初霜溶かして #1


「てめェ、冬もこんなオンボロの寺で過ごすのか?」
そう板前に聞かれたのは、林の木々が錦に色づき始めた晩だった。
確かに破戒僧がねぐらとしている古寺は、捨てられて久しい。
板壁はボロボロだし、床の一部はささくれている。
見上げれば破れた屋根の隙間から微かに星が見えたりする。
だが、あちこちを行脚してきた破戒僧には、屋根があるだけで幸せだった。
おまけに薄っぺらだがここには布団もある。
だからその時は深く考えずに答えたのだ。
「ああ、気楽だし、ここはここで便利だからな。聞かせたくねェもんをうっかり聞かれたりしねェし。」と。

それを聞いた板前は押し黙った。
しばらくして「そっか…」とつぶやき、天井を見つめた。
それから仰向けだった裸体をころりと回して、破戒僧に背を向けた。
浮き出た背骨が艶かしい。
破戒僧がつつつとそれを指で辿ると、板前の身体がひくりと震える。
今日はもうやんねェぞ、と抵抗するのを無視して抱きすくめ。
何度も吐精したのに、また芯を持って立ち上がってくる欲望を、板前の小さな穴に埋め込んだ。



 ◇ ◇ ◇

(あのキンキラした頭を随分と見てねェな…)
破戒僧がそう思ったのは、それから20日ばかり経った頃だった。

心が伴う交合を果たしのは、夏の盛りだった。
以来、5日に1度くらいの割合で、板前が破れ寺へやってくるようになった。
破戒僧が、板前の勤める食事処『風車』へ暖簾がたたまれる頃合に顔を出すこともあったが、大抵は、板前のほうが飯と酒を差し入れにきた。
それが、どうしたことだろう。
板前の律儀さ表わすように相変わらず数日おきに飯は届けられる。
だがそれは、必ず破戒僧がいない時だ。
寺へ帰ると、破れ戸の脇に、惣菜の詰まった弁当の包みがぽつんと置いてあるのだ。

確かに最近は、麦わらの親分の捕り物の調査にこっそり協力することも多く、寺を留守にしがちだった。
近くの植木屋は結構な年寄りで、見かねて手伝うことも多い。
いつ帰ってくるかわからない自分を待っていられるほど、板前が暇ではないのはわかっている。
そのため最初のうちは、タイミングが合わないのだと呑気に考えていた。
しかし、弁当は、狙い済ましたように自分がいない時に届けられる。
はたと破戒僧は思い当たった。
もしかして、俺は避けられてるのか?)
しかし、そう思い至っても、避けられるだけの理由に見当がつかない。

最後にアイツにあったのは、いつだっただろうか?
その時、何か避けられるようなことをしでかしたのだろうか?
アイツといると堪え性がなくなって、つい思うままガツガツヤっちまう俺に愛想尽きたのか…。

届けられる飯は、食べるまで少々時間があってもいいように、腐りやすいものは避けて日持ちのするものが詰めてある。
そこまで気遣っているのだから、愛想尽かされたようには思えない。
それともそれも、料理人としての配慮であって、恋仲ゆえの配慮ではないのか?
結局どれだけ考えてもわからない。
(わからないものを考えたって、わかるわけねぇ…)
そう思うや、破戒僧は「風車」に向かっていた。



カラリと開いた引き戸に「らっしゃい!」と声をかけ、そのまま板前はカチンと固まった。入ってきた破戒僧は、構わず板前に一番近い席までやってくる。そこに座っていた先客に声をかけ、半ば脅しのような具合で無理矢理席を代わってもらう。ドンっと乱暴に座った破戒僧は、う…と唸った板前を黙って睨む。店内の空気が一気に張り詰めて、その場の人間全員が、二人を見つめた。
先に声を出したのは板前のほうだった。
「珍しいじゃねぇかよ、昼間に来るなんて…」

それでとりあえず、場の人間達は、ああ、客だったのか…と、ほっと息を吐いた。店じまい直前に来る破戒僧のことを知っている者は少ない。眼光鋭いこの緑頭の男がただの客とは思えず、最近評判の上がってきた「風車」に難癖をつけに来た地回りのやくざ者かと思って皆、冷や汗をかいていたのだ。だが、ほっとしたのも束の間、その後の二人の会話に、また皆はハラハラすることになる。

「茶菓子ってわけじゃねぇよな? 酒…だよな?」
そろそろ八つ時にさしかかろうという時にやってきた破戒僧に、板前はそう決め付けてトンと緑頭の前にぐいのみを置いた。その手をすかさず掴んで破戒僧が言う。
「てめぇ、なんで最近、俺んとこに来ねぇ?」
遠まわしな言い方はうまくできない。だから単刀直入にそう言った。その途端、板前の身体が強張り、白い顔が青白くなるほどさっと血の気が引いた。何をこんなに動揺するんだ、と思ったが、それよりまず答えが欲しい。
「なんでだ?」
と畳み掛けると、動揺した顔をいつものニヒルな表情に戻して
「今更俺が恋しくなったかよ。俺に会いたかったら、てめぇが来い」
と言い返してくる。

「それじゃあ、答えになってねぇ。俺が聞きたいのは、なんでてめぇが来ないのかってことだ。いや違うな。飯を届けに来ているくせに、なんで、俺と顔を合わせようとしないんだってことだ。」
破戒僧がそう問うと、板前は今度はぶわっと頬を紅潮させる。青くなったり赤くなったり忙しい奴だ。
「たまたまだ、たまたま! たまたま俺が行く時は、てめぇがいないんだ」
「違う。わざとだろ、わざと俺がいない時を狙ってきてるだろ? なんでだ?」
問い詰めると板前は困ったように眉根を寄せ、
「なんでって…なんでそれをてめぇが聞くんだよ!」
そこまで言って、はっと我に返った板前は、
「…とにかく、俺はもうてめぇんとこには行かねぇ。俺に会いたい時はてめぇが来い!」
言い捨てるように怒鳴ると、破戒僧の手を振り解き、店の奥へと走り去った。

(なんなんだ? 何怒ってやがる? わかんねぇ…)
店の奥へと消えた板前の姿を、破壊僧は呆然と見送る。
目の前の出来事に呆気に取られていた店内は、ようやく客のひとりが「兄さん、振られたな」と茶化したのを合図にほっと和んだ空気に戻っていったが、破戒僧の脳裏にはいつまでも、走り去る直前の、板前の辛そうに歪んだ表情が残っていた。

一方。
わからねぇと首傾げる破戒僧と同様に、店の奥で頭を抱えて、なんなんだと呻く板前がいた。
(なんなんだよ、今頃…。せっかくアイツに会わない日常に慣れてきていたのに…)
それでも落ち着いてくると(そういやアイツに何も出してやらなかった、今日はアイツの好きなきんぴらがあったのに)などと思う自分が笑えてくる。
(アイツ、店をでしなに、よう兄さん振られたな『秋の扇』ってことば知ってるか?、なんて、からわれてたな。違うんだよ、みんな。秋の扇は俺のほうだ。夏が過ぎたら用済みになっちまったのは俺のほうだ。あー、そんなにショックじゃないと思ったのに、そうでもねぇのかな…)

20日ばかり前、一大決心をして告げた申し出を、破戒僧にあっさりすげなく断られた。その時は、ああ、そうか、熱を上げてたのは自分だけだったのか、と冷静にそれを受け止めたはずだった。
だが、「なんでわざわざ、いない時を狙ってくる?」と問われた時には「てめぇのせいだろ!」と胸倉掴んで怒鳴りそうになった。
春に手篭めにされたことも、そのあと仕切り直したいからと迫られ続けたことも、夏に壊れ物を扱うように優しく抱かれてからは数日置きの逢瀬が楽しみだったことも、20日前に自分の申し出を断った直後なのに身体に伸びてきた手が快楽だけは離したくないのかと思えて悲しかったことも、全部ぶちまけて愚痴愚痴と責めたくなった。思いのほか傷は深いらしい。

自分がアイツにほだされたと思っていたのに、いつのまにか、自分のほうが夢中だったのだ。自分の間抜け加減がイヤになる。
板前は煙管に火をつけた。
こういう時、泣くのは性(しょう)に合わなかった。
野郎の涙なんてキモイだけだろうと思う。
ゆっくりと煙を吸い、ぷかーっと吐き出す。それを静かに繰り返す。
そして最後に吐いた煙があとかたもなく消えるのを合図に、板前は立ち上がってパンと前掛けを整えた。
昼食時の慌しい時間は過ぎたが、お八つの支度、夕餉の惣菜の用意、酔客のつまみの仕込み…休んでいる暇などないのだ。
板場に入って、もう一度景気付けにパンと前掛けを叩いた彼は、すでに、心の痛みに歪んだ顔でなく板前の顔となっていた。



それから数時間後。
(今日、なんか祭りでもあっただろうか?)
さきほどから板前は首をひねっている。
いつもなら目が回るほど忙しいこの時間に、客がまばらなのだ。
今日の料理、口に合わないものだっただろうか? 
いつもは自分の料理に自信のある板前が、そんなことまで考えるほど店内は閑散としていた。

しばらく様子を見ている態だった「風車」の女店主ナミがついに口を開いた。
「サンジ君、もういいわ。今日は、もう、帰って」
「え、今日はもう、店じまいですか?」
「違うわよ。あなたがここにいる限り、お客さんが来ないのよ」
「え?」
あんまりな言い様に板前が固まっていると、ナミはふうっと溜息をついて言った。
「店の前から動かない男を引き取って帰ってね。アイツが入口で睨みを効かせているもんだから、 客が怖がって中に入ってこないのよ。いい?」
ナミは「サンジ君たら、もう少し店の売り上げに貢献してくれそうな金持ちと友だちになってくれればいいのに。あんな貧乏なのじゃなくて…」などと言いながら店内を片付けていく。
(店の前から動かない男? まさか?)
そのまさか、である。
板前が裏口から退出して店の正面に回ってみると、腕組みをして険悪なオーラを立ち昇らせた破戒僧が入口近くの壁に寄りかかっている。確かに、これでは、客が寄り付くはずもない。
できることなら無視して帰りたいのがヤマヤマだが、ナミに頼まれたとあっては引き取らないわけにはいかない。
「おい、物騒な気配を振り撒いてんじゃねぇよ!」
ガツンと蹴りをお見舞いしてやると、破戒僧は即座に立ち上がり、板前の胸倉を掴んで叫んだ。
「ここ20日ばかりのてめぇの行動をきっちり説明しやがれ!」

季節は霜月。日が翳れば冷気がしんしんと襲ってくる。
吼えた息が白く板前の顔にかかる。
胸倉を掴んだ破戒僧の手が、いつのもように暖かくなく、固く冷えていることに板前は気がついた。
「てめ…莫迦か、こんなに冷えるまで待っていやがって…」
「……」
「腹、減ってるか?」
「…そうでもねェ…。それより!」
それより説明しろ、と言うと、板前は呆れたような表情で破戒僧を見つめた。
(振られた相手に会いたくねぇと思う気持ちの何がわかんねぇんだ? ああ、あれか、自分が欲した時には俺が欲しいのか? そういや、俺の申し出を断っておきながら、なんでもなかったようにそのあと俺を抱いたもんな…)
その事実は、どっぷりと板前を凹ませた。
処理したいんなら他を当たれ!そんな言葉が口から出そうになる。
それでもどこかでそんな筈はないと思いたい自分もいる。
今までの優しさが身体目当てだけだったとは思えない。
欲情をぶつけたいだけでこんな寒空にずっと待っていられるとは思えない。

そこまで考えた時、破戒僧の冷たい指先が板前の頬に触れた。
(そうだ、考えんのはあとだ。とにかくまずは、この寒空にずっと待ってやがったコイツの、この凍えた身体をあっためねぇと…)
そう思ったとたん、お人好しの板前は言っていた。
「腹が減ってないんなら、身体あっために湯屋にでも行くか?」



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破戒僧×板前、秋物語です。ナミさんはまだ、破戒僧と板前が友だち以上になってるとは気づいていません。

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