修羅の贄 #11



わずか三日後、シャルリアはやってきた。
身分の高すぎる貴賓客に誰もが気を遣い、城内にはぴりぴりした空気が流れる。
その動揺を収めるためにロロノアは城内の采配に掛かりきりとなった。

シャルリアがやってきて1週間ほど経ったある日、離れのサンジのもとへ朝食が届くのが遅れた。
ロロノアの渡りがなくても遅い起床と遅い朝食の生活形態はずるずると続いていたが、その日の朝食はさらに遅かった。

「申し訳ありません。…もうしばらくお待ちください」
「構わねェけど、何かあったの? 急な宴席が出来たとか?」
サンジが尋ねれば、娘は困ったように目を泳がせた。視線が二の丸御殿のある方向を彷徨ったことでサンジはピンと来た。
「あぁ、都からのお姫様か」
言ったとたん、娘が慌てた。
「橘さまをないがしろにしているのではございません…」
シャルリアがひと口食べただけで気に入らぬとお膳をひっくり返したため慌てて別の食事を用意しているのだ、としどろもどろで弁明する。

そのうろたえぶりにサンジは苦笑した。
身分の高い殿上人のほうを優先させるのは当然のことだ。サンジに詫びるまでもない。
であるのに、この娘の慌てようは、新参の姫に寵愛を奪われた者への気遣いそのものだ。

寵愛されてたわけじゃねェけどな…。
それでも執着は感じていた。
それが無くなったと、傍の者まで感じているのだろう。
思えば都から帰ってきてからロロノアが離れに来たのはただ一度。
心変わりされたと周りの者が思うのは自然の成り行きだろう。

「ロビンちゃん、俺は、『女』として扱うといわれたとき、俺はここで慰みものにされるんだと覚悟した。でも、そんなことだけじゃなかった。春に、桜見に連れて行かれただろう? あの時、女の格好じゃ、ひとりで馬にも乗れなかった。誰かにすがらないと馬にも乗れねェ。ロロノアの姉上が俺に言った「男の子はいいわね」って言葉の意味がようやくわかった。『女』は誰かに支えてもらわなくちゃ生きられねェ。その誰かを、自分で迎えに行くこともできずに向こうから来るのを、ただただ待っていなくちゃならねェ…」

「でも女はしたたかよ。ただ待っているだけじゃない。少ない逢瀬でも利用しようとする。あの殿上人だってそうよ」

殿上人は本来、殿上人としか婚姻しない。
両手に余る数の妻を抱えているチャルロス卿は、妻とした女性に勝手に殿上人に準じた地位を与えるが、子を成す相手は生粋の殿上人だ。
「妻」という名であっても、はべらせているだけの女と、子を成す気などさらさら無いのだ。
女性の殿上人も同様だ。男の奴隷に奉仕させることはあっても、結ばれる気などない。
それなのにシャルリアは来た。
そこには、ロロノアに殿上人の地位を与えればいいという思惑がある。既成事実が出来てしまえば、誰も反対できないことを計算し、ここに乗り込んで来た。

そうまでしても、彼女はあいつを手に入れたいのか…。
女性と言う生き物は、好きになった男のためには、因習も人種も越えられるのだ。
かなわないと思う。
自分はたとえプライドを捨てても、玻璃の連中と玻璃の海を捨てられはしない。

なりふりかまわぬシャルリアの行動を、サンジは一途(いちず)だと思った。
男なら、そんなふうに思いをぶつけられて悪い気はしないだろうと思った。
女であることを武器に迫ってきたとしても、その一途さを突き放せるだろうか。
応えてやって悦びを与えてやりたいと思うのではないだろうか。
シャルリアの高慢さや驕った選民意識を知らぬサンジの頭の中には、ロロノアが柔かく弾力がある身体を愛撫する絵が浮かぶ。
とたんに息苦しくなった。

あぁ…俺、未練たらたらだ。
『君に返すから』などと思ったくせに未練たらたらだ。
サンジは自嘲した。

海が見てェ…。

水平線の弧が空と溶け合う紺碧の海と、強い光をはじき返すようにきらめく白い波頭。
次々と訪れる商船と牽引船と水先案内船。
権威を誇示するかのように船上でも派手な服装をした船主と、逞しい水夫たち。
活気づく海と港と人々…。
その風景の中に昨夏は確かに自分もいたのに。
自分はそこから、どこまで遠ざかっていくのだろう。







霜月国の夏は短い。
梅雨が明けたとたん、花は競い合うように開き、その間を色とりどりの蝶が舞う。
木々の幹では甲虫類が雌を争って闘いを繰り広げ、蝉が合唱し、夏鳥がさえずる。
だがそれもわずか20日間ほどだ。
夕暮れの風が熱気を失ったように感じれば、すぐそこに秋はやってきている。

その日は昼前から猛烈に暑くなった。
夏の盛りが過ぎ、朝夕が涼しくなってきたと感じていた矢先のことだから、ことさら暑く感じられた。
霜月の暮らしに文句を言うたびにロロノアから「気に入らぬなら帰るがいい」と言われていたシャルリアは、ロロノアの前ではおとなしく振舞う分、周りの者には八つ当たりが激しかった。
この日も大うちわで仰ぐ侍女を「ちっとも涼しくないあます!」と引っ叩いた。

その晴天が未の下刻(午後3時ごろ)を過ぎるとにわかに暗くなった。
大粒の雨が地面を叩く。
瞬く間に地面に水流ができていく。
閃光と雷鳴がほぼ同時に城を襲った。城の真上に雷雲がある。いや、城が雷雲の中にあると言ってもいい。
夏山では珍しくない出来事だったが、シャルリアは仰天した。
下女があわてて雨戸を閉めようとしたが、突風にあおられて、身体を支えているのが精一杯だ。
耳をつんざくほどの雷鳴が立て続けに起こった。シャルリアが金切り声を上げたが、あまりの轟音で何を言っているのか聞こえない。
二の丸本殿から、ようやく慌てた様子の男たちがやってきた。

「シャルリア殿、ご無事ですか! 早く奥へ入ってください!」
しかしシャルリアは奥へ入るどころか御殿中央部へ向かう長廊下へ躍り出た。ロロノアの元へ行こうとしたのだ。
「そちらは危険です!!」
止めようとする男たちの手を振り切ろうとしたシャルリアの髪にざわっとした奇妙な感触が走った。静電気だ。
「ひっ…」
さすがに危険を察知したシャルリアが身体を硬直させた。

「何をやってる!!」
耳元で怒ったような声がして、シャルリアは引き倒された。
とたんに真っ白い閃光が目を焼く。轟音が大地を揺らす。
連続的に放電と大音響が起こった。
怖くて怖くておかしくなりそうだ。
こんなところ嫌だ。帰りたい。
パニックで立ち上がろうとしたシャルリアを大きな手が押さえつけた。
「このまま伏していろ!」
その声がロロノアの声だとわかってシャルリアは安堵した。
怖さはおさまりはしないが、ロロノアが私を助けてくれるという思いはシャルリアのパニックを沈めた。

しばらくして音がやや弱くなったとみるや、ロロノアはシャルリアをむんずと掴んで立ち上がらせ、奥の間へ放り込んだ。
「雷が鳴ったら、部屋の中央へ行け! 外が見えるところでぼさっと立っているなんてばかじゃねェのか!」
ののしられてもシャルリアにはそれが、心配の裏返しに聞こえた。
「ロロノア、私のそばにいてくれるな?」
甘えるような声でロロノアの腕を取った。
その手を振り解こうとするとシャルリアが下から見上げてきた。
「いてくれぬのなら、追いかけるあます」
雲はまだ近くにある。落雷の危険は弱まったとしても、豪雨と突風は衰えていない。
自分を追いかけて長廊下で転びでもされたら面倒だ。
ロロノアは内心舌打ちしながら慇懃無礼に答えた。
「ではもう少しだけ。こういう日は城主は忙しいことを察してください。城内に被害が出たら、対応しなくてはならぬのです」



夏山では夕方の雷は2〜3日連続することが多い。
わかっていたから翌日、ロロノアは早々にシャルリアが滞在する座敷に男衆を配した。
雷の兆候とともにすぐさま雨戸を閉め、シャルリアを奥の間に留めるためだ。

案の定、昼過ぎに雷雲が城を覆った。前日よりも1時間ほど早い。
ロロノアはシャルリアの座敷とは反対方向へ急いだ。
じきに雨が音を立てて降ってきた。
ロロノアは編み傘もつけずに外へ飛び出した。
それに気づいた近習のひとりが呼び止める。
「今、外へ出るのは危険です! 殿も奥へ避難してください!」
その言葉に従うロロノアではない。ついて行こうとした近習を追い返して、ロロノアの姿は豪雨にけぶって見えなくなった。

雨はまたたくまに激流となって傾斜を下り、庭の草花をなぎたおしていく。
突風が木々を揺らしたかと思うと、閃光が空を切り裂いた。
雷鳴が大地と屋敷を揺るがす。
ロロノアは離れの前の渡り廊下に飛び込むなり、伏した。
危険なのは十数分。離れまで目と鼻の先だが、動きたいのを我慢して雷をやり過ごす。
その間、頭の中はサンジのことでいっぱいだった。
瞼の裏には、枝を折る音を火が爆ぜる音と取り違えて怯えたサンジの姿が浮かんでいる。

昨日の雷は何本かの高い木に落ちた。それらは無残に裂けて、雷の熱で真っ黒く炭化した部分と内部の生木の部分をさらしている。
木が裂ける音、倒れる音、一瞬上がる青白い炎、黒々と炭化した幹…それらがサンジの心の奥の大火の記憶に繋がるのではないかとロロノアは憂慮していた。
青い瞳が不安と恐怖に揺らめき、白い肩が震える様子が脳裏に浮かぶ。

轟音が弱まったとたんロロノアはばっと立ち上がった。
離れの蔀戸はぴっちりと閉められている。
シャルリアの引き連れてきたおっとりした女官とは違って、城の侍女たちは機敏に働くものだとロロノアは改めて侍女たちに感謝した。

出入り用の板戸をそっと引いた。大きな音を立てて怯えさせないようにというロロノアなりの配慮だった。
そのため、離れの者はロロノアの侵入に気づかなかった。皆が奥の間に避難していたせいもある。

控えの間と二の間の外側の回廊を回ってロロノアは「一の広間」に入った。
サンジやロビンが昼間くつろぎ、庭を眺めるのは、この「一の広間」だ。だが、今日はそこには誰もいない。奥の間から人の気配がする。
ロロノアは広間と奥の間を仕切っている襖をさっと引いた。
襖を開けた瞬間、ロビンがはっとしてサンジから離れるのが見えた。

「なにを…している…?」
今、サンジはロビンの肩を抱いていなかったか?
探るようにロロノアは目を光らせた。
だが。

「テメェこそなにしてんだ、びしょぬれじゃねェか…」
部屋の中央に座ったサンジはロロノアを見上げて呆れたように言った。
「あ、入ってくんな。床が水浸しになっちまうだろ! とにかく一旦廊下に出ろ!」
ずぶぬれのロロノアの進入をさえぎるようにサンジが立ち上がる。
「ごまかすんじゃねェ…」
低い声が出た。
「てめェ、ロビンと何をしてた?」
「何ってロビンちゃんを労わってただけだ。雷の爆音と閃光がロビンちゃんの故郷が焼けたときとそっくりなんだそうだ」
うなづくロビンは今も腰が抜けたように座ったままで青ざめている。
「大丈夫かい?」
サンジは気遣うようにロビンの肩にそっと手を置いた。
衣装こそ女物を身に着けているが、女子供を守る『男』の顔をしていた。
滅多に見せない気弱な表情のロビンと男の顔のサンジ。

ロロノアの心に猛烈に妬心が沸き起こった。
その瞬間、ロロノアはサンジの頬を平手で打っていた。
パンッと乾いた音が響き、サンジの身体が横に吹き飛ぶ。

「ッ痛ェ……なにしやがる!」
立ち上がるなりサンジはロロノアの鳩尾めがけて突き刺すような蹴りを繰り出した。
見事に腹に入って、今度はロロノアが吹き飛ぶ。

「おやめください!」
睨み合った両者の間にロビンとギンが慌てて割って入った。
「ギン! こいつを縛れ!」
ロロノアがサンジを睨んだままギンに命じた。
「なんだってんだ、てめェ!」
サンジは訳がわからないというように首をひねり、ギンは困惑した表情を浮かべ、ロビンは青ざめた。

「殿、殿が思ってらっしゃるようなことは何も…」
「勘違いしてねェか、ロビン? 俺が来たからには、コイツがやることはひとつだ」
そうだろう、たちばな?
サンジはぐっと奥歯を噛んだ。「橘」としてサンジがロロノアに課せられたことは、確かにただひとつだ。『女』として身体を捧げること。

悔しさを滲ませてロロノアを睨んだ。
ロロノアもサンジを糾弾するような眼で見返してくる。
睨みあう間、ロロノアの髪や衣服からぼたりぼたりと雫が落ちる。
「『たちばな』を縛れ」
ロロノアが再び命じた。
ギンが袂からするりと紐を取り出す。
サンジを後ろ手に回して縛ろうとしたところで、サンジが口を開いた。
「その前に、こいつの着替えを頼む。これ以上、床を濡らされたら、後が面倒だ。俺ので寸法も合うだろう」

「その必要は無ェ」
さっと間を詰めたロロノアがサンジの着物の襟を掴んだ。
「この着物を着ればいい。おまえにゃ用の無ェもんだろう? 今からすっぱだかになるんだからな」
酷薄に笑って、ロロノアはサンジの細帯をすばやく解き、着物の前を大きくはだけた。
白い鎖骨と胸が露になる。
肌着の下の腰巻きを取るためにサンジの腰を抱き寄せると、手の中の身体がびくりと大きく震えた。喘ぐように唇も開く。
動揺する身体を不審に思って腰巻きを割ると、男の証がわずかに隆起している。
ロロノアの表情が険しくなった。

「てめェ、ロビンとは何も無ェと言ったよな。だったら、こいつはなんだ。勃たたせてやがるじゃねェか。嘘を吐いたな!」
「違う、それは…っ」
言いかけて口もごった。
今おまえに裸にされたから勃ったのだと、言えるわけがない。
腰を抱いたおまえに手の熱さに感じたのだと、言えるわけがない。

口ごもり顔を背けたサンジの様子を、やはり背信だとロロノアは受け止めた。
「俺は、おまえに女になれと言ったよな。情けをかけてこいつの男を切らずにやったのは、やはり間違いだったか」
ゆるく勃った肉棒をぐいっと握られて、サンジは痛みに仰け反った。
「そこの女、酒を満たした角盥(つのだらい)と手燭を用意しろ」
「殿!」
ロロノアの考えを察したロビンが悲鳴に近い声を挙げた。
「殿! 橘どのに罪はありませぬ。橘どのは雷に怯えた私を慰めようとしただけで…」
「あぁ、抱いて慰めようとな」
「殿がお考えになるような邪心はありませぬ。どうか、おやめください」
「今は邪心が無かろうと、その気になればこいつは女を孕ませることが出来るのだと今日、よくわかった。こっから出る子種を絶たない限り、俺の姉上を殺した血は続く。だから、これを絶つ!」
「本気か?」
尋ねるサンジの声が震えた。
「あぁ」

短い返答を聞いた直後、がつんと鳩尾に衝撃を受けてサンジは膝をついた。
息ができず、意識が飛びかける。
身体に力が入らず、意識もぐらぐらする中、小袖が剥ぎ取られるのを感じた。ついで肌着の上から縄が掛かる。
ようやく息が整った時には、後ろ手に回された手首と右足首を、えびぞるように一まとめに括られ、左足は欄間に吊り上げられていた。

玉茎の根元が縛られているのはいつものことだが、今日はさらに双嚢の中央にも紐が回されている。
開かされた脚の向こうに、今迄自分が着ていた服を引っ掛けて座っているロロノアが見えた。
そのロロノアが眼を異様に光らせて、ずいとにじりよった。
したたるような狂気が屈強な身体から漂ってくる。
さすがのサンジも血の気が引いた。
ロロノアはサンジの脚の間に陣取ると、縛られ畳まれた右脚の太ももを自分の足でぐいと押してサンジの股を開く。
そのロロノアの手に小刀が握られているのを見て、サンジは息を呑んだ。
たまらずロビンが叫ぶ。。

「殿、おやめください! そんなことをしたら死んでしまいます!」
「死なねェよ。魔羅棒を切ると小水の出口も無くなっちまうから去勢に慣れた医者でも死なせちまうことがあるらしいがな、玉を取るのは俺でも出来る」
ロロノアは、紐で左右に振り分けられ、リスの頬袋のように膨らんだ袋を撫でた。袋の中の玉が逃げるようにつるんと動く。

腫れた袋に酒を振りかけ、ロロノアは炎で炙り、酒で消毒した小刀を当てた。
金属の感触にサンジの身体がびくっと竦む。
だがそれだけだ。
逃げるでもなく、わめくでもない。
「どうした? いつかのように『取らないでくれ』と懇願したらどうだ?」
ロロノアの言葉にサンジは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにふるふると頭を振った。
サンジの頭には、『俺の姉上を殺した血を汲む子種』…そう言ったロロノアの声が渦巻いている。

もとより女性に甘いサンジだ。ロロノアの姉を殺した血が自分にも流れていると指摘されれば、その贖罪を負わねばならぬと考える。
おまえの子種が残っている限り、くいなは浮かばれないと言われれば、どうして逆らえよう。

「おまえとおまえの姉君の無念が少しでも晴れるなら……好きにしていい…」

サンジはさらにギンに告げた。
「見苦しくわめかないよう、布でも噛ませてくれ」



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