誕生日の祝い方 #1


――親愛なる友トーレへ
今日はキミに心が躍る情報を伝えよう。本当なら登校のときに伝えるべき話だった。
だがキミが、いつものように昼食をのんびりと食べていたから学校まで走らねばならず、言うひまが無かったのだ。
いつも思うのだが、昼食をのんびり食べて急いで学校へ行くよりも、昼食を急いで食べてのんびり学校へ行くほうが良いのではないだろうか。
それについてはまた今度話し合おう。
今日はそれよりも、早く知らせねばならないことがある。
『風見羊』のコテージに来たルリさんを知っているよね。キミが『コックさん』と呼んでいる、あのルリさんだ。

今朝、牛乳缶を届けた時、ルリさんに『土曜日は学校は休みだったよな?』と聞かれた。
僕は『そうだよ』と答えた。
するとルリさんは『今度の土曜の午後、トーレを誘ってウチに来るといい』と言った。
なんと2日はルリさんの誕生日であるそうだ!
それで午後からパーティするということなのだ。 だから一緒に行こう!
ルリさんのケーキをトーレは食べたことあったっけ?
時々マリさんがミルク缶と一緒にケーキやクッキーをもってきてくれるんだけど、それがすごくおいしいんだ!
どこで買ったのか聞いたらルリさんの手作りだって言われてびっくりしちゃったよ!
誕生日ケーキはどんなのかなぁ。今から楽しみだ!
あ、トーレ以外にも誘ってきていいぞって言われたけど誰を誘おうか?
マリーナ先生は必ず誘ってこいって言われたから先生には絶対伝えなくちゃ――

大人のように気どった文章で書き始めた手紙は、途中で興奮してきて最後の方はすっかり話し言葉になってしまったが、それに気づかずオクトは手紙を書き進めた。
最後に「オクトより」と書いて、小さく折りたたもうとしたところで「オクト!」と声が掛かった。
「はいっ!」
思わず立ち上がった。
その慌てた様子にどっと笑いが起こる。授業中だった。

「何を書いていたんだね? 出しなさい」
歴史のアナトリー先生は年配の男の先生だ。少し気難しい雰囲気がある。
もじもじしていると催促するように、指し棒でコンコンと机を叩かれた。
しぶしぶと手紙を渡すと先生はそれにざっと目を通した。
「ふむ…これは預かっておく」
「えっ!!」
『返して!』とでも言うように思わず伸ばしてしまったオクトの腕を先生はやんわりと差し止めて言った。
「授業が終わったら職員室に来なさい」



 ◇ ◇ ◇

甘い香りが漂っている。
身動きもせず、ゾロはぱちりと目を開けた。
まさぐるまでもなく、隣が冷たいのはわかっている。
昨晩、日付が2日に変わる瞬間を待ってサンジを悦ばせようと思っていたのに、サンジは11時には寝床に入って棒読みの口調でつぶやいた。
「俺、明日は早いんだよなー。ケーキ作らなきゃなんねーし、明日のパーティでは精一杯もてなしてーし…」
要するに今晩は何もしてくれるな、という牽制だ。
誕生日を迎える当人の望みとあっては聞かないわけにもいかない。

…まぁ、あとの楽しみにとっておくというのも良いかもしれない。
昨晩サンジの寝顔を見ながらそんなふうに思った自分を、ゾロは小さく笑った。
よくもまぁ、こいつにしつけられたものだ。

しつけ、というのは違うかもしれない。しかし。
思い立ったら命懸け、出会ってしまえば背を向けずに刀を抜く、そんなふうに、ただ身体ごとぶつかって生きてきた。
砂漠の国の王女が船を降りて、クルーがみな消沈していた時に俺はなんと言ったか。
『一緒にいたけりゃ、かっさらってくりゃ良かったじゃねえか』
欲しけりゃ奪う――それがかつての自分だ。
そんな自分が、サンジの言い分を聞いてやって、ウズウズする下半身をなだめながら手を出さずに寝顔を見ていたのだ。
――ようやく『待て』を覚えたか、この駄犬が。
とサンジなら言うだろう。
もっともサンジはゾロよりも本能に従って生きているルフィにさえも『待て』を覚えさせたのだから、ゾロなど造作もなかったかもしれないが。

俺も大概甘くなったもんだ。
ゾロは苦笑しながら、ベッドを抜け出た。
手すりから吹き抜けの階下を覗く。下は約18畳のリビングだ。
『外で串団子振り回したら目立ちすぎるわ』
そう言ってナミが、室内で串団子を振れるスペースのあるコテージを探した結果が、今のコテージだ。
18畳もの吹き抜けリビングは、備え付けのソファやチェストを階段下の納戸に放り込んでしまうと串団子を振るだけでなく、刀を抜いて立ち合いの型をなぞっても十分な空間となった。
もはやリビングではなくトレーニングルームと化したそこに、今朝は真っ白いクロスのかかったテーブルが出ている。

「マリモ、起きてんだろ? 手伝え!」
サンジの声がした。
キッチンは寝室の真下にある。
ゾロが手すりから身を乗り出しても声の主は見えない。
サンジのほうからもゾロが見えないはずだが気配を察したのだろう。

階下へ降りてリビングを横切り、キッチンへ近づくと甘い香りは一層強くなった。
ぐううと腹が鳴った。
ゾロは見た目で思われているほど甘いものが嫌いではない。
幼い時に稽古のあとにもらった大福は格別に美味く感じたし、故郷を出て独りで放浪した時にはひと粒のチョコレートがすきっ腹をなだめてくれた。
酒飲みは甘いものを好まないというのは、思うに、女子供の好むものなんぞ俺は食べないぞという男の見栄が多分に含まれているのではないかと思う。
ゾロが知っている大酒飲みを思い浮かべてみても、田舎の大酒飲みの爺さんたちはまんじゅう片手に酒をかっくらっていたし、ナミだって甘いものに目が無い。
ほろ酔いになるとナミはよく言った。
「中途半端な酒飲みほど『甘いもんなんて』と言うのよね」
そしてサンジの差し出すチェリーの砂糖漬けやチョコレートをつまみながら続ける。
「良いお酒を知っている者は高級なお菓子の良さもわかるものよ」
「さすがナミさん博識だーー!! そのとおり。客船のVIPルームでは高級シャンパンに高級チョコレートを添えるんだよ〜〜」
ゾロはVIPになどなったことは無いが、本当のウワバミは酒も甘いものも両方ござれな者が多いことはよく知っている。

「俺の朝飯は?」
ゾロはバニラの匂いをさせているコックにすり寄って、鼻を擦りつけるようにしながら聞いた。
「なに甘えてんだ、ばーか」
そう言いながらサンジは目玉焼きの乗ったホットサンドとサラダの皿を並べた。
目玉焼きは半熟で、フォークで突くとお日様色の黄味がとろりと溢れ出す。
それをホットサンドに絡めて頬張る。
「ドレッシングはオニオン? おろし醤油? ゴマ? サウザンアイランド?」
「おろし醤油」
「了解」
うなづきながらサンジはドレッシングとスープとフルーツの盛り合わせを運んできた。
食べ終わる頃には「緑茶とほうじ茶どっちがいい? たまには紅茶かコーヒーにするか?」と聞いてくる。
いつだったかサンジが言った。
「朝食にはその日の航海のすべてが掛かっている。だから料理人に任せろ。俺の誕生日だろうが祝祭日だろうが関係無ェ」と。
船上ではなくなっても、サンジのその信念は変わらぬようだ。



 ◇ ◇ ◇

午後2時半。朝方に空を覆っていた薄い雲がすっかり去って、穏やかなパステルブルーの青空が広がっている。日が射すととたんに空気が温まってくるのは、春が近づいてきた証拠だ。
「ルリさん、お誕生日おめでとう!」
と真っ先にドアベルを鳴らしたのはトーレとオクトだ。
「よお来たか! おまえら一番乗りだぞ!」
白いシャツにギャルソン風の黒いベストを身に着けたサンジが自らドアを開け、プレゼントのチョコレートを嬉しそうに受け取った。
それからシャツの襟元に結んだ小さなリボンタイの端を摘まんで形を整えながら、身体をかがめて小声で尋ねた。
「おい、マリーナ先生は誘ったか?」
「誘ったよ。でも…」
「来ねェのか?」
「来るよ。母さんたちと一緒に」
「よし、よくやった!」
満面の笑顔で二人を褒めたサンジを見て、トーレとオクトはちょっと困った顔をした。
どうしようと顔を見合わせてから意を決したように言った。
「ルリさん、歴史の先生も一緒に来てるんだ」
「なにっ? その先生は美人か?」
「いや男の先生なんだけど」
「男? 野郎は要らねェっつの! なんで野郎の先生なんか誘ったんだよ」
「すまんね、男で」
とデッキのほうで声がして、サンジは面食らった。
まさかそんなところにいるとは思わなかったのだ。
「誕生日おめでとう。私もお邪魔しても良いかね?」
と言いながらリキュールボトルを差し出したのは、白い顎髭をたくわえた細身の初老の男だ。
サンジは彼を見るなり先程のガラの悪い物言いとはうって変わって、レストランのギャルソンのように慇懃に答えた。
「もちろん歓迎です。どうぞお入りください」

次にやってきたのは年末にサンジに船を作ってくれた船大工の連中だ。
親方と屈強な大工2人。そして彼らのあとをついてきた、大工には思えない物腰の柔らかい青年は見習いらしい。
彼らのプレゼントは船大工らしくラム酒だ。

それからジナイダおばさんとご主人のキムさん。
サンジが待ち望んでいたマリーナも一緒だ。
三人は花とチョコレートを渡しながらサンジとハグをした。

レーナとレオンの夫妻はトーレの弟の手を引いてやってきた。
ライドン牧場の夫婦もオクトの弟妹を連れている。
アザラシ倶楽部のメンバーである床屋の店主は、店は奥さんに任せてきたと豪快に笑った。
同じくアザラシ倶楽部のメンバーの子供たちもやってきた。

食料品店『エンジェル』の夫人は、小間使いの娘を伴って来た。
『エンジェル』はスパイスやハーブ、粉類、ジャム、ドライフルーツなどが豊富でサンジが製菓材料を求めに頻繁に出入りしている店だ。
今回のケーキ材料もここでたくさん仕入れていたので、美人でしとやかな夫人にサンジがすかさず声を掛けたのだろうとゾロは思う。

サンジは挨拶やハグをしながら彼らを迎え入れる。
どの人も「おめでとう!」と言いながら、プレゼントを渡す。
受け取ったプレゼントはゾロに手渡され、ゾロはそれらをしかるべきところに置く役目を言いつかっている。
パーティの前にサンジは言った。
『今日はみんな、花か酒かチョコレートを持ってくるはずだ。花だったらこの花瓶に、酒は奥の長テーブルに、チョコレートは手前の楕円テーブルに置いてってくれ』
なんで俺が?と思ったが、この家にはサンジと自分しかいないのだから仕方がない。
それにサンジの言葉通りプレゼントは一様に花か酒かチョコレートであった。
だからゾロがまごつく理由はない。はずだ。
だが、エキスパート家政婦のジナイダおばさんが見てられぬと言った表情でゾロの周りをうろうろし始めたかと思うと。
やがて、ゾロに代わって花を活け始め、酒の瓶をシャンパン、ウォッカ、ブランデーなと種類別に並べていく。
そしてチョコレートの長方形の箱はキャンプファイアーの木を組むように綺麗に井形に積み上げられた。

サンジが玄関からリビングへ戻ってきた。訪問客の波が途絶えたのだ。
仕事の折り合いがつかず、何人かは遅れてくるようだが、いよいよパーティの始まりだ。



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