Eternal blue sky ~永遠の青い空~ vol.2/3

夢音優月様

「全く無理をするわね」
ゾロが目覚めた時、ベッドの傍らには黒髪のエキゾチックな女、ロビンがいた。
「おれァ…」
「覚えてないの?あなた、このホテルに帰って来た途端、気を失ったのよ」
「どれくらい?」
ゾロが起き上がり、首を振る。
「2カ月よ」
「くっ!」
ロビンの答えにゾロは苦笑いをこぼした。

「“人間の食べ物の摂取” は危険だってあれ程言ったでしょ?」
「ああ。悪かった」
「笑いごとでは済まされないわよ。あなたは特別生命力が強いから助かったけど、本当に、二度と目覚めなくなるわ」
「ああ。もう、こんな事は金輪際ねェ。ロビン、おれが動けるようになったらこの国を出るぞ。そして、二度とこの国には来ねェ」
「え?」
ロビンが驚きを隠さずゾロを見る。

「でも、この国は深い霧に包まれて、私達でさえ夕刻から自由に動けて情報収集の出来る貴重な国よ。確かに異国の者には排他的だけど…、こうしてある一定の地位とお金があれば、誰も文句は言わない。それよりなにより、ゾロ…」
ロビンは彼女にしては珍しく不安を含んだ口調で言った。

「あなたが、生きるための狩りを初めてした土地よ。そして、今もあなたを“生かして”いる人物がここにはいる…」

ゾロは首を振った。
「止めてくれ、ロビン。確かにアレはおれを救った。だが、本当におれは救われたのか?皮肉なモンだ。おれはアレに救われたせいで、今度は逆に苦しめられている…」

「ゾロ」
ロビンが口元に哀しい笑顔を作る。
「あなた、もしかして…」
「言うな、ロビン。相手は“人間”だ」

二人は無言でホテルの窓から鉛のような雲に覆われたこの国の空を見た。
厚い雲の彼方には透明な青が広がっているはずだ。光り輝く世界。当たり前に享受してきた真昼の柔らかい風。

永遠の命など、永遠に死んでいるのと同じだ。

ゾロは心の中で繰り返した。

おれは“生きて”はいない。もう、とっくに死んでいるのだ。





◇ ◇ ◇






「サンジ!最後のお客様がお帰りだ」
「今行く!」
サンジは客を見送るために厨房からフロアーへ急いだ。と言っても、その動きは決して性急ではなく、ワルツのようになめらかで優雅だった。

「副料理長のお料理、本当に素晴らしかったわ」
「光栄です。レディ」
うやうやしく頭を下げた青年の金髪が夜のランプに反射する。
「新しいお店にも絶対食べに伺いますから」
年の頃は30過ぎの気品のある女性はうっとりとサンジを見つめながら、そっとサンジの手に触れた。
「いけません。私の手など、固く豆だらけで、美しいレディに不愉快な思いをさせるだけです」
「いいえ、この手からあの美味しいお料理が生み出されてるのですね…」
サンジはあくまで優雅に微笑みながら、やんわりと女性の手をほどき、女性を迎えに来た車の座席に女性を座らせた。
絞めたドアににじり寄り、窓からまだ何か言おうとする女性に有無を言わせぬようにサンジは深々と頭を下げ、車が発車し、舗装されていない道をゆくタイヤが小石を踏む音が遠ざかるまでそのままでいた。

店に入ると、
「おモテになる方は大変だねェ」
と他のコックにからかわれる。
「お前らもくやしけりゃ、おれくれェのコックになってみやがれ!」
「なに!?」
気色ばむ男達に向かって、
「まあ、たとえ料理の腕が上がった所で、おれくれェ格好良くねェと、それも無理な話しだがな」
とニヤリと笑う。
しかし、周りのコックも黙っていない。
「へェ、お前ほどの見てくれで、首都に出店するレストランオールブルーのオーナー兼料理長が、25にもなって恋人一人いねェのも不思議なもんだぜ」
それを言われるとサンジは何も言えなかった。
「うるせェ!!」

そんなやり取りをしていると、奥からこの店のオーナーシェフ、ゼフの怒鳴り声がした。
「おめェら、なにぐずぐずしてやがる!!特にサンジ!!てめェ、自分の店開くっつって、さぼってんじゃねェぞ」
「へェ、へェ、分かってるって」
そう言いながら、サンジは幼い頃から働いているレストランバラティエを見渡した。

新しく建設したレストランと比べると随分と古く、雑然としている。事あるごとに喧嘩が起こり物が壊されるため、ダイニングの木製の椅子とテーブルは色も形もまちまちだった。

それでも、クロスは客ごとに取り替える料理人であるゼフのこだわりが詰まった店。

どんなに金払いが良かろうが、身分の高い客だろうが、ゼフのルールに反すれば、その客は料理にありつけない。


いつもゼフとは喧嘩が絶えないサンジだが、2年前、新しい店の出店をゼフに持ちかけられた時、サンジは驚きに言葉を失った。ゼフはサンジにとって今や贖罪の対象ではなく、憧れであり、いつか越えて行くべきライバルでもあった。それでも、いつも心の片隅には小さな刺がある。おれは本当にゼフの足手まといではなかったのか?
ゼフの性格上成りゆきで自分を助けただけで、特別料理の才能があった訳でもないサンジのような子供など本当は邪魔ではなかったのか?

しかし、ゼフはサンジが幼い頃から働いていた給金をずっと開店資金として貯めていた。

「おれに恩を感じるんじゃねェぞ。この金はてめェが自分で稼いだ金だ。見てみろ。てめェがガキの頃の給金なんて雀の涙だろう?コックとしてのお前に、おれは特別扱いはしてねェ。例え、おれのガキでもな。てめェ、自分の店持てるっつって、そんなに甘ェもんじゃねェぞ。開店準備があっても、ここでの仕事はきちんとやってもら…おい!聞いてんのか?」
いつもは細められているサンジの瞳が大きく見開かれゼフを見つめている。

“おれのガキ”

初めてゼフが、自分を息子だと言った。

「じじい、今…」
いつも喧嘩腰で睨んで来る瞳の中に、まだ幼かった頃の愛情を求めていたサンジの面影が宿る。
ゼフの目にきらりと光るものが見える。ゼフはそれを誤魔化すように、
「分かったら、さっさとしやがれ!ちびナス!」
わざとサンジが一番嫌がる名前で呼んだ。





サンジがバラティェで働く最後の夜、サンジは何度もレストランの入り口を見た。最後にあの男と会ったのはいつだったのか。毎年ふらりとレストランに訪れ、サンジが勧める料理を一人で食し帰ってゆく。
その表情から美味いのか、まずいのかも分からないが、いつも綺麗に平らげてくれた。

幼い頃、ゼフがサンジをかばい足を失ったあの日。サンジは本当は死ぬつもりだった。どうやったら死ねるのか散々考え、本の中に出てくる一瞬にして死ねる毒薬も、一発で決着がつく拳銃も手に入らないと分かった時、サンジに残されたのはレストランの包丁で自分の心臓を貫く事だった。
今思えば、それが成功したのかは分からない。それでも、サンジは本気だった。何も考えず、厨房から一番とがった包丁を取り出し、布に巻いて、死に場所を求めてあの病院の裏庭に行ったのだ。

その時出会った不思議な男。まるで森の野獣のように光る金の瞳。ゼフと同じで子供のサンジ相手に飾る事ないぶっきらぼうな声音。

けれど、サンジの頭を撫でてくれた手は大きくて暖かだった。

あの時、あの男が言った少ない言葉をサンジはほとんど覚えてない。けれど、ゾロの暖かな手から伝わったのは、ゾロが持つ悲しみだったように今は思える。

幼いサンジが知っている悲しみなどより、もっと大きく、深い。

そんな大人が、なおサンジに優しさと励ましをくれた。

あの寡黙な金色の瞳はこれまでいったい何を見て来たのだろう。サンジは19の頃を最後にぱったりと来なくなった男の事を思った。



そんなサンジの想いは何かの予感だったのか…。

レストランバラティエから徒歩10分もかからぬ石造りの小さなアパートメント。そこはサンジが二十歳の頃からゼフから独立して住んでいる家だった。レストランからアパートメントまでの短い道。サンジは背後に何者かが自分の後を付けている事を察した。
サンジはわざと道を迂回し、土地勘なしでは迷い込んでしまう細い路地に入り込んだ。
背後の気配はサンジの読み通り、サンジの後を追おうと歩調を速めた。サンジは短い路地から、すぐに右に回り込みその影がサンジを追わぬうちに、くるりと小さな建物の壁を一周し、サンジを追う影の後ろに立った。
その影の持ち主は、黒いマントを目深にかった長身でがっしりとした男だった。


「あんた、おれに何か用?」
サンジの声を背後から聞いた男がはっとして振り向いた。と同時にお互いが息を飲む。

「ゾロ…?」

二人の場所から離れた所に立つ街灯の光はフードから覗く男の髪の色を暗く見せていたが、野生の獣のように強く鋭いくせに、その奥に孤独をたたえたその瞳は、サンジがずっと会いたかった男のものだった。

「すまん。おどかすつもりはなかった。ただ、一目姿を見ようと思っただけだ」
ゾロは観念したようにフードを取った。
間違いなく、草色の髪の男だ。

「なんで!」
サンジは男に一歩一歩近づいた。

「なんで、てめェ、来てくれなかった!!おれ…、ずっと待ってたんだぜ!?」
「悪かった。わけがあって、この国を離れていた。お前の事はずっと心配していた」
男の落ち着いた声にサンジが苦笑した。

「悪イ。おれの方こそ、あんたにも事情があんのに…。あんた丁度よかったぜ。おれ、明日から新しい店を出すんだ。レストランオールブルー。あんたに今のおれの料理を食べて貰いてェ。席を取っておくから、来てく…」
ゾロに近づいたサンジが何かに気が付いたように言葉を止めた。

サンジはじっとゾロの顔を見る。

この国の者ではない肌の色。一度見たら忘れ得ぬ金色の瞳。高い鼻梁に、意思の強そうな口元。
そうだ、ゾロはずっとこんな顔だ。サンジの記憶に残るゾロは…、ずっと…。

サンジは目を見開く。

「ゾロ…、あんた何歳だ…?」

ゾロの瞳に初めて動揺が走った。が、それも一瞬で、ゾロは再びフードをかぶる。

「悪いが、お前のレストランには行けそうにねェ。だが、よくやったな。おめでとう…サンジ。おれは、今回この国を出たら、二度とここには来れそうもねェ。だから、今日で最後」
「ざけんな!!」
サンジが近づきゾロのフードを乱暴に脱がした。

二人の身長はほとんど変わらず、息がかかるくらい間近で二人は見つめ合う。
「あんた、いつも勝手にやって来ては、何も言わねェで去って行く!で、今回は二度と会えねェで、最後だと!?」
「サンジ…」
ゾロの手がおそるおそるサンジの頬に向かう。

「おれ、…ガキの頃から…あんたが来んの待ってたよ…、ずっと。おれがガキの頃…、あんたほんもんの大人だった…。あんたほんとになにモンだよ…。おれは…」

答えの代わりにサンジの唇に訪れたのは、ゾロの冷たい唇だった。


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