不斬之剣 ー肆ー
龍鬼との再決戦は熾烈を極めた。
捲土重来たる索隆に対し、龍鬼も前回のように爪で弄ぶような攻撃に非ず、刀で応戦してくる。炯炯と睨み合い、白刃の閃光が幾線も岩窟に走る。
龍鬼の腹を横一文字に狙えば、叩き伏せるが如く食い止められた。巨体が繰り出す力技の剣ゆえに、索隆の身体も地に落ちんばかりによろめけば、そこを刺し貫くように豪剣が突進してくる。
横飛びにかわすが着物の袂はばさりと裂かれ、続けて踏み込んできた龍鬼の刀を索隆はからくも受け止めた。
発止丁丁、刀と刀が激しく斬り結ばれ霹靂(へきれき)の如くの音が反響する。激烈なる闘いに地は揺れ、湖水は波打ち、終には岩窟の屋根さえ割れて天空を頂いた。
一閃一閃、血が迸(ほとばし)り、これ以上長引かせるのは己が不利と悟った索隆は遂に乾坤一擲、決着をつけんとした。
龍鬼の迅(はや)い斬撃を身体を捻ってかわし、立て直した体勢から八相に構え直して後ろに下がる。
索隆の後退を弱気と見た龍鬼が躍り掛ってきた。
その懐に飛び込んで身体を沈め、下から剣を撥ね上げると同時に索隆は跳んだ。前回は、この後の剣が迷ったために敗れたのだが、同じ過ちは繰り返さぬ。
上段から竹を割るように剣を直下に振り下ろす。
それをかわそうと身体を開いた龍鬼の左腹目掛けて刀を突き刺すや、瞬時に斜に斬り上げる。上がった刃先を、蒼の珠を盾にした心臓真上に大きく袈裟掛けに斬り下ろした。
互いの動きがぴたりと止まる。
間断無く鳴り響いていた斬撃の響きも反響音を微かに残し一瞬の静寂が訪れた。
と、ぐらりと龍鬼の身体が傾(かし)ぎ、巨体がどうと崩れ落ちる。
筋交い十字に裂かれた胸からは噴水の如く血飛沫が上がり、傷一つない蒼の珠が飛び出した。
遂に龍鬼を倒して珠を獲得した索隆は、飛びそうになる意識を叱咤して香吉士を探した。既に手下の鬼達は遁走し、がらんとした空気だけが残っている。
奥へと進んだ索隆は岩肌に凭れ掛かるようにして蹲る香吉士を見つけた。
肉削げ骨浮き容貌の憔悴激しく、酷虐の凄惨さが色濃く刻まれた儚き痩身に索隆の心は苦く灼かれた。
索隆が近づいても身じろぎもせず、もしやすでに発狂でもしているのかと慄きながら触れてみれば、びくりと身体を震わせて香吉士の空洞の眼窩が索隆のほうを向く。
俺だ、と告げようとしたが、気合の声を挙げすぎて思うように声が出ぬ。
が、香吉士のほうが盲でありながらも索隆の存在を察した。
「てめェか…」
そう言うと、ゆっくりと手を差し伸べて、索隆の身体に指を滑らす。指先で索隆を視るかのように。
「どうした。なんでてめェがこんな処に居る?」
まるでどこぞの町で偶然知人に出会ったかの如く、盲の香吉士は索隆に問う。
てめェを龍鬼の手から取り戻しに来たのだと、索隆は答えようとするが燥吻酷く咽喉には灼爛の痛みが広がり、やはり声にならない。
しかた無く、索隆は取り返した香吉士の瞳を懐から取り出して、香吉士の掌(てのひら)にそっと乗せた。
てめェの瞳だ。受け取れ。
索隆は心の中でそう叫んだ。
だが香吉士は掌に乗せられたものが己の瞳だと気づくと切なげに微笑んだ。
「そうか。これが欲しくてここに来たのか。てめェ、ずっとこの蒼を欲しがってたもんな。しっかし、あのクソ鬼から横取りできたなんて凄ェなぁ。強くなっちまって…」
言いながら香吉士の指は索隆の肩から項を昇って髪を探り、耳を掠め、顎をなぞる。
索隆の頬に今しがたできた傷を指先で感じた香吉士は、そこに唇を寄せた。
索隆が思わず身体を引きかけると、じっとしとけと囁かれる。
あぁ、この声だ、と索隆は思った。高すぎず低すぎず僅かに甘い。この声が気持ちいい、と索隆は思った。
癒すように傷口に触れる唇も、血を拭う温かい舌も気持ちがいい。
視界が戻るというのに香吉士の表情が悦びに溢れたものでないのが気になりながらも、安堵と心地好さが索隆の疑念を覆い隠す。加えて激戦の疲労も甚だしい。
索隆は香吉士に身を委ね安息を得るや、深慮を放棄して幸福感に酔った。
だがその幸福感は長くはなかった。
盲の香吉士は索隆の身体の隅々を指で柔かく探って呟いた。
「てめェ、結構やられてんな。まぁ、あのクソ鬼相手に無傷ってわけにはいかねェか。ちゃんと手当てをしねェとやべェから、こっから出るぞ。ちっとだけ、貸してくれな。ちゃんと後で返すからよ」
沈みかけの意識で、何を、と訝しがれば、香吉士が、蒼の珠を眼窩に嵌め込むのが見えた。
貸す? 返す? いや、それはてめェのもんだ…
伝えようとした言葉はやはり声にならず、意識は更に沈んでいく。
血塗れた身体は意識を飛ばして香吉士の腕の中に納まった。
目覚めた時、既に香吉士は居なかった。
索隆に食事を施すよう香吉士に頼まれたという朴訥な男が言うには、索隆を背負った香吉士が家の戸を叩いたのが三日前。
三日間、香吉士は索隆に付き切りだったが今朝になって峠を越したと見るや、起きたら粥でも食わせて放り出せ、と言って去ったという。
怪我人を置いていくのかと咎めたら、あいつは常人じゃねェから放り出しても大丈夫だと笑ったという。
索隆はそれを聞いて追いかけようと即座に外へ飛び出した。
とたん懐中から躍り出たものがある。
輝くそれを地に落ちる前に受け止めて、見ればそれは蒼の珠だ。
索隆の心臓が、どくん、と嫌な音を立てて鳴り始める。
傍らの男に、香吉士は盲だったかと聞けば、そんなことは無かったと言う。
では出て行く時に盲ではなかったかと聞けば、それには気づかなかったが言われてみれば笠を目深に被り杖を携えて出ていったと言う。
索隆は激しく歯噛みした。
悦ばないのが妙だと思った。貸せだの後で返すだの妙なことを言うと思った。
やはり、やはり、伝わっていなかったのだ。
香吉士は索隆が、この珠欲しさに龍鬼に挑んだのだと誤解して、盲目のまま去っていったのだ。
――欲しかったのは眼ん玉の蒼ではない。お前に埋まった蒼だ。お前ごとだ。それを取り戻したくて俺は龍鬼に挑んだのだ。この珠だけあったとて、なんの意味があろうか
!
索隆の叫びが虚しく響いた。
◇ ◇ ◇
人外の龍鬼を倒した索隆は、程無く天下一の男の剣を凌ぐ。
倒れた将は再び索隆に問うた。強さの果てに何を望むと。
索隆の手は思わず懐中の珠を押さえた。
海を護る七武将にはそれで通じ、新しい天下一への餞(はなむけ)に遠き夢物語を語らんと言葉が紡がれる。
『世界に四海がある。其其に隔てられ交わることはないのだが、その出逢うはずの無い四海が出逢う場所で全ての蒼は生まれる。人に非ず、精霊に非ず、悪鬼に非ず。故に冥府に行くことも出来ず蒼は常に彷徨う
…。古き遠き夢物語だ。忘れるもよし、心に留めるもよし』
伝え損ねた言葉を伝えるため、索隆は天下一になったのちも香吉士を探し続けた。
遠く世界の果てまで探して探して、索隆は、得ようとしても、努力でも修行でも手に入らぬものがあるのだと知った。人為を尽くした後は天命に聴(したが)うのみなのだ。
だがそれでも索隆は決して一つ処に安住しない。
『蒼は冥府に行かず』という夢物語を拠り所に、ならば此の世のどこかに留まっているはずだと、かたくななまでに探し続けた。
草枕に旅し、時を待ち続け、ある丘に来た時、索隆は眼下に蒼然たる海を見た。
索隆は暫しその景色に見蕩れた後、そこが最初に海を見た丘だと気づいた。
海は最初に見た時と変わらず蒼く、そこにあった。
あぁ、こんなところに居たのかと、索隆は来る日も来る日も蒼海蒼波を眺めに丘へ向かう。
次第に行き来するのも鬱陶しくなり、そのままそこに立ち続けた。昼も夜も晴れの日も雨の日も。
その後長い長い年月が経った。
ひとりの剣士が丘へやってきた。丘には有名な木が聳(そび)えている。海へ向かって枝葉を伸ばし、堂々と立つそれが、蕾をつけているかどうか見に来たのだ。
その木には伝説があった。花に溜まった朝露で刀を研げば、その刀は斬りたくないものを斬らずに護る「不斬之剣」になるという。
だが未だかつて木は一度も花をつけたことが無い。
時代は移り、栄華を誇った大国は滅び、小国同士の争いが長く大地を荒らした。
それでも海はまだ人に蹂躙されずにおり、海を臨む丘の木は依然蒼へ向かって枝葉を伸ばす。
そして更に幾星霜。木の根元から黄金色の蔦(つた)が生え、するすると伸びて木に巻きついた。
人々は「不斬之剣」の木が枯れてはならぬと、その蔦を引き剥がす。
が、剥がしても引き千切っても蔦は枯れず、指先を伸ばすように繰り返し木肌に寄り添い伸び進む。
遂に人々は、木が衰えずに蔦と共存するなら良いではないかと諦めた。
妨げられずに伸びた蔦は、やがて木に抱かれるが如く緑葉の間で花を咲かせた。海のように深く蒼い花だった。
(了)
2008年12月ゾロ誕。
無謀にも漢文調を目指した挑戦的小説でございましたが、読みにくい部分も多々あったと思います。
読了くださいまして本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
サンジさんには辛い思いをさせてしまいましたが、ゾロが進む道について私なりの解釈を話に落とし込むことができました。皆様のご意見ご感想などをぜひお伺いしたく、「良かったよ」「うーんイマイチ」などのひと言でもよいので、ぜひお寄せください。こちらからどうぞ→
(web拍手)
小説目次←