雪中花 #1


(う〜〜〜〜さびぃ〜〜っ!!)
肩を丸めて懐手をしても、雪がはらはらと散る深夜は凍えそうな寒さだ。
新年を二日後に控えて、昼間は年の瀬の賑わいに溢れていた界隈も、人っ子ひとりどころか猫や鼠の類さえも見当たらずひっそりとしている。その静けさが寒さを余計に募らせるようで、早く家に着くようにと、サンジの足は自然と早くなった。

いくつ目の辻を曲がったところだったろうか。背後に気配を感じた。
夜鷹が立つような場所ではないから、最初は自分と同じように遅くまで仕事をしていた野郎なのだろうと思っていた。
が、しばらくして、その気配がひたりと後方に貼り付いたまま離れないことに気づいた。
(もしや…つけられてる?)
試しに足を速めてみれば、後ろの気配も足を速める。ゆっくり歩いてみれば、やはり後方の気配も速度を落としサンジを追い抜こうとはしない。
物盗りだったらサンジに追いつき襲ってくるだろうに、どうも不審だ。
はっきり正体をあらわさずに家並みの軒に隠れるようにしながらその気配はずっとサンジを追ってくる。

(えいクソ、正体あらわしやがれ! どんなツラか拝んでやろうじゃねェか!)
決して気が長いほうではないサンジは、とっととキレた。
辻を曲がったところで隠れて待ち伏せをする。
後ろの気配が近づいて、辻を曲がったとみるや、躍り出た。
「なんのつもりだ、クソ野郎! どこのどいつだ、コソコソつけまわした理由を言いやがれ!」
胸倉掴んで首を締め上げるようにしながら相手をグイと睨みつけてみれば…
「うっせェ、静かにしろ、このアホ眉毛っ!!!」
「ああっ!?」
どこのどいつか、十分すぎるほどに知った顔だった。

「てめェ、何をこそこそ俺のあとつけてんだよ!」
「……」
むうと押し黙ったゾロを眺めて、サンジは合点した。
「ははーん、わかった、つまりまた迷ったんだな」
「……」
返事が無いのは肯定のしるしだ。だが、こそこそしていた理由が解せない。迷ってる途中でサンジを見つけたのなら、堂々と寄ってくればいい筈だ。
それにどうも今でもこそこそしている。周りを変に伺いながらサンジの後ろをちょろちょろとついてくる。
いつものふてぶてしさはどこへ行った?
サンジが少しを声を高めれば、「しっ」と人差し指を口元に立てて「静かにしろ」の合図をしてくるし、どうにもおかしい。

理由を聞いてもなかなか言おうとしないゾロをしつこく追求したら、渋々口を開いた。
「今年のツケを払えって酒代の取立てに追われてよ…。逃げ回ってたら、迷子になってよ…。酒屋のオヤジを撒いたと思ったんだが、また別んとこのおかみに会っちまうしよ…」
(だから人目を忍んでこそこそと? な、情けねェ…)
全身の力が抜けそうになったサンジである。
明日は大晦日。取り立てるほうも一層躍起になるだろうが、せいぜい必死で逃げ回ってろ、とサンジは冷たくゾロを睥睨した。
なにしろ年明け恒例の城の餅撒きは今回も『風車』が用達を承ったから、明日はその準備におおわらわだ。
それが終われば、独り者たちがこぞってサンジの雑煮を当てにして『風車』に訪れる。
独り者でなくても年始の挨拶を兼ねて久しぶりに訪れる客も多い。
そんなこんなで、ようやくひと息ついて新年を味わえるのは女正月の頃で、年の暮れから1月半ば頃までは『風車』は大忙しだ。

ところが。
年が明けて女正月の時期も過ぎ、年始の賑わいも収まっていつもの客足に落ち着いてきた頃になっても、サンジはまだ新年特有の揚々とした気分になれずにいる。
理由はよーくわかっている。七草の前だったか、ゾロがちょっと出かけると言ったきり戻らないのだ。
こういうことは前にもあって、大抵の場合ゾロが迷って帰ってこられないだけで、5日ほども経つと、ひょいと戻っている。だが、今回は、
(もう半月以上だ…)

どうせまた迷って帰れなくなってるんだろうと思いつつも、サンジは毎度、迷ったきりもう戻らないんじゃないかと、諦念と動揺の混じった心境になるのだ。
もう半月以上戻らないとなれば、その気持ちは益々強くなる。
もともとが根無し草のゾロだ。江戸に来るまでも、各地を点々としていたのだし、サンジ自身、ゾロが一箇所にとどまっていることが「似合わねぇなぁ」なんて思うくらいだ。
迷子でいるんだか居なくなっちまったんだか、わかんねェんだよ、てめェは…。
たびたびそう思うが、ゾロが出かけるたびに「どこへ行く?」と聞くのも束縛するみたいで抵抗がある。
だから今回も何も聞かなかった。
それっきりだ。ゾロの姿はおろか、ゾロが城下のどこかでふらふらしていたという噂さえ耳に入ってこなかった。



 ◇ ◇ ◇

「サンジ君、あとよろしくね〜」
「あいよ、ナミさん、気をつけてーー!」
夜の客足のピークが過ぎた頃、ナミの姉のノジコが迎えにきて、ナミは裏手の自宅に帰っていった。
野郎ばかり残った店内は、こうなると当然、女の話か下ネタになる。あそこの茶屋の娘が別嬪だとか、どの岡場所の妓とナニして天にも昇る気持ちよさだったとか…。
そんな話題でひとしきり盛り上がったところで、酔客のひとりが板場のサンジに声をかけた。
「サンちゃーん、今夜どう?」
「どうってなんだよ、どうって?」
「暇なら俺と逢引きしようぜー」
「莫迦言うな、アホ! 野郎と逢引きする気なんかさらさら無ェよ!」
「まーた、そんなこと言っちゃって! 俺なんかよりもっと男くせェ野郎と、ひとつ屋根に住んでるくせに!」
皆がどっと笑った。
店じまい近くまで残ってる客は皆、馴染みの客だ。サンジが坊さんくずれと同居していることも知っている。
からかわれてサンジは真っ赤になった。
「もう一緒に住んでねぇよ!」
咄嗟に言った言葉に、店がしんと静まりかえった。

「えーと、俺、帰るわ…」
ようやくひとりがぼそっと言って立ち上がると、それを合図にしたかのように、皆、わらわらと立ち上がって逃げるように暖簾をくぐっていく。
一斉に客が引いた店内にひとり残ったサンジは、煙管をふうと胸深く吸い込んで、それから「はぁーーーーっ!」と吐き出した。
それを数回繰り返し、キリキリと眉間に縦筋を浮かべると、店の引き戸をガラっと大きく開けて叫んだ。
「店先で噂話するくれェなら、店ん中に入りやがれっ!!!」

言われたのは、たった今まで『風車』にいた客たちだ。
店を出たものの、サンジの爆弾発言を聞いてしまったら、話題にならない筈がない。宵五つを過ぎたこの時刻では、ほかに開いてる店もなく、つい店先で立ち話を始めたところをサンジに咎められたのだ。
皆は少々気詰まりな面持ちで顔を見合わせ、ひとりが言いにくそうに口を開いた。
「サンちゃんよぉ、一緒に住んでねぇってのは、あの兄さんがどっか別の長屋にでも移ったってことか?」
皆、サンジが長屋から青鼻先生の療養所の離れに移った経緯を知っている。だから、引っ越したとすればゾロのほうだろうと見当をつけたのだろう。
その問いにサンジは「知らねぇよ」とそっけなく答えた。

「坊さん、行脚に行っちまったのか?」
「知らねぇよ」
「故郷(くに)に帰ったのか?」
「知らねぇって言ってんだろ! 出てったきりだ!」
「いつから?」
「半月くれェ前だ」
そのサンジの答えに『ってことはやっぱり…』と何かを言いかけて周りの者に止められて慌てて黙った者がいる。
サンジはそれを聞き逃さなかった。
「おい、てめェら、何を知ってる?」
すうと細められた蒼い目に睨まれて、皆は竦みあがった。日頃は女性に鼻の下を伸ばしている優男にしか見えない板前だが、実は喧嘩っ早くて物騒な男である。
射殺されそうな眼圧に負けた。
「あのな…」
言いにくそうに始まった話を、サンジは顎で促す。

「品川宿で見たんだよ。10日くらい前、緑の髪の…」
「品川宿?」
「あぁ」
品川宿は日本橋から始まる東海道の、最初の宿場だ。
(ってことは、あの野郎、やっぱりここから出ていっちまうのか…。そんならひと言、俺に言ってから行けばいいものを。黙って行くなんて、俺に気を遣ったつもりだろうか?それとも言いにくかったのか? 俺に縋(すが)られるとでも思ったのか?)

自分の世界に入ってしまったサンジに、慌てて慰めるような声がかかる。
「おい、気にすんなよ。たまに羽目を外したくなったんだろ。大丈夫だよ。帰ってくるよ」
「せっかく都(みやこ)に来たんだ。都での女遊びってのをちぃっと試してみたくもなるさ」
(え? ちょっと待て? 女遊び? そういう話なのか?? だって、だって、破戒僧だとはいえ、一応アイツ…)
「アイツ、坊主だろうが!」
「だから品川なんだろ。あそこは吉原や他の岡場所とは違って茶屋の店先ギリギリまで駕籠(かご)をつけられんだよ。大門までしか駕籠を寄せられねぇとなると、そっから茶屋まで姿曝して歩かねぇとなんねぇが、品川は茶屋まで駕籠で行ける。つまり坊主とバレてとっつかまることも無ェ」
そう言われると納得するしかない。有名な川柳が頭に浮かんだ。
『しなの客、にんべんの有ると無し』
品川の娼館の客は、にんべんの有る「侍」と、にんべんの無い「寺」ばかり、という意味だ。
寺町が近いことと、今の説明のように僧侶とばれずに店に出入りできることから、実際、品川で妓を買う者の半数以上が寺の関係者だった。

今度こそ、サンジは呆然とした。
この地を出立したというのなら、覚悟はできていた。まさか女遊びとは…。
(いや待て。アイツにそんな金、あったっけ? 酒代のツケが払えずにこそこそしてたような奴なのに?)
突然サンジの頭に、いつだったかゾロの袖を引いた夜鷹の言葉が甦った。
『今日はちょっと寂しくてね…兄さんみたいないい男だったら、金はいいから慰めておくれよ』
サンジの手から、煙管がぽとりと地に落ちた。



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破戒僧×板前、長編です。サンジの災難。板前さんの過去が絡みます。最後はハッピーエンドです。

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