三度目のカミサマ



ゾロの携帯にサンジからメッセージが入ったのは、年越しライブの設営のバイトを終えて、下宿先へ帰る途中だった。時刻は午前零時を過ぎて新年を迎えて20分ほど経っている。
『あけおめ&バイトお疲れさん』
短いながらも労う言葉にゾロの心がぽおっと温かくなる。ライブ会場は今、盛り上がりの真っ最中だろうし、さきほどまで周囲で新年の挨拶が飛び交っていた。そんななか独り淡々と帰路についていたゾロに届いたサンジの心遣いだ。
おととしと昨年はサンジも一緒に年越しライブの設営をやっていたから仕事が終わる時間も疲労具合も把握しているとはいえ、メールのタイミングはバッチリだ。こういうところはゾロに真似できない。
『あけおめ。今バイト帰り。じいさんのレストランは首尾良くいってるか?』とゾロが返信すると、即座に返信が返ってきた。
『俺が手伝ってんだぜ。不首尾があるわけねぇ!』
文面からつい、腰に手を当てて胸を張っているサンジを想像してしまい、ゾロは思わずにやけてしまった。
続けてサンジからメールが入る。
『今、電車ん中?』
『いや乗リ換えのホームだ』
送信したとたんに携帯が鳴った。この音はメールでなくて電話だ。着信は『サンジ』とある。
「どうした?」
たったいまメールを返したばかりの相手から間髪入れずの電話が入って、思わず声が上ずる。
「乗換駅、間違えてねェだろうな?」
「大丈夫だよ。何度も通ったルートだろ」
「それでも迷うのがてめェだろうが、このファンタジスタめ」
ゾロが駅名を伝えてやるとサンジはようやく安心したような返事をした。

「ところでさ、ゾロ、明日っていうか今日っていうか、空いてる?」
「明日か今日のどっちかってことか?」
「違ェ。てめェ、これから家帰って寝るだろ。んで起きるだろ。起きてから何か予定あるか?」
「別に予定は無ェ」
「じゃ、初もうで行こうぜ」
「初もうでっておまえ、こっちに戻ってくるのは5日じゃなかったか?」
「俺はお役御免になった。俺の手を借りなくてもこのレストランは大丈夫だ、とかジジィが言いやがってよ。おせちの盛り付けは俺に任せたくせに、ホントかわいくねェ」
「じいさんと喧嘩でもしたのか?」
「いや、近くの調理学校に通っている奴がしばらく手伝ってくれるらしい。ホールと皿洗いだけどな」
「良かったじゃねぇか。じいさんはおまえの手をわずらわせないようにしてくれたんだろ」
「まぁな。ってことで俺は朝イチでそっちへ戻る。だから一緒に初もうで行こうぜ」

初もうでか!!
待ち合わせの場所と時刻を決めて電話を切ったあと、ゾロは心の中でガッツポーズをとった。



 ◇ ◇ ◇

サンジと知り合ったのは3年ほど前だ。イベント会場の設営現場だった。サンジはゾロ同様にバイトのひとりだった。
第一印象は決して良くなかった。それなのにその日のバイトが終わる頃には打ち解けていた。そして半年後には友人以上の仲になっていた。登録していたバイトあっせん会社が同じだということに加え、お互い独り暮らしの大学生…しかも同学年で家も近かったりと共通点は多かったが、だからと言ってそういう奴すべてと深い仲になるわけではない。貴重な出会いだとゾロは思っている。
もっとも大学は別々だし、お互い貧乏性なので休みの日はバイトを入れてしまって、いわゆるデートのようなものは数えるほどしかしたことがない。
その数少ないデートらしきもののひとつが初もうでだった。大みそかに年越しライブの設営をやって現場で仮眠し、翌朝、支給される弁当を食べてセットを撤去し、解散後に神社へ直行という、体力バカ2人ならではの強行初もうでだが、寝不足と疲労感によってイイ感じにハイテンション。ちょっと浮かれた気分で初もうでに繰り出せた。

今年もまた同じスケジュールだったはずが「大みそかのバイト、キャンセルする」とサンジから連絡が入ったのは12月半ばだ。
サンジの実家のレストランでは毎年、特製おせちを予約販売している。保存料など使用していないおせちだから、引き渡しは大みそかだ。年末のレストラン営業は12月30日のランチまで。それからコック総出でおせちを作って31日に引き渡す。明けて元旦から4日まではレストラン営業。5日にようやく休業になるらしい。例年ならサンジが手伝わなくても人手は足りているのだが、今年はベテランのコックが怪我をしてしまい、人数が足りなくなりそうだと言う。
「ごめんな、バイトから初もうでに直行すんの、今年で最後なのにな…」
そう、この春にはふたりとも大学を卒業する。寝不足と疲労感がもたらす変なテンションで初もうでに行くことができるチャンスは今回が最後だ。

少なからずがっかりしたゾロは、バイトを設営だけにした。年越しライブの設営と撤去を両方エントリーする者は少ない。理由は簡単。両方エントリーすると撤去の際にかなり身体がキツイからだ。仮眠室で仮眠は取れるがぐっすり眠れるわけではない。寝不足で頭がぼおっとしたまま作業を行うのは、現場に慣れている者でないと危険でもある。
ゾロが今まで両方エントリーしてきたのは、サンジと一緒だったからだ。サンジと一緒の作業ならば危険がない。見た目よりもずっと腕力あるし、なにより呼吸が合う。そのサンジがいないなら、撤去までやる気にはならなかった。



初もうでの約束をした携帯を、ダウンジャケットのポケットの中で無意識に握りしめながらゾロは帰宅した。午前1時過ぎの安普請の下宿は凍えるほど冷えていて、寝ようと思って布団に潜っても、容易には暖まらない。だが、なかなか眠れないのは冷えのせいではないと自分でわかっている。高揚して眠れないなんて…。
――遠足前のガキかよ俺は…。

それでも疲労と寒さは興奮を凌駕したようで、いつのまにか眠っていたらしい。8時半にセットした目覚ましの音で目が覚める。
シャワーを浴びた。着ていく服に少し迷う。何を着てもなんだかみすぼらしく見えるのは、無精ひげのせいらしいと気づくまでに十数分。ひげを剃ったり服を取り替えたりしているうちに朝食を摂る時間が無くなり、クラッカーをコーヒーで流しこむ。待ち合わせに遅れるわけにはいかない。そう急いた結果、ゾロは30分も早く待ち合わせ場所についてしまった。

近頃は元日だからといって店が休みとは限らない。とりわけここは有名な神社のすぐだ。初もうでの参拝者をあてこんで多くの店が営業している。
――むしろいつもより客が多いのかもしれねェな。
そう思いながらゾロは、元日からごったがえす本屋の店内に入った。

入ってすぐの左手のスペースに、写真集コーナーがあった。真冬だと言うのに水着姿の女性タレントの写真集が幾種類か並んでいる。清純そうに微笑む女の子あり、蠱惑的に流し目を送る女の子あり…。しかしどうもピンとこない。
――いまひとつ、そそる女がいねェな…。こんなのよりずっとアレのほうが…
そう思いかけたとたん、耳元で声がした。
「おにぃさん、どういう子がお好みなのぉ?」
その声に飛び上がった。語尾を上げておねぇっぽい話し方をしているが、これはゾロがよ〜く知っている声だ。知ってるどころか今想像した『アレ』の声だ。
「い、いたのかよ、おまえ?」
「おう。さっき来たとこだけどさ、てめェ、やらしィ目で写真を物色してたぜ〜」
ドッキリが成功したと言わんばかりに、うははははと笑われた。
――本屋で笑い声を上げるなアホ。ただでさえおまえの容姿は目立つのに…。
ちらりと店内を見れば、思ったとおり注目を浴びている。
その視線から隠したい気持ち半分、仕返ししてやりたいのが半分で、ゾロはささやいた。
「写真集の女を物色してたんじゃねェよ。どの女よりもおまえの肌の方がすべすべだなと思ってたわけだ」

言ったとたん笑い声は止まった。サンジは真っ赤な顔で立ち尽くしている。
――よし、これで五分五分だな。俺は負けてねェ。
満足したゾロはサンジの手を掴んで本屋の外に出た。



「ところでよ、初もうでってまさか☆☆神社に行くつもりじゃねェよな?」
「はぁあ? 俺、去年の初もうででマリモのバカが直りますようにって祈願したってのになおってねぇ。やっぱ5円じゃ足りねぇのか…」
ぶつぶつ言うサンジにゾロが畳み掛ける。
「だからどうなんだよ、今年は☆☆神社じゃないよな?」
「バカか、てめェ。ここで待ち合わせてんだぜ。☆☆神社に決まってんだろ。」
「去年の初もうでの時に、来年はほかの神社にしようって、おまえ、言ってなかったか?」
ゾロは確かに覚えている。サンジは昨年「この神社は俺にとって鬼門に違いねェ! 来年は別のとこにしようぜ!」と、あろうことか神社の鳥居の真ん前で言ったのだ。

ゾロとサンジがこの神社に初めてきたのは昨年よりさらに一年前、つまりおととしの元日だ。
初もうでの風景として必ずテレビで流れるこの神社に、年越しライブの撤収を終えてから俺たちも行ってみようぜと決めたものの、「男2人で初もうでってのもなぁ」と照れくささが加わって、バイトの時に知り合った女の子2人を誘った。彼女たちは見本市などではコンパニオンを務めるほどで、器量も華やかさも飛びぬけており、境内でもずいぶんと人目を引いた。
その女の子達にちょっかい出そうとしたやつらにサンジは啖呵(たんか)を切った。
「きたねェ手で、ナミさんとビビちゃんに触るんじゃねェよ、ブッコロスぞ、てめェ!」
「けっ優男がいっぱしに吼えてやがる」
そう言った男は一瞬で蹴り飛ばされた。一斉に走ってきた警備員を丸めこんだのはナミのくち八丁とビビの天然っぷりだ。もちろん美貌によるところも大きかっただろうけど。

昨年の初もうでは、サンジと2人で行った。今度は女連れでないから平穏に終わると思ったが、さにあらず。サンジがちょっかい出された。
「きたねェ手で、俺に触るんじゃねェよ、ブッコロスぞ、てめェ!」
啖呵と同時に男が蹴り飛ばされた。1年前は男が言い返してからの蹴りだったが、今回は有無を言わせず瞬殺だ。
もちろんおととし同様、警備員が一斉に走ってきた。丸め込んでくれるナミたちがいないのでゾロは、『俺は悪くねェ! 俺は被害者だ!!』と叫ぶサンジを引きづるようにして走って逃げなくてはならなかった。
鳥居のところまで逃げてきて、ひと息ついてからサンジは言った。
「この神社は俺にとって鬼門に違いねェ! 来年は別のとこにしようぜ!」
 
それなのになぜまた、この神社だよ?
「そりゃ、てめェがこの神社にしか、たどりつけねェからだろうが!!」
さもありなん。確かに強烈な印象を残したこの神社なら方向音痴のゾロでもたどり着ける。
――そうだけどな、こっから近い別の神社はないものだろうか。どうか変な目立ち方をしませんように。こいつがブチ切れませんように。
神社に入る前からすでに神に祈りながら、ゾロはサンジのあとに続いた。



境内は相変わらずかなりの人出で、前後左右の人間の身体が触れるほどの混雑ぶり。
ゾロは終始気が気でない。この混雑に乗じて昨年のように誰かがサンジに痴漢行為を働くのではないか。触ってきたやつをサンジが蹴り飛ばして、新年早々傷害事件になるのではないか。
――んなことになったら、俺もおまえも就職パァだぞ、わかってんのか、アホアヒル。

そんなゾロの気がかりをよそに、サンジは、あっちのピンクの振袖の子が可愛い、こっちの藍色の着物のおねえさまが色っぽいとハートを飛ばしまくっている。これでは見ず知らずの女でも、ちょっかいだされていたら、サンジはしゃしゃりでていくだろう。またゾロの気がかりが増えた。
しかも、誰かにちょっかい出される心配だけではない。通勤ラッシュ並みの混み具合ゆえ、当然のことながら隣にいるサンジとも至近距離。明るい陽光の下で見るサンジの横顔やら唇やら寒さでほんのり紅い頬やらうなじやらが、めちゃめちゃ目の毒だ。

混雑した境内を少しずつ進んで参拝し、おみくじを引いたり破魔矢を買ったりして、2時間ぐらいかかってようやく神社から出てきたときにはゾロは心底ほっとした。
――今年は何事も無くて良かったぜ…。
サンジも何事も無かったことに気をよくしているのか、表情がにこやかだ。境内から出て、人の数がややまばらになった場所で煙草に火を点け、すぱーっと紫煙を吐き出しながらご機嫌な表情で言う。
「昼飯、どっか、食べに行くか?」
おおデートっぽい、とゾロは一瞬ときめいた。貧乏性の二人は、外食よりも家で食事するほうが多かった。サンジの手料理のほうが外食よりも美味いという理由もあるけれど。

だが、ときめいたのは一瞬だ。不幸なことにゾロは、ろくに眠っていないところに、神社で心身ともに神経を使って、ぐったりしていた。外で食事をするのは、どうにもおっくうに感じた。それにできれば、早くサンジと2人きりになりたい。
「帰りてェな…」
不用意にぽろっとゾロは言ってしまった。
サンジは一瞬固まって。
「あ…そっか、そうだよな。悪ィ、俺、無理に時間作らせちまって。じゃ、気を付けて帰れよ!」
固い表情のまま、さっときびすを返した。

「おい、ちょっと待てよ」
ゾロが慌てて追いかける。
「なんで『気を付けて帰れよ』なんだよ? 同じ方向だろ? 怒ってんのか?」
「てめェのせいじゃねェよ。今日は一日中デートだと思って、勝手にいろいろ計画してた自分に腹立ててるだけだ。てめェがバイト明けで疲れてんのも棚上げしてさ。自分のことしか考えてなかった。しかもそれを自覚してんのに、てめェと一緒に帰ったらきっと俺はてめェに八つ当たりしちまう。だから頭冷やしてから帰ろうかと…」
「ホンット、アホだな、てめェは」
「んだと!!」
「八つ当たり、上等じゃねェか。八つ当たりされようが罵り合おうが、俺は、おまえと別々にいるより一緒にいるほうがいい。そもそも家に帰りてェってのも一緒に家で過ごす方がいいと思ったからだ。それに、おまえがたまの外出で浮かれてんのがわかってんのに帰りてェって言っちまう俺のほうが、たいがい勝手だろ」
「そっか?」
「ああ。早く帰って姫はじめしようぜ」
「一緒に居たいってそれかよ! このエロマリモ!」
「おう!」
いさぎよく胸を張って見せれば、サンジは真っ赤な顔でゾロを蹴ってきた。ゾロの恋人は照れると凶暴になる。

今年の4月からふたりとも社会人だ。大みそかのバイトはもう一緒にできないだろう。けれども初もうでデートはきっとできるに違いない。
「来年は、もっと人がまばらな神社にしようぜ」
「そんなとこ、振袖のレディがいねェじゃねェか。だいたい閑散としすぎてても寂しいだろ?」
「全然。むしろそのほうが神経使わなくて済む」
「マリモがなんの神経使うって?」
首を傾げたサンジを見ながら、ゾロは思わず声を立てて笑った。



(了)


あけましておめでとうございます。
ご挨拶が遅くなりましてすみません。お詫びのSS。お楽しみくだされば幸い。
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(2016.01)