雪中花 #6

ギギギと重い音を響かせて、蔵の戸が開けられる。
まばゆい光に目を射られて、サンジは思わず目をぎゅっとつむった。
ひんやりとした空気が肌を刺す。
そろそろと目をあけて、ようやく周りの景色が見えてきて、サンジは驚いた。あたりは真っ白い銀世界だった。サンジが蔵に入れられている間に雪が降ったのだ。蔵と母屋の間の植え込みも、すっぽりと雪を被っている。
サンジは心の中で舌打ちをした。
これでは厠(かわや)で足の縄を解かれたとしても、雪に足を取られて逃げにくい。
草履(ぞうり)は奪われていて素足だから、雪の冷たさは刺すようだろう。
雪の下に何が埋もれているのかわからないのも、尖ったものを踏みそうで厄介だ。

しかしそんな算段も、実は何も役に立たなかった。
厠で縄が一切解かれないまま、半纏(はんてん)の裾をまくられたのだ。
「おいっ、何しやがるっ!!」
抗議の声に構わず、大男は、背後から膝裏をすくうようにして、サンジを抱えた。
幼子にお小水をさせるような格好にサンジが身を捩る。
だが縛られた身では大した抵抗ができない。
大男にがっしりと抱きかかえられたところへ、権蔵がサンジの股引の前の袷(あわせ)に手を入れた。
「ひうっ…」
今で言うところの「社会の窓」から陰茎をひっぱりだされて、その荒々しい扱いに思わず声が洩れた。
これで小便ができるのは、よほど無神経な奴だけだろうと思う。

「どうした、小便するんじゃねェのか?」
サンジのものを握ったままでにやにやと笑う権蔵を見て、サンジは理解した。
(こいつ、最初から俺をいたぶる気でいやがったんだ…)
「小便したい」というサンジの言葉が本当だったのならその無様な格好を嘲り、嘘だったらサンジの企みをくじいて虐げる。そういうつもりだったのだ。
「こんなふうにされたら、出るもんもでねェだろうが!」
悪態をついてサンジは権蔵を睨んだ。
権蔵は嘲るように笑って、乱暴にサンジのものを股引に押し込んだ。
それもやはり荒っぽくて、痛みに声が上がりそうになった。

小便の時にはせめて、足と首を繋いでいる縄くらいは切られるだろうというサンジのもくろみは、あっけなく散った。
しかもここはどこかの無住寺らしい。母屋と見えた建物の向こうにお堂のようなものがある。鐘楼もある。
ならば母屋と見えたのは庫裏で、多分、賭博もそこで開かれている。
(寺、か…。ますます自力で脱出するしか無さそうだ…)
寺社仏閣は寺社奉行の管轄だ。たとえルフィがここを突き止めても、管轄が違うから手が出せないのだ。

蔵の中より、庫裏(くり)のほうが逃げ出す機会は多いだろう。
なんとか蔵に戻されないようにする手立てはないだろうか。
とりあえず先ほどの要求を言ってみる。
「水は? 水くれよ」
「水ねェ…」
少し思案した権蔵の目がぎらりと光った。
残忍な光を帯びている。先ほどサンジをやりこめたことで、苛虐心が煽られたようだ。
「たらふく飲ませてやるよ」
(マズイ…。コイツ、何かたくらんでやがる…)

悪い予感は的中するのものだ。
権蔵は庭へ降り、大男に命じてサンジを井戸端へと連れてくるや、雪の上にいきなりどさりと落とさせた。
いくら雪の上でも、下敷きになった側の肩に自重がかかって、ぐうとサンジは声を上げた。
間髪入れずに足首と首を繋ぐ縄がぶつりと切られ、仰向けにひっくり返されて、あぐらに戒められたままの足を井戸端の柵に括りつけられる。
大男に頭をつかまれたと思ったら、即座に顔面に水が降ってきた。

口を閉じても鼻から水が流れ込んできてむせそうになる。
権蔵が残忍に笑いながら、むせて開いた口めがけて水を大量に流し込んできた。
「ほら、しっかり飲めよ」
嚥下が追いつかず、意思に反して咽喉へ落ちてきた水で窒息しそうになる。
溺れるような感覚に、サンジは激しくもがいた。
だが、大男の手は頑強で、サンジがどれだけ頭を振って暴れても、ますますサンジの顔を固定しようと力をこめてくる。
「紋冶の奴ァ、てめェにゆっくり考えろなんて言っていたが、俺は気が短けェんだ。辛ェ目見る前ェに、さっさと川政の板になっちまったほうが楽だぜ」
窒息しかけてひくひくと痙攣する身体を見下ろしながら権蔵が言う。

だが、サンジとてやすやすと言いなりになる気はない。
言いなりにならないサンジに、権蔵はますます残忍になる。
再び大量の水が注がれた。
サンジの意識が飛びかけると、顔への攻撃は一瞬やんで身体に水がぶちまけられる。
そうして、サンジの意識が戻ってくると、また口や鼻へ水が注がれる。
こうなると人を襲うのは苦しさよりもパニックだ。
逃れられない恐怖と、溺死の感覚が繰り返される恐怖。
おまけに身体にも水をかけられたせいで体温が一気に奪われていく。
降雪から間もない冷気の中でサンジの身体は色を失い、カタカタと震え始めた。
暴れる力も尽きてきた時、『紋冶』と呼ばれたリーダー格の男の声が響いた。
「権蔵っ、何をしている!!!」

だが権蔵は悪びれもせずに答えた。
「何って、こいつがあんまり強情だから、てめェの立場ってもんをわからせてやっただけですぜ」
「今晩、胴元が来るってのに、勝手なことするな」
「胴元が来るからってどうだってんだ。コイツが『川政』の板として働く気なんか無ェってんなら、さっさと売りとばしゃいいんだ。色子にするにゃ確かに年を食いすぎてるし言葉使いも悪すぎる。身体も野郎になりきっちまって顎髭まで生やしてるが、なぁに、この髭だけでも剃ってやりゃ、こういうはねっかえりを欲しがる奴はいるさ。なにしろコイツは支配欲をくすぐるからな」

言われて見てみれば、たしかにそうかもしれぬ。
すでに抵抗する力もなく、ぐったりと横たわるサンジは凍えかけており、半纏から覗く胸元が透き通るように白い。
濡れた唇は寒さで色を失っているのに、その奥に見える舌は誘うような紅だ。
暴れてほどけた結い髪が頬や額に張り付いて、金糸の先から時々雫がつたい落ちる。
身体に縄が掛かっているのが余計に艶かしい。この縄を引き絞って苦しませてやったらより壮絶な色気が出ることだろう。

紋冶も権蔵の言い分を認めざるをえなかった。
「まぁ、板前としてでも色子としてでも、コイツが3代目の借金の返済金を作るのは違いねぇ。随分トウがたっちゃいるが、確かにこういう毛色のもんを珍しがる客もいるだろうな」
そう言うと、しゃくれ男に何事かを指示した。

しゃくれ男は頷いて、おもむろにサンジの顎を掴むと、さっと小脇差を走らせた。
次の瞬間、サンジの、あごひげがそり落されていた。
ヒゲのなくなった顔はどこか中性的で、驚愕に見開かれた蒼色の瞳が彼を幼く見せた。
権蔵が、そんなサンジをしげしげと見た。
「てめェ、先の改革で取り潰された、門前の若衆茶屋にいなかったか?」
権蔵はサンジの顎を持ち上げて、じろじろと検分し始めた。
やがて確信したように言った。
「やっぱり、てめェ『小蝶』だろ? あん時はもっとひょろひょろしたガキで、当然髭も生えて無ェし、髪ももっと淡い色だったから気づかなかったが間違いねェ」
権蔵は紋冶に向き直って下卑た表情で続けた。
「コイツ、やっぱり板前なんて堅気の商売をさせるほどのもんじゃねぇよ。コイツが客取れるようになる前に店が取り潰されちまったが、少しは躾(しつけ)が進んでたはずだぜ。そのあとどうしていたかはわからねェが、なに、俺がすぐに使えるようにしてやるさ」

「売るなら、身体に傷つけねェほうがいいんじゃねェのか? 今晩胴元にコイツの扱いを相談するから、それまでに見られるようにしておけ」
紋冶はそういうと庫裏(くり)のほうを顎で示した。
大男がそれに従って、ぐったりしたサンジを庫裏へと運ぶ。
後ろで権蔵がぶつぶつ言っているのがサンジの耳に届いた。
「どうりでコイツ見てると無性に苛々したはずだ。どっかに『小蝶』の気配を感じていたんだな。俺は『小蝶』が大っ嫌ェだった。客を喜ばせる手管を何ひとつ持たないうちから、その存在だけで上客の目に留まって。なのにその寵愛を唾棄してやがった…。さっさと水揚げされて自分の身の上を嫌でも自覚すりゃよかったのに、客取らされる前に解放された幸運なガキ…」

だが、サンジは権蔵の文句をすべて聞くことなく、疲労と寒さで意識を手放した。





夢を見た。

身体に埋め込まれたものは柳の枝より細いのに、じんじんと痒みに似た疼きをもたらして自分を苦しめている。
せめて横になってこの苦しみを逃したい。
だがそのままでお辞儀から歩き方から酌の仕方までをさらっておけと言われて、気を抜けば乱れてしまう足を必死で閉じ合わせながら教えられた作法を繰り返していた。
その自分を浅黒い少年が恨めしげに見ている。
確か『紅丸』と呼ばれていた4つ年上の少年だった。
身体つきに柔かさがなくなり、髭が生えて男らしい身体へ変容し始め、ごわごわとした髭をしょっちゅう抜いていたが、抜き痕がぶつぶつと青く、彼を買おうとする者はあっという間に少なくなった。

陰間は男であって男でない。女より女らしいことを要求される。身体だけでなく心まで女であるように求められる。
女の着物を着せられ、上品に聞こえる京の女言葉と仕草を教えられ。
身体つきはもちろん、体毛も体臭も男を感じさせることは極力避けられて、男へ成長するのを出来るだけ遅らせようと様々な施術が行われた。
相手を男と認めて抱く同性愛とは程遠かった。
男の徴候が出てきたら、陰間はお払い箱なのだから。

だから茶屋につれてこられたサンジは、少しでも早く男の身体になりたかった。
幼い頃の飢饉で成長が遅く、肌も髪も瞳も淡い色素で出来た自分の身体が早く成長することを願った。
だが『紅丸』にとっては、陰間として「恵まれた身体」を持っているくせに大人の男の身体を欲しがるサンジの気持ちこそが憎かった。

ある時、『紅丸』が部屋へ踏み込んできた。
「『月弥』の代わりにおまえの指南をしてやるよ」
成人男性の隆々と勃った性器を10代前半の男児が受け入れるのは本来無理がある。
そのため少しずつ段階を踏んで半年ほどかけて身体を慣らしていくのが常だ。
身体を作ると同時に、振る舞いや言葉使い、お座敷芸、客のあしらい方や床での手管などを覚えなくてはならないので、大人たちだけでなく先輩格の色子も、新入りの面倒を見るようになっている。
サンジの面倒見役の『月弥』は今、客の相手をしていいるから、代わりに『紅丸』が指南してやろうと言ってきたのだ。

だが、近づいてくる『紅丸』の妬みのこもった視線に、彼より頭ひとつ分以上小さいサンジは知らずあとずさりしていた。
『紅丸』の手がサンジの身体にかかって、思わず抵抗した。
逃れようとしたら、誰かわからぬ者の手が伸びて、サンジを押さえつけた。
夢の中で、サンジはついに悲鳴をあげる。
「いやっ!」
叫んだ声に、今度は口を覆われた。
『いやだいやだいやだ、離せっ! 俺に触るな!』

「じっとしてろ、死にてェのか」
いつの間にか『紅丸』は、やくざ者に身を持ち崩した今の姿となり、サンジを恫喝した。
(早く大人の男の身体になって、さっさとこっから出てェ…)
サンジは夢の深みに引きずりこまれながらそう思った。



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