雪中花 #5

「どうだ? お前さんも、こんなところに長居はしたくないだろう?」
聞き入れなければ帰さない、というわけだ。
だがこんな話、もちろん承諾できるわけはない。だいたいどうして料理屋の進退に、こんなならず者たちが絡んでくるのだろう。
年明けにサンジを河原に呼び出した二人の男は、普通よりやや頑強で腕に自身がある程度の男たちだった。だが、今回は違う。
橋ではさみ撃ちにしたところといい、こんなところへ連れ込んだことといい、素人の仕業ではない。
目の前の4人を見れば、一目瞭然。堅気とは明らかに違っている。
どう考えても、料理屋が板前の工面に困って起こしたことにしては、物騒すぎる。

「今のちんけな縄のれんより数倍でかい料理屋だぜ。そこで腕を揮えるってんだ、悪い話じゃねェだろう?」
(ちんけな縄暖簾とはなんだ! 『風車』は『川政』なんぞより、ずっといい店だぞ、クソ野郎!)
「それにお前さんの頑張り次第では、数ヶ月勤めてるだけでいいかもしれねェよ」
(ますます、てめェらの考えてることがわからねェ!)
罵声が飛ばせないというのは、なんと、もどかしいことか。
サンジは、罵りたい気持ちが放出できない悔しさに唸り、身を捩った。

リーダー格の男はそんなサンジの言い分を聞く気になったようだ。
身体を起こされ胡坐で座る体制を取らされて猿轡が外された。
サンジは早速まくしたてた。
「この話は、もう再三断ったはずだ。それをどうして今頃また、こんな物騒なことまでやらかして、俺を『川政』の板前に据えようってんだ? だいたい料理屋の話に、なんでてめェらみてェなもんが絡んでくる? 数ヶ月でいいってのもわからねェ。誰がこんな胡散臭いことに関わるかよ!」
「話せば納得するとは思えんが、まぁ、教えてやろう。『川政』の3代目が、ウチで随分と借金をこさえてくれてね。3代目個人の贅沢品はごっそり巻き上げたんだが、それでもちいっと足りねェ。御新造(=妻)でもいりゃぁ、そいつを売り飛ばすこともできるんだが、3代目は独りもんの春を謳歌してやがる。だったら店ごと貰って身ぐるみ剥いじまうのがてっとり早いんだが、『川政』は隣のシマにあってな、密談に丁度良い料亭だから潰すのは待ってくれと言われちまえば、こっちも同業者同士で諍いたくねェってんで、それも出来ねェわけだ。なんとか金をこさえる方法は無いのかと3代目に聞いたら、お前さんの名前が出たってわけよ」
「は? なんで俺?」
サンジが首を傾げるのも無理は無い。
3代目と自分には、なんの繋がりもない。

「雛の祭りに花見の宴は料理屋のかきいれどきなんだろう? ここで一気に儲ければ金が出来る。だが今年の『川政』には一向に注文が来ない。そりゃぁそうだ、ろくな板前がいねェのだからな。てェわけで、どうしても今月中にてめェに『川政』に入ってもらいてェわけよ」
「冗談じゃねェ! その放蕩野郎の借金の尻拭いで、俺は縛られてるってのか!」
理不尽も理不尽。
だいたい『川政』は、西方に城下最大の遊興地、東の川向こうには花見の名所を抱え、料理屋としては文句の無い立地条件に位置している。しっかりした料理を出していれば自然と客が入る場所なのだ。
3代目が真面目に店を再建させる気になれば、借金など返せるはずだ。
だが昨秋のサンジの勧誘の時も、料理に対する愛情などわからぬ男だった。
ちょっと評判が良い板前を軒並み口説いているだけで、決して板前を大事にする気配はなかった。

「俺以外にも、腕のいい板前はいるじゃねェか」
「そうかもしれねェが、隣近所の料亭から板前を無理矢理引っこ抜いたとなれば界隈でやっていけねェ。お前さんのところは離れてる。老舗でもねェ。主人は女だ。それでいて先の餅蒔きも任せられるくらいの腕がある。つまり条件がそろってるわけだ」
「そんな条件、揃ってほしくねェな」
「そう言うな。借金が回収できりゃ、お前さんは用済みだ。それまで『川政』をせいぜい儲けてやってくんな」
「やだね。3代目の借金はどうせ博打の借金だろ? 返金が済んだとたん3代目はまた賭場通いだろうよ。俺という金づるをこき使って、自分は派手に遊びやがるに決まってらぁ」
「そうなるかどうかは俺たちの関知するところじゃねぇ。まぁ、お前さんにとっちゃ、理不尽な話だとは思うがね、こちらも金を取り立てるのが仕事なもんで、お前さんが金になると聞けば、こうするしかねェわけだ」
「断るって言ってんだろ! いい加減、この縄を解いて俺を解放しやがれ! てめェらが賭場開いてるってことは知らなかったことにしてやるからよ!」
手首に食い込んだ縄のせいで、指先が痺れてきている。
焦りと怒りとで、サンジは声を荒げた。

するとそれに呼応するように左端の浅黒い男が怒鳴った。
「黙って聞いてりゃ、てめェ、大層な口を聞くじゃねェか! てめェの帰る店を今すぐ潰してやってもいいんだぜ。犬の死骸でも放り込んでやろうか。そうすりゃすぐに客なんかこなくなる」
「莫迦じゃねェのか? 俺がこの話を受けたとしても、『風車』はじきに潰れるさ。俺以外の誰が麦わらの胃袋を満たせると思ってんだ。どちらにしろ『風車』が潰れるんなら、そんな脅しが効くわけねェだろ」
「うるせェ! てめェがうんと言わねェなら、あの女主人に金払ってもらうぜ!」
「てめッ! ナミさんに手ェ出したら、てめェら全員ブチ殺してやる!」
サンジは縄を回された身体を懸命に動かして叫んだ。
足と首を繋いでいる縄にがぶりと噛み付いて、引きちぎろうとした。
浅黒い男は腹立ちのまま、そんなサンジを蹴った。
サンジの身体がどうと横倒しになる。

さらに足蹴にしようとしたところへ「権蔵!」と鋭い声が制した。リーダーの男だ。
「権蔵、話をこじらせるな。板前に続いて女将もいなくなったとなりゃ事が大きくなる。目立つ行為は頭目の意図するところじゃねェぞ!」
その言葉に、浅黒い男の動きがぴたりと止まった。
どうやら、こいつらの上には、相当怖い「頭目」がいるらしい。
リーダーの男は、横倒しになったサンジに近づいて、後ろ手に縛られた手の指をぐっと握った。
その強い力にサンジは思わず、うぐ、と呻き声を上げた。
「お前さん、この指、大事じゃねェのかい?」
耳元で低く囁かれた。
はっとして男を見上げると、男はすぐにつかみどころのない表情に戻って、
「まぁ、急な話で納得いかねェのも無理はない。少し考えてみるといい」
と踵を返して階段を下っていく。
その後を追って、浅黒い男、大男、しゃくれ男の順に下っていき、しゃくれ男が入ってきたときと同じように、床をズズと引いて階段に蓋をした。

残されたサンジの耳に、男の声が甦る。
『この指、大事じゃねェのかい?』
ぞっとするような声だった。脅しなんかじゃない。その気になれば、本当にサンジの指を落とすだろう。
「クソッ…」
毒づいたサンジの声が蔵の壁に吸い込まれた。



男たちとともに灯りも去り、サンジはまた薄暗がりの世界に独りになった。
(そういえば、ヨサクはどうしただろう?)
ここにはサンジしかいない。
連中の話でも、ヨサクには用が無いことは明白だ。
うまく逃げられたのなら良い。同じように縛られてどこかに監禁されているとすれば面倒だが、それでも命があるなら良い。
大川に水死体で浮いたりしたら自分が殺されるよりもよっぽど辛ェ、とサンジは思った。
やはりなんとしても自分がここから脱け出すことが先決だ。
足首には、少しの動きも許さないほど縄が何重にもなっているが、一本噛み切れれば緩みができて、解けるかもしれない。
うまいことに連中は猿轡をかけずに出て行った。

サンジは人並み外れた柔軟性を使って、足首の縄に歯を立てた。
が、思いのほか縄が硬い。
これでは確かに連中が、サンジが縄を歯で噛み切るなんて想像しないのも道理だ。
しかも無理な体勢で縄に噛み付いているから、早々に息が上がってくる。
心臓がきゅうと締めつけられるように痛くなって、歯に力が入らなくなる。
そのたびに、ひと休みして呼吸を整えなければならない。

クソッ、と思わず毒づいた。
「俺は板前だってのに、こんなもん、食いたかねェんだよっ!」
刀を咥えるアイツだったら、顎の力ももっと強いんだろうか、と思うと、サンジの負けん気に火がついた。
(ぜってェ、噛み切ってやる!)
渾身の力で縄に噛み付く。表面が少し切れるがまだまだ千切れるには遠い。
額からぽたりぽたりと脂汗が落ちて、床に染みを作る。
呼吸はどんどん苦しくなっていく。
思えば足首に肩がつくほど屈曲させる体勢は、海老責めという名の拷問の一種だ。
いくらサンジの柔軟性が並外れていても苦しいのは当然だった。
何度目かで頭がキーーンと痛んで、視界が真っ暗になった。
(ヤベェ…)
サンジは身体を横に倒して、はあはあと荒い息を吐いた。
間の悪いことに、その時、階段を登ってくる足音が聞こえた。

床の羽目板が横にずれて、『権蔵』と呼ばれた浅黒い男ともっさりした動作の大男が入ってきた。
権蔵は早々にサンジの異変に気づいた。
顔を真っ赤にして荒い息を吐き、脂汗に濡れた床に横たわっていては、気づかぬほうがおかしい。
身体を乱暴にひっくり返されて、噛み痕の残る縄を発見された。

「これを噛み切ろうとは良い根性してんじゃねェか。ま、無駄なあがきだったな。そんな無駄骨をさせちゃあ可哀想だから、出来ねェようにしてやるよ」
権蔵は懐から手拭いを取り出した。
口に咬ませられるのだと気づいたサンジは慌てて叫ぶ。
「待て。その前に、水をくれ。あ、それと小便! 小便行かせてくれ!」
水が欲しいのは本当だ。
だが、小便は、なんとかこの状況を変えなくては、と思って咄嗟に口から出た方便だ。
「さっきから厠(かわや)へ行きたくてよ、それで足をほどこうとしたんだ」
見え見えの嘘だったが、サンジは、あくまで生理現象が切羽詰っているという振りをした。
疑り深い視線を投げながらも、権蔵は大男に顎で指図した。
それを受けて大男がサンジをひょいと持ち上げた。
「大声を出したり、逃げようとしたりしたら、こいつでひと突きだからな」
権蔵が後ろで脅しの言葉を吐いた。見えないが匕首をちらつかせているのだろう。
従順な振りをして、サンジはこくこくと頷いた。


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