無く、スグリのタルトとレモン味のメレンゲを持っていそいそ出かけたり。

ゾロから見ると、どう見てもサンジの菓子が目当てだろと思う。
実は今日だって「ようやく雪もなくなったので公園で持ち寄りランチしましょう」と誘われて、サンジは大量にお花見弁当を作った。彼女たちは多分、サラダやらピクルスやら果物やらを持ってくるだけだろう。
まあ女性に対しては大いに下僕体質であるこの暴力コックは、たとえ夫のいる女性だろうと嬉々として相手のために働くのだからゾロが口出しすることではない。はずだ。
はずなんだが。
「おい、てめェと女どもの花見会に、なんで俺が付き合わなくちゃなんねェ?」
ゾロは花見場所にちょうどいい場所を探すサンジに文句を垂れた。
だがサンジは聞こえぬフリだ。
「おっ、ここがいい。ちょうど日陰になるし地面も平らだ。おいゾロ…じゃねェ、マリモ、シートのそっちを持て」
畳まれたレジャーシートの端と端を持って広げる。
長方形に広がったそれを地面にそおっと置いて、四隅を付属の木杭で押さえる。
その上にブランケットを二枚重ねて敷いた。
「まだ土は冷えてるからな。レディは身体を冷やしちゃなんねェ、うん」
よしよしと満足げにサンジがうなづく。

公園の雪がすべて溶け、雪どけ水に濡れた土が乾いたのはつい5日ほど前のことた。
下生えの草は雪がわずかに溶けだした3月から少しずつ芽吹いて、雪との勢力争いを繰り広げ、2カ月たってようやく白い暴君を駆逐した。今は柔らかいクローバーと耐寒性のある芝、ぺんぺん草、たんぽぽ、ナデシコなどが思い思いに伸びている。
小さく折りたたまれていた木の芽も、背すじをのばすように空に向かって広がっている。白樺やモミも小さなフサのような花芯をつけている。

そうした草木のなかで、なんと言っても目を引くのは、白い花をつけた木だ。
若葉に混じって咲いている花はほぼ満開。オシベメシベが白くて長いせいか、遠くから見ると芽吹いた枝に白いレースが絡まっているようにも見える。その木が公園の北側から西側にかけてたくさん植えられていた。
それほど背の高い木ではない。一番下の枝はゾロやサンジの目線あたりだ。

その下でサンジが花見の準備をしていた。最初に防水のシートを広げ、その上にブランケットを敷く。花と若葉の間からは、まばゆい光が細い束になってこぼれてくる。その光の束の中を動くサンジの顔には陰影がついて、日頃見過ごしているまつ毛や頬のうぶ毛までもが金色にふわふわ光る。
ゾロはたまらない気持ちになった。
(やべェ。これ以上ここに居たら、確実に仕掛けちまう…)
そう思ったゾロは立ち上がった。「おい、俺は帰るぞ」

え?と無防備な表情でサンジがゾロを見た。
(だから。そういう貌(かお)すんじゃねェよ!)
「花見はこれからだぞ?」
「このあと女どもが来るんだろ?」
「女どもとか言うな。ホントにてめェはレディに対する礼儀がなってねェ」
「女どものおしゃべりに付き合わされるのは御免なんだよ。そういうのはおめェの専売特許だろ。珍しいじゃねェか、いつもは女といるところを邪魔されんのを嫌がるくせに」
「そうだけど…」と言いながらサンジはむうと下唇を突き出した。
(30過ぎた男がそんな顔して可愛いわけ…あるんだよな、くそお! 可愛いじゃねーか…)
などとゾロが思う隣で。
「たまにはいいじゃねーか。てめェも一緒に来れば…」
不満げに口をとがらせたままサンジがそんなことを言う。「それに、米の酒もあんだぜ」
「米の酒?」
またたびを見つけた猫のごとく、ゾロが反応した。



「美味しいわ〜〜。幸せ」
「上手なのはお菓子だけじゃないのね」
「毎日食べたいくらいよ!」
マダムたちに口々に褒められて、サンジはデレデレと相好を崩した。
くねくねメロメロしながらも、料理を取り分ける手つきは丁寧。これはこれで器用な男といってもいいだろう。
ブランケットの上に様々な料理が並んでいる。
サンドイッチ、チーズ、オムレツ、海獣の肉のロースト、野菜を巻いたチキンロール、手長エビのフリッター、ラディッシュの甘酢漬けなどなど。それに熱いお茶の入ったポット…。もちろんお茶に垂らすブランデーの小瓶やクリームの入った壺も忘れない。
マダムたちに囲まれてきゃっきゃきゃっきゃとはしゃぐサンジの後方で、ゾロは黙々と酒を飲んでいる。
二人きりだったらサンジがちょうどよいタイミングで料理を取り分けて差し出してくれるのだろうに…。
「ほい、マリモ。これも食え」
「……」
二人きりじゃなくてもちょうどよいタイミングだ。
だが手酌ってのが味気無ェよな。
「おい、一升瓶ラッパ飲みしてんじゃねェ! ぐいのみ使えよ」
「……」
ラッパ飲みは手酌とは言わねェ? そうなのか? 
それにぐいのみを手にしたら、すかさずついでくれたから手酌じゃなくなった…。

米の酒につられて花見の席に加わったが、会話の輪には加わらず、ゾロはただ飲むことと食べることのみを楽しんでいた。
乾いた風が吹き抜ける。冬の風は雪の上を通ってくるせいで、常に雪の匂いとかすかな湿り気を含んでいた。
春先の風は水の匂いと雪どけの音と小鳥のさえずりをたっぷり乗せてにぎやかだった。
だが5月の風は乾いている。その乾いた空気の中に、萌えいずる草木の香りが紛れ込む。
頭上で薄い花弁を精一杯開いているこの白い花はなんという花なのだろうか。
若葉の緑と花弁の白が、風に揺れるたびにきらきらと光を弾いて美しい。
「こりゃあ、なんて花だ?」
ゾロはレーナにたずねた。
サンジはジナイダおばさんとアナトール先生夫人をうやうやしくエスコートしながら公園の散歩に出ていっていなかった。
レーナは笑って答えた。「サクラよ」
「桜?」
ゾロは驚いて頭上の花を見た。桜色じゃない。花びらがヒラとも舞わない。これが桜か?

ゾロの表情でレーナはピンときたらしい。
「もしかしてマリさん、サクラはイーストの花だと思ってたんじゃない?」
「あぁそうだ。ノースにも桜があるんだな」
「ねぇマリさん、サクランボのジュレーニャって知ってる?」
「ジャムに似た、でももっと水っぽいやつだろ?」
「そうそう。それってどこの料理か知ってる?」
「コックがこれはノースの料理だと言ってたような気がする」
「そうよ。ノースの保存食よ。じゃあチェリーパイってどこの料理?」
「さあ? 菓子の発祥なんて知らねェな。俺の故郷じゃないことは確かだ」
「ではマリさんがわかりそうなお酒にするわ。キルシュヴァッサーってどこのお酒?」
「ウェストだ」
レーナが言いたいことがわかってきた。サクラはイーストに特有のものではない。
ノースやウェストでも馴染み深い木だということだ。
しかもゾロの知る桜は鑑賞に重きが置かれ一年のうちの1〜2週間ほど話題になるだけだが、ノースやウェストのサクラは一年を通して食生活に溶け込んでいる木なのだ。

「そうか、こりゃあサクラか…」
桜の花見か…。
ゾロは、あ、と小さく声を上げた。
どうして今日に限ってサンジがゾロを誘ったのか。いつもだったら奥様方のお誘いに独りで出かけるくせに。
どうして米の酒まで用意してゾロが来るように仕向けたのか。いつもだったら昼間から飲むなと蹴り飛ばすくせに。
そういえば、サンジが取り分けてくれた料理は、ほんのりワサビの香りがしたり、七味が振ってあったり、照り焼きに似せた味だったりしなかったか?

(あの野郎…さりげないのも大概にしろってんだ。俺が気づかなかったらどうすんだ)
気づかなかったら気づかないで、それでもサンジは満足してしまうのだろう。ゾロが自分の料理をつつきながら桜の下で米の酒を飲んだというだけで。
(甘やかされてんなぁ)
ゾロは芝生の向こうの白樺の木々の間でマダムたちと談笑するサンジを見つめた。
じっと見つめていたら、サンジがふっとこちらを向いた。
真っ赤な顔して口をぱくぱくしている。
「何してんのかしらルリさん」
「さあな」
覇気使いのサンジが、ゾロのどんな感慨を感じ取ったのかなんて、当人同士だけがわかればいいことだ。
ゾロは全然舞い散らないサクラの花びらを一枚むしってぐいのみに入れ、酒と共に飲み干した。


(了)



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(2013.05)