TRUE NORTH #3


一番になるために、ただひとりを倒すことを目標に刀を振るってきた。
ただひとりを倒すために。

だが一番になった今、一番であり続けるために、限りない人数を倒していかねばならなくなった。
それが自分と剣を交えるに値しないものだとしても、早過ぎるものだとしても、あるいは老い過ぎているものだとしても。

最強の座にいた鷹の目は、闘って悔い無しと思える人間であった。
だからこそ。だからこそ、その者を倒すことに価値があった。
だが、今はどうだろう。

その変化に、そのどうしようもない虚しさに、ゾロの心はどうしてもついていけなかった。

くいな。
世界一にはなった。
なったが、俺は、どうすればいい。
目標が無くなった虚無感ではない。敵と思えぬ者とまでこの座を賭けて相見えなくてはならない虚無感を俺はどうすればいい。





どこかでなげやりだった。自分が生き続けることに、なんの踏ん張りも見出せなかった。
だがスラザ熱という病に侵された今になって、なんとしても生きたいと思う。
繰り返し襲ってくる痛みと吐き気と闘いながら、ゾロはただ、それだけを思う。

身体の内部から肉が炙られるような痛みは、斬りつけられる痛みとも銃創とも違って、未経験のものだった。だから恐怖にかられる。こんな苦痛は知らないと身体が根を上げそうになる。
だが、ここで死んでたまるか、と思うのだ。
こうなってみて、ようやく自覚した。
未練がある。
人生に。
剣に。
あの男、に。





 ◇ ◇ ◇

峠を越したゾロの回復は、早回し映像よりも早いんじゃないかと思われるほど、早い。
だが、チョッパーは、起き上がって歩くようになったゾロに、クギを刺すように告げた。まだ完治していないのだと。これから投薬治療が必要であると。

「ああ?」と眉を吊り上げる凶悪面の大剣豪に、もはや麦わらの船医はビビらない。スラザ熱の医学書を再び読み上げる。
「……致死率は極めて高い。また、存命後も、完全に体内の菌を死滅させるためには最低でも1年は投薬治療が必要である」

要は。
地道にこまめに、薬で菌を殺していくしかないのだと言う。
半端な治療をしておくと、体内で再発し、再発後は、あっという間に身体をのっとり、媒介者を死亡させるのだと言う。

「再発さえしなければ、普段どおりの生活でいいんだけど、ゾロの場合は身体も鍛錬も、いろいろ特殊だろ。だから、従来の治療通りでいいのかわからないし、突発的に何が起こるかわからない。それを考えると、薬が自由に手に入る陸で療養するのが一番なんだけど…」
と優秀な船医はゾロをチラと見た。

「つまり、船を降りろ、ということか?」
「うん…ちゃんと、信頼できる医者も探してあるから」
チョッパーは、ピンクを帽子の端をぎゅっと握って言いにくそうに、だが、はっきりと頷いた。

「あのね、空気の悪いところや高温高湿のところより、低温低湿の土地で治療するほうがいいらしいのよ。グランドラインは、いつ夏島海域に入るかわからないじゃない。治った頃に、ちゃーんと迎えに来てあげるわ」
ナミが、チョッパーの提案を後押しする。
「わかった・・・」
ゾロは随分と簡単に納得した。皆がびっくりするくらいに。

「おめェのことだからよ『嫌だ』とか『投薬治療なんてかったりぃ事してられっか』とか言い張るかと思ったぜ」とウソップはその晩、ゾロにそう言った。

「いや。死に掛けたせいで、欲しいもんがわかったからな。だから不用意に死ぬ気は無い。きっちり治して、手に入れるさ」

それって…
言いかけてウソップはやめた。
確かめずともわかる。
迷子の魔獣を連れ戻すのは、いつだって、あの男だった。





 ◇ ◇ ◇

投薬治療のために選ばれた島に剣士が降り立って、3週間が過ぎた。
湿度が低く夏が短いその島は、11月に入ってすぐに雪が降った。その雪は、湿気を含まぬために粉のように細かくさらさらとしている。そのため積もるというより、風の吹き溜まりにだけ溜まっていく。そのせいで、秋と冬とが同居しているかのような、不思議な景色になっていた。

用意された住居は山を少し登りかけたところにある高原の中のログハウス。
西側には森が広がり、森のはずれには山の頂が見える。ゾロがこの島に来た時は山肌は藍のような紺のような色合いだったが、3週間ですっかり雪白になっている。

東側はゆるやかに下っており、途中から畑と人家が見え始め、その先に街が見えてくる。
石造りの街並みは、南国の白壁でなく、灰銀色に光っている。
コバルトグリーンなのは市庁舎の屋根。
白と青と金でチカチカしてるのは、今は観光名所になっている昔の教会。
街の向こうは日の光をキラキラ弾く港だ。停泊している船がミニチュアの模型のように見える。

米粒のような船と、その先の、一筆でさっと描かれたような海。
絵のようなそれを見ると、自分がグランドラインを航海する海賊だということが嘘のように思えてくる。





世界一もあの男も両方を手に入れる、そう精神論では思っていてもゾロは元来器用ではなく。
しかも大剣豪になる前は、今よりもっと不器用で今よりもっと余裕が無かった。
野望のために必死になればなるほど、他への比重はどうしても小さくなる。
そうやって野望以外をないがしろにしてしまうことも、時には切り捨ててしまうことも、同じように夢を追う仲間ならわかってくれると甘えていた。
実際あの男は甘やかしてくれた。

無我夢中であの男を求めてばかりいた嵐のような日々が過ぎて少し落ち着いた時、反動のように後ろめたさが襲ってきたのだ。コックに対してではなく。己のしたことに。

強くなった自覚はあった。鷹の目とそろそろ互角に遣り合えるんじゃないか、とも思える。だが、必ず勝てるという手応えを得るには、もう一歩が必要で。この男に溺れているうちは自分はあと一歩を昇れない、そんなふうに思えてきたのだ。

そうして手放したものは、大剣豪になっても戻ってこなかった。
大剣豪になったと同時にゾロは、相手を倒す意味と、ゾロを受け止める存在の両方を失ったのだ。



スラザ熱に侵された時、ゾロは切実に思った。会いたいと。
それで、あいつの飯をずっと食いてェ。

ずっと食うということは、ずっと生きるということだ。
大剣豪の生が終わる時は、倒された時だ。
ならば、生きるために、あいつの飯を食い続けるために、この座を狙ってきた者を倒し続けるのが、俺の業(ごう)だ。それがどんな相手であろうとも。
剣士として最強を誓った時から、この業から逃れられるはずは無かったのだ。
今なら、若い時に欲しがった両方を、手に抱えられるような気がする。



ミニチュアの模型のような船が、桟橋から出航したのが見えた。帆に風をいっぱいに受けて、港を離れていく。
あの船もまた、いくつもの人生と喜怒哀楽を乗せていくのだろう。







「おー、マリちゃん、何、ぼんやりしちゃってんの? ついにボケたか、そうか、やっぱりてめェは俺よりずっと年上だったんだな。うん、どー見ても俺より老けてるもんな、マリちゃんは」

海原へ出ていく小さな船を見つめるゾロの耳に、風に乗って低い声と煙草の香りが届く。

「ボケてねェよ。その、マリちゃんてのやめろ!」
「だって、てめェ、マリって名前でここの滞在許可取ったんだろ?」
「俺じゃねェ。そんなふざけた名前で申請したのはナミだ。そんなことより、昨日、聞き損ねた。てめェ、なんでこの島に来た?」

昨晩突然やってきて『今日から俺が、てめェのここでの生活および食事に関する全権者な』とふんぞり返った金髪に問うてみる。

「なんでって、てめェが俺を欲しがったからだろ」

いやコックが欲しいと、船長にも最高権力者のナミにも、ほかの誰にも、はっきり言った覚えは無い。
だが、ゾロの思いは筒抜けだったらしい。
「てめェにゃ見せても仕方がないと思ったんだが、一応見とくか?」
言いながらサンジが取り出した紙には「契約書」なる文字が書かれていた。
それには、サンジがこれから1年、ゾロの生活を監督する職務を果たすことが契約されていた。


「つまりナミから依頼されたというわけか?」
「そういうわけで、これは仕事だからな、し・ご・と。俺がここに来たのも、1年てめェの生活につきあうのも、仕事であってそれ以上でも以下でも無ェ」

契約書をよくよく見れば、報酬金まで決まっている。
しかもそれは、ナミから出るのでなくゾロが支払うことになっており、それをナミが立て替えたことになっている。
本当はナミは、体重管理から美容から女性の身体のバイオリズムまで配慮した食事をだしてくれるサンジを手放す気なんかさらさら無かった。ゾロとサンジの行く末は、今に掛かってると判断した周りに説得されて渋々OKを出したのだ。
だから報酬額は、その腹いせとばかりに目玉が飛び出るほど高額にしてやった。

そんな経緯とは露知らず、ゾロはこっそり溜息をつく。
また高利高額をふっかけやがって、あのごうつく守銭奴。まぁ、仕方がない。金に代えられないものが手に入ったのだから。

「ったく、ぜいたくな患者様だよな、俺様の甲斐甲斐しい看護と食事つきでよー」
そう言いながら食事の支度を始めようとしたサンジを抱きしめた。
うし、大丈夫だ。今度こそ、大剣豪もコイツも両方この手に抱えていけるだろう。



「甘えたがりの患者さんよ、契約外の労働は高くつくぜ」
口角を上げてにやんと笑う生意気な唇をゾロはゆっくりと味わった。



(了)



タイトルの「TRUE NORTH」は、磁極でなくて地軸にそった…つまり誤差の無い「真北」のことです。そして、 航海で「真北」を知るのは非常に大事なこと。そのため「TRUE NORTH」には「真に大事な指針」という意味があります。