春をいざなう #1
朝8時半に風見羊コテージの呼び鈴がなった。寒中水泳の誘いにしては早い。それに。
(今日は祭りがあるから水泳は中止って言ってたよな…?)
ゾロは寝床でそう思いながら寝返りを打った。
が、再びベルが鳴らされた。
「誰だ、こんな時間に?」
「知るかよ、マリモ見てこい」
足でずいっと身体を押されてベッドから落とされたゾロは、のっそりと立ち上がった。
床には昨晩脱いだ自分の服と、剥がしたサンジの服が散らばっている。
(パンツはどこだ?)
探したが見当たらない。サンジの下穿きは見つかったが、いくら枕を共にする仲であってもパンツを共にするわけにはいくまい。
結局素っ裸の上にガウンだけを引っ掛け、前ボタンを留めた。
ガウンをこんもり押し上げている朝勃ちのイチモツをよしよしとなだめ――なだめたからって大人しくなるものではないが――ゾロは裸足でペタペタと階段を降りた。
3度目のベルが、家にいるのはわかってるぞとでも言うように鳴る。
「誰だってンだ…」
大あくびをしながら玄関を開けるとそこにはレーナとジナイダおばさんが立っていた。
「あら!」
二人は、いかにも起き抜けですと言わんばかりのゾロに驚いて声を上げた。
が、すぐに。
「あはははは!」
レーナが笑い出した。それをジナイダおばさんが「失礼ですよ」とつついているが、こちらも笑いをこらえてるのがわかる。
「だってマリさん、子供みたいなんだもの。ほら、ガウンのボタン掛け違えてる。あははは」
指さされて見てみれば、確かにボタンはひとつずつずれている。そのせいで襟元は変な形に空いているし、すそは左側が上がって段を作っている。
慌てて直し始めたゾロに、今度こそ二人は大笑いした。ボタンをかけ直す途中で、パンツも履かずに素っ裸にガウンを羽織ったことを見破られたようだが、さすがに大人の女性たち、それも含めておおらかに笑っている。
「マリーナも連れて来れば良かったわー。少しは男性に免疫つけなくちゃね」
なんてレーナは冗談を飛ばした。
「で、なんの用だ」
女性陣の笑いがようやく収まってきたところでゾロは尋ねた。
「あぁ、ルリさんに用があってきたのよ。お祭りの準備があるからちょっと早めにお邪魔するわよって言っておいたのだけど」
レーナが上目遣いでゾロを見た。
玄関先で話をするのはノースやウェストでは失礼にあたる。冬だったら尚のこと、5分で済む用事でも、暖かくて居心地のいい室内へ通し、お茶の一杯も振る舞うのが普通だ。
(コックはまだ寝ていると言っても、この二人は家に上がろうとするだろうな…)
リトルノースの人々は他人が家の中に入ることに警戒心が無いのだ。
逆もしかりで、試しにこんなふうに言ってみても…。
「コックはまだ寝てるんだが…」
「ルリさんが朝寝坊なんて珍しいこともあるものね。昨日はあんなにたくさんのケーキを作っていたからきっと疲れちゃったのね。いいわ、私たち待ってるから」
ほら、やっぱり…。
ジナイダおばさんなんて、サンジが来るまえの20日間ほどこの家に家政婦に来ていたわけで勝手知ったる家なわけで。
さっさと暖炉に火をくべて、ダイニングキッチンでお湯を沸かし始めてしまった。
こうなると仕方がない。ゾロは渋々2階に向かって叫んだ。
「コック! トーレのおふくろさんとばあさんがお前に用があるって来てんぞ! 今朝会う約束したって言ってるぞ!」
とたんにバサッと布団をはねのける音がした。
「ヤベッ! 忘れてたっ!」
吹き抜けの階上でサンジがそう叫んだのが聞こえた。ドタドタと床が鳴って慌てている様子も伝わってくる。
ゾロは訪問客二人をダイニングキッチンに押し込めて、昨日パーティをした大きなリビングから吹き抜けを見上げた。
騒々しい音を立てながらサンジが吹き抜けの踊り場に現れる。そこからいつものように柵に片手をついて飛び越えて1階に着地しようとするのを、ゾロは慌てて小声で止めた。
『階段使え、バカッ!』
別に2階から飛び降りるくらいの運動神経は見せても問題ないだろうとサンジは思うのに、ゾロの心配はそっちではなかった。
『お前、腰大丈夫かよ?』
昨晩散々酷使させたという自覚はあるらしい。
けれどゾロの気遣いは裏目に出た。
普段使っていない階段を、かくかくする足腰のまま降りたサンジは途中でズダダダと転がり落ちたのだ。
レーナとジナイダおばさんが慌ててかけつけてきた。
二人は一瞬心配そうな顔をしたが、サンジが無事とわかるとお腹を抱えて笑い出した。
「もうホントあなたたちって子供みたい」
そう言って笑う女性陣の前でサンジは、寝癖でぴょこんと跳ねた髪の束をしきりに撫でつけた。
結局サンジとゾロは顔洗ってきなさいと指示された。
洗面所から戻ってきたらダイニングテーブルにちょこんと座らされた。
どうにも子ども扱いだ。
サンジは朝食の用意もお茶の用意もやらせてもらえない。ジナイダおばさんがゾロとサンジのために勝手に冷蔵庫から卵を取り出してスクランブルエッグを作っている。
それを待つ間にレーナが話を切り出した。
「ルリさん、昨日話した『雪送り祭』のことなんだけど、覚えてる?」
「あぁ、雪の王女ちゃんと冬将軍を氷の国に帰す祭りだろ。今度の日曜だっけ?」
「違うわよ、今日よ。」
「え、今日!? じゃあ、クレープの店も今日?」
「そうよ。婦人会で相談したけど問題なしってことになったからルリさんにぜひ手伝ってほしいの」
「何時から?」
「お店は正午には開けるけど混雑のピークは2時過ぎから4時なの。その時間に来てくれればいいわ。
「あらレーナ、混雑のピークに来たら、誰も教えるヒマが無いわよ」
スクランブルエッグを運んできたジナイダおばさんが口をはさむ。
「そうだったわ。それなら2時前には来てくれるかしら」
サンジが女性の頼みを断るわけがない。
「もちろん行くよ」と答えてレーナににっこり微笑まれ、鼻の下を伸ばした。
『雪送り祭』は冬を送り春を呼び込む祭りだ。3月の第1日曜日に開催される。
元々は早春に藁(わら)をたくさん焼いて畑の肥料となる灰を作る作業だったのが、村全体で行う大がかりな焚火になり、やがて冬を送る祭りへと変化した。
今では藁束と共に、白と青の布リボンで作った組みひもを一緒に焼く。白と青の組みひもはモミの木祭りで迎えた雪の王女の象徴で、彼女は焚火の白煙に乗って空の彼方にある氷の国へ帰っていくと考えられている。
この祭りで決まって食べられているのがノース風クレープだ。普通のクレープより厚みがあるうえ、イーストで発酵させているので薄いトーストのような食感がある。それを10枚積み重ねて食べる。
サンジが手伝ってくれと頼まれたのは、このクレープ作りだ。
婦人会では毎年クレープの店を出して、事前に買ってもらった引換券と交換でクレープを渡している。だから食材の過不足はほとんど無く、クレープ生地も早めに作っておける(発酵時間が必要だからむしろ直前では間に合わない)。
問題は、引き換えに並ぶ客が3時前後に集中するため、焼くほうが追い付かないということだ。ひどい時には40〜50分待たせることもある。
テキ屋も祭りに便乗してクレープの露店を出してくるが、値段は婦人会のクレープの2倍だ。それでも子供が待ちきれずに駄々をこねはじめると引換券を持っていながらもテキ屋のクレープを買ってしまう家族もあった。
昨日のサンジのケーキ作りの腕を見たレーナとジナイダおばさんが、彼なら何か解決策を考えてくれるかもしれないと思ったのも無理はなかった。
「で、てめェはどうする? 祭りのメインイベントは夕方からだが、さっきの話で俺は1時半には広場に行くことになっちまった」
「4時にはおまえの手が空くんだろ? その頃に俺が行けばいいじゃねェか」
「ばーか、てめェが独りでたどり着けるわけねーだろ。1時半に俺と一緒に来るか、この家で待ってるかのどっちにすんのかって俺は聞いてるんだ」
「広場にくれェ行ける」
「ぜってェ無理だね」
「バカにすんな!」
「バカにしてねェよ。てめェの迷いっぷりは天才的だ。誰もてめェの域には達してねェ」
二人の間にバチッと火花が鳴ったところで玄関の呼び鈴が鳴った。
「なんだ? 今日はやけに朝から来客が多いな」
ドアを開けてみるとアザラシ倶楽部の連中が立っていた。
「今日は祭りがあるから寒中水泳は休みだって言わなかったか?」
とゾロが問えば、アザラシ倶楽部の会長が勢い込んで言った。
「祭のイベントで、2時から綱引き大会があるんだがマリさん出てくれないか? 床屋のオヤジがちょっと腰を痛めちまって代わりを探しているんだ」
◇ ◇ ◇
正午になって『雪送り祭』が始まった。
まず雪の王女と冬将軍が広場に設けられた仮設ステージに登場し、祭りの開会を宣言。
そして子供たちによる『小鳥のパレード』。
布でできた小鳥の羽飾りを帽子につけ、お尻にはやはり布製の小鳥の尾っぽがついている。普段着に羽飾りと尾っぽをつけるだけだが、鮮やかな色で作られているのでそれだけで充分見栄えがする。その姿で呼び子をピィピィ鳴らしながら練り歩く。
それが終わると広場のステージで大道芸やノース民謡の歌と踊り、大衆演劇団の出し物などが次々と演じられていく。
食べ物の露店はもちろんのこと、骨董市や移動動物園まであり、縁日さながらだ。
ゾロが参加する綱引きは広場の西側にある高台の公園で行われる。
綱引きのほかにも雪合戦やそり競争、フラフープ大会、ブーツ投げなど様々な競技が行われ、声援が飛び交っている。
軽い昼食を済ませてから祭り会場へ行ったゾロとサンジは、盛況ぶりに驚いた。この日は島の町々で一斉に『雪送り祭』が開かれており、他町の者が来ているわけでもないのに大変な盛り上がりだ。町の住民すべてが祭りにくりだしていると言ってもよく、どれだけこの祭りが楽しみにされているかがわかる。
サンジはゾロを連れて綱引き会場へ向かった。広場で分かれたら、ゾロが無事に会場へつける保障は限りなく低いからだ。そこで幼稚園児の引き渡しよろしくアザラシ倶楽部のメンバーにゾロを託す。
「悪ィが綱引きが終わったらクレープの店にこの迷子野郎を連れてきてくれ」
「あぁ、どうせ俺たちも綱引きのあとクレープを食いに行くからよ、お安い御用だ」
そんな会話がサンジとアザラシ倶楽部のメンバーとで交わされた。
広場にある婦人会の店に向かいながら、サンジは他のクレープの店の様子を覗いてみた。
テキ屋によるクレープ店が4〜5店出ている。紅白のルーフや看板や大きな人形などで目立つように工夫をしている。
それに比べて婦人会の店は簡素だ。屋根の覆いは生成り色の帆布だし、「北港&南港婦人会」と書かれた紙が下がっているだけだ。
それでも女性陣はお揃いのエプロンをして張り切っている。店の周りにはすでにクレープを頬張っている子供たちもいた。
サンジがテントの中へ踏み込んだとたん、中にいた10人ほどの女性達が一斉に振り返った。
「もしかして、あなたがルリさん?」と声を上げた女性もいる。
この港町は北側が漁港で、南側が貿易港だ。
自治会も北と南に分かれているが、合同で何かをやることも多い。今日のクレープの店も合同なので、サンジとは初対面の女性も多かった。
ジナイダおばさんが女性陣を紹介しながらそれぞれの役割を伝える。
焼く係が5人。生地係が2人。これは焼く係が『生地追加お願いします』と叫ぶと、作り置きの生地を大鍋から小さなボールに移して焼く係りに渡す役だ。それからお皿を用意する係が3人。レジが1人という体制だ。
「2時半ごろから3時半ごろまでが一番大変なのよ。ベテランばかりで作っても追いつかないの」
とレーナが言う。ちなみにレーナはレジ係だ。
サンジはうなづきながら、ノース風クレープを作る様子を見せてもらった。
「なるほどふつうのクレープよりは生地がしっかりしているから両面焼かないといけないんだな」
ふつうのクレープのようにさらっとした生地ならフライパンを回しながら生地を薄く広げればひっくり返す必要はない。薄焼き卵を焼く要領だ。しかしノース風クレープは生地がもったりとしているので、クレープというよりパンケーキを焼くように調理しなくてはならない。
「そうなのよ。だから1枚焼くのに時間が掛かるの」
「そうだね。ちょっとそれ、俺がやってみていい?」
サンジは隣の女性がフライパンにバターを入れたところで声を掛け、場所を代わってもらった。
レードルで生地をすくってフライパンに流しこみ、片面が焼けた頃合いを見計らってひっくり返す。
その間、サンジはリズムを取るように足をとんとんと動かした。
実はリズムを取っているのではない。片面が焼ける時間を身体で計っているのだ。
「片面約40秒、ひっくり返して25秒ってとこか。で、コンロは5つある。人は10人。さてどうすっかな…」
すべてのコンロを同時に使ってひとりで作ってしまうこともサンジなら朝飯前だ。だが彼女たちが自分たちでやろうとしていることを奪うのは信条に反する。婦人会の主役はレディたちだ。
サンジは言った。
「よし。レディの皆さん、作戦会議しましょうか」
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