オトナの階段 #2


「敵襲ーーーー!」
ウソップの緊迫した声が聞こえたのは、おりしも夕食の下ごしらえのためにサンジがキッチンで魚をさばいていた時だ。
レディに奉仕するおやつタイムが終わって『さぁ夕食の支度だぜ』と腕まくりして『桜色ってか、ナミさんの桃色ほっぺ色だぜ』と阿呆なことを想いながら、生け締めしておいた、グランドライン限定ヘラクレス桜鯛のエラに出刃包丁を叩きこんで頭を落とした矢先のことだ。

このまま放置して戦闘に加わったら、魚がダメになる。丸窓からチラッと様子を見たところではまだ敵は乗り込んできていない。
サンジは魚をすばやくさばいて塩を振り、クッキングペーパーで包んでバッドに並べて冷蔵庫に保管した。その一連の作業は、三つ星レストランのコック長が感嘆するほど早い。
にもかかわらず、そのほんの少しの時間が戦闘に響いたのだ。

襲ってきた敵は結構な手練れだった。メリー号の大砲が前方のものしか稼働していないのを確認するや、大砲が届かない距離から回り込んでメリーの右舷に迫ってきた。サンジがのちのち反省したのはこの点だ。自分が即座に戦闘に加わっていたら、チョッパーかナミがメリー号の側面にある砲門を使えていたかもしれない。
メリーと並ぶように位置取った敵は、そこからバラバラと矢を射ってきた。その矢がゾロの剣の風圧で薙ぎ払われるとわかると、即座に銃にきりかえて撃ってくる。
これもルフィのゴムゴムの風船で食い止められると、メリーの横っ腹に船を近づけ、鉤のついた縄をメリー号に投げ込んで乗り移ってこようとする。
ロビンがたくさんの手を咲かせて、投げ込まれた縄を次々外していくが、追いつかなかった縄を伝って何人かが乗り込んできた。
ルフィは既に敵船に乗りこんでいたが、ゾロはメリー号の甲板で敵を迎え撃つ。
サンジが魚を冷蔵庫にしまってラウンジから飛び出してきたのはその時だ。
「俺様の料理タイムを邪魔しようとは、どこの不届き者だ!」
乗り込んできた敵2〜3人まとめてを蹴り飛ばし、ナミとロビンの無事を確かめようとしてサンジは叫んだ。
「ロビンちゃん!!!」

鉤縄を外していくロビンを狙って、敵船からチャクラム(外側に刃が付いた金属製の投げ輪)が2つ、時間差で投げられたのをサンジは見た。
ロビンは最初のチャクラムは難なく避けたが、2つ目のチャクラムを避けようとして、ブーメランのように帰ってくる1つめのチャクラムの軌道上に入ってしまう。
走っていたら間に合わない。
「これでもくらえッ!!!」
サンジは咄嗟に普段から携帯している折りたたみナイフをチャクラムに向かって投げた。カッと高い音がしてチャクラムの軌道がそれて船の外へ飛んでいく。ほっとしたのも束の間、ロビンが避けた2つめのチャクラムが空中で弧を描いてくるくると戻ってくる。その先にいるのはウソップだ。今度は投げる物が無い。シャツのボタンでは軽すぎて軌道を変えられないし、靴を投げようと足を振り上げたとたん、チャクラムの軌道上にゾロが割り込んだ。

ガッと金属がぶつかる音がした。ゾロがチャクラムを峰で受けたのだ。一瞬の力勝負のあと押し上げるように刀を上方へ薙ぎ払う。
「た、助かったぜ…」
とウソップが吐いた安堵のセリフをゾロは叱咤した。 「まだだ!」

ゾロに無理矢理軌道を変えられたチャクラムはキィインと空気を震わす音を立てながら舞い上がり、上空でヒラリと刃をきらめかせたかと見るや、ふたたび甲板目がけて落下してくる。飛行の勢いは殺がれているが回転力はまだ残っている。甲板に落ちても、しばらくは、ねずみ花火のように回転しながら暴走するだろう。
「ナミさん、もっと離れろ!」落下地点近くにナミがいることに気づいてサンジが叫ぶのと。
「とどめだ!」落下地点に向かったゾロが、三刀を振ってチャクラムを八つ切りにするのと。
「サンダーボルトテンポ!」ナミがチャクラムめがけて天候棒を振るったのと。
すべて同時だった。



   ◇ ◇ ◇

「クソマリモ、食事だ。おー、見事にミイラ男にされてんな」
男部屋に入ってくるなり、サンジが吹き出した。
「うっせぇ。大したことねェって言ってんのにチョッパーが包帯巻きやがったんだ」
「まぁな、火傷は軽傷に見えても化膿することも有るし、表皮が乾燥するのは良くねェからな」
「チョッパーも同じことを言いやがって軟膏べたべた塗って包帯でぐるぐる巻きだ。それはいいが、ナミの野郎、軟膏臭いのと一緒だとメシがまずくなるとか言いやがった。誰のせいで軟膏まみれになったと思ってんだ!」
「そりゃナミさんの照れ隠しっつーか心配してる素振りを見せない乙女心っつーか、ようは気にしてんだぜ。ルフィと一緒のメシじゃ戦争だし、なにより怪我人のメシまで食っちまうからな。お心遣いの証拠にほれ、てめェの食事に貴重なミカンを追加してくださった」
サンジは持ってきた食事のトレイをゾロに見せた。 その端にちょこんと橙色のみかんが鎮座している。
「そんな沁みるもん、食えるか!!!」
思わずゾロが怒鳴ると。
「ぶはははは、そうか、さすがに鍛錬バカのてめェでも口の中までは鍛えられなかったか」
ばかにしたような口調なのに、へにょんと眉を下げて泣き笑いのような表情でサンジが言った。

あの時ナミが、チャクラムの落下地点の近くにいたのは、チャクラムにサンダーボルトテンポを浴びせて黒こげにしようという目論見(もくろみ)があったからだ。飛んでくる物体に照準を合わせるのは難しいが、落下してくる物体なら難しくはない。
落下地点を目がけれて放たれたサンダーボルトテンポは、しかしチャクラムを黒こげにはしなかった。代わりに黒こげになったのはゾロだった。
「なんでアンタ、そんなとこに居るのよ!!!」
「てめェこそ、何してくれてんだ!!!」
いまにも言い合いが始まると言うところでウソップの声が割り込んだ。
「あーーー、ゾロくん、先に敵を倒してくれたまえ!!!」

ただでさえ魔獣などという異名のあるゾロだが、髪は熱でうねり、顔は赤黒く、手足は煤(すす)で黒ずんでいるとなると、さらに異様だ。魔獣と言うより悪鬼という雰囲気たっぷり。その外見に、黒こげにされた怒りが加わっているからなお怖い。敵はじりじり退却して、自分の船に戻るや否や、全速力で逃げていってしまった。敵船にいたルフィが慌ててメリーに戻ろうとしてマストを掴み損ねて海へ落っこちて、サンジが救助するというおまけつきだ。

「まぁなんにせよ、大したことなくて良かったじゃねェか。ほら、てめェの分。少し冷ましてきたから食えると思うぜ」
サンジが差し出したトレイにはふんわりとかつおだしの香りのするおかゆといつもの半分ほどの大きさに丸められた肉団子と小芋の煮物、温泉卵、ゴマ豆腐が乗っている。通常だったら歯ごたえの無ェもんばかりだと思うだろうが、今回はサンジの心遣いが身に染みた。サンダーボルトテンポを食らった時、刀を咥えていたせいで、ゾロは口の中を大いに火傷したのだ。
口に入れればとろけるようなものばかりの献立は、どれもが薄味で、固さの点からも味の点からも火傷した粘膜を刺激しないようにしてある。
ゾロはそれをゆっくりと咀嚼した。
(美味ェ…。舌が火傷していなければもっと美味ェだろうに惜しいことをした…)
そう思うと同時に、この献立が自分のためだけに出来たものだと思うと得をしたような気にもなる。

最初はゾロが食べる様子をじっと見守っていたサンジだが、ゾロが問題なく食べられるとわかって安心したのか、 いつもの饒舌が戻ってきた。
「いやぁナミさんのサンダーボルトテンポを食らうなんて、光栄なことだぜ。なんなら、俺が食らいたかった、恋の電撃をーー!!!」
へにょんと下がっていた眉も元に戻って、おかしな方向の妄想も復活だ。むふふふと笑ってみせては、目をハートにする。そのくせ、真面目な顔で言うのだ。
「でもよ、てめェ、意外と頭使ってんのな」
「あ?」
「チャクラムがウソップんとこに来た最初のときは、俺、一瞬ひやっとしたんだぜ。てめェがぶったぎろうとするんじゃねェかって。あんな回転と勢いがついてるもんをぶったぎったらドコ飛んでくかわかんねぇヤベェぞ!って思ったんだが、てめェ、斬らずに軌道修正したじゃねェか」
「計算してやったわけじゃねェ」
「やっぱケモノだぜ、てめェ。本能で危険を遠ざけてやがる」
サンジは呆れたように言って、煙草を取り出した。ゾロがミカン以外のメニューを食べ終えてお茶(これもぬるめに入れられていた)に手を伸ばした瞬間だ。
「計算だろうが計算じゃなかろうが、ま、とにかく、あの判断は上出来だ。マリモのくせに!」
スパーッと煙を吐き出しながらサンジは自分のことのように満足げに笑った。それをゾロがじっと見る。
「ん? なに?」
見つめられていることに気づいたサンジが首を傾げる。
「あ、もしかして、コレ欲しいのか? そうかそうか、てめェも大人の味を覚えたんだもんなー、愛煙家の気持ちは、やっぱ愛煙家にしかわからねぇよな、こういう時こそヤニが欲しいんだよな〜」
サンジはいそいそたばこを取り出した。
「がんばったマリモたんに俺様がご褒美やるぜ。チョッパーには内緒な」

だがゾロはサンジの口元を差して言った。
「褒美はソレのほうがいい」
「え? 俺の吸いかけ欲しいのか?」
「てめ、ホント天然つーか箱入りつーかアホアヒルつーか…」
吸いかけの煙草がすっと抜き取られたかと思うと、サンジの唇にむにゅと柔らかいものが押し当てられた。
「え?」
厚くて熱い舌が入ってくる。
キスだと気づいた時にはすでに舌を絡め取られていた。
『てめェ、口内ヒリヒリするんじゃなかったのかよ?』
いろいろツッコミたいことはあったのだけど、それよりもなによりも、ハタと思い当たった。
誕生日に何が欲しいか聞いたとき、ゾロが今と同じように「それ」と言いながらサンジの口元を指差したことを。
サンジは、てっきり、その時自分が銜えていたたばこが欲しいのだと思ってたばこをプレゼントした。
だが、もしかして。
「てめ…もしかして、誕生日ん時も…」
「やっと気づいたか。そうだ、欲しかったのは、たばこじゃねェ。てめぇの唇だ。食いてェなと思ってた」
「なっ…」
「あん時、てめェが『大人の階段』とか『大人の味』とか言いやがるから、てっきり通じたのかと思ったのによ。たばこが来て、どうしてこうなったんだ?って首を傾げたぜ」
「そうかよ。俺のプレゼントは嬉しくなかったかよ」
「いや。まどろっこしいのも悪くなかったぜ」

そうか。悪く無かったか。
俺も楽しかったよ。
同じ煙草を吸って。
顔を近づけて火を移して。
まるでキスしてるみたいにドキドキしたぜ。
だけど。
ホントのキスは、もっといい…。もっとドキドキする。

「一緒に『オトナの階段』上っちまう?」
そういうサンジの顔はオトナというより悪事を思いついたガキそのものだったが、ぺろりと出されたピンク色の舌にゾロは十分欲情した。

火傷のために塗られた軟膏が、このあと大活躍してしまうことを、サンジはまだ知らない。

(了)



ゾロ、誕生日おめでとうーーー!!
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(2014.11)