雪中花 #2
(そうか、あいつも女楽に目覚めたのか…。いや半月も帰ってこねェってことは、これはもう遊びじゃないんじゃないだろうか?)
妓楼にすっかり馴染んでいるゾロの姿が目に浮かぶ。
(アイツ、あの手のお姉さまに好かれそうだしなぁ…。そうか、迷子になってるわけでも、ここを離れたわけでもなかったのか…)
あの寝腐れ腹巻がレディを抱く…。
その想像は腹立たしいほど容易かった。
男が男を抱くよりも、男が女を抱くほうが、よっぽど自然の理に適っている。
だがゾロは、あれでも一応坊主だ。女犯が知れたら破門は当然。そのうえ生き晒しか遠島だ。
そのことが、サンジの中で安心材料になっていたことに今さら気づく。
(甘かった…)
坊主だから女に惚れないという理由なんてどこにもない。
ましてやゾロという男は、惚れてしまえば坊主なんて立場を恐れてじっとしている男じゃないのだ。
坊主の身分を偽ることなんて造作もないのだから。
(女の子は柔かくて甘くて良いもんなぁ…。はははっ…)
乾いた笑いが口から零れた。
思い返してみれば、年が明けてゾロは一度もサンジに触れてこなかった。
いつもの助平っぷりから考えたら、元日から「秘め始め」だのなんだと言って押し倒してきそうなものなのに。
暮れから正月にかけて全然構ってやれなかったことに業を煮やして出ていったのかと思っていたが、
(もっと以前に愛想つかされていたのかもしれねェな…)
広くないはずの部屋が広く見える。今夜は随分風が唸っている気がする。
サンジはかいまきをたぐりよせて身体に巻きつけた。
風車で煙管を取り落としたサンジを見つめる客たちの、憐憫の混じった表情や気遣うような言動を思い出すたびに顔は紅潮し、ぐつぐつと腹が立ってくるというのに、芯にある凍えは一向に収まらなかった。
翌日の風車は、ちょっと異様な雰囲気だった。
常連客がちらっとサンジの顔を盗み見ては目をそらす。
その態度にサンジは何度も足を振り上げそうになった。
いたたまれなさと苛立ちの矛先は、当然ゾロへの怒りへとってかわる。
(くっそ、マリモの野郎、帰ってきたらただじゃおかねェ!)
それから更に3日。
冬の飯屋は忙しい。
飯屋を利用するのはもっぱら大工や護岸工事の人足やぼて振りだ。奉公人になると店で簡素ながらも夕食が出るし、第一店から出られるほど閑ではない。
日没とともに終業となる大工や護岸工事の人足たちは、湯屋で汗を流した足で飯屋へやってくる。つまり日没が早い冬は、客が来るのも早いのだ。
昼食時の繁忙が終わって、ひと息つく間もなく、サンジは夕食用の仕込を始めた。
ずっしりと重い大根をすこんすこんと切って、少し濃い目の味つけで飴色に煮る。
反対に、かぶらは柚子と一緒に塩でさっぱりと煮る。
くわいはアク抜きをして、きんとんにしよう。このアク抜きは丁寧にやらないと色も悪くなる。
小松菜は煮びたしに。豆腐は田楽と葛とじに。
各料理を大鉢にいっぱい作る。
ご飯は半量白飯のまま取っておいて、もう半量はおにぎりにする。大量に握って味噌をつけて両面をさっと焼いておく。
この町は火事が多い。
そのため、お上(かみ)は日没後にかまどを使うことに難色をしめしていた。
暮六つを過ぎたら、行灯の火や小さな炭火以外は大っぴらに使えない。
火を通す料理はできるだけその前に作っておく必要があった。
「サンジさん、頼まれてた鯛!」
日が落ちて、常連客がぱらぱらとやってき始めた頃、威勢の良い声が風車の裏口に響いた。
「活け締めして時間を置いたもんを持ってきてくれただろうな?」
サンジがこちらの希望通りの鯛かどうかを確認すると、もちろんだ、と答えが返る。
どれどれと天秤棒の中を見てサンジは驚いた。
「こりゃ、随分とデケェじゃねェか! 良いのかよ、俺、言った値でしか買えねェぞ」
「いいんだよ、あんたにはいつも贔屓にしてもらってるから」
「つったって、ウチはちっこい飯屋で、薔薇亭みてェに大量に仕入れたりしてねェんだぜ」
「これからデカイ店になるんだろ? デカイ店になったときもウチを変わらず贔屓にしてくれりゃいいさ」
「ははっ、そりゃいい」
サンジは破願した。
魚屋とのやりとりも、予想以上に良い食材も、サンジの心を浮き立たせた。
大きさがあるから半分は刺身にして残りは魚田楽か…いや、豆腐を田楽にしたから、塩焼で留めておいたほうがいいな。
ならば兜(かぶと)を塩焼きにして、身を刺身と膾(なます)に分けよう。あらは潮煮にすっか…。
サンジの頭が、メニューと段取りをすばやく組み立て始める。
料理の世界にトリップしたサンジに、魚屋が戸惑いがちに声をかけた。
「あのな、それともうひとつ、お届けもんがあって…」
「あ?」
「あれ…」
店の外をひょいと指差された。
なんだ?と思ってサンジが外で出ると、外壁に寄りかかるような人の影。
緑の髪が…。
眠っていた。
無精ひげ。こけた頬。落ち窪んだ眼孔。
この時サンジが煙管を持っていたら、以前のように取り落としていただろう。
調理中だった今回は何も持っていなかったので、煙管の代わりに顎がガボンと落ちた。呆けたように口を開いてサンジはその緑を見つめた。
「サンジさん、サンジさん」
自分を呼ぶ声でようやく我に帰る。
と同時に腹の底からゴゴゴゴゴと怒りがこみあがってきた。
「どこへ行ってた、このクソ坊主! てか、どのツラ下げて帰ってきやがった! おねえさまに振られたからって、俺のところへしゃあしゃあと戻るとはいい根性じゃねェか!」
容赦の無い踵落としが薄汚れた腹巻に落とされて、ぐえ、と蛙のような声が響く。
なのに男は、サンジを見て、安心したようににかっと笑い。
「腹減った…。てめェの飯、食いてェ…」と訴えるや、ごろんと大の字に転がった。
そのまま、いびきと腹の虫の大合唱。
「クッソ…! ずりィよ、なまぐさ坊主…!」
「腹減った」のひと言にサンジは弱い。
これを言われると、どうしても腹を満たしてやるほうを優先してしまう。
そのうえ「てめェの飯、食いてェ」だ。
サンジは観念したようにふぅと息を吐き。
板場に戻ると、届いたばかりの鯛に出刃を差し込んで、ドンと頭を落とした。
一部始終を見ていた客は、あとの客たちに語ったそうだ。
『サンジ殺すにゃ刃物は要らぬ。「てめェの飯、食いてェ」のひと言がありゃあいい』
その晩。青鼻先生の診療所の井戸端で、ザバーッと水を流す音が数回響いた。
ゾロが身体を洗っているのだ。
あのまま戌の刻まで寝続けたゾロが腹を満たして風車を出た時刻には、もう湯屋は閉まっていた。
どこの山を越えてきたんだ、というような、土と埃にまみれた身体を、ゾロは井戸の水で洗い流した。
(おいおい、真冬に行水かよ…。見ているだけで寒ィっての、このすっとこどっこい)
サンジはさっさと部屋に引っ込んでかいまきの中にもぐりこんだ。
かいまきが自分の体温でようやく温まってきて、うつらうつらとした頃、ゾロがするりと隣に入ってきた。
冷水を浴びた冷たい身体がサンジに触れる。
「冷てっ! 目ェ醒めちまったじゃねェか! せっかくぬくまったのに入ってくんな!」
「これしか夜具は無ェだろうが」
「真冬に冷水浴びるような奴ぁ、そのへんに転がって寝てたって風邪引かねェだろ。馬鹿は風邪引かねェとも言うしな」
「いいから入らせろよ」
げしげしと蹴ってくる白い足をゾロが掴んだ。
手の冷たさが伝わってきて、サンジは思わず目を見開いた。
いつもはサンジよりゾロのほうが体温が高い。
なのに足を掴む手はひどく冷たい。
(馬鹿が…。何度も水を浴びやがって…)
サンジはしぶしぶかいまきの中にゾロを入れた。
とたんに後ろから抱きつかれた。
やはりひんやりとしてサンジは身震いした。
冷たい手が着物の裾を割る。
「冷てェって!…」
身を捩って逃れようとした。
横向きのサンジの脚にゾロの脚が押さえ込むようにように絡む。
サンジの脚の内側を、冷たい指先が上へと這っていく。
膝頭を撫で、内腿を滑るようにして蠢く指に、サンジの身体が粟立った。
指先が脚の付け根へ近づいただけでいただけで吐息が洩れそうになった。
ゾロの手が下穿きの脇から、入り込んでくる。
立ち上がったものを脚のほうに引き出された。
くちゃりと扱かれる。
「ん…んっ…」
冷たいと感じたゾロの指先は、いつの間にか熱くなっていて、抗(あらが)いがたい甘美な熱をサンジに与えてくる。
もう一方の手が着物の後ろ側をまくりあげて、双丘の間へ侵入してくる。
その先に行われることがキライではないのに、反射的に一瞬身体が逃れるような動きをしてしまうのは、どれだけ身体が慣らされても変わらないだろう。
サンジが男の心を捨てない限り、本来攻める側の雄の本能が、ほんの一瞬、抵抗を見せるのだ。
ゾロの指が、小さな堅固な城門をつつくように触れると、サンジの腰が逃れるように前へと揺れる。
そのせいで緩く握られた前茎をゾロの手にこすりつけるようになった。
後ろの刺激から逃れようとすると前に刺激が来る。
その刺激から腰を引くと後ろの襞をゾロの指腹になぞられる。
「ぅんっ…」
前後を指戯で愛されて、唇の間から思わず声が洩れた。
久しぶりだからだろうか、ゾロの不在の原因をちゃんと聞いてないからだろうか、
ゾロの手に乱される自分が耐え難い。
いや…だ…。
かすかに漏らした言葉は、ゾロに届かなかったのか、いやよいやよも好きのうち、と思われたのか。
ゾロは後ろに潜り込ませた指を二本に増やしてきた。
狭い肉筒に馴染ませるように二本の指を蠢かせ、ゆっくりとひろげるように内部で指をひらいていく。
(あぁっ…)
徐々にこじ開けられていく感覚に甘い痺れが起こる。
羞恥と愉悦とが絡み合った甘くて苦い痺れ。
くちゅくちゅと中をかき回された。
浅いところも深いところも、快感の渦が沸き起こるところは、もうみんな知られている。
そこを焦らすようにいつまでも執拗にかき回される。
(やっぱり男の中は、レディのもんと違って狭すぎるとでも思ってんのか…)
いつも以上に長い指戯にふとそう思ったとたん、ゾロの指が、ゾロの視線が、自分の身体を女性のものと比べているように思えた。
とたんに不快感が津波のようにせり上がる。
サンジは突然激しく抵抗した。
「いやだっ! 離せっ!」
急に動いたせいで、後ろに入れられていた指が内部を引っ掻く。
ピリッと痛んだ。
ゆるやかに包まれていた男根も、反射的にぐっと握り締められた。
前後の痛みにサンジは、うぐ、と身体を仰け反らせた。
「何やってんだ!」
咄嗟に握ってしまった手を広げてサンジを解放しながらも、ゾロが怒ったように問う。
離された身体をよじるようにしてサンジは距離を取った。
「どうした? いやか?」
尋ねる声は優しい。
怒ったような先刻の声だってサンジの身体を心配してのことだとわかっている。
それでも胸のつかえは取れない。
「おい?」
と肩に触れてきた手を払いのけて、つい叫んだ
「触んな、この節操無し! レディに失礼だと思わねェのか!」
「あぁ? なんのことだ?」
「俺は構わねェんだ。男が女の子を抱きたいのは当然だから、しょうがねェと思えるさ。だけど女の子のほうは、そんなふうに割り切れねェだろ」
「だから、なんのことだって?」
「品川のレディの話だよ!」
「品川? どこだ、そりゃ?」
「どこって…てめぇ、品川行ってたんじゃねェの?」
「だから、どこだよ、それ?」
サンジは、呆気(あっけ)に取られたようにゾロを見た。
どこだそりゃ?と眉根を寄せているゾロは、ウソを言っているようには見えない。
「あ…そう…。そうか、へぇ…。あ、いや、知らねェならいいや、うん…」
と言いながら、ふわりと笑ったのは自覚がない。
だがゾロの我慢はブチンと切れた。
サンジの身体をべろんと仰向けにひっくり返し、両膝をがっしと掴んだ。
がばっと左右に開いて、脚のあいだへ身体を滑り込ませる。
「ぎゃっ、てめっ!」
「黙れ。訳わかんねェことで中断しやがって! 待たされたこっちの身にもなってみろ!」
膝裏を掬い上げ、胸につくほど折り曲げて、目の前に現れた小さな蕾にぐいと舌先を差し入れる。
「うああっ…!」
ぴちゃぴちゃと濡らされていく感覚に、身体がびくびくと反応する。
両方の親指が孔の入口にかかって、左右にぐいと引かれた。
先ほどの指戯で解れていたそこが、ぽかりと口を開ける。
尖らせた舌先が侵入してきた。
「あぁっ…」
くすぐったいような切ないような感覚が背中を這い上がって蕩かされていく。
「あ、あ、あっ、ゾロっ、ちょっと待っ…」
「うるせぇ! 久しぶりで狭くなってっからゆっくり解してやらねぇと、って、どんだけ俺が自分に言い聞かせたと思ってんだ! そろそろいいかと思えば、お預け食わされるし! これ以上待てるか!」
ぐい、と押し付けられたそれは、はちきれんばかりに膨れていた。
それがわかったとたん、サンジの心臓がどくんと跳ねた。
(ああ…熱ィのが入ってくる…)
「ゾロ…」
サンジは腰を浮かし、入れやすい角度へ体勢を変えて、ゾロを招き入れた。
翌日。
気だるい雰囲気を漂わせながらも幸せそうに料理をするサンジの様子に、皆はほっと胸を撫で下ろした。
だが…。ことはそう簡単に円満な結末をもたらしてはくれなかったのだ。
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