未来永劫クロニクル



あのひとは、イーストブルーのシモツキ島という辺境の島に生まれ、先ごろ亡くなったらしい。
らしい、というのはここ10年ほど、報道の信憑性が著しく低下しているせいだ。
2〜3年前には『伝説の海賊「赤髪」が使用していた老眼鏡を発見』という報道がなされたが事実無根だったし『元海軍将校コビー氏の孫娘が映画デビュー』という報道もまったくデタラメだった。
ゆえに今回もわたしとしては半信半疑なのであるが、報道の真偽はさておき、話をあのひとの思い出に戻そう。

あのひとの名前がはじめて海軍の記録に登場したのは今から80年くらい前だ。どうやら賞金首を換金した時の記録らしい。
そのときあのひとが何歳だったのかはわからない。だが仮に13〜14歳だったとしても、そこから80年…つまりあのひとは90年以上は生きていたことになる。
海賊狩りだった彼がのちに海賊になり大剣豪になり、海軍や賞金稼ぎや同業の海賊、剣士など、想像を絶する数の敵から命を狙われる日々だったことを考えれば、奇跡的と言えるほど長生きをしたと言ってよいのではなかろうか。死亡報道が正しければの話だが。

ところで、あのひとが生まれたシモツキという島に公共の教育機関が行き渡ったのは数十年前のことで、あのひとが子供の頃は「寺子屋」的な私設の塾に通う者のほうが多かったようだ。あのひともどうやらそのような私塾に通っていたらしく、読み書き計算のほか剣術もそこで習ったようである。
ところが、その私塾をあのひとは10歳足らずで辞めている。その後修行の旅へと放浪を始めたということはよく知られていることであるが、あのひとが道に迷いやすいことについて、この教育期間の短さを指摘する人たちがいる。標識や案内板がろくに読めないために道に迷うことが多かったのではないか、というわけだ。
しかし、わたしはそうは思わない。あのひとは案内板があろうとなかろうと堂々と違う方向へ進んでいったし、教えたばかりの方角でさえ反対方向に歩き出そうとした。

そんなあのひとが、誰にも頼らずに約束の日時ぴったりに約束の場所にたどりついたことがあった。それはあのひとの何十回目かの誕生日であったのだが、わたしはもちろん、あのひとの迷子癖を知っている知人たちも大いに驚き、後々までそれを『誕生日の奇跡』などと呼んだ。
もっともわたしの姉に言わせれば「何言ってんのよ。誕生日の奇跡でもなんでもないわよ。あのひとは昔からルリさんのところにだけはたどりついたじゃないの」ということらしいが、特定の人物のところにだけはたどりつけるというのも奇跡ではなかろうか。



そこまで読んでゾロは紙面から目を上げた。視線を感じたのだ。
細かい文字を読むとき用の老眼鏡を腹巻にしまって視線の方向に目を転じれば、厨房のカウンターの向こう側で、女共が喜びそうなチマチマした飾りをケーキに施していたはずの男が、自分をガン見している。目が合うと彼はどこかの女帝のようにふんぞりかえってフンと小ばかにしたように言った。
「遅ェ」
「何が」
「気づくのが、だよ。てめェ、俺にずっと見られてたの気づいてなかっただろ」
「おまえが気配消してたからだろ」
「つまり俺なら、てめぇの首を取れるってわけだな」
見聞色を極めるうち、見聞色で捕らえられないほど気配を断つことにも長けてしまった男が、勝ち誇った表情でフフフンと笑う。そしてエプロンを外しながらカウンターから出てきた。
「で、おまえ、何をニヤニヤしてたんだ? 麗しのナミさんが送ってきた新聞のスクラップ、そんなにおもしれェの?」
のぞきこもうとするサンジをさっと交わしてゾロは新聞を折りたたんだ。なんとなく見せないほうが良いと感じたからだ。
「いやまた俺の死亡記事が出たらしいぜ」
「またかよ。てめェ何回死んでんだ。つうか、そんなの珍しくもねぇだろうにどのへんがにやけるとこだったんだよ。よっぽど阿呆な死に方なのか?」
「いや、俺の死亡に寄せて、俺の思い出的な記事が出たらしい」
「ははぁ。オマエがどーしよーもなくアホだとか、どーしよーもなく迷子だとかいう文だな」
「まあ、ほぼ当たっているな」
「だよなー、つうか死んだあとも地獄へ行けずに迷いそうだよなー」
「言ってろ」
「俺が引導渡してやっから、さっさと地獄へ行っていいんだぜ」
「地獄は強い奴がいそうで面白そうだが、まだいい。この世では、てめぇが俺の好物作って俺の帰りを待ってるってのに、もったいねぇ」
「待ってねェ!」
若いときと変わらずに言葉よりも早く脚が飛んできて、ゾロは慌ててそれを避けた。身体には当たらなかったが、うわっぱりの袂が千切れた。
コイツはどうしてこうも攻撃的なのか。もう若くもないし、周りに誰かがいるというわけでもないのに、いつまでたっても『俺はおまえのことなんか気にしてませんよー』なフリをしたがるのはどういうわけなのか。今日だってばかでかいケーキ以外に練り切りとかこそこそ作ってやがったの、俺は知ってんだぞ。
この分では、ナミから送られてきた新聞記事を見せたら確実に凶暴化するだろう。
記事の最初のほうは笑って読んでいるだろうが「あのひとは昔からルリさんのところにだけはたどりついたじゃない」という一文を読んだとたん、即座に新聞を引きちぎり、八つ当たり兼照れ隠しの蹴りが炸裂するさまがありありと思い浮かぶ。『ルリ』というのはリトルノースと呼ばれる島に滞在していた時のコックの偽名だからだ。

ゾロは記事をそっと腹巻の中に隠した。
記事の続きは、コックの目の届かないテラスでゆっくり読もう――。
海側に設けられたテラスは新聞を読むには少し風がキツイが、むしろそのほうが新聞を読みに行くとは思われずに済む。サンジに気づかれずに続きを読むには最適に思えた。

立ち上がり、不自然に見えぬよう「風に当たってくる」などと言いながらずんずんとサンジの横を通り抜ける。 スライド式のサッシを開けると、目の前には白いテラスと海原が広がって……否、バスルームが広がっていた。



(了)


行動パターンが若いときのまま成長してないアホふたり。「へー、バスルームで風に当たれるとは知らなかったぜ」とか言われてどつき愛になったりするに違いない
なお、この話はリトルノースシリーズ(ゾロとサンジがリトルノースと呼ばれる島に居住した話)を前提にしています。彼らは島民に、マリさん(=ゾロ)・ルリさん(=サンジ)と呼ばれています。
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(2019.11)