雪中花 #9
「ひょろっこい板前って、俺のことかよ!」
サンジがむくれる。
実際、ふたりも、『風車』で働くサンジを見て、これならすんなりことが進むと思ったらしい。
だが、この二人、風貌はいかつくても人を脅したことなどない。
ひと気のない場所も、連れ込むタイミングもわからず、しばらくは困惑しながらサンジの後ろをうろちょろしていただけだった。
殺気が無ければ野郎の気配なんぞ気にも留めないサンジだから、そんなことは露知らず。
気づいたのは、サンジに近寄る男に敏感なゾロのほうだった。
これ以上サンジに近づいたら、追っ払う気満々でいたが、ついにふたりが市場帰りのサンジを河原に呼び出した時には、ゾロはしっかり朝寝中。
「あーー、そういや、朝っぱらに河原に呼び出されたことがあったような…? なんだ、てめェら、あん時、無謀にも俺に脅しをかけてきたあいつらか!」
「へェ。ホント、無謀でやした」
ふたりは、こてんぱんに打ちのめされた年明けの或る日を思い出す。
真冬の朝らしく、身を切るように冷たい寒風が河原を吹きぬけていた。
『川政に行く気は無ェって、きっちり伝えとけ!』
河原で対峙した「ひょろっこい」男は威勢が良かった。
それでもまだその時は、朝日に輝く頭がキンキラと派手な野郎だとしか思っていなかった。
『そこを力づくでも従わせろって、命令なんでね!』
腕っ節には自信がある二人が凄みを利かせた。
だが、一向に臆する様子はなく、ふふんと鼻であしらわれた。
『へぇ、力づくねェ…。やってみろってんだ』
挑発するように口角を上げた痩身目掛けて殴りかかれば、拳はすかっと空を切った。
つんのめった身体をどうにか転がさずに踏みとどまるが、視界から「ひょろっこい」男が消えている。
どこだ?と思う間もなく『ばーか』と声がして、次の瞬間には上空からの踵落としで早くも沈められていた。
『まず一人』
にやりと笑った金髪を見て、残った一人の背にざーっと汗が噴き出した。
自分たちの手に負える相手でないと、ようやく悟った。
それでも虚勢と意地で躍りかかれば、案の定、呆気なく、蹴り倒された。
『俺の朝飯待ってる野郎共が大勢いるんで、てめェらと遊んでる閑は無ェんだよ。んじゃ』
背を向けながらひらひらっと手を振って、キンキラ頭が遠ざかる。
「見た目で人を判断しちゃいけねェってのは、真実だなぁと思いやしたぜ…」
「こんな色っぽいお人が、あんなに強いとはなぁ…」
二人の漁師はそう言って頷き合う。
今のサンジの格好を見ながらジョニーもうんうんと頷いている。
けっ、とサンジはゾロの肩の上で嫌そうに溜息をついた。
(んなもん、ちっとも嬉しくねェ…。野郎に色気なんか要るか! だいたい俺がどんなに色気があろうと、品川のレディには勝てねェんだし…)
「で、てめェはいったいいつどこでコイツらと意気投合して良い夢見るようなことになったんだ?」
なかばヤケ気味にゾロの耳をひっぱりながらそう問えば、
「良い夢? なんだ、そりゃ?」
と返ってきた。
「まだシラを切る気かよっ!!」
突然険悪になったサンジにビビリながら漁師たちが口をはさむ。
「あの、なんか誤解してるようで…」
事の次第はなんのことはなかった。
サンジに伸された漁師たちは、もうこの仕事はこりごりだと、「川政」に断りを入れて一旦品川に帰ることにした。
そんないきさつを知らずに彼らをまた見かけたゾロは、ふたりがサンジに不埒な真似を働かないようにと、後をつけたらしい。
方向音痴ゆえ、自分が日本橋通を抜けて京橋川を渡り、サンジと訪れた芝神明も過ぎたことにも気づかなかった。逆に、見たことのある場所だから、さして遠くに来ているとは思わなかったらしい。
そんなわけで着いたところが品川だなんてゾロは全く知らなかった。
知らないまま、二人が各々の家へと別れようとしたところで、どちらをつけるか迷ったゾロは声をかけ、なんだ板前に横恋慕してるんじゃなかったのかと打ち解けてしゃこ飯をご馳走になってきたらしい。
その後『風車』へ戻るまでに数週間を要したことは、容易に想像できる。
サンジはどっと溜息をついた。
(レディと懇ろになっていたんじゃねェのか…)
女遊びもしたくなるさ、という客の言葉につい、乗せらてしまった。
坊主だから品川に行くんだという、もっともらしい理由が噂に真実味を与えて、そうなのだとつい思い込んでしまった。
(いや違ェ…。コイツはここに留まっているような奴じゃねェと思っているから、俺は納得しちまったんだ)
ゾロが迷わずさっさと帰ってくれば、品川で女楽に溺れているなんて噂に惑わされずに済んだはずだ。
「ったく、この迷子野郎…」
サンジは、もう一度ゾロの耳を引っ張った。
それでも、心のどこかでほっとした分、先ほどより引っ張り方は随分優しい。
それに「ひょうたんから駒」というか、ここでゾロと漁師たちが知り合わなかったら、あの賭場をつきとめられなかったのは明白だ。
「ありがとよ…」
サンジはゾロの肩の上で、漁師ふたりに礼を言った。
「てめェらを伸した俺のために、品川から来てくれて…」
そう言って、はにかんだように笑ったサンジの顔にドキリと心臓が跳ねたとは、ゾロの前では口外すまいと二人が思ったとか…。
「もう降ろせよ、ゾロ!」
尻っぱしょりはとっくに下げられて、サンジの足は引き裾の着物にすっぽり覆われている。ゾロにサンジを降ろす気が無いということはこれで明白だが、サンジは何度も降ろせと暴れた。
やがて見知らぬ風景が見慣れた街並みになってきたところでようやくサンジは大人しくなった。
夜とはいえ、まだ深夜というには間があって、時折人にすれ違う。夜鳴き蕎麦も屋台を畳んでいない。
これではうっかり知り合いに会うかもしれない。
こんな女物の着物を着て、ゾロに担がれているのが自分だとばれたら、噂スズメたちが何を言うかわからない。ならば女の振りしてぐったりしていたほうが良いんじゃないかと思ったのだ。
家まで案内してくれたジョニーたちは、礼を言う間も与えずにそそくさと帰っていく。
「おい、飯食ってけよ! 腹へってるだろ!」
というサンジの誘いも「また改めてごちそうになりますんで」と断られた。
「なんだよ、付き合い悪ィなぁ…」とつぶやくサンジは、ゾロの肩に乗っけられたままで、ゾロが「悪ィが今日は帰ってくれ」と無言の睨みを効かせていることなんて見えはしなかった。
「おい、もう良いだろ…」
家に入っても抱えられた格好のままでは恥ずかしい。
肩の上で身を捩ると、柔かく押さえつけられる。
「今降ろしてやるから暴れんな。落ちるぞ」
ゾロは敷きっぱなしだった夜具の上にサンジをそっと降ろした。
腰と頭を支えながらサンジを横たえるその仕草は、どこまでも優しい。
まるで壊れ物を扱うようで、かえってサンジの心がちくりと痛んだ。
(こんな、か弱いレディを扱うようにしてほしくねェ…)
さっさとこの女物の着物を脱いでしまおうと、ぱっと身体を起こして帯を解こうとした。
が、それより早くゾロが覆い被さってくる。
あ、と思った時にはすでに唇が重ねられ、無防備に開いた口内に熱い舌が挿し込まれた。
「んっ…」
舌先を絡められて声が洩れた。
強引に奥まで来るのではなく、ご機嫌を伺うように舌先だけをちらちらと絡めてくる。
奪うようなキスよりも、ずっといやらしくて、頭の芯が蕩かされる。
こめかみの髪が優しく梳かれる。
その手が下へと降ろされて、小袖の裾を割った。
足首のほうから脚の付け根に向かって、すうっと撫で上げられる。
身体がひくんと跳ねた。
反対側の脚も同じように撫で上げられて、サンジの身体がくうっと反っていく。
感触を確かめるようにそれを2、3度繰り返されて、早くも白い身体が色付いた。
が、ゾロはふと唇を離して、サンジの顔をじっと見つめ、乱れた脚をじっと見つめ…。
おもむろに立ち上がった。
「な、に?」
突然離れていったゾロを怪訝に感じてサンジが尋ねる。
ゾロはひとこと、「暗くてよく見えねェ」と答え、手燭に火を灯した。
ぼおっと辺りが明るくなる。
その手燭を持って、ゾロはサンジを見下ろした。
サンジからは逆光でゾロの表情が見えない。
何を見ようとしているのだろうか。
女のなりをさせられた自分だろうか…。
この格好にそそられて、もっとよく見たいとでも思ったのだろうか…。
胸が苦しくなってサンジを目を閉じた。
それでゾロの動きに対応するのが遅れた。
いきなりサンジの小袖の裾が捲り上げられた。
はっとしてゾロを蹴り飛ばそうとしたが遅かった。
脚は空を切り、ゾロはその間にサンジの脚の間に割って入る。
「てめっ、なにをっ!!」
割られた脚の付け根の褌にゾロが噛みついてきた。
女装をさせられた時、時間が無くて、下穿きまで女性と同じにされるのはどうにか免れた褌だ。
「ゾロッッ!」
肉食獣が獲物の皮膚を食い破るように褌を歯で引き裂くゾロに、たまらず、悲鳴めいた声が出た。
「こっちの毛も剃られてるんじゃねェだろうな!?」
怒鳴るような声が返ってきた。
え? と一瞬呆けた隙に、褌が裂かれて毟り取られる。
曝け出された部分に手燭が近づけられて、サンジはとっさに恥部を手で覆い隠そうとした。
「隠すな!」
有無を言わせぬ声が飛ぶ。
股間に伸ばしかけた手が行き場を失って、結局、自分の着物の端を握り締める。
見られている…。
手燭の火をかざされて、すべてを見られている。
それだけで、自分のものがゆっくりと芯を持ち始めたのがわかる。
気を散らそうとすればするほど余計にゾロの視線を意識して、身体が火照ってくる。
ゾロの顔が更に股間に近づいて、熱い息が草むらに吹きかかっただけで、さざなみが起こるように身体が震えた。
「も…う、気が済んだだろ…。そっち、は…、…剃られてねェ、よ…」
自分で言うのも恥ずかしく、だがこれ以上凝視されるのも耐えられず、熱い息を吐きながら切れ切れにサンジは言った。
「こっちはどうだ? 弄られてねェか?」
脚を左右に割られて、その奥を覗き込まれた。
「何も! 何もされてねェから!!」
身をよじろうとするサンジをゾロが押さえ込む。
「確かめるだけだ」
「いやだ、ゾロッ!!」
いくら何度も身体を重ねた仲であっても、秘孔を、灯りをかざしてじっくりと見られるなんて、羞恥で身体が焼き切れそうだ。
着物の端から手を離して、サンジは顔を覆った。
一見しただけで犯されたかどうかわかるだろうに、ゾロは張り形や指が差し込まれた形跡が無いかまで、確かめたいらしい。
織り込まれた肉襞を舌でつついて濡らしてから、ゾロの指が慎重にそこを押し広げていく。
指使いは優しい。
だが秘奥を検分されるうち、昂ぶりは醒めて、みじめな気持ちが広がっていく。
身体をくまなく調べられて、中まで見られて広げられて、使い物になるか検分された昔の自分。
体毛を軽石でこそぎとられて香油を塗られ、女物の着物を着せられた身体。
思い出したくない過去が、今の自分と重なる。
「くっ…」
咽喉が鳴って嗚咽が洩れた。
「どうした? 苦しいのか?」
ゾロが気遣って聞いてくる。
「なんでもねェ…」
自分は今、きっと情けない顔をしている。
今の表情と、自分の内側のみじめな感情を悟られまいと、努めてぞんざいに返事をした。
ようやく納得したのか、ゾロの指が引き抜かれた。
だがその手は、感触を確かめるように、脚の脛をするりと撫でる。
同時に顎先にもゾロの指先が触れた。
ゾロが触れているのは、どちらも綺麗に体毛の無くなった部分だ。
(いやだ…)
サンジは思わず身を堅くした。
『白くて滑らかで理想的だ…』
茶屋の世話人たちは口々にそう言った。
(ゾロにも同じことを言われたら、俺は……)
「気に食わねェな」
というゾロの声にサンジははっと顔を上げた。
「え?」
「あちこちつるんとしちまってよ。てめェじゃないみてェだ。この格好も鬱陶しいしよ…」
「気に、食わねェ?」
「ったりめェだ。あ? てめェ、もしかしてこの格好、気に入ってたのか?」
「まさか。冗談じゃねェ」
「なら、脱がせていいよな」
ゾロは、にっと笑うや、サンジの身体を横倒しにした。
帯の結びをばらして緩めた帯をぐいっと引っ張って帯を解き始める。
「あ、クソ、またなんか巻いてやがる…」
ようやく解いた帯の下に、帯揚げと腰紐が出てきて、忌々しそうにゾロが唸った。
腹掛けと股引を解けばいいだけのいつものサンジの服とは、随分勝手が違うことに焦れている。
それがわかって、サンジは帯揚げに伸びてきたゾロの手を、やんわりと制した。
「こっからは自分で脱ぐ」
身体を起こして、帯揚げと腰紐を解く。
女物の着物の中から現れる男の身体を欲に満ちた目で見つめられた。
そんなゾロに抱きつきたくて心臓が高鳴った。
ゾロはわかっていないだろう。
顎鬚が無いことも女物を着せられた格好も、どちらもてめェらしくなくて気に食わねェと言った、そのひと言に、どれだけサンジの心が潤されたか。
(教えてやるつもりはねェけどよ。存分に俺を味わせてやんぜ…)
サンジは立ち上がった。
自分を見つめる琥珀の双眸の前で、裾よけを外し、襦袢をゆっくりと肩から滑り落とす。
しなやかだが、柔かく沈む女の身体とはまったく違う、引き締まった身体が現れる。
胸に腕に残る緊縛痕は、サンジの凛とした態度によって、もはや痛々しさを伝えるものではなく、肌の白さを際立たせる妖艶な刺青のようにサンジの身体を彩っている。
その身体の中心で、成熟した雄の証が、金の草むらを押し上げて隆と主張を始めていた。
サンジはそれを、見せ付けるようにわずかに腰を突き出して、言った。
「吸ってくれよ、ゾロ…」
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