触れて あふれて #2


サンジの身体が思ったより華奢じゃないと気づいたのは、グランドラインのどのへんを航海していた時だったか? サンジと同じ年で同じ背丈のゾロが、あんなに筋肉質の身体だから、ついサンジが華奢に見えていたんだよな。
だから、たまたま風呂上りに、タンクトップを身につけただけのサンジを見た時は驚いた。肩幅なんて俺よりずっと広い。
その後、空島で黒焦げになったサンジを抱えた時も驚いた。ウエストは薄いくせに、胸板が存外厚い。そしてその下の腹筋がカチンカチンに固かった。

だけど、一番驚いたのは手、だ。皮膚が白いから、すんなりとした女のような手を勝手に連想していたんだろう。
ラウンジの隅で新しい発明に余念が無い俺様のそばにきて「へー、器用なもんだな」と感心したように完成直後の発明品を取る手は、よくよく見りゃあデカくてがっしりしていて、手のひらは厚く、ゴツゴツとしたマメができている。

よく考えてみりゃ、コイツは一日の大半を包丁握ってやがるんだ。そうしてデカイ肉の繊維をぶち切ったり、魚の頭を包丁ひと振りで落としたり…魚の骨ってのは、存外固いのだ…木の実をくりぬいたり。

握る包丁だって、カヤが使っていた万能包丁やぺティナイフなんかの家庭用のもんだけではなかった。海王類やエレファントホンマグロをさばく包丁は、てめぇも剣士だったのか?というくらいの長物だったし、大トカゲをさばいた包丁はどこの大工道具だ?というくらい、チェインソーに近いしろものだった。
パン生地をこねる手のひらは分厚く、ニョッキを作る指の腹は固く、山盛りのクリームを粟立てる腕は腱鞘炎にならないのが不思議なくらい強靭だ。

その手が今、俺の命を繋いでいる。

これが白くて細くて華奢な手だったら、いつ俺の体重を支えきれなくなって、俺はいつ空中に放り出されるだろうかと不安だったに違いない。だが、これはサンジの手だ。「海の料理人」らしい力強い手だ。俺は安心して命を預け…。この手が俺を引き上げてくれるのを待っていればいい…。

命を委ねる相手としては心強い奴だと安心しながら俺は上を見上げ…。見上げた俺の視界に、信じられないものが映った。爆発の衝撃でグラリグラリと激しく左右に揺れていたシャンデリア。
それを吊り下げた鎖が、ふりこのように揺れる力に耐え切れず、ブツッと切れる。天井から離れて落下し始め。みるみる視界いっぱいに広がってくる! そして急激に落下速度を増して落ちてくるシャンデリアの真下は。真下は!

「サンジッッ!!!!!」



俺が叫ぶより早く、サンジのほうが気配に気づいていた。だから、身体を転がして避ける事だってできたのだ。身のこなしの軽いサンジなら必ずそうして、軽々とシャンデリアを避けていただろう。いつものサンジなら。
いつものサンジなら。
俺を掴んでいなかったら。
あるいは、俺の手首を離していたら。



ガラスと真鍮が、ガシャーーンと派手な音を立てた。ガラス片が宙に浮いた俺の頭にも降りそそぐ。条件反射できゅっと首を縮めようとした俺の動きが、掴んだ手には負担だったのだろう。手首を掴んだ手が、ぐ、と強張る。それでもその手の力は変わらず力強かったから、俺は一瞬、サンジは無事なのだと思った。
だが…。
シャンデリアが叩きつけられた衝撃煙がほどなく収まった時、上からくっと息を詰める喉声が聞こえた。

「ウソップ…」
呼びかけられた声が妙にくぐもって低い。
「時間が無ェ……。…途中まで引き上げてやるから、俺が握ってないほうの手で、向こう側の床を掴め」

俺の身体がぐぐぐ、と引き上げられ始めた。声音の異常さに胸騒ぎがするが、とにかく自分が宙ぶらりんでは埒があかない。引き上げられて、床に届きそうになったところで、サンジのいる側の床を掴もうとすると怒鳴られた。
「バカッ! 俺のいる方はガラスと折れた真鍮ばっかだ! 空いた手で、あっち側掴めって言ったろ!」
続けて言われた。「時間が無ェんだっ!」

サンジの言う『時間が無ェ』というのがどういう事か俺にはわからなかったが、今は意味を追求している場合ではないということはわかる。
言われるままに「あっち側」の床の、亀裂のヘリをつかもうとしたとたん、握られていた手首がズルっと滑った。その拍子にガクンと俺の身体は少し降下して、亀裂のヘリを掴みかけていた俺の手が空を切る。落ちるかと思って肝を冷やした俺は、助けられてる身でありながら「危ねェじゃねェか!」と、つい叫びそうになった。が、その言葉は寸前で喉の奥に飲み込まれた。俺を掴んだサンジの手の甲に、小さな蛇のような赤い線が伝い降りてきていた。
―――ぬめりのある赤い線。黒い服の下のシャツを赤く染めながら、それは流れてくる。

時間が無ェって、これか! 早くしねェと血が滴ってすべるから、掴んだ手のひらに血が到達する前に、床に這い上がれってことか!



気づけばもう、手だけではない。サンジが腹ばいになったその下にも赤い液があふれ、亀裂の走った床の断面をひたひたと滑り降り、4階の床から1階目掛けてポタポタと落ちていっている。

それでもその手で俺を引き上げようとするサンジの口から、ぐうと呻き声が洩れた。傷ついた身体に力を込めたせいで傷口がばっくりと口を開いたに違いない。開いた傷からは真っ赤な血が噴き出すだろう。その血はきっと…。
ホントは薄くなんてない胸板を染め。ホントは華奢なんかじゃない肩を染め。ホントはスラリとなんてしてない手のひらを染め…。

黒いスーツの下で、白い身体が真っ赤に染まる様が簡単に想像できて、俺は叫んだ。
「サンジ! いいから、離せっ!!!」
「バッカ! あきらめ…んなっ! だいたいここで離したら、俺が後味悪ィじゃねェかよっ!」
「けど、それじゃ、おめェが!」
「うっせェ。てめェを助けたいわけじゃねェんだよ! カヤちゃんとかいうレディが泣くとこを俺が見たくねェだけだっ!」

赤く濡れ始めたサンジの手はもう、俺を引き上げようと迂闊に力を入れると、かえってぬめって滑ってしまう。

「クソッ…」
いつもの悪態が聞こえ。「………ル…フィッ!!」
口から溢れた血にむせそうになりながらサンジが叫んだ。
「ル…フィ…ッ!! …ウソ…プを掴め…かッッ!?」
「まかせろっ!!」
ずっと下のほうから元気いっぱいの船長の声がした。ルフィたちは無事1階に着いたところらしい。下からグワーンとゴムの手が伸びてきて、瞬く間に俺はゴムの手にしっかりホールドされていた。それに安堵したようにサンジが俺の手をスルリと離した。

「っ!? …おまえはどうすんだよ、サンジッッ!!!」
ゴムの手に掴まれながら落下していく俺の目に映ったのは、べたりと血をはりつけたまま満足気に、にぃと笑う顔。それがみるみる小さくなって、ビタンとゴムが元に戻る衝撃を受けた時には、俺は1階のゴムの腹に受け止められていた。





 ◇ ◇ ◇

結局。あのあとすぐに船長のゴムの手は再び4階の亀裂に伸びて、強引にサンジを回収した。
建物を取り囲んでいた海軍は、こちらの敵にならないほど小数だった。おおかた、建物ごと吹き飛ばして死体を回収するだけだとタカをくくっていたのだろう。
あまりに呆気なく海軍を始末して俺たちは船に戻った。こんなノータリンな海軍相手にうっかり死んじまったら浮かばれねェ。だからサンジ、死ぬんじゃねぇぞ!

半ベソをかきながら人型になってサンジを背負ってきたチョッパーは、船に戻るや否や、ズルルと鼻を啜って両手を消毒し、医者の顔になった。
なにしろサンジの脇腹にはシャンデリアが食い込んでおり、身体にそれをくっつけたままサンジは1階に落ちてきたのだ。背中には飛び散ったガラス片が、まるでウロコのようにびっしりと突き刺さっていた。

俺と同じようにゴムの腹に受け止められたあと、あのがっしりした「海の料理人」の手を、グーパーグーパーと繰り返し握って開いて、それからサンジは、安堵したように、ふ、と意識を飛ばした。



「チョッパー、ちょっと休め。サンジは俺が見てるから」
集中治療を終えたトナカイを休ませようと、俺がそう申し出ると、チョッパーは素直にうなづいた。
「うん。俺が疲れてちゃ、治療も判断も誤るからな。ちょっとだけ仮眠するよ。でも熱が上がったり、容態が変化したりしたら、すぐ呼べよ!」
うん、いい医者だ。自分がやるべきことをきちんとわきまえてる。
こんな時、俺は思うんだ。自分の無力さやふがいなさや…。かばわれるほど価値がある人間だろうかとか…。

なあ、サンジ、俺よりおめェのほうが、この船には必要だろ? おめェがいなくなったら、この海賊団はあっという間に餓死で崩壊だ。戦闘だって船長と剣士とおめェの化け物トリオがいるから俺たちは自分のやれることをやればいい、って思えるんだろ。おめェのほうが、この船に必要な人間じゃねぇか…。

「誰が必要かなんて、グダグダ言ってんじゃねぇよ。クソコックは自分の意志でてめェを助けたんだ。てめェが後ろめたく感じる必要無ェ」
突然声がした。はっと振り向くと、部屋の戸口にゾロが立っている。どうやら、頭の中で思っていたはずのことは、最後のほうはぶつぶつ口に出していたらしい。

「ウソップ、おまえも休め。おまえこそ、何も食ってねぇし、休んでもねぇだろ」

そりゃあ、そうさ。俺を助けたサンジがこんな状態なのに、落ち着いてられる筈無ェだろが…。
そんな俺の気持ちは、きっと顔に出ていたんだろう。ゾロはふぅと息を吐くと、相変わらずの動じない態度で、つかつかと、横たわるサンジに近づいた。そして青白い顔と固く閉じられた瞳を見るなり…
「細っこい身体で、デカいシャンデリアなんか受け止めてんじゃねェよ」
ゾロは心底嫌そうに、吐き捨てるようにそう言った。

それがひどく莫迦にしたような言い方に聞こえて、俺は思わずマジ切れした。「そんな言い方無ェだろ!!」
だって、命の恩人を莫迦にされたら怒るのが当然だろう?
「ゾロ、おめェ、自分がいいガタイしてっから、ほかの奴がみんなひょろく見えてっかもしれねぇけど、サンジ、あれで、そんなに細いばかりじゃねぇぞ! けっこうガッシリしてるし、手なんて包丁だこでゴツゴツしてでかくて厚くて。女達にはかわいい菓子を作ってるけどよ、あいつはやっぱ、『海のコック』だと思ったぜ!」

激昂気味の俺の目をゾロがはっしと捉える。
それで冷静になって俺は、『あ、やべぇな』とうろたえたんだ。ゾロとサンジはよるとさわるとケンカばかりしてっからよ。嫌いなやつを誉められたら面白くないのが普通だから、きっとゾロも「アイツの味方すんのかよ!」と怒ってくるだろうとひやひやした。

そしたらゾロは、しばらくして、「よく見てんな、おまえ…」と、ちょっと感心したような表情をしたから、俺はちょっと調子に乗って言ったんだ。
「へへ、ま、これがキャプテンウソップ様の観察眼ってやつよ。アイツの手、白いから女のように細いと思ってただろう? まあ、ロロノア君は、いつもサンジ君とケンカしかしてないから、そんなこと、知らなかっただろうが…」
言いかけたらゾロの声にさえぎられた。
「知ってる」

「へ?」
「知ってるさ。……俺が竹刀を握っていた頃からクソコックだって包丁握ってんだ。俺が真剣を手にするより早く、アイツは刃(やいば)を握ってんだ。それに俺が握ってる刀は本来、表面の皮膚と肉を切るだけのもんだ。今は骨や石や鉄を斬れてるけどよ。だけど、アイツは…固い骨をひと振りでぶった切るし、アーミーナイフのような手刀で海王類の強固な顎まで解体するし、デカイ獲物をさばく時は俺が使ってる刀みてぇな長い包丁を綺麗に使いやがるし。毎日包丁握って、俺が斬ってる人間よりデカイもんを切って。そういう手だ。あいつの手は。包丁だこでゴツゴツしてて。指の腹だって厚くて…」

「よく見てんな、おまえ…」
滅多に聞けないゾロの長口上とその内容に呆気にとられて、先ほどゾロに言われた言葉をそのまま返した。
とたんにゾロは、はっとして、それからバツの悪そうな顔した。しゃべりすぎた、とゾロの顔に書いてある。それから、急にいつもの仏頂面になって「ま、とにかくクソコックは、そんなヤワじゃねぇから大丈夫だろ」と妙につっけんどんに言う。なんというか、わかりやすい。今までの饒舌とサンジを心配する気持ちを照れ隠してるのがバレバレだ。しかも、自分で自分を安心させるような言い方でもある。

だけど俺は、助けられた身としても、簡単に「ああ、そうだな、大丈夫だな!」なんて明るく言えるはずもなく…。
「まあ、確かにあいつもたいがい殺しても死なねェような奴だけどよ…」
そう言いよどんだら、そんな俺にゾロは言った。
「大丈夫だ。明日はクソコックの誕生日だろ。何があってもあのヤロウは、俺たちにケーキを振舞おうとするさ。腕によりをかけた最高のケーキを食わせてやると言ったじゃねェか」

そして意識の無いサンジに向かってゾロは言葉を投げた。
「おい、クソコック、いつまでも寝てんじゃねェよ。ケーキ食わしてくれるんだろ? 生かしてくれてありがとう、生きていてくれてありがとう、ってケーキをよ」
それが、祈るような表情で、なのに愛おしむようなひどく優しい表情で。俺は唐突に気づいてしまった。
ああ、そうか。そうなのか、ゾロ。剣のことしか興味無ェ男だと思ってたのに…。俺だけがサンジの手のことを気づいていると思っていたのに…。

サンジの手のことを俺が口外しなかったのは、俺だけが知ってるというような優越感に浸れるから。だけど今気づいちまったことは、口外しちゃいけないホントの秘密。
ああ、なんというか、切ない秘密を知っちまったな。だって、どう考えたって報われなさそうだ。相手は無類の女好きだもんよ。

…サンジを見つめるゾロの横顔を見ながら、俺は、そっとその場を離れた。



(了)


以前はあまり「手」に萌えることってなかったんですが、サンジにメロってからは、サンジの手が気になってしかたありません。料理人の手ってなかなかにたくましいんですもの。

なお誕生日を迎えた者がケーキを用意するというのは、ホントにある風習です。
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07/04/01

07年サン譚終了までDLF。