木曜日5・6時間目
『伝統文化と伝統料理』――そう書かれた本が貸し出しカウンターの上にコトンと置かれた。
本を持ってきた生徒と本の内容のギャップに驚いて、俺は思わず顔を上げた。
「なんだよ、その顔。俺が本借りたら、おかしいかよ」
カウンターの向こう側でふてくされた表情をしているのはサンジという生徒で、世間では彼を「不良」と呼ぶだろう。髪はまっきんきん。もっともこれは地毛だという噂で、たしかノースの血を引いているとか…。確かに、そっぽを向きつつも俺の顔を横目でちらちら見る瞳は、青色に瞬いていて、イーストの血ではないのがわかる。
だがその髪が地毛だろうがブリーチだろうが目立つことは間違いなく、中学生になるまえから悪い奴らによく絡まれたらしく、そうこうしているうちにすっかり素行が悪くなってしまっている。他校の不良とケンカはするわ、タバコは吸うわ…それでいて万引きだのカツアゲだのといった凶悪なことはしないから我々教師の間でも評判が分かれている。まぁ進学校である当校には今までいなかったタイプの生徒であることは確かだ。
「おぉいロロノア〜、手続きしてくんねェの?」
その声にはっとして俺は慌てて言った。
「学生証は?」
「学生証?」
そんなもんがいるのかよぉと言いながらサンジは制服のあちこちを探り、カバンの中をひっかき回す。
「おまえ、3年の秋になるまで図書室の本を借りたことがないのかよ」
「無ェ…」
「だろうなぁ。図書室でおまえを見たこと無ェもんな」
「そのことじゃねェ」
「あ?」
「学生証が無ェ…」
へにょ、と眉が下がった。サンジの眉はどういうわけか端がくるんと巻いている。ノースのどこの民族の血なんだろうか。
その眉が、さも困ってますというようにへんにゃりと下がっている。
「なんとかしてくれねェ? ロロノアせんせ〜の力でさ」
「なにがロロノアせんせぇ〜〜だ。いつもはロロノアって呼び捨てのクセに、こういう時だけ先生って呼びやがって。だいたい俺は木曜の5・6時間目だけの臨時の司書係だ。自習室の留守番みてェなもんだ。あとで司書のグロリオーサ先生が来るから相談しろ」
「俺、ニガテなんだよな、ニョン婆…」
「へ〜、おまえにも苦手なおんながいたんだな」
サンジはフェミニストで知られている。女性生徒に女性教員はもちろん、事務のココロ婆さんや年齢不詳の養護教員クレハ先生にまでレディとかマダムとか呼びかけることで有名だ。それなのにグロリオーサ先生…通称ニョン婆が苦手なのか。
「だってよォ、あの人、俺のおかぶを取るんだぜ」
「おかぶ?」
「”恋はハリケーン!!”」
言うなりサンジはくるくる回転した。
「おい、ここは図書室だ、やめろ!」
「あ、そうだった」
ピタッとサンジが回転をやめる。軸が少しもブレないところはすごい。
自習に来ていた3年生たちがクスクス笑っている。そういえばコイツも3年生だが受験勉強はいいのだろうか。ウチは進学校だから就職先の紹介は無い。そんなことを生徒に説明さえしないほど、限りなく100%に近い進学率だ。推薦取ってたっけコイツ? いやいやそれは無いだろう。コイツが評定平均3.8以上とか、ありえねェ。体育と家庭科だけ5で、あとは3と2だったはずだ。
「なぁ、ロロノアの力で借りられるようにしてくんねェ?」
あきらめきれないのか、サンジがしつこく訴えてくる。
「明日、学生証持って来ればいいじゃないか」
「明日は蔵書整理で休みって書いてある」
サンジが指し示した先には確かに、そう書かれたプレートがあった。明日は蔵書整理で休み。明後日は土曜日。明々後日は日曜日。なるほど、今日なんとか借りたいという理屈はわかった。
わかったが、そんなに急いで借りるような本とも思えない。
「ネットとか…」
「ん?」
「料理の作り方っていうのはネットとかでも調べられるんじゃないのか?」
「俺、ガラケーなんだ」
ガラケー? おまえが? 女子と一緒にツイキャスとかミクチャとか、いかにもそういうので遊んでいそうな雰囲気なのに?
目を丸くしている俺に、サンジは頬を膨らませて言った。
「ジジィがよ、スマホなんか持たせたら一日中エロ動画見てるだろうからダメだとかぬかしやがってガラケーのまんまなんだよ」
「さすが身内はよくわかってんな」
「ホント蹴り殺してェ、あのジジィ」
「お年寄りにひどいことをするな」
「お年寄りなんて殊勝なもんじゃねェよ、あのジジィは。で、貸してくれんの?」
殊勝という単語の使い方が間違っている気がするが、そこはニュアンスで受け止めておこう。貸してくれんの?と俺を見つめてくる瞳は、濁りなく透明だ。喧嘩っぱやくても「不良」呼ばわりされていても、これはまだ、社会の一番汚い部分は知らない子供の目だ。
「規則は規則だしな。俺は臨時司書だしな」
「ちぇ、融通きかねェなマリモヘッドはよぉ」
要求するときにはロロノア先生だったのに、要求が通らないとなると手のひら返したようにマリモヘッドか。
怒る気にもならずに俺は苦笑した。こういう扱いに腹を立てたのは新任の頃だけだった。自分の高校時代もこんなもんだったよな、と思うようになってからは腹も立たない。ギャルディーノ先生などはいまだにカッカと怒っているが。
「今回だけだぞ」
「え?」
「今回だけ、特別貸してやるって言ってんだ。だけど絶対に返却日を守れよ」
「やった! サンキュー、ロロノア!!」
俺は笑い出しそうになった。ロロノア先生と持ち上げ、マリモヘッドと罵り、最後はいつも通りのタメぐちか。
図書館で大笑いするわけにもいかずに、俺は笑いを必死でこらえながら貸し出し手続きをした。
◇ ◇ ◇
「ハッピーバースデー、ロロノア先生!!!」
教室に入ったとたんクラッカーが鳴った。赤や黄色や緑の細いリボンとキラキラした紙片が舞う。
「なんだコレは」
「なんだって今日、誕生日でしょ、先生の」
「そうだが、おまえら、なんで知ってんだ」
「先々週の授業のとき先生が言ったんじゃない、11月11日で28歳だ、って」
「先々週の授業?」
「なんかほらバスターコールのあとにノースが参戦したのは最初から決まってたとかいう授業の時」
その授業がどうして、俺の誕生日の話になったんだ?
――「だからな、ノースがこの大戦に参戦する日は連合国の間で決まってたんだ。バスターコールが発動されたあとにノースが参戦を決めたと思っている者も多くいるだろうが、そうじゃない。ノースの参戦前にウェストが慌ててバスターコールを使用したというのが正しい。ウェストはバスターコールの威力を実戦で試してみたかったんだ。だがノースはバスターコールの使用に反対していた。だからノースが参戦する前に使用することにしたんだ。要するにノースは協定通りの日に参戦表明しただけだ。こういう大国の思惑で犠牲になっていることは戦後もいろいろある。たとえば戦後ノースが北部の一部を和の国に明け渡そうとしたことがある。それを阻止したのはウエストだ」
説明しながら俺はぐるりと教室内を見回した。進学組が熱心にメモを取っている。
「あー悪い。この戦後の話のほうは受験には出ないから、おまえら興味があったら自分で調べろ。要するに歴史ってのは伝えられてないことがたくさんあるってことだ。特に学校の教科書なんか、今この国が仲良くしている同盟国の印象を悪くするようなことは伏せられてるもんなんだ」
「そんなこと、学校の先生が言っちゃっていいんですか〜」
「いいんだよ。おまえらみたいなテストの点が良い奴らこそ、学校で習う知識がすべてじゃないって知るべきなんだ」
「ロロノアって学校の先生っぽくないよね。ちょい悪オヤジっぽい」
「オヤジと言われる年じゃねェぞ。まだ20代だ」
「え〜〜〜〜〜うそぉ〜〜〜〜〜〜!!!!」
教室が騒然とする。昔から実年齢より老けて見られるのには慣れているが、ここまで騒然とされるとは…。
「ウソじゃない、来月の11日で28歳だ」
「10歳年上かぁ。俺たちからすると十分オヤジだよな〜」
「思い出した?」
「あぁ、確かに言ったな、来月11日って」
「はい、では仕切り直してもういちど、ハッピーバースデー、ロロノア先生! バースデープレゼントは急だったので用意できませんでした。というか俺たち受験生なので、そんなヒマ無いっていうか」
「そういうとこ正直だよな、おまえら。まぁ気持ちは十分嬉しい。感謝する! じゃ授業に入るぞ、席について」
「待ってロロノア先生! プレゼントあるの! サンジさんが代表してプレゼントを用意してくれました! じゃ〜ん!!」
「ビビちゃんたら、そんな大げさにしなくても、やだなぁ〜〜〜」
くにゃくにゃ身体を揺らして照れまくったサンジがなにやら風呂敷包みを抱えてきた。
どんと教卓に置かれたそれは四角い。なんの箱だ? 順当にいけばケーキか? それともびっくり箱でドッキリか?
いつになく緊張しつつ風呂敷の結び目をといてみれば中にあったのは重箱で、その漆塗りの蓋を取ると、つややかな赤飯が現われた。
意外なプレゼントに俺は言葉を失った。
ケーキや酒、マフラー、手袋、手編みのセーター、時計、財布…。いままで何度か誕生日プレゼントをもらったが、赤飯をもらったのは初めてだ。誕生日に居酒屋でおごってもらったことも、フランス料理や懐石料理の店に連れていってもらったこともあったが、それだって赤飯は食べなかった。
「先生、お赤飯はキライだった?」
おそるおそるという口調で女子生徒が聞いてくる。気づけば教室はしんと静まりかえり、生徒たちがみな固唾をのんだ表情で俺を見つめている。プレゼントをもらったのに反応がみられない俺の姿に生徒たちが不安を抱いていることがわかった。特に一番前に居るサンジだ。一段とこわばった表情で俺を見ている。そんな顔をさせたことに、なぜだかものすごく胸が痛んだ。慌てて俺は言った。
「すげェな、これ、どうしたんだ?」
「サンジが作ったに決まってんじゃん」
緊張しているサンジに代わって、男子生徒が言う。
「作った? おまえが?」
「あ、あぁ」
サンジが、ぎくしゃくとうなづく。
「サンジくんたら、いちばんおいしいもち米比率を探しちゃったりしたのよ」
「なんだソレ?」
「もち米とうるち米の比率よ。レシピによって違うんだって」
「へー」
「もぉ先生ったらソコはもっと感動するところよ!!」
ガタイの良いローラがツッコミと同時に俺の背をバンと叩く。予期していなくて思わずよろめいた俺の姿に笑いが起こる。おかげで場がほぐれた。生徒たちの表情が緩んで、いつものクラスの雰囲気に戻ってきた。
「ほらねサンジくん、どうせロロノアにはそんなの分からないわよって、私が言ったとおりじゃない」
「ホントだね、やっぱりナミさんはすごいなぁ」
何がスゴイんだ…。というか、その赤飯は俺へのプレゼントじゃないのか? いつのまにか、みんなで取り分け始めているのはなんでだ?
銘々皿にちょこんと乗せられて渡された赤飯は、もちもちした感触が絶妙で美味かった。
「うめェ」
そう言ったら、炊飯器でなくちゃんと蒸し器を使ったんぜと、ほんのり頬を染めたサンジが誇らしげに言った。
(了)
素敵ゾロ誕サ誕企画様
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(2015.11)