雪中花 #3


グランドジパングでは旧暦を使っているので、現代の暦とは1ヶ月以上のずれがある。
つまり月が如月二月に変わる頃には梅花が満開。城下町は馥郁たる香りで包まれる。
湯島天神で梅見を満喫したあと、お汁粉や葛湯を目当てに『風車』へ寄る娘たちも、もちろん梅の香をまとってやってくる。
芳しい香とレディが組み合わされば、サンジの相好が崩れるのは言わずもがなだ。
「また来てね〜〜〜vv」
その日もハートマークをいっぱいに飛ばしながら娘たちを見送った。

サンジは店内に微かに残った香にまでメロリンしながら、雛祭り用の仕出し料理と花見弁当の献立を練り始めた。
というのも翌月の弥生三月は、雛祭りに桜の開花にと華やかな行事が続くのだ。飯屋にとってはかきいれどきだ。
特に『風車』の仕出し料理や弁当は季節を問わず好評だったので、雛祭りの仕出しも花見弁当も、ともに『風車』に依頼してくる客も増えた。
となればサンジとしては、献立が重なるようにはしたくない。
昨年とまったく同じメニューにするのも避けたいと、サンジの中の料理人の誇りが訴えてくる。
定番かつ好評の卵焼きや煮しめは外さないとしても、今年なりの新メニューを加えたい。
(さて、どうしたものか…。今年はハマグリだけでなくアサリも頼んでみっか…)
三月三日の上巳の節句の前には潮が大きく引く。しかもグランドジパングでは上方と違ってアサリも豊富に取れた。

(雛祭り用にはハマグリを吸い物と蒸し物にして。アサリは花見用にして、酒に合うよう薬味を効かせて甘辛煮にしようか…)
料理について思案を始めると、あっという間に梅の残り香のことは忘れた。
「冷凍」という保存方法の無い時代だから、使える食材は旬のものが大半だ。
その中で弁当に向くものを選ぶと、食材としては昨年と大差無い。
それをサンジは、味付けや料理方法や見映えを変えて、昨年と違う献立を思案する。

煮物・焼き物・酢の物・香の物と考えて、おかずの部分はじきに献立が整った。残るはご飯。
雛祭りは赤飯と決まっているから問題は花見弁当だ。
花見の賑々しさを演出するような華やかなものがいい。
去年は柚子の皮と胡麻の混ぜご飯だった。黄色い柚皮が綺麗で好評だった。
(今年はどうしようか…。蛸を桜煎りして混ぜ込むのはどうだろう。飯の白に蛸の赤が映えていいかもしれねェ…)

「しゃこは?」
「何?」
サンジは献立案を書き連ねている紙から顔を上げた。
昼餉の時間も過ぎて娘たちも帰った今、『風車』にいるのは緑髪の男だけだ。
まだ八つ時だというのに両足膳に乗ったつまみを肴に、ちろりを傾けている。
その男が突然、口を挟んできたのだ。
サンジがブツブツ言っているのを聞いていたらしい。

「花見弁当の飯をよ、しゃこ飯にしたら良いんじゃねェか、って言ってんだよ」
サンジは伺うようにゾロを見た。
料理のことにゾロが口を挟むなんて珍しい、と怪訝さのせいではない。
サンジは眉を少し寄せながら、確かめるように聞いた。
「しゃこ飯?」
「あぁ」
我ながら良い提案だと言わんばかりの表情で、ゾロが頷く。

(しゃこ、ね…)
しゃこが市場に多く出回るのは夏場だ。だが冬にしゃこが獲れないわけではない。
夏ほど漁獲高が多くないから市場に回らないだけで、産地では時期を選ばない。
産地であれば冬でもしゃこ飯が食べられる。そう、産地の品川であれば。

どす黒い感情がサンジの胸にじわりと広がった。
「俺ァ、最近しゃこをてめェに食わせた覚えは無ェが、どっかで食ったのか?」
「あぁ。この前ちょっとヤボ用で出かけた時にな」
「だよなー。でなけりゃ、てめェがこの時期にしゃこが食えるなんて知らねェ筈だよなー」
サンジはゆらりと立ち上がった。
次の瞬間、ゾロは『風車』の外へ蹴り飛ばされていた。
「てんめェ、やっぱり品川、行ってたんじゃねェかーーーーーッッッ!!!!!!」



 ◇ ◇ ◇

「あぁもう、あんな緑苔、こっちからお払い箱だー!!」
「そしたら、サンちゃん、俺とデートしような!」
「うっせぇ、デートは可愛いレディとするんだよ! 野郎なんか願い下げだ! 女の子は柔かくて優しくて、みんな天女様だ!!」
「サンちゃんにだったら、野郎だって、優しくするぜ!」
「うぇー、気色悪ぃこと言うな! 女の子がいいに決まってるだろ!」

昼飯を『風車』に食いに来た時は、サンジの機嫌は悪くなかった。
ところが夜に来てみれば、山と盛り付けられた惣菜の鉢がずらりと並ぶ向こう側で、盛大にご機嫌斜めな板前がいた。
いや斜めといえるほど可愛いしろものではない。地にめり込むような機嫌の悪さだ。

それでも料理の数々に手抜きは無く。
きっちりいつもの申し分ない味であるのだから、ナミには失礼だが、もっと大きな料理屋で腕を奮うべき板前だと誰もが思っている。
それなのに『風車』を離れず、手頃な飯代でこんな上手い飯を食わしてくれる。
そんなサンジに感謝はしても、悪い感情を持つ常連客などいない。
サンジが苛ついていれば、なだめたくなる。

もっとも、元来キレやすい性格なのは皆知っていたから、ただキレているだけなら、触らぬ神に祟りなしとばかりに無視を決め込む。
が、その日はナミがおだてるような言葉をかけても機嫌が直らない。
これは重症だと誰もが思った。
ビリっと電気が走るかのように神経を尖らせるかと思うと、遠くを見るようにぼんやりする。

ナミがひと足早く店を上がったのを見て、サンジに「こっちで一緒に飲もうぜ」なんてさりげなく声を掛け。
サンジもイライラの理由を聞かれないのを言いことに、誘いに乗って飲み始め。
ようやくお開きになったころには、「へべれけ」「泥酔」、そんな言葉が似合いすぎるほど出来上がっていた。

もつれる足で踏ん張りながらも、ざっと片付け火の始末をきちんとして、サンジは『風車』を出た。
途端に寒風が吹きつけてくる。今朝はすっきりと晴れ渡った明るい朝だったのに、夕方になるにつれて風が強くなった。
風は重たい雲も連れてきて、夜になったら空一面、雲に覆われてしまった。

びゅうと唸りを上げる寒風のせいで、半纏の袷から冷気が忍び込んでくる。
雪でも降るんじゃなかろうか…。
そう思わせるほど今夜の風は、酒に火照った身体をも芯から凍えさせそうな冷たさで身体を打つ。
「ちくしょう。提灯の火がすぐ消えちまう…」
とヨサクがごちる。おぼつかない足取りのサンジを気にして、「あっしが板前の兄貴を送りやす」とついてきたのだ。
提灯に火を灯そうとしても強風のせいでうまくつかない。ようやく点いたと思っても、あっという間に吹き消される。
ついには諦めたようだ。提灯をたたんで身体を寄せ合うようにサンジの隣に並んだ。

月明かりも無く、提灯も灯せない夜は、足元すら見えない。
ヨサクとサンジは、大きな辻や木戸にある小さな灯明だけを目印に、暗く沈んだ道を歩いた。
『風車』では散々騒いだというのに、寒さと暗さはそんな勢いを根こそぎ奪う。
二人の口数は自然と少なくなった。

(暗くて寒い夜に、独りの世界に入んのは良くねェよ…)
そうわかっているのだが酔った頭は抑制が効かず、切ないことばかりを考える。
ゾロが女性を抱いたことよりも、そのことに激しく動揺し黒い感情がいっぱいに膨れてきた自分自身がショックだった。
自分といるのは「かりそめ」の姿で、いつかゾロは故郷へ帰ってきちんと女性を所帯を持つのだろうと。
それを納得していた筈なのに。その時が来たら、ちゃんと祝福してあげるのだと思っていたのに。
(俺、全然納得できてなかったんじゃねェか…)

あぁ、そうだ。全然納得できていなかった。
年明けに20日以上も帰ってこなかったゾロにどれほど心を乱されたか。ようやく帰ってきたゾロにどれほどほっとしたか。
(それなのに、また追い出しちまった…。この凍える夜に、また独り寝だ…)
サンジは袂をまさぐって煙管を取り出した。
どうせうまいこと火がつかないのはわかっているが、口に銜えるだけでも構わない。
だが、半ば精神安定剤の煙管をまさに口に銜えようとしたところへ、ヨサクがぴたりと身体を寄せてきて囁いた。
「どうも『風車』を出た時から、つけられてるような気がすんですけど…」

背後に注意しながら歩を進めると、確かにそんな気配がする。
足を速めてみれば、後ろの気配も足を速める。ゆっくり歩いてみれば、やはり後方の気配も速度を落とす。
(そういや去年の暮れもこんなことがあったよな…)
サンジはゾロがサンジの後ろをこそこそついてきていた年末の出来事を思い出した。
(またゾロかな?)
ふわふわしたままの頭でそんなことを思った。
そう思うと、背後にいるのはゾロに思えてきた。
ゾロが原因でこんなに寂しい気持ちになったはずなのに、つけてきてるのがゾロだと思うと甘い気持ちになった。
それがいけなかった。
ゾロの気配なのかどうか確かめもしなかった。

『風車』からサンジの家に帰るには、川を一本渡らねばならない。
小屋敷の脇を抜けて川べりに出て、新橋を半ばまで渡ると、橋の前方に幾つかの人影が浮かんだ。
同時に後ろをつけてきた人影も迫る。つけてきていたのはゾロではなかったのだ。
完全にはさまれた。応戦せずに逃げるには川へ飛び込むしかないが、ゾロじゃあるまいし、寒中水泳などしたくはなかった。

舌打ちをする間も与えずに、匕首(あいくち)が風を切ってサンジに襲いかかる。
蹴りで応酬するが、酔いのせいで身体のキレが悪い。おまけに闇夜で視界が悪い。
木刀を持った男は夜目が利くのか、確実に急所をめがけて突いてくる。
それでもサンジ独りだったらさほど苦戦しなかっただろう。酔っ払ったサンジを気遣ってくれたヨサクの存在が裏目に出た。

最初はサンジひとりを狙っていた暴漢たちは、サンジを負かすのは難しいと判断したとたんヨサクを狙い出した。 人質にでもする気だろう。
狭い橋の上で、自分への攻撃をかわしながら、ヨサクを庇うのは難しい。
ついにヨサクの身体を匕首が掠って悲鳴が上がった。
それに気を取られた瞬間、後頭部に強い衝撃を受けて、サンジは昏倒した。



next→



小説目次←