純情サバイバル #1


『ファミリー』という名の犯罪組織同士が、権力と財力と政治力を巡ってぶつかり合い奪い合い殺し合い、時には馴れ合う―――。ここはそんな土地だ。
その中に移民が多く住む一角がある。その一角のメインストリートにサンジが副料理長を務めるレストランはあった。

「なに? ドン・ミフォーコが?」
「しっ、声が大きい」
左のこめかみ付近に傷のあるサングラスの男がレストランの裏口で、しっ、と指を立てた。
男の情報によると、最近古城をホテルに改築したドン・ミフォーコが、近いうちにホテルのお披露パーティを開催するらしい。『ファミリー』の中でもドン・ミフォーコと言えば、大物中の大物だ。だがホテルのお披露目パーティくらい取り立てて珍しいことではない。わざわざコーザが知らせてきたということは…。
「パーティというのは表向きだ。実は…五老星が集うらしい」
「五老星が? なんのために?」
「そこまではわからねェ。案外、サンジを消す相談だったりしてな」
「俺ぁ、五老星が出張ってこなくちゃなんねェほどの有名人じゃねェぞ」
「だが、ファミリーによく思われてないのは事実だろ」
「まぁなぁ…」
「ゼフがファミリーを解体してドンを退いたことも、あいつら不満に思ってるし」
「……」
むぅぅと、サンジが黙り込んだ。

(やべ…起爆装置押しちまった…)
サングラスの男は押し黙ったサンジを見てそう思う。
詳しくは知らないが、かつてファミリーを率いてこのあたりのシマを仕切っていたドン・ゼファッジョが引退したのは、サンジに理由があるという噂を聞いたことがある。
噂の真偽はわからないが、ゼフに関わることになると血の気の多いサンジが無茶をやらかすのは事実だ。

『五老星』と呼ばれる5人は、表向きは各々が率いるファミリーの「ご隠居」だ。
だが実情は、いまだ発言力を持っている。彼らがひと声何かを命じれば、それぞれの息がかかったファミリーばかりか、この土地全体が簡単に動く。
そんな輩が一堂に会するのだ。何を企んでいるのか探りを入れたくなるのも道理である。しかもサンジには五老星が集まりそうなネタに心当たりがあった。

この土地は近海で獲れる海の幸が豊富で、美味いものが多い。その料理目当ての観光客も多い。マフィアがそこに目をつけ、海岸付近の店や住民を追い出してリゾート開発に乗り出したのは記憶に新しい。
豪華ホテルとカジノが次々に建てられた。それらは今ではマフィアにとって麻薬や武器売買と並ぶ大きな収入源だ。しかも麻薬や武器売買が非合法なのに対して、リゾート産業やカジノは合法である。マフィア幹部の豪勢な暮らしの隠れ蓑になる。
税金を取られるのは業腹だが、それもうまく丸め込めばいいだけのこととばかりに彼らはリゾート開発と利権争いに躍起になった。
その波はじりじりと広がり、このレストラン付近の海岸も標的にされている。
だが当然ここの住民はそれに反対している。そして反対勢力のトップがサンジの勤めるレストランだ。

『海岸をぶち壊せば、このリゾートの売りのひとつであるシーフード料理の漁獲地を壊滅させるってことに、なんでやつらは気づかねェんだ。そうなったら大した景観でもないこのリゾートの売りはカジノしかなくなる。カジノだけだったらベガスやモナコに勝てるわけねェだろが!』
ドンを引退してレストランオーナーとなったゼフは、ことあるごとにそう説いてきた。
だがマフィアは、付近に多く住んでいる移民や混血などの生粋の土地っ子でない者をかばっているとしか思っていない。
そしてそう思われてる一因が、土地っ子でない自分を養子にしていることにあるということもサンジはよくわかっていた。



パーティ当日。
サンジは臨時雇いのバーテンダーの1人として会場に潜り込んでいた。料理人は厨房にこもりきりだが、バーテンダーなら会場を行き来できるからだ。
髪と眉を黒髪のかつらで隠し、アルコールやリキュールの入ったワゴンを押しながらカクテルを作って回る。
「紫のドレスがお似合いの麗しいレディには、ブルームーンを」
「キュートなあなたにはオレンジ・マティーニなどいかがでしょう」
野郎には淡々と、レディにはありったけの愛情を込めてカクテルをステアする。
だが、耳も目も、情報収集に余念がない。カクテルを作りながらさりげなく客に話を振って、探りを入れることも忘れない。
首尾は上々のはずだった。

だが、ガードマンや給仕役として潜り込んだ仲間たちの1人がどうも不審に思われたようだ。何をやってるのかと問われ、ごまかしきれなくて逃げ出した。
そのまま1人で逃げればよかったのに、逃げる途中でサンジに「悪ィ、ドジった」とサインを送ってきたのがマズかった。
ほんの一瞬のジェスチャーだったが、今回集った連中は、生き馬の目を抜くこの世界の実力者たちだけあって、それを見逃しはしなかった。
「おまえも仲間だな」と確信を持った声音で言われた直後、追いかけっこの始まりだ。当然サンジは追われるほう。

ホテル内で銃を使うなと言われているのか、建物から脱出するまでは容易だった。
だが、庭へ出たとたん、あられが降るように銃弾が降ってくる。
見破られた仲間のほうが逃げ出すのが早かったせいか追手は、遅れて逃げ出したサンジを一斉に狙ってくる。
「クソッ、仮にもホテルとしてオープンさせようとするところを硝煙臭くする気かよっ」
毒づきながら大きな庭の闇に転がり込む。
そのまま息を潜めていると、しばらくして銃撃が止んだ。
闇の中で打ち合っても同士討ちになりかねないと判断して、慎重に自分を探し始めたようだ。

サンジはこうした状況で相手の心理を読むのに長けている。
早くケリをつけたい手下たちは一度探したところへは容易に戻らない。それを見抜いて庭の闇を伝いながらこっそりホテルの館まで戻ってきた。
館の近くに大きく枝を伸ばした木によじ登る。幹から灯りの消えた部屋のバルコニーへ飛び移り、その内側に身を潜ませた。

それから数十分。降り出した雨があっという間にみぞれに変わった。
シャーベットが溶けかけたようなみぞれが、髪や服に付着する。
それが薄い衣服の上に積もっていくのを払いのけることも出来ずに、サンジは闇に包まれたバルコニーの暗がりで、じっと気配を押し殺していた。
だが、このまま気配を殺しているのは無理があるだろう。身体に付着したみぞれは確実に彼の体温を奪い始め、身体が凍えてきたのだ。

彼は数十分前まで自分がいた、華やかでにぎやかな空間をちらっと思い浮かべた。
(クソッ。あの野郎がサインなんぞ送ってこなければ、俺は今頃あのあったけェ屋敷の中で、お美しいレディにカクテルを作ってさしあげてだろうによ…)
サンジは仲間のヘマに心の中でチッと舌打ちした。
それでも、銃弾が仲間でなく自分に向かっていたことに安堵の気持ちもある。追手を自分がひきつけている間に彼はうまく逃げ出せただろう。

庭ではついに犬まで駆り出しての捜索が始まった。みぞれが匂いの痕跡を薄くしているとはいえ、血の匂いを嗅ぎつけられる可能性はゼロではない。
サンジは銃弾に肉をえぐられた右大腿部を押さえた。ばっくり開いていない限りどんな傷口も、手のひらで強く圧迫していれば出血は次第に止まってくるはずだ。
だが銃弾が脚を掠めたあとに散々走り回っている。致死量ではなくてもかなり流血しているだろう。
失血と冷気は体温を確実に低下させている。抑えようと思っても、薄い黒のシルクシャツに黒のベストという薄着の身体は、意思に反して小刻みに震え出した。

(このままでは犬に嗅ぎつけられて殺られるか、凍死するか…どっちにしろ、冴えねェオチだな…)
とにかくこのままでは「死」が待っている。ならば…
(イチかバチかの賭けに出てもいいだろう?)
バルコニーに潜んでからずっと頭の中で「だからてめェは莫迦だっていうんだ」と、口調とは裏腹にサンジを気にかけた表情で言ってくるゼフにそう告げて、サンジは賭けにでた。
まずバルコニーから部屋に通じるガラス戸をゆっくり引いてみる。
だがガラス戸は開かず、小さくガチっと音を立てて止まった。
それで落胆したりはしない。鍵が掛かっていることは予想の範疇だ。あわよくば開いてくれればラッキーという程度の確認にすぎない。ここからが本番だ。

錠のかかっているところに一番近いガラスをライターで焼く。もちろん火の灯りが漏れないように、手と身体とで覆いながら。
熱せられて脆くなったガラスにハンカチを当て、ネクタイの端を手に巻きつけて拳で突く。殆ど音を立てずにガラスが割れた。落下の衝撃音も毛足の長いカーペットによって落柔かく吸収された。
サンジは割れた隙間から手を差し込んで錠を外し、真っ暗な部屋の中へするりと身体を滑り込ませた。

部屋の中は暗くシンと静まり返っていた。だが、室内は心地好い温度に温められている。
その温かさに、凍えた身体の強張りはほっと緩んだものの、逆に気持ちはピンと張り詰めた。温められているということは、この部屋がこの後使われる可能性があるということなのだ。おそらく、招待客の誰かの控え室なのだろう。

暗がりの中にソファやテーブルなどの応接セットやクローゼットが見えた。
そこを慎重に横切って左の扉を開けるとベッドルーム。
隠れるのに最も適しているのはこのベッドルームだろう。常に命の危険と隣り合わせの連中が、出来たばかりで構造もわかっていないこのホテルに泊まっていくとは思えないからだ。
サンジはその部屋にそっと身を隠した。
あと3〜4時間もすれば追手も捜索を諦めるだろう。それまでここに誰も来なければ、命が繋がる可能性は高い。もうしばらくの辛抱だ。

だが、暗くて温かい部屋は、疲労と緊張が溜まり体温も下がっている身体を眠りへと誘う。必死で意識を保とうとするが、やがてサンジの意識はずるりと睡魔に引きずり込まれた。





「ゾロシアの兄貴ィ、勝手にパーティを抜け出されちゃ、俺たちが怒られますから、戻ってくださいよ」
「俺が、ああいう面倒臭ェもん嫌いなのは知ってんだろが」
「でもミフォーコの親父貴がパーティ会場から席を外している時は、兄貴が主催者の名代ですから。それに、潜り込んだ賊もまだとっ捕まえていないし」
パーティに引き戻そうと追いかけてきたヨサクとジョニーを無視しながら、ゾロシアは控えの間として用意された部屋の扉を開けた。
が、灯りを点けようとして思いとどまる。ゾロシアの動物的勘が、この部屋に違和感を覚えたのだ。

「どうしたんですかい?」
聞いてくるヨサクとジョニーを、しっ、っと黙らせ、ゾロシアは注意深く室内を伺った。
殺気は感じられない。では何が自分の直感に引っ掛かったのだろう。
その正体がわからぬまま、ゾロシアは慎重に一歩踏み出してみた。それでも何の気配も動かない。
灯りをひとつ点ける。控えめな間接照明が柔かく室内を照らし出す。
殺気も気配も荒らされた様子もない。
それでも警戒を解かないまま部屋の中央まで進んで、ん?と窓のほうを見た。
微かに外気の匂いがしたのだ。
この部屋に入るのは今が初めてだ。まさか窓が開いているなんてことはない筈だ。
ゾロシアはホルスターから銃を抜いて構え、自分の気配を殺しながら慎重に窓に近づいた。

そもそも窓際は好きな場所ではない。窓の向こうからスナイパーに狙われる危険と隣り合わせだからだ。室内に灯りを灯せば窓の向こうから内部が丸見えだから、ファミリーの家の窓には目隠し代わりの分厚いカーテンを掛かってるものだ。
その分厚いカーテンを数ミリ動かし、ゾロシアは毛足の長いカーペットに埋もれたガラス片を発見した。
そのあとのゾロシアの行動は素早い。銃を構えながら、クローゼット、トイレバスルーム、と、人が潜みそうなところを順に確認していく。
最後にベッドルームのドアノブに手を掛けた。
静かにそれを回し、まず数センチ開けて様子を見る。

それから数分後、ゾロシアはベッドと壁の狭い隙間で、身体を折るようにして眠っている男を発見した。
ズレた黒髪のかつらの下から金の髪が零(こぼ)れている。その金糸の間に見え隠れするのは、くるりと巻いた特徴的な眉…。こいつは…。
(もしかして…さっきの話に出てきた「サンジ」か?)


→next



小説目次←