エゴイスト #3
「おい? コック? コック!!」
糸の切れた操り人形のようにカクンと力を失った痩身に、ゾロは慌てた。
電マを放り出して、尻に突き刺さる淫具を抜く。脚とベッドヘッドを繋ぐロープを切って、ぺちぺちと、サンジの頬を叩いた。
しばらくして、うっすらとサンジが目を開けた。
ゾロの姿を認めると、ぱくぱくと口を動かして何か言おうとする。
「てめっ…まだ…こ…な……ひっ…おれ…す…と思って……」
だが、屈辱と羞恥と恐怖と怒りとがごちゃごちゃになって、まともな言葉にならない。
身体は激しすぎる悶絶の名残りを留めて、未だカタカタと震えている。
胸縄がかかったままのその白い身体をゾロは抱きすくめた。
「答えろ。浮気じゃなくて本気なら、なおさらきちんと言え。頼むから言ってくれ」
縄をギリギリと白い肌に食いませるように絞っておきながら、これ以上おまえを責めたくないんだと、その表情が訴えてくる。
「だ…から…浮気とか本気とか…そう…いうんじゃねェ…」
「だったら欲情だけで抱いたというのか? おまえがプロでもない女をそんな風に扱えねェことくらい、よく知ってるぞ」
その女に惚れたのなら、もう仕方がないとゾロは思っていた。
相手が男だったら絶対に譲る気はないが、女だったら話は変わってくる。
サンジが家庭を望むなら邪魔をしないで見守ってやりたい。
だから心のどこかで覚悟していた。あのレディに惚れたんだ、と言われれば、引いてやるだけの度量を見せてやりたかった。
だが、サンジは、それすらも言わない。
狭量の男だと思われているようで、ショックだった。
「おまえがちゃんと言ったら、俺は…」
「言いたくねェ」
ゾロの言葉を途中でさえぎってサンジが目を伏せた。
「そうか…わかった。もういい。嫉妬するのも、おまえが何を考えてるのか推し量ろうとするのも、もう莫迦くせェ」
ゾロはすらりと刀を抜いた。
斬られるのか、と思うのに、サンジの目は、刀を構えたゾロから離せない。
コイツの構えはこんな時まで綺麗なんだよな、と冴えた頭が思う。
す、と刀が振り下ろされて、刃は、サンジの身体を掠める。
とたん、ふ、と上半身が楽になった。切られたのは身体ではなく胸縄だった。
続いて後ろ手に縛る縄も切られ、サンジの身体がふっと楽になる。
自由になったサンジの身体にゾロの言葉が突き刺さった。
「失せろ。おまえがどこで何をしてようと、もう俺には関係無ェ。俺には言う価値も無ェんだろ? 女のところでもどこへでも好きなところへ行け」
今までとはうってかわって静かな口調だった。
サンジはハッとした。
理由を告げなかったのは、こんな理由はわかってもらえない気がしたからだ。
ゾロが激昂して自分を責めれば責めるほど、この単細胞には理解できねェだろうなと思った。
それを「俺は言う価値も無い男なんだな」と受け止められるとは思ってもいなかった。
「ゾロ…」とサンジは声をかけてみた。
だがゾロはサンジの呼びかけに答えず、背を向けてベッドに腰掛けている。
手を伸ばせば届く距離だが、そこには大きな壁ができてしまった。
今まで、答えることを拒んでいたのは自分だというのに、「もういい」と放り出されてから慌てて一連の行動の理由を伝えようとするなんて虫が良すぎるとわかってる。
だが、虫が良すぎると言われても、こんなふうに終わりにしたくない。
今さら縋っても遅い、と言われてもいい。
もう手遅れだとしてもせめて、てめェが価値の無い男であるわけねェ、とそれだけは伝えたい…。
若い頃ならここで意地を張ってしまっただろう。
だが、身体についた傷の分、自分たちは強くなった。
心に刻まれた傷の分、自分たちは柔軟になった。
サンジは自分のものではないような重い身体を起こして、そっとゾロの背にもたれた。
とくんとくん、とゾロの鼓動がサンジに伝わってくる。
ゾロがいつ上半身を脱いだのか、サンジには覚えがない。
拒まれるかと思ったが、ゾロは身じろぎしなかった。
この傷の無い背中に寄りかかれることができる特権は、まだサンジから奪われてないようだ。
サンジはゾロが避けないことを免罪符として、ゾロの身体に手を回そうとした。
が、そこで自分の皮膚がひどくざらついていることに気づいてしまった。
射精できないまま無理矢理ドライでイかされると、吐精した時の何倍も身体に負担がかかる。身体がまだ、その時のショックを残して、ぶつぶつと粟立ったままだった。
(こんなぶつぶつの身体を押し付けられて気持ちがいいはずねェよな)
サンジは、居たたまれない気持ちになって身体を引きかけた。――その時。
そんなサンジを引き止めるように、ゾロの声が響いてきた。
「俺は、そんなに頼り無ェか? おめェが本心も預けられねェほど」
振り向かずに言ったゾロの声が背中を通してサンジの身体に振動する。
「そうじゃねェよ。俺が弱ェんだ」
「あれだけ責めても口を割らねェほど強情なくせにか?」
「強情なのは、弱さを知られたくねェからだ。そんなに弱い奴だったのかと、てめェに蔑まれたくねェからだ」
「何がどう弱いってんだ?」
「似てるんだってよ、死んだ恋人に」
「あ?」
話の展開についていけなくて、ゾロが怪訝な顔をして振り向いた。
「彼女のさ…」
『彼女』というのが、今朝サンジと一緒にいた女のことだとわかって、ゾロは身構えた。
「彼女の死んだ恋人にさ…俺は似てるんだってよ」
「それだけの理由で寝てやったってのか!?」
聞いたとたん、新たな怒りが湧き起こった。
「てめッ!! 女に甘いのも大概にしろッ!」
サンジが服を着ていたら、胸倉を掴んでいたところだろう。
もう一度平手を張りたい気分だ。
そんなゾロにサンジは言った。
「それが、なんでいけねェ?」
「ああっ?」
「死んだ恋人の面影を求めることの何がいけねェ? 肌を合わせたことがあればこそ、その肌が恋しくなるのは当然じゃねェの? それがまがい物だったとしても、似た面影の人の中に在りし日の思い出を求めたくなるのを、俺はとがめることなんて出来やしねェ。そうしていっときでいいから、幸せに満ちた日々をもう一度手に入れたいと思ったレディの手を、振り払うことなんて出来やしねェ」
「だから抱いたってのか!」
「もう二度と見ることも触ることもできないんだ! 顔も声も髪の手触りも、肌の熱さも! 心の中にあるだけじゃ、寂しくて死にそうなことだってあるんだよ!」
サンジには、そのレディの気持ちがわかりすぎるほどわかる。
このレディは自分だ。
だから手を差し伸べてしまった。自分の肌を貸して、優しく包んで温めてしまった。
目の前で、虚を突かれたように言葉を無くしている剣豪は、どうしたって自分より死に近いところにいる。
彼が死んだら覚悟を決めて死出の旅を見送ってやるのが勤めだと頭では思っていても、本当にその時が来たら、取り乱さない自信は無い。
この顔もこの声も、特徴的な緑の髪も引き締まった身体も、強い意志に満ちた瞳も、何もかも全てが、ゾロという器の全てが、この世から無くなって二度と見れず、二度と聞こえず、二度と触れることも感じることも叶わなくなるのだと思うと、亡骸を葬ることさえ出来ずに手元に置いておきたいと言ってしまいそうな自分がいる。
だが、コイツにはそんな気持ちはわからないだろう。
わからせたくもない。
そう思うのに。
「俺が死んだら…」
「あ?」
「俺が死んだら、おまえも俺に似た男と寝るのか? 俺のことを思い出しながら、俺に似た男と寝るのか?」
静かな声でゾロが聞いた。
ほかに何も言わなくとも、その簡単な言葉だけで、自分の気持ちは見抜かれてると、わかってしまった。
――ああ、このマリモ頭に筒抜けじゃねぇか。てめェの心が、身体が、姿が、声が、髪が、瞳が…お前を構成するあらゆるものが、恋しくてたまらねェと、筒抜けじゃねぇか。細胞のひとつだって失いたくねェと筒抜けじゃねぇか。
若い頃ならいざ知らず、今になってもこんなにビビってる俺を、決して知られたくなんかなかったのに。
無くなったら「悲しい」というのではなく「辛い」というのではなく、「寂しい」だなんて弱々しい俺の気持ちを決して伝えたくないと思っていたのに。
あぁそうか、てめェはずっと小せェ時から、知っているんだったな。喪失がもたらす、どうしようもない寂寥感を。
なぁ、マリモの脳みそでも少しは思ってくれるか? 俺を失ったら寂しいと…。
「おいクソコック、また、だんまりじゃねェだろうな? 答えろよ。俺が死んだら、俺のことを思い出しながら、俺に似た男と寝るつもりか?」
そういうゾロの表情は真剣だ。
くすりと笑ってサンジは返した。
「もし俺が、そうだ、と言ったら、てめェは嬉しいのか? 嬉しくないのか?」
「嬉しいはずねェだろう! いくら俺を懐かしんで恋焦がれた行為だと言われたって、おめェとヤってんのが俺じゃねェなんて、癪に決まってるじゃねぇか!」
サンジの頬にじわじわとと笑いがこみ上げる。
「死んだあとも嫉妬深ェな、てめェは!」
「悪ぃか!?」
その開き直ったようなぶすくれたようなゾロの表情がサンジの心を解していく。
「俺はな…」
「おう?」
「俺は…てめェが死んだら、てめェに似た男と寝るぞ」
言うなりサンジは、緊縛された痕が紅く残る、艶かしい身体を、これみよがしにくねらせた。
「てめえッ!」
怒りとも劣情ともわからない激情で、ゾロが思わず声を上げる。
サンジは、きらりと瞳を煌かせて言った。
「それが嫌なら…。そうさせたくないのなら…。俺より長生きして、ずっと俺を見張ってろ」
◇ ◇ ◇
「ウソップ先輩。やっぱ、あの3年周期説、間違ってますよね?」
「またその話か?」
「だって、大剣豪と司厨長、前より一層じゃれついて…」
「だから、アイツ等に普通の心理学を当てはめることが間違いなんだって」
「まぁ、そうですけど…。でも何かあったんですかね、島で…」
人の好い性格のウソップの周りには、新米中堅を問わず人が集まる。
今日も例外ではない。
目下の話題の中心は、またも麦わらの双翼の二人についてだ。
彼らに噂されているとも知らず、ゾロとサンジはこそこそ言い合っていた。
ウソップが盗聴器を彼らに仕込んでいたら、こんな会話が聞こえただろう。
「なぁ、もし死んだ恋人がおめェに似てる、と言う奴が男だったとしても、おめェは寝てやったのか?」
「ばっかじゃねェの! 野郎に、んなことするかよ!」
「そうか、ならいいが…。だが女でも、今後は俺にひと言、断ってからにしろよな」
「あぁ。またあんな仕打ちされたら、たまんねーからな」
(了)
読みたいゾロサンテーマというアンケートの、No.2の票数を得た「道具・緊縛」に挑戦しました。
10年後設定にしたのは、19歳のサンジでは、女性をこういう形で癒したりはできないと思ったからです。
意外やシリアスな展開になりました。気に入っていただけると嬉しいなあ。
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Kasai様が、この話をもとに、素敵なイメージイラストを描いてくださいました!!
髪が少し伸びたサンちゃんが麗しいのです! こちらからどうぞ!→イラスト by Kasai様