かわいいあの娘と水遊び #1
♪麗しの6月~~~ かわいいあの娘と水遊び――
♪ヴィーナスの花が舞う木蔭でキスしたよ――
「まだ5月だが…」
「こまけェこと言うな、大剣豪のくせに」
サンジは振り返って、すがめた目で斜め上からゾロを見おろした。
葉が陽の光を弾き、香りのよい風が吹き抜ける気持ちのよい朝だ。コテージのウッドデッキに並べたプランターのハーブも、柔らかい葉を開いている。
それらに水をやりながら、鼻唄もでるほど上機嫌だったってのに。それなのに。
この無粋な野郎め――。
「あぁナミさんロビンちゃん。麗しのナミさんがこのおしゃれなウッドデッキにいらしたら、どんなにキュートで輝かしい光景だろうか!
ロビンちゃんがいらしたら、どんなにビューテイホーで華やかな光景だろうか!
それなのに、この緑苔はこのデッキを縁側代わりに使ってるんですよーー。今も緑茶をズズズーーとすすってるんですよーー!
ああナミさん、ロビンちゃん、今すぐ俺の元に飛んできてくれ!」
天を仰ぐようにして、サンジが両手を広げて大げさに叫んだ。
(アホラブリンめ、緑茶を淹れたのはおめーだろうが!)
ゾロはツッコミを入れかけてやめた。これを言ってしまうと、温度も味も絶妙な、この美味い煎茶が次から出てこなくなるおそれがある。
ゾロは脱線した会話をぐぐーっと元に戻すことにした。
「大剣豪は細かくちゃいけねェって決まりでもあんのか?」
「無ェよ。けど『今日は5月31日なのに6月の歌を歌うなんて季節ハズレだね』なんて言う大剣豪はヤだろ?」
「今日は5月25日だ」
「だから、そういうこっちゃねーんだよ!!!」
怒鳴りながらサンジは「わかれよ!」と言わんばかりにダンダンダンと足を鳴らしてデッキを踏みつけた。
デッキが壊れなかったのは、いちおう加減しているのだろう。
黒足の蹴りの威力でダンダンやられたらデッキなどひとたまりもない。
「とにかく! 恋人同士のラブラブな歌に水さすんじゃねェ!」
サンジは下唇をウィーーと引っ張って抗議した。
「恋人同士? ガキのままごとの歌じゃねぇのか?」
「はあ? どうしてこれがガキの歌だ?」
「いいおとなが水遊びなんかすっかよ」
「するだろ」
さも当たり前のようにサンジが返事をした。
「いや、しねぇだろ」
「するって」
「しねぇ」
「はー。恋愛経験の無い奴はこれだからよー。つーか苔類に人間様の恋模様はわかんねェのはしょーがねェか。大人だって水遊びすんぞ。んで、彼女の白いワンピースが水に濡れて透けたりしてよ〜〜。いやんサンジさん見ないで、なんて…うひゃひゃ〜〜」
自分の妄想にメロメロし始めたサンジにゾロがつきあいきれねェという顔をしたのは、確かにまだ5月の下旬だった。
それから1週間。リトルノースは一気に夏へ向かい始めた。6月最初の土曜日の午後も、汗ばむ陽気だった。
サンジお手製のカレイの一夜干しとほかほかごはんの昼食に満足すると、ゾロはいつもの通り、腹ごなしを兼ねてライドン牧場へミルク缶を返しに行った。
その帰り、白鳥の丘公園に寄り道して(というのはあくまで本人談だ。いつのまにか着いたというのが正しい)、驚いた。
――ホントに大人が水遊びしてやがる…。
森の泉やコテージの裏を流れるせせらぎなら、まだわかる。ところがゾロの目の間に広がる風景と言ったら、公園の人工池やら噴水やらで大のオトナが水遊びしているのだ。
確かに結構な広さのある池だが、バシャバシャと水を跳ね上げているのは子どもだけではない。大人もそろって気持ちよさそうに泳いでいる。年配の女性もいる。
ゾロの故郷でも森の池では大人が泳いでいたけれど、街のどまんなかの公園の池なんかで泳ぐことはないし、年配の女性が肌をさらして泳ぐことも少ない。。
――これが『かあちゃんしょっくって奴か…』(註:カルチャーショックです)
呆気にとられていると、
「マリさん、ここは冬が長いでしょ。だからみんな、少しでも長く夏の雰囲気を味わいたいのよ」
横から声がした。その声のほうを見れば、ジナイダおばさん。水着だ!
濃いめのブルーにピンクのハイビスカスが描かれた、大胆でトロピカルなワンピース水着。
隣りにはタオルや水筒を持ったレーナが付き添っている。こちらも早々に、肩を出したサンドレス。
ここにサンジがいればすかさず「お二人ともなんて魅力的な〜〜〜」などと言うところだろうが、ゾロはただ唖然として二人を眺めた。
それにしても…男が多くいるように見えるのは気のせいか? しかも――
(男も用意周到に水着着用だぜ…。いつからここは公共プールになったんだ?)
その心の声は外に出ていたらしい。
「何言ってんですかマリさん、ちゃんと市営プールはありますよ。でもそちらは6月20日からの営業なんでね」
いやいやいや。
そういうこっちゃねーよ!とゾロはダンと足を鳴らしそうになって――。
いかん。かなりマユゲに毒されてる…。
ダ、くらいで思いとどまった。
て言うか、市営プールはあると言った男も、その周りでバシャバシャ水しぶきを上げている連中も良く見れば――
「アザラシ倶楽部じゃねェか! なんだてめェら、夏でもつるんでんのか?」
10月から4月がアザラシ倶楽部の活動期間だったはずだ。10月頃から川に入って冷たい水に身体を慣らしておき、氷が分厚く張った12月〜3月に本格活動、氷が薄くなり氷上に乗るのが危険になる4月に活動を休止する。
「おめぇら、あんとき、うちのコテージで盛大に打ち上げ会して、さんざコックの料理を食いまくって、酔いつぶれて翌朝までウチにいたよなぁ? 『しばしの別れだ。10月になったらまた集まろう!』と言ってたのは俺の聞き違いか?」
「こまかいこと言うなよマリさん。こんなに良い陽気なのに水に入らない手は無ェよ」
「マリさんも泳ごうぜ!」
ぱしゃぱしゃと水を叩いて誘われて、ゾロは思った。
(おいおい、コックの言ってたとおりじゃねェか…。ありゃあ、やっぱり大人の男女の歌なのか…)
♪麗しの6月~~~ かわいいあの娘と水遊び――
♪ヴィーナスの花が舞う木蔭でキスしたよ――
「あらマリさん、その歌!」
ゾロがもごもごと口の中で転がした歌詞をレーナが聞きつけた。
「ノースブルーに伝わる歌よ。よく知ってるわね!!」
「コックがこの前、歌ってた」
「ルリさんはノース生まれって言ってたかしら?」
「らしいな」
「でもイーストでパティシエ修行したのよねぇ? ノースからイーストへ渡ったのは、イースト特有のお菓子に興味があったからかしら?」
「さあ…」
イーストでのパティシエ修行はウソの経歴だから、ゾロはあいまいに返事をした。
「その歌、懐かしいわ。歌詞がちょっと間違ってるけどね。『ヴィーナスの花が舞う』じゃなくて『ヴィ◎☆#…の花が舞う』よ」
「なんだって?」
ヴィのあとが耳慣れない音で、聞き取れずにゾロは首を傾げた。
繰り返してくれたが、やはり聞き取れない。共通語に無い音だった。ノース固有の言語なのだろう。
「『ヴィ◎☆#』はサクラの一種よ。ヴィーナスって覚えてるところがルリさんらしいわ」
「桜? ノースはここよりもっと寒いのか?」
「地域によって少し違いはあるけどあまり変わらないはずよ。どうして?」
レーナはぽかんとした顔をした。
「どうしてってノースは6月に桜が咲くんだろ?」
サンジに誘われて、ここリトルノースで桜の花見をしたのは5月中旬だ。ポルトの有閑マダムたちと一緒に、サンジのバスケットランチに舌鼓を打ったのは記憶に新しい。
だが歌の歌詞では『6月』に桜の下でキスしている。
ということは、歌が作られたノースブルーは、ここリトルノースより寒いということだろう?
怪訝な表情のゾロに、レーナも怪訝な顔のまま返した。
「ノースのサクラが咲くのは5月よ」
「はあ? 歌詞と違うじゃねェか」
♪麗しの6月~~~ かわいいあの娘と水遊び――
♪ヴィなんとかの花が舞う木蔭でキスしたよ――
ほら、6月って歌ってるじゃねーか…。
そうレーナに言おうとしたが、女性の声に遮られた。
「あらレーナ! さっき、トーレとオクトが北側の噴水池に入っていくのを見たわよ」
振り返れば食料品店『エンジェル』の夫人だ。
「やだ! 今日はあの子、絵画教室の日なのよ。水着もタオルも持ってないはずなのに!」
「じゃあ玄関にバスタオルを積んでおかないとね。そうしないと家じゅうに足跡がついちゃうわよ〜」
エンジェルの夫人がくすくす笑う。
「レーナ、バスタオル2枚持ってきていたでしょう? 1枚はトーレのところへ持っていったら? 私は1枚でもなんとかなるから」
ジナイダおばさんがそう提案したので、レーナはそそくさとバスタオルや飲み物を分け始めた。
それを見ながら『エンジェル』の夫人はさらっと付け加えた。
「ルリさんも水浴びしてたわよ」
「ああっ? コックが? 水着なんか持ってたかあいつ?」
「いえ服のままよ。あれはきっと、トーレとオクトに水を掛けられて濡れちゃったクチね。でも楽しそうに反撃してたわ」
うふふふと笑う横で、ゾロは眉間にしわを寄せた。
あのバカ、どうやってコテージまで帰る気だ。濡れたシャツを着たままでもシャツを脱いでも、悪目立ちするのは目に見えている。
「ごめんなさいね。ウチの子が迷惑かけて」
ゾロのしかめ面を誤解して、レーナが謝ってくる。
「いやトーレが悪いんじゃねェ。あのバカがいけねェ。北の池ってどこだ?」
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(2014.06)