Summer Snow


へ、くち…

小さな音にサンジは野菜をきざむ手をとめて窓の外を見た。
コテージのキッチンは東南の角にあり、南に面した窓から庭が見える。
庭と言ってもリトルノースのコテージの庭は、もっぱら家庭菜園を楽しむようにできているから花の咲き誇る庭とはだいぶ様相が違う。

庭に設置された物置に、鍬(すき)や鍬(くわ)、ショベル、野菜収穫用ハサミなどの基本的農具はもちろん、作業エプロンやモッコにいたるまでそろっていることを発見したサンジは、雪が溶けると大はりきりで家庭菜園のまねごとを始めた。
「俺、ずっと海で過ごしてたからよォ。野菜を土で育てるっての、あんまやったことねェんだよなァ」
と、こどものようにはしゃいで嬉しそうに種をまき、苗を植えた。
しかし、海上でみかんの木を世話したりロビンの花畑に水をやったりラウンジでハーブを育てたりするのとは大きく違う点があることにサンジは気づいていなかった。

「んんぎゃあああああああーーーーーーーーっ!!!!」
けたたましい叫び声がコテージの先の森にまで響いたのは5月のなかばだ。
ウッドデッキのうららかな日だまりで惰眠をむさぼっていたゾロが、はじかれたように飛び起きた。
「な、なんだッッ???」
叫び声があまりにキテレツな声だったので、それが恋人の声だとはわからず、ゾロは刀をつかもうと手を伸ばした。
が、刀をつかむよりはやく、ゾロは黒いかたまりに飛びつかれた。
「うわっ!!!」
これが敵なら容赦なくバッサリ斬るところだが、どうやらこれはゾロの想い人のコックさんであるらしい。
『らしい』というのはつまり、背丈が同じ男に正面からガッシと飛びつかれて、ゾロの視界は完全に奪われていたからで。まぁ視界は効かなくても、この身体はほぼ間違いなくコックさんであることはわかる仲なので…。
惜しむらくは、これが熱い抱擁なら大歓迎なのだが、どうもそういうわけではないらしい。しかも飛びつかれた勢いで後ろに倒れ込まないように踏ん張るのが精一杯だ。色気もクソもない。
「なんだってんだ、どけ!」
目だけでなく口も塞がれているが、そこは刀を咥えてしゃべる男、滑舌よく叫んだところ…。
「◎△&Ч3Е×РテВ◇ЫΣッ!!!」
……宇宙語が返ってきた。

「言葉にしろわからねェ!!!」
毛を逆立てた猫のようになっているサンジをなだめてなだめて。ようやくわかったことは。
「ム、ムシがいやがった!!!!!!!!!」

ゾロは脱力した。脱力したが、白昼堂々クソコックがぺたりと自分にくっついているのは悪くない。ゾロはサンジの身体を抱きかかえたまま言った。
「ムシくれェ、そりゃあいるだろうよ。農薬もなんも撒いていないしよ」
「んなわけあるかぁ! メリーでもサニーでも農薬撒いてなくてもあんなム、ムシはいなかったじゃねェか!!」
『ムシ』と言うたびに今見た虫を思い出しておぞ気が走るらしく『ムシ』のところで、サンジは律儀にドモった。そして身体を震わせる。
ゾロはそんなサンジをよしよしと撫でまわしながら言う。
「海上だからな。潮っけの強いところで生きられるムシは限られてるってェわけだ」
「せっかく採れたて野菜で料理してやろうと思ったのに…」
がっかりしたサンジを抱き上げたゾロは、そのままベッドへ直行。虫騒動で身も心も憔悴したコックさんをちゃっかりいただいた。

その一件以来、野菜の苗の害虫駆除はゾロの役目となった。
いや害虫駆除だけではない。収穫前に虫がいないか確かめるのもゾロの役目となった。
「ムシ、いねェか?」
「おう、いねェよ」
そんな会話が収穫前に必ず交わされる。
夏になって、トマトやナス、キュウリ…と夏野菜がたわわに実り始めると、ゾロは迷子になってるヒマもなかった。なにしろ、ちょっと帰りが遅れると。
「ゴルァ、どこ行っていやがった!! てめェがいないせいで『今食べごろよ私を美味しく食・べ・て(ウィンク)』と囁いている美しいトマト嬢が収穫できねェだろうが!!!」と蹴られるからだ。

まったくもって理不尽だ。ムシにおびえて自分の腕の中で仔うさぎのように震えていたくせに。(註:『仔うさぎ』表現はあくまでゾロビジョンであって凶悪コックが震えていようともゾロ以外誰も『仔うさぎ』と思わないのは明白である)

だが野郎に対してはどこまでも理不尽なのがサンジである。理不尽でないサンジなどサンジではない。だからゾロはあきらめている。
それに、ムシがいないか確かめ、見つけたムシを駆除するゾロを見るサンジの目が『あぁなんてコイツって頼もしい野郎なんだ!』と感激に打ち震えるのを見るのは、うっかり頬がゆるんでしまうほど良い気分だ。
ここに麦わらのメンバーがいたら必ずや「このバカップル!」とツッコムであろうが、リトルノースにはツッコミ役がいないから、彼らは毎日そんなアホアホな日々を送っていた。


と、あまりにも前置きが長くなったが、冒頭の「へ…くち…」に戻る。

サンジはキッチンの窓から庭を見た。
庭ではゾロが、収穫前の『ムシ確認』をしている。
ついでに収穫もしてくれれば一石二鳥なのになぁとサンジは思う。
しかしゾロにやらせると、途中で折れていたりヘタが長かったりするのだ。
トマトだって、もぐ時に力を入れすぎるのか、やや潰れていることがある。
食材がぞんざいに扱われるのを嫌うサンジからすると耐えられないことなので、収穫は自分でする。

白夜のせいで夕方でもサンサンと日が照っている。
つばの広い麦わら帽をかぶり、首に手ぬぐいを巻き、ジジシャツで農作業をしているゾロは、完全に農家のおっさんだ。
「あれで大剣豪だもんなぁ。大剣豪にあこがれる剣士たちに、ひでェ裏切りだよな〜」
そんな恰好をする理由を作ったのは自分だということは棚にあげて、サンジはウヒヒと笑った。
そして、目線を室内に戻す。
と、また聞こえた。
「へ…くち…」

んん?

(まさか、まさかな…あの脳まで筋肉な男が風邪なんて…)
そう思っている間にまた聞こえた。今度は盛大に。
「へ…ブシュッ!…へ…ブシュッッ!」 
「なんだぁ? 風邪かよ、クソマリモ? バカは風邪引かねェんじゃねェのかよ…あ、季節外れの風邪はバカが引くんだったっけ? おおいチョッパ〜〜〜喜べ、おまえの出番だ!」
「チョッパーは居ねェだろ…へ…へ…ヘックショイ!」

庭からキッチンまでくしゃみが届きそうな勢いに、うへェーーとサンジは思った。
くしゃみもヒドイが鼻水もヒドイ。鼻水垂らした大剣豪ってのは、なんともサマになんねェなぁ。しかも麦わら帽に手拭にジジシャツだ。これを見たら大剣豪にあこがれる剣士が、いっきょに半分以下に減るんじゃねェかな…。
「まぁアレだ。今日は俺様がお粥(かゆ)でも作ってやるからちゃっちゃと寝ろ」
「粥だぁ? そんなもんじゃ精がつかねェ」
「風邪っぴきが精つけてどーすんだ、このエロ緑!」

実際ゾロはくしゃみを繰り返しながらもやたらと元気だ。くしゃみをしつつも害虫チェックを『良し!』と指差し確認しながら終え、鼻水ダーダー垂れ流しで『息がしにくい!』と言いながらも鍛錬の手を休めない。
「風邪ごときで医者や薬に頼ってどうする。んなもん気合で治る!」らしい。
やっぱりバカだとサンジは思ったが、心配していることを気づかれるのもシャクなのでゾロの好きに任せておくことにした。

夕食までにゾロはたくましくも、いつもの鍛錬メニューをきっちりこなした。
それでもサンジは夕食にこっそりと消化の良いものを作ってだした。
それをゾロは普通にぺろりと平らげた。
その頃にはくしゃみと鼻水も少々収まってきている。
(サムライスピリッツすげー!! 気合でくしゃみは止まるんだな!)
生来身体が頑丈でほとんど病気をしないサンジは、病気に対する知識が極端に少ない。ゆえに、まとはずれな感心をするサンジだった。

しかし――。
翌日になるとくしゃみと鼻水はぶり返していた。
「ブエックショイッ!!!」
前日の「へ、くち」の可愛らしさはどこへやら。10メートル先のものまで吹き飛びそうな勢いのくしゃみが繰り返される。
庭でいつものように収穫前の害虫チェックをしているが、害虫もこのくしゃみには逃げ出すんじゃないかとサンジは思う。
(つーか、風邪がヒドくなってんのに俺のために害虫チェックをしてくれるマリモが愛おしいぜ。風邪がなおったらちょっとサービスしてやろう。アイツが好きな騎乗位とかもしてやってもいい)
とか思っちゃったりしているアホコックは知らなかった。ゾロのくしゃみと鼻水は風邪とは無関係であることを。

その証拠にビタミンたっぷりの「風邪引きマリモのためのこっそり愛情メニュー」をもってしてもゾロのくしゃみと鼻水は一向に収まらず。
そのくせ身体は元気だ。アッチのほうも元気いっぱいだ(風邪だと思っているサンジは丁重に蹴り飛ばしてお誘いをお断りしたが)。
おかしいと思い始めたところへ夏休みに入っているトーレとオクトが遊びにやってきた。

くしゃみ連発のゾロを見るなり二人は大はしゃぎ。
「わーールリさん、夏雪祭りに出るといいよー!!!」
「「夏雪祭り? そりゃなんだ?」」
ゾロとサンジは同時に尋ねた。

「くしゃみでどれだけ紙ふぶきを散らせるか競う祭りなんだ。この時期、サマースノウのアレルギーになる人が多いだろ。昔は薬とか無かったらしくてさ、くしゃみでツラいこの時期をちょっとでも楽しくしようって考えられた祭りらしいよ」
「サマースノウ? あ、この時期に綿毛を飛ばすあの木か!」
ノース生まれのサンジの記憶に、街中に大きな白い綿毛が舞う光景がよみがえる。

虫がつかず寒さにも強いサマースノウは街路樹に好まれて、一時期、盛んに植えられた。
だがこの木は、初夏に小さな花をつけ、6月末から綿毛のついた種子を飛ばす。
その綿毛の大きさがハンパ無い。まるで羽毛布団の中身が空中にまき散らされているようだ。家々の屋根はもちろん、馬車の上に積もり、道路や公園を白く染め、吹き溜まりに溜まっていく。
それは確かに名前のとおり雪降る光景に似ている。しかし雪よりも厄介なことにいつまでたっても溶けない。そのためこの時期のお役所は除雪ならぬ除綿毛作業でおおわらわだ。

「その綿毛アレルギーだって? マリモが? でも、このへんにサマースノウの木ってあったか?」
サンジは毎日ポルトの街まで買い出しに行っているが、綿毛が大量に舞っている風景には覚えがない。はて?と首をかしげたら、子供たちが言った。
「ポルトにはあんまり無いよ。切っちゃったからね」とトーレ。
「港町だからね」とオクト。
「綿毛が海まで飛んでいくとやっかいだからね」とトーレ。
「舵に絡まって操縦できなくなるんだよ」とオクト。
ふうん、とサンジは感心した。
トーレが言った言葉をオクトがフォローする。いいペアだ。
しかしちょっと待て。ポルトにサマースノウの木が無いのなら…。
(なんでマリモはくしゃみしてんだ?)
サンジが再び納得いかない表情をすると、またトーレとオクトが説明してくれた。
「隣町のツェントレにはまだいっぱい植えられてるんだよ」
「ツェントレは8kmくらい内陸へ入ってるから船の走行を心配する必要ないからね」
「そのツェントレから綿毛が飛んでくるんだ」
「ここはポルトよりツェントレ寄りだろ。だからポルトの街より早く綿毛が到達するんだよ」
「でもそのうち…」
「ポルトの街も内陸側は…」
「「綿毛でいっぱいになる!」」
最後にトーレとオクトが声を合わせて叫んだとたん
「ヘックショイ!!」
タイミング良くゾロがくしゃみをして、皆は大笑いした。

その日の夕食。
ポテトとキノコたっぷりのオムレツ。
エビとグリーンアスパラとアボガドのガーリックソテー。
海王類と野菜の串焼き。
コテージの庭で採れたラディッシュとディルとベビーリーフのサラダ。
雑穀パン。
と、モズク酢。

サンジの作る料理に文句をつけるつもりはないが、どう見てもモズク酢が浮いている。
さすがにゾロの脳内にもハテナマークが飛んだ。
ちらっとサンジを見ると、サンジはふっと目を逸らした。
これはアレだ『聞くんじゃねェぞ』のサインだ。
サンジもわかっているのだ。モズク酢がこのメニューから浮いていることくらい。
そしてわかっていてメニューに加えてあるのだからそれなりの理由があるのだ。
ならば聞かぬのが武士の情けだ。
けれどゾロは武士ともサムライとも似て非なる者だったので、しれっとした顔で聞いた。
「なんだ、このメニュー?」
「聞かねェのがサムライだろうが!!!!」
と真っ赤になってサンジはキレた。

その晩、晩酌でほろ酔いになって口が軽くなったサンジはうっかり言い洩らしてした。
ゾロのくしゃみの原因がアレルギーだとわかったのでジナイダおばさんに対処法を聞いてみたこと。
電伝虫の向こうで「薬は手っ取り早いけど、食生活の改善が効く人もいるのよ」と言われてそれを試してみることにしたこと。
アレルギーに効く食材は、雑穀・卵・きのこ・とうもろこし・甲殻類・にんにく・もずく、と言われたけれど、とっさのことでもずくは、ついゾロが好む酒のつまみ的な料理にしてしまったこと。
「でもよぉ、対アレルギー用バイタルメニューをマリモのために考えちゃったなんて、こっぱずかしくて知られたくねェからよぉ…これは内緒な!」
(いや、おめェ今、ベラベラしゃべってんぞ…)
心の中でツッコミながら、「ブェーーックション!」とくしゃみをかましたゾロだった。



(了)



サンジの料理がくしゃみ鼻水に効くのは、もうしばらく先のようです(^^)
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(2013.07)