キラキラ


「おまえは、その野望に向かって、真っ直ぐ前だけを見て進め!」
深手を負ったサンジは、俺の背中でそう言った。



デカイ島というのは、それなりに人もいて、それなりに情報も豊富で。
つまり、俺たちにとっては、それなりに警戒すべきところというわけだ。
だが、悲しいかな、そういう配慮の全くできないヤツが我が麦わら海賊団にはいて。
あろうことか、それが船長だったりして。
結果、俺たちは、ものの見事に生命の危険に曝された。
散り散りに逃げたはいいが、俺は狭い路地裏で刀が思うように振れずに苦戦を強いられ。

今、俺は「麦わら海賊団いちの喧嘩っ早い男」を背負っている。
苦戦していた俺に向けられた砲撃の前に躍り出た「麦わら海賊団いちの喧嘩っ早い阿呆」を。



彼の腹から流れる血が俺の腹巻をぐじゅぐじゅに濡らしていく不快感より、流れる血と一緒に彼の命が流れ出ていく焦燥感のほうが勝る。
「バカマリモ、メリーはそっちじゃねぇ!!」
と怒鳴る声も、少しずつ、か細くなっていくように感じられる。
「この迷子野郎! おちおち気を失ってもいられねぇ。クソ剣士に任せていたら、何日かかっても船にたどりつけやしねぇ」
「上等だ。そうやってしっかり意識保ってろ!」
そう返したら、阿呆は、しばらく沈黙した。
なんだよ、しっかりしてろ、と言っといたのに気ィ失ったのか?

背中の阿呆が黙ってみると、逆に自分の荒い息が耳につく。
ああ、自分も存外派手にやられたんだったな、と急に脚の傷を意識したとたん、俺の口から、ぐっと、痛みをこらえる息が漏れてしまった。
直後、背中で阿呆が冒頭の台詞を言った。
「おまえは、その野望に向かって真っ直ぐ前だけ見て進め!」



なんだかそれは「自分のことなんか置いていけ」と言っているようで、俺は承諾したくはなかった。
それでも。
――俺が世界一になる夢はコックの夢にもなったのだろうか、自分を捨ててでも世界一を目指してくれというのがコックの願いなんだろうか。
と思うと、彼を背中から降ろすつもりは毛頭無かったけど、コックの気持ちを汲んでやるつもりで取り敢えず
「………おう…」
と言い掛けた。

言い掛けた。
言い掛けたんだが。。。

「なんてこと言うわけねェだろ〜〜〜〜!」
俺の返事なんぞ、まったく興味無いというようなコックのバカデカイ声が、俺の力無い返事に見事にかぶった。
コックはデカイ声でそう言って、デカイ声でケラケラと笑った。
失血で生死を危ぶまれている人間の声とはとても思えぬほどカラカラと笑った。

ああ。なんで俺は、こんな阿呆に惚れちまったんだろう。
阿呆の前だと、俺の神聖な野望さえもが、阿呆な仕上がりを施されてしまう。
せっかく重厚で濃密で上等な酒が、いいかげんなサイダーで割られちまって安っぽくなっちまったような感じだ。
おっと、いけねぇ。阿呆に毒されて、例え話でさえコックじみた阿呆な例えになってしまった。



だが。
「ちっと黙れ。でねぇと放るぞ」
ケラケラ笑う声をしばらく不貞腐れながら聞いていた俺は、笑い声にヒューヒューと息が混じるのにようやく気づいてそう言った。

「放るなよ。連れていけよ。俺は、俺の屍を越えて行け、なんて死んでも言わねぇよ。俺を放っててめェは真っ直ぐ野望に向かって突き進め、なんて、ぜってー言わねぇよ」
今度は茶化すような笑い声を交えずにコックはそう言った。

意外だった。そういうことを言いそうな奴だと思っていた。
『俺が死んでも、おまえは行け』『おまえの野望を守れるなら命も惜しくない』
そういうことを言いそうな奴だと思っていた。



「バカマリモ…」
コックはくったりと身体を俺の背中に預けて、ヒューヒュー鳴る声でひどく優しく俺を呼ぶ。
「世界一なんてのは、ひとりしかその座に座れねぇから世界一なんだ。だから世界一そのものの場所には誰もてめェと一緒にいられねぇ。んなことは、どうせてめェも覚悟の上だろう。だがな、そこへの道のりでもひとりってのは寂しすぎる。てめェは阿呆だから、今までだって今だって野望しか見えてねぇだろうけど、真っ直ぐそこだけ見つめて、視界にさえ他の何も入れねぇのは寂しすぎる。だから、ちっとは、よそ見をしろ」
そういうコックの言葉はコックの腹から滴る血のように、とめどなく流れる。
死に掛けにしちゃあ、饒舌すぎやしないか?と思うほどに、よどみなく。
もしかしてあの血はウソップのケチャップ星で、本当はケガなんかしてなくて、コックの血も流れていないのか?と思うほどに、しっかりと途切れなく。

それなのに、コックの声はひどく優しすぎて、やっぱり俺を不安にさせる。
俺の不安が背中を通してコックに伝わったようで、コックは、俺を安心させるようにまた言った。
「だからよ…、俺は言わねぇから。俺の屍を越えて野望に向かって真っ直ぐ進め、なんて、言わねぇから。てめぇの道は孤高だとわかっちゃいるけど。それでも、てめぇが寂しくないように。孤高であっても、孤独でないように」

阿呆はやっぱり阿呆だ。
真っ直ぐなのはてめェのほうじゃねぇか、アホコック…。






たぷんたぷんと波が船の腹を叩く。
アホコックは包帯をぐるぐる巻かれて、まだ目を覚まさない。
血の気の無い真っ白な顔。意識の戻らない身体。
チョッパーの険しい表情は、いつまでたっても解れない。
それでも信じていいんだろう?
俺が寂しくないように、俺がよそ見をした時には俺の視界の端っこにいつでもいると、てめェは言ったのだから。



(了)

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(2006.06)