雪中花 #8
襲い掛かってくる手下の攻撃を難なくかわし、峰で打ち据え、あるいは懐に飛び込んで刀の柄で鳩尾を強打する。
そんな突然の荒事に客たちは腰を抜かして蒼白になるばかりだ。
賭場通いはもうこりごりだと思う良い薬になるかもしれない。
それほど一方的に、ゾロは強かった。
が、しばらく静観を決めていた胴元が、ひどくゆっくりした動作で立ち上がった。
無造作に立ったように見えるが隙が無い。かなりの遣い手だ。
だが相手が強ければ強いほど、闘志を燃やすのがゾロだ。
怒気よりも闘気が強くなった気配を敏感に察したサンジが叫ぶ。
「適当にしとけ! てめェを置いてったら、また迷子になるだろうが!」
「外ではジョニーが待ってる。先行って安心させてやれ!」
仕方が無ェなと、サンジは、たたきに並んだ客の草履のひとつを拝借した。
こうなると一戦交えなければゾロの気が収まらないことはよく知っている。
どれだけ気になっても、ゾロの闘いに口を挟むつもりはない。
抜いた片袖を着直して、寒風の吹きつける外へ走り出た。
ゾロはぐっと刀を握りなおした。
あらためて向き合ってみると、胴元は実に戦闘向きの身体をしている。特に腕が長く、リーチにかなりの差があるだろう。
胴元は足を開いてぐっと腰を落とすと、胸の前で両の拳をぐっと押し付けあうように合わせてゾロを見据えた。
「俺と素手で闘おうってのか?」
ゾロは刀の切っ先を胴元に向けて睨んだ。
「安心しろ。ちゃんと武器も持っている。必要となれば使う」
まるで今のところ必要性を感じてないとでも言わんばかりだ。
ならば、とゾロは先に仕掛けた。
脇から斜め上に跳ね上げるように刀を振れば、胴元は巨体に似合わず敏捷な動きでこれをかわした。
ゾロはすかさず跳躍して刀を上段から振り下ろす。
ガキっと何かに止められた。
力と力がせめぎあい、二人共同時に後ろへ飛び退った。
間合いを取って睨み合い、ゾロはあらためて、自分の刀を止めた相手の得物を見た。
形状は先端がぶつ切れたように四角い角鉈(なた)だ。
だが、刃渡りおよそ2尺半(75cm)、刃の厚みも普通の鉈の比ではない。
おそらく腰に革鞘でもつけて下げていたのだろうが、大きな身体に隠れて気づかなかった。
「面白ェもん、持ってんじゃねェか」
ゾロは、ぺろりと上唇を舐め、好戦的な目を向けた。
だが、胴元は相変わらず涼しい顔をして答えた。
「俺のほうこそ面白いものを見せてもらった」
「なに?」
「あいつはお前の何なんだ? イロか?」
あいつとは、サンジのことだろうか?
「随分息が合っていたじゃねェか。打ち合わせも無しに芝居が打てるなんてのは、ただならぬ関係に違いねェ。そうだろう?」
「答える義理は無ェ!」
むっとしてゾロは言い返した。
「では、質問を変えよう。あれの身体はそんなにいいのか?」
目の前が怒りで赤く染まった。
俺を、サンジを、愚弄している。
だが感情的になっては負けだ。
挑発して怒りにまかせた剣を誘うのが相手の術なのだ。
「うちのもんが、言っていたぞ。色子にするには年をくっちゃいるが、充分男を誘うとな」
「くだらねェッ!」
叫びながら一気に間合いに入って、獣の突進のような突きを叩き込む。
が、くるりとかわされて、ゾロと胴元の位置が入れ替わった。
再び見合った時、ゾロの脇腹がずきりと痛んだ。
突きをかわされたと同時に、あの大鉈(おおなた)で脇を掠められたようだ。
見事に相手に乗せられた。
(もうあいつの言葉に惑わされちゃならねェ…。乗せられるな、煽られるな…)
「俺はそっちのほうはまるで興味が無ェんだが、おまえもあれの色香に惑わされたクチか?」
「あいつを愚弄するなっ!!」
乗せられまいと思うのに、身体は勝手に動く。
峰に反すのも忘れてゾロは斬り掛かった。
ガキっと鋭い音を立てて刀と大鉈がぶつかる。
火花が散った。
強い…。しかも強さに驕(おご)らず冷静だ。今も大鉈を微かに揺らして、ゾロが先走って踏み込むのを誘っている。
「気に食わねェ」
ゾロは思わず呟いた。
先ほどから、言葉で煽られ、鉈の動きに煽られ、自分ばかりが動かされている。
ゾロはゆっくりと息を吐きながら腰を落とした。
頭に血が上った時は、腰を落として「気」も下へ落とす。
ゾロはすっと刀を正眼に構えた。
感情的になっていた時には耳に入ってこなかった自分の鼓動や相手の呼吸が聞こえる。
相手も、ゾロの変化に気づいたのだろう。
手をやや突き出すようにして、大鉈を構える。
そのまましばし睨み合う。
互いの呼吸を計っている。
その緊張を破るように「胴元!」と声が飛んで、二人の間に男が転がるように割って入ってきた。
ゾロを見据えたまま胴元が「なんだ!」と言い返す。
二人の間で這い蹲ったまま男が言う。
「『川』のぼんぼんが、どうやら呼出し食らったようで…」
「確かか?」
「へえ」
胴元はふっと構えを解いた。
「勝負はお預けのようだ」
大鉈を革鞘に納める。
「あぁ」
短く答えてゾロも刀を降ろした。
勝負してみたい気持ちもあったが、潮時を見誤ってはいけない。
元々、この相手との勝負に来たのではないのだ。
『ぼんぼんが呼び出し食らった』ことで、この連中がサンジを狙う理由がなくなったことをゾロは知っている。
キンと澄んだ音を立てて、刀が鞘に納まった。
一方、外へ飛び出したサンジを迎えたのはジョニーと見知らぬ二人の男だった。
「兄貴! 無事でしたか! ゾロの兄貴ったら『入ってみなけりゃ何もわからねェ』とか言って、なんの作戦も無く入っていっちまったからどうなることかと思いやしたぜ」
ほっとしたようにかけよってくる。
「ヨサクは無事か?」
「ちょっと肩痛めてますが、命に別状ねェっす。それより、板前の兄貴は先にあいつらと行ってください。俺はゾロの兄貴を待ちますから」
「誰だ、ありゃ? 信用して大丈夫なのか?」
少し離れたところでサンジとジョニーの会話を聞いている二人の男は、日焼けした肌とがっしりした体躯を持っている。
「大丈夫ですよ。ここをつきとめられたのも、あいつらのお陰でさぁ。ゾロの兄貴の知り合いらしいんですが、わざわざ品川から来てくれたンす」
「品川?」
ぴくっとサンジの眉が上がった。
「その話、詳しく聞かせてもらおうか…って言いてェところだが、どうも後回しのようだな。敵さんのお出ましだぜ!」
さっと身構えたサンジに迫ってきたのは権蔵だ。
ほかの連中がゾロの相手をしているなか、いち早くその場を抜け出してサンジを追ってきたのだ。
借金のかたにサンジを傷つけないでおくべきだなんてことは、もう権蔵の頭には無い。
匕首を構えて、私怨に満ちた目でためらいなくサンジに斬りかかってきた。
身体をひねってそれをかわす。
権蔵は、攻撃をぶつけるところを失って前のめりになった体勢を素早く整え、身体を返して、今度はサンジの後方から襲いかかる。
「てめェら、離れていろ!」
サンジは飛び退りながら、ジョニーと二人の男に鋭く指示した。
(コイツ、本気だ)
他の連中がどれだけ自分を脅そうとも、命まで取る気はないとわかっていた。
殺しは死罪だ。たかが借金の取り立てで人を殺して死罪になるのでは割に合わない。
だが権蔵の目は本気だった。
腰だめに構えた匕首をまっすぐにサンジに向け、身体ごとぶつかるように飛び込んできた。
サンジは身体をすばやく横へずらして刃先を避け、匕首を握る手首を蹴り上げた。
「ぐっ!」
呻き声を上げて権蔵が地面に転がる。
だが、執念はすさまじい。
取り落とした匕首を素早く左手で拾うと、再びサンジに向かってきた。
利き腕でないため手元が安定せず、闇雲に振り回して突っ込んでくる。
こうなると正攻法より始末が悪い。ブンッと空気が響いて、匕首が袂(たもと)や胸元を掠めていく。
右へ左へかわしながらサンジは、さっと身を沈めた。
からぶった切っ先をくぐって権蔵の懐へ飛び込む。
権蔵の足元で更に体勢を低くして両手を地に着き、権蔵の顎へ向けて鋭い後ろ蹴りを放った。
ガッと骨の鳴る音がして、浅黒い身体が宙を舞う。
舞った身体が引力に引かれてどーんと地面に落ちてくる。
地に付く寸前のところで渾身の蹴りをもう一発。
雪と泥にまみれて権蔵の身体がぐたりと伸びた。
サンジは地面に転がったそれを見つめた。
『紅丸』は意地悪いところもあったが、こうまで悪人面ではなかった。むしろ整っていたと言っていい。
窪んだ眼孔は鼻筋をスッキリと高く見せていたし、真っ黒な瞳は濡れるように光っていた。
骨太な身体も、彼が陰間でなかったら、精悍な若者として、もてはやされただろう。
陰間であったがために彼は、若木が枝葉を伸ばすようにぐんぐん成長するそのしなやかな体躯をもてあまし、店が潰された後の身請け人も得られず、また奉公の水もあわなくて、やくざな世界に身を持ち崩したのだろう。
自分の境遇への恨みと他人へのそねみとやくざの上下関係は、整った顔立ちを卑屈にゆがめ、上目遣いに皮肉な笑みを浮かべるような容貌にしてしまっていた。
哀れではある。が、同情はしねェ。
サンジはそう思う。
もっと酷い境遇でもまっすぐ生きている者はたくさんいる。
「あーあ、良い着物だったのに…」
権蔵の匕首が掠って切り裂かれた袂をサンジは見つめた。
「ナミさんに差し上げたら、『サンジ君、好きよ!』とか言って抱きつかれちゃったかもしれねェのに、クソ勿体無ェーー!!」
「着物ぐれェでうだうだ言ってんじゃねェ。引き上げるぞ」
この声はゾロだ。
口調は荒いが「着物が傷ついただけで終わって良かった」という気持ちの精一杯の表現だ。
もっともそれが通じたのはサンジだけで…。
先頭切って走り出したゾロ目掛けて「お前が先頭行くな、迷子野郎!」と蹴りつけたのは、これまた互いにしかわからないサンジの照れ隠しである。
「で、てめェら、なにもんだって? さっきの話を聞かせてもらおうか」
夜道を案内するふたりの男にサンジは走りながら話しかけた。
「本当に覚えてないんですかい?」
「悪ィな。俺、野郎の顔を覚えておく趣味は無ェからよ。『風車』に来てたか?」
はて?と記憶を辿るような表情を見せたサンジの視界が突如くるりと回った。
みぞおちのあたりがふわりと妙な感じになって…。
「おいっ! 何、こっぱずかしい真似してくれてんだ、てめェ!」
気づけばゾロの肩に担ぎ上げられてる。
「こっぱずかしいのはてめェだ! いくら裾が邪魔だからって、腰巻までケツにひっからげて走る女がどこにいる!」
「そんなレディいるかぁ! いたらお目にかかりてェよ!」
「わかってんのか、このアヒル頭! てめェ今、ハタから見たら、女なんだぜ!」
「あ…」
そうだった…。
ゾロと立ち回りをやらかして、そのあと権蔵にも足を振り上げて…。
すっかり忘れていた。
ジョニーも、見知らぬ二人の男も、時折チラチラとサンジのほうを盗み見ては困ったような顔をしていたのはそういうわけか。
「だ、だからって、こりゃ無ェだろ! 俺はコイツらと話してんだよ、降ろせよ!」
「そいつら二人は、てめェをつけ回して、てめェに伸されて、諦めたんだ」
ゾロの説明は全然わからない。
「なんでつける必要がある? 俺が伸したっていつ? んで何を諦めたんだ? 品川から来たって本当か?」
サンジの立て続けの質問にふたりの男が代わるがわる答えて、ようやくわかってきた。
二人は確かに品川の者だった。
いつもはしゃこ漁で生計を立てているが、昨秋の稼ぎは例年の半分ほどだった。自分たちが縄張りにしていた漁場に、護岸工事の泥水が大量に流れ込んで、しゃこが大量に死んでしまったのだ。
これでは年が越せない。
仕方なく城下で稼ごうと出てきたところ、「川政」の3代目に屈強な風貌を見込まれたのだと言う。
『ひょろっこい板前を、ちょいと脅してくれればいいだけのことさ』と言われて、気が進まないながらも報酬の良さに引き受けた。
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