修羅の贄 #23




濡れた身体に晩秋の夜の風は厳しい。身体が急速に冷えて、下半身が冷たい川に浸ったままなのか川から抜け出せているのかもわからない。朦朧とする意識を必死で繋ぎ留めながらサンジは河原を這う。気を失いそうになると、尖った河原の石が頬をざらりと傷つけ、その痛みでサンジの意識はかろうじて保たれていた。

「生きていたか……おまえのしぶとさには感心するぜ」

頭上から突然声がした。鳩の声だ。気配に気づかなかったとは、しばし自分は気を失っていたのかそれとも、這い進むことに必死で周囲に気を配る余裕が無かったのか…。
――どちらにしろ、俺の逃亡劇もここまでということか…。
上半身をそらせて顔を上げ、鳩の顔を睨んでやろうかと思ったが、鳩は月明かりを背にしていて表情が見えない。

『てめェこそ、こんなとこまで追ってきやがって、しぶとい野郎だ』
せめて、そう言い返してやりたかったが、喉はひりついて声を発することは叶わなかった。

鳩がスラリと刀を抜き、自分に刃先を向けるのが見えた。
ここまで鳩が乗ってきたのであろう馬が、殺気のせいなのか暴れる気配がした。
そして、サンジの目の端で、刃(やいば)の光がキラリと光り、振り下ろされた。













◇ ◇ ◇



何か暖かいものに包まれている。鼻腔をくすぐるのは干し草の香り。
みじろぐとカサカサと草が肌に当たる。
おぼろげに覚醒したまま、サンジはぬくぬくとした心地よさに浸っていた。
が、次第に意識がはっきりしてくると、鳩が自分を切り殺そうと迫ってきた光景が脳裏によみがえり、サンジははっと身を起こそうとした。
その途端に口をふさがれ、干し草の山に押し戻される。
条件反射的に身体が抵抗しようと動く。
それを見越したかのように身体にのし掛かられ、
『声を出すな』
耳元で低く緊張した口調でささやかれた。

この匂い…この声…。ゾロ…か?
抵抗したがる身体と心を静めて、口を塞いでいる男の顔を、薄暗がりのなかで凝視する。

『まだ追手がおまえを探している。声を出すな』
再び聞こえた声に確信した。ゾロだ。
となると…
『鳩は?』
『殺った。足が付かねぇように死体は川に流したが、明るくなって血の跡が見つけられたら、すぐにこのあたりも探られるだろう』
――あぁ、そうだ。あのとき振り下ろされた刃(やいば)の光は、コイツのものだった。



『…………なるほど、状況はだいたいわかった。つまりここは無断侵入した納屋で、しかもてめェの言い方だと、河原からは、そう離れてないってことだな?』
『しょうがねぇだろ。おまえの身体は冷え切っていて、馬に乗せて夜通し走ったら、凍え死んじまうとこだったんだから』
耳元でこそこそと言い訳される。
耳はダメだ、くすぐったくて身体がざわざわする。
『で、いつまでてめェは俺の上に乗ってんだ? 退け!』
つい、荒い言葉でゾロの身体を押し戻したのは、そういうわけだ。

ゾロが自分の上から退いて、驚いた。何も身につけていなかったのだ。
俺、マッパじゃねェか!

身体の冷えを食い止めるために濡れた服を脱がしたのだと推測できるが、昨日まで駕籠の中で縛られていたから、身体中に縄目が残っている。
サンジは急速に恥ずかしさを覚えた。

怒りを覚えた時だけでなく、恥ずかしい時にも脚が出るのがサンジだ。無意識に脚が蹴りを繰り出す。いや、繰り出そうとした。
その動きのぎこちなさで気づいた。麻痺が抜けていない。なにより、尻のあたりの違和感…。
どちらも、例の薬を染み込ませた綿付き柳がまだ後孔に埋まっていると、サンジに知らしめるには十分だった。
「!…ッ!」
小さく呻いた声をゾロは聞き逃さなかった。
「どこか痛むのか? 手か? 掌はしばらく使うな。河原の石で傷ついて腫れている」
言われて手を見たら、包帯のように裂かれた布で不器用に巻かれてた。
こんなにぐるぐる巻きにされて指を固定されていては、自分で後ろの柳を取ることができない。
と言って、布を早々に解いて、手の治りが遅れるのも問題だ。腫れが引かねば馬のたずなも船の舵も握れない。

後ろに埋まった柳を抜いてもらうのは死ぬほど恥ずかしいが、これが埋まったままでは麻痺が抜けるのが遅くなる。
さらに困ったことに、ゾロは、サンジの脚が動かないのは腱を切られているからだと勘違いしている。
「脚が動かねェのは一時的に麻痺しているだけだ。そのうち治る」とサンジが言っても、サンジの強がりだとしか思っていない。
その証拠に「心配するな。おまえがどんなになっていても俺が面倒をみる」などと言ってくる。
「大きなお世話だ!」
何を勘違いしちゃってんのコイツ…。たとえホントに脚が動かなくて、面倒見てもらうなんてまっぴらゴメンだ。
というか、今はそんな話で時間を無駄にしたくはない。一刻も早く解くまで逃げることが先決だ。

恥ずかしいとか言っている状況ではないと腹を括ったサンジは、不承不承ながら麻痺の原因を説明し、ゾロに後ろの柳を取り出してもらうことにした。

「クソっ! こんなことされやがって!」
「うるせぇ! 悪態つきたいのはこっちだ!」
「あいつら全員、叩き切る!」
「いいから、さっさと抜け!!!」

恥ずかしさでいたたまれないサンジは、つい乱暴な口調になる。大きな声は出せないから囁き声だが、本当なら怒鳴りたいところだ。
しかし、どれだけ急かしてもゾロはいきなり引き抜こうとはしない。
急速に柳を引っ張ると、柳が腸壁を傷つける。それだけではない。柳の先端の綿(わた)だけがサンジの体内に残ってしまうかもしれない。
鳩たちへの怒りに気持ちを煮えたぎらせながらも、柳を抜く仕草はことさらに丁寧だ。
――こういうやつなんだよなぁ。
サンジは思う。日ごろは武骨で粗野で力任せのくせに、サンジに身体に触れる手は、どこかおそるおそるというか、神妙な手なのだ。

んっ…

柳の先の綿がずるりと腸壁をこすって、サンジはくうっと喉を鳴らした。
身体もぴくりと跳ねた。
サンジは思わず干し草の中に顔を突っ込んだ。
『早く終われ!』
顔だけ隠しても、身体がさくら色に染まっていることには自覚がある。それでも顔を隠さなければやってられない。



綿が、ようやく体外へ出た瞬間にはサンジの唇から、はあっと深い息が出た。
やや放心状態のサンジは、ゾロにぎゅっと抱きしめられて、ようやく我に返った。
「何してんだ、てめェ…」
ゾロを押しのけようとすると熱い吐息がささやいた。
「抱きてぇ…」
「莫迦。このあたりもすぐに追っ手が来るって言ったのはてめェだろ。夜が明ける前にさっさと逃げねぇと!」
覆いかぶさってくるゾロの熱い身体を引きはがす。
乾きかけた着物を身につけながら、不服そうなゾロに聞く。
「馬は居るのか? 牛か?」
干し草があるということは馬か牛がいる筈だ。

「馬だ。農耕馬がいる。あと、鳩が乗ってた馬を捕まえてあるんだが闇の中では走れないだろ?」 山に入り、森の中に潜んで逃げることを想定していたゾロは、馬で逃げるというサンジの考えを否定した。
だがサンジは反論した。
「いや河原を行くんだ。この月明かりなら、なんとか見えるし…」
夜行性でない馬は闇夜では役立たないが、幸いにも空には半月が光っている。
「川沿いに下って行ったら、船が見つかるんじゃねぇかな? 船が見つかれば海まで行っちまえばいい」

ゾロは呆れた。船が見つかるかどうかは賭けでしかない。それに先ほど川で死にかけたはずだ。 ――コイツはホントにどういう神経してるんだ?

見た目に惑わされやすいが、サンジは放胆だ。そして博打打ちな部分がある。
「なるようになるさ」
そういう言い方をたびたびする。
荒海に船出していたサンジと、山で育ったゾロの差かもしれない。
山は事前の準備が生死を分けることが多々ある。しかし海はひとたび荒れれば準備など根こそぎさらっていく。

あるいは、サンジのこの性格はあの養父のせいかもしれない。
それとも幼いころにすべてを失う経験をしたからだろうか。

いずれにせよサンジは、思慮深く見えるが決断したら迷わない。腹を括るのが早いのだ。
だから『俺の命と引き換えに玻璃の民を助けろ』などと言う。
今までに数回しか会ったことのない国主である自分に、おのれの命と領民を託すなんて博打でしかないのに「てめェなら反故にしないと思って」などと全面的に信頼を寄せてくることがゾロには理解できなかった。
『俺の何を知ってるというんだ。何を信じているというんだ。俺がおまえに抱いているのは邪な感情だぞ』
心の中で、何度そう叫んだことか。
サンジの潔さ、命を天秤に乗せること、そして自分への信頼――そうしたすべてに腹を立てて、サンジには酷い仕打ちをした。
ゾロは思い出して苦い唾を飲み込んだ。




馬は繊細で警戒心が強い動物だ。サンジは農耕馬を盗むことはゾロに任せた。陸育ちのゾロの方が自分よりもずっと馬の扱いに長けている。
結果、ゾロはうまく農耕馬を連れてきた。
「さすがだな。俺が行ったら確実にいなないてたぜ」
「大したことじゃねぇ。鳩が乗ってきた馬に懐いた馬がいてよ。そいつを一緒に連れてきただけだ」
「運が俺たちに向いてるってことだな」
にかりとサンジが笑う。やはりこいつは肝が据わっている。追っ手の影を感じているだろうに、こんなふうに笑えるなんて。
そこまで思って、ゾロはドキリとした。サンジが笑ったところを見るのは、いったいどれくらいぶりだろう。
サンジを霜月城に連れてきてから、こんな表情を見ることはなかった。
二人がまみえる時は、つねにサンジはギンの手で戒められた姿だった。悔しさと諦めと恥辱を押し殺す表情しかゾロに向けられなかった。サンジが殿上人のもとへ行くことが決まった時も、彼はゾロと壁越しに話すことしか許さず、その表情を見ることは叶わなかった。

布に巻かれた両手がすべって上手く馬の背に乗れないサンジを助けながら、間に合って本当に良かったと思った。
鳩を追ったのは正解だった。河原で鳩が刀を抜くのが見えたとき、ゾロは乗っていた馬の背から跳躍して鳩に切りかかった。
馬の背を踏み台にしたせいで自分が乗ってきた馬は逃げていってしまったが、ゾロがほんの少しでも遅れていたら、鳩の刀がサンジを串刺しにしていただろう。




ひとたび馬の背に乗ってしまえば、サンジの傷ついた手では手綱がうまく握れないことは問題ではなかった。
後孔の毒を抜いたことで徐々に足の自由が戻ってきていた。本来の力の6割程度の回復とはいえ、蹴りで鍛えられた強い足腰で馬の腹をぐっと締め付ければ、馬上で体勢を保つことができた。
手綱で方向を指示する必要もなかった。ゾロが先導すれば、サンジの馬は自然とゾロの馬の後について走るからだ。
二頭は月明かりを頼りに河原沿いを下って行った。

サンジが賭けたとおり、川をだいぶ下ったところで、係留された渡し船が見つかった。
向こう岸へ渡るためだけの船で、いかだに近い粗末な装備だったが、二人は馬を乗り捨て、船に乗り換えた。足場の悪い川沿いを休みなく四半時も走らせたので、馬が限界に来ていたのだ。船が見つかったのは幸いだった。
「確かに俺たちに運が向いてるな」
今度はゾロも、そう言わずにはいられなかった。

船は川を下るための頑丈な造りではなく向こう岸への渡し船であった。
そのため舳先も船体も薄板で、川下りの途中で大破しそうな危ない場面もあったが、そこはサンジがうまく舵取りをして切り抜けられた。
そして東の空がうっすらと赤みを帯びてくるころには山を抜け、川の周囲は畑よりも人家が多い風景に変わってきた。
二人は、人が起きだす前に船を降り、ところどころに残る林に身を隠した。
潜みながら木々の間を駆け抜け、林から林へ、徐々に松が多い防風林へと移動し、松林の斜面を下りきると、ついに浜へ出た。

「海だ…!」
サンジがポツンとつぶやく。たった3文字に、大きな感情がこめられてる。
潮の香りはだいぶ前から感じていたから海が近いことは十分にわかっていただろうに、それでも実際に目の当たりにした時のサンジの表情は「恍惚」としか言いようのない表情だった。

しばし固まったように海を眺めていたサンジは、やがてしっかりとした足取りで、浜を歩きはじめた。
サンジの自由を奪っていた薬はすっかり抜けたようだ。

遠くに、漁師たちが船出の準備をしているのが見える。
一艘、一艘と船出していったたあとには、ぽつんぽつんと船小屋が残っている。
その船小屋のひとつに入ると、繕いの途中のような魚網や、タモや釣り針、暖を取るための火鉢やむしろなどがある。
四方を囲まれた空間に入ったせいか、馴染んだ海の生活を感じたせいなのか、サンジは安堵感と共に、急に疲れを感じた。

思えば不自由な身体で駕籠にゆられ、川を泳ぎ、馬に乗り、小舟を繰り、林を走り…。
サンジがつい、身体の力を抜いてしまったのも無理はない。

くたりと身体が崩れ、ゾロは慌ててサンジを受け止めた。
「どうした?」
焦ったようなゾロの声に、サンジはふふっと微笑んでしまった。
「海だな。やっと…ここまできた」
いつもの不遜さが抜けた、邪気のない表情を向けられて、ゾロはやられた。
ぎゅううっとサンジを抱きしめ、それからサンジの顔を両手で包んで唇を吸った。
「な、なにしやがる!」
我に返ったサンジがジタバタともがくが、ゾロはサンジを押さえこんだ。
「もう待てねぇ」
言うや否やむしろの上にサンジを横たわらせ、着物の袷(あわせ)に鼻先を突っ込む。
首筋から鎖骨を愛撫し、肩を剥いて脇を撫でさする。
手のひらが小さな胸の突起に触れて、サンジがびくんと跳ねた。
「待て待て待て!」
我に返ったように手を突っ張らせてゾロを押しやろうとするが、ゾロのほうは、わずかな隙間さえ埋めてやるとでも言うように身体をぴったりと寄せてくる。
「俺、汚いから、待てって!」
「待てるか!」
「変な薬とかも入れられてたし!」
「逆効果だバカ!」
サンジの後ろに入っていた柳の枝と、それを引き抜いた時の痴態を思い出してゾロは余計に止まらなくなった。
胸を触っていた手を下腹部へ下げてサンジの足を左右へ割る。
「あ、やだ、…このクソ野郎!…」
性急に前をこすられたサンジは、悪態をつきつつも高められ、張りつめてくる。
わかっている。本当に嫌ならば蹴り飛ばせばいいのだと。
それができないのは、自分も望んでいるからだ。


…だけど、俺たちがここで抱き合って、どうなるっていうんだ?
霜月には俺は戻れない。戻るつもりもない。
だがゾロは霜月に返さなくちゃなんねぇ。
俺のもんじゃねぇんだ…


「イヤか?」
サンジの逡巡を勘違いしたゾロが訊いてくる。

――イヤだったら、コトはもっと簡単なんだけどよ…

サンジは心の中でそうつぶやき、最初で最後のつもりで、ゾロとの情事に溺れることにした。


ああああ、、、、

ずっしりとしたゾロを受け止めて、サンジはのけぞった。
慣らすものがなくて痛かったのは最初だけだ。
一度出したら、それがすごく気持ちよくて、そうだ今まではどれだけ愛撫されてもせき止められてたもんな…なんて思ったのは一瞬で、すぐに何かを考える余裕なんかなくなった。
自分が出したものなのかゾロが出したものなのか、とにかくぬるつく手でしごかれて、びくびくと身体は跳ねる。
食らいつくすように体中を熱い舌が這いまわる。

ゾ…ロ……

もう十分と哀願して、ことりと意識を手放すまで、快感なのか感動なのかわからないうねりにサンジは何度も翻弄され、熱くて湿った波に溺れた。



(つづく)



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