有翼の獣たち #1


ドラがガンガン鳴る音がする。それとも頭痛のせいで耳鳴りがしているのだろうか。
寒い。手足を抱え込んでいるが、それでも寒い。サンジは毛布の中にもっと潜ろうと身じろぎをして、背中の痛みに眉をしかめた。痛みを覚えたせいで眠っていた脳が覚醒を始める。

「さっさと起きろ! 点呼だ!」
怒声がした。ガンガンいう音は耳鳴りではなくやはりドラの音だった。
――もう朝か? まだ暗ェじゃねェか…。
サンジは毛布の中から目だけ出してあたりを見渡した。窓が無く日が入ってこない場所に自分がいるのがわかった。しかも薄暗い中にうごめく影がたくさんある。
「なんだ? むさくるしい野郎ばっかじゃねェか……」
ようやくサンジは思い出した。自分が胸くそ悪い変態貴族を蹴り飛ばして鞭打ちを食らったこと。その変態貴族の対立勢力側にいる貴族がそれを面白がって剣闘ショーの興行主に俺を引き取らせたこと。

毛布にくるまったまま思い出しているうちに、点呼が始まった。名前を呼ぶ声が聞こえる。
「ブラハム……キンガ……ザンバイ……ルル………」
名前を呼んでいくリズムが、サンジをまた睡魔に引き込む。

ずるりと眠りに落ちたサンジは、いきなり頭をはたかれて目を覚ました。
「おまえじゃねーのか、サンジって。メシ、食いっぱぐれるぞ」
隣りに腰を下ろした男は確かに食事らしきものを手にしている。
はっとして起き上がると、舎監がサンジの名を繰り返し呼んでいた。



「いいか新入り、ドラがなったら起床だ。点呼に返事をした者から食事を渡す」
そうして渡されたのは、固いパンと芋と雑穀が入った粗末なスープ。それだけだが量はけっこうある。剣闘士は身体が資本だということは一応わかっているらしい。夜は干し肉や酒がつくときもある。
「今日は特別に朝食をやるが、明日から、点呼に遅れたら朝食は無いぞ」
有りがたく思えと言わんばかりに舎監が目を細めて言う。
背中の傷が熱っぽく痛んで食欲は無かったから、別に有りがたくもねェやと思ったが、思い直して受け取った。昨日見た限りだが、剣闘士の訓練は、陽が照りつけ土ぼこりが舞う中庭でやっていた。まだじくじくと背中が痛む状態で一日中あの中庭にいるのはハードだろう。
――早く体力を戻さねぇと…。

が、気負った心は、次の舎監の言葉でほっとゆるんだ。
「サンジは今日はヨサクとジョニーと一緒に部屋の掃除だ。やり方は2人に教えてもらえ」
少しは身体を気遣われているらしい。今度はサンジも舎監に感謝の意を示す気になった。軽く会釈してから一番奥の毛布の場所へ戻る。

朝食は、お世辞にも美味いとは言えなかった。雑穀は生煮えでひどい食感だし、パンは味も素っ気もないうえ固くて飲みこみにくい。しかたなく歯でちぎったパンをスープに浸して柔らかくしてから飲みこんでいると、ひとりが揶揄を飛ばした。
「お姫様は、お上品に食いやがるなぁ」
『なんだと?』
口に食べ物が入っていたため、声には出さずにサンジがにらみつける。
「なんだよ、その目は。だいたい先輩に挨拶もしねェまま飯を食うとはいい度胸じゃねぇか」
男がサンジに絡もうとするのを周りが引き止めた。
「まあまあ、あいつの背中見ただろ。あんななってる奴をどついても後味悪いだけだ。ヤツの体調が戻ったら、きっちり礼儀を教えてやろうぜ」
「そうだな。あいつの傷が治ったら先輩を大事にすることを学んでもらおうぜ」
都合の良いパシリが入ってきたぜとばかりに皆が笑った。

――背中の傷、なんでこいつらが知っている? 見られたのか? 俺が寝ている時に?
サンジは自分が「お姫様」と言われた理由が、食事の仕方だけにあるのではないことを悟った。あのむち打ちの傷を見られたなら、サンジが性奴として買われ、肛虐を受けそうになった際にひと悶着起こした者だということがわかっただろう。
クソ! 
思い返すだに、あの変態貴族グラバードが忌々しい。
サンジは固いパンを大きく噛み千切ると、うっぷんをぶつけるようにガツガツとかみ下した。



「おい新入り、部屋の掃除の仕方を教えてやる。こっち来い」
手招きしたのは坊主頭の男だ。
なんという名だっけ? 最初は確か「ヨ」だった。ヨ…ヨ……
「ヨシュア?」
「ヨサクだ」
男はむっとした表情をことさら作って目を細めた。もともと三白眼だから目を細めると結構な悪人面になる。本人もそれがわかっていてやっているのだろう。挨拶もろくにできない新入りに上下関係を意識させるつもりなのだ。
「いいか、掃除はまず、毛布をすべて日なたに干す。そのあと部屋を履く。終わったら次の部屋に移動だ」
「次の部屋? いくつ部屋があるんだ?」
「3つだ」
3つ? さっき部屋にはだいたい20人くらいがいたよな。ということは…
「この訓練所には60人も剣闘士がいるってわけか?」
「おまえ、口の利き方に気を付けろ! 『というわけでしょうか?』だろ!」
横から口を挟んできた男は、頬にヒエログリフのような入れ墨がある。
こいつはなんて名前だっけ…「サムエル?」
「俺はジョニーだ!」
「どこをどうすりゃサムエルになるんだ!」
憤慨しているジョニーの隣でヨサクがゲラゲラ笑った。



ご機嫌斜めのジョニーとニヤニヤ笑いが止まらないヨサクは、床に広がった毛布を集め始めた。3〜4枚集めるとサンジにどさりと手渡す。あごをクイッとしゃくって日なたのほうを示すから、干してこいということだろう。
毛布は分厚くて重い。しかもすえた匂いがした。男の汗や体臭を吸い込んでいるのだ。
昨晩は背中の痛みと寒さで、毛布の匂いなど気づきもしなかった。むち打ちで裂けた皮膚はじんじんと熱っぽく痛むのに、身体全体は悪寒で震え、歯の根は合わずにガチガチと鳴った。
あまりにも身体が震えるので眠れないのではないかと思ったが、気づかぬうちに深く眠っていたようだ。この部屋に通されたときには自分ひとりだったのに、目が覚めたら朝で逞しい体躯の男たちが大勢いた。彼らがこの部屋に帰ってきた時には相当の物音がしただろうに気づきもしなかったのだ。


(つづく)


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