純情サバイバル  #2


1時間ほど前のこと。
ドン・ミフォーコは、まだまだ若いがいずれは自分の跡目を継ぐ者としてゾロシアを五老星たちに紹介した。
五老星の会合の目的は、サンジが憶測したとおりリゾート開発についてで、彼らはゾロシアに軽く意見を求めた。
「リゾート開発は、この島の繁栄のためには必要だとは思うが、うぬは、どう思うかね?」と。
もちろん、ユニバーシティを出たばかりの若干24歳のゾロシアの意見がこの会合に影響するわけではない。受け答えや発言の内容から、ゾロシアの度量と能力を推し量ろうとしているのだ。
どうやらそれは合格点だったらしい。リゾート開発の会合の、さわり部分に同席させてもらえた。

話が本筋に入ろうというところで「パーティのほうを頼む」と退出を促されたが、その去り際に聞こえてきたのが、リゾート開発の邪魔になるだろうから近いうちに消す必要があるとされた者たちの名前だ。
そのブラックリストの筆頭に上げられていたのが「サンジ」だった。
「サンジ」の噂はいろいろと聞いている。自分と同い歳だというその男に前々から興味があった。だが、会ったことはない。
退出時にチラと後ろを盗み見ると、スクリーンに珍妙な似顔絵が映し出されていた。
写真じゃねェのかよ!と心の中で思わずツッコミを入れたが、かえって、左目を覆う髪と、莫迦みたいに強調されたグルグル眉が強く印象に残った。



(コイツが、その「サンジ」だろうか?)
ゾロシアは、目の前の人物を凝視した。
黒いシルクの薄手のシャツに黒のベストに黒ズボン。
黒づくめのその服はぐっしょりと濡れ、男の身体の下に水溜りを作っている。その水溜りににじむ、赤…。
水溜りと血溜りの中に倒れ込んだそいつの額に銃口を押し当て「起きろ」と声を掛ける。
わずかに黒ずくめの身体が動く。
もう一度「起きろ」というと、その男は今度ははっきりと覚醒した。

(……なにか…声が…した?)
サンジの意識がゆっくりと覚醒する。
「起きろ」
今度ははっきりと聞こえた。
ハッとして目を開けようとしたとたん、サンジの額にガツンと固いものが当たる。
額に当てられている固いもの、これを何かと確認するまでもない。銃口だ。
そして目の前には緑の髪の男。

(ゾロシア!?)
そう理解したとたん、幸運の女神は俺に微笑まなかったらしいとサンジは苦笑した。
面と向かって会うのは初めてだが、ゾロシアの噂なら聞いている。強くて冷静で非情。それはつまりこの土地で成功するために必要な性格のすべて備えているということだ。
しかもドン・ミフォーコの嫡男だ。サンジとタメの若干24歳でありながら将来「ドン」の称号を得ることは確実だと言われている男だ。

自分とは敵対する勢力の人物だとはわかっていたが、どれほどの男か会ってみたいと思っていた。
その男が目の前にいる。そして自分の命は、その男の手中にある。
(せっかく会えたが、どんな奴か知る間もなく、お別れか…)
引き金を引かれることを覚悟してサンジはそう思った。
だがゾロシアは引き金を引こうとはしなかった。
「この金髪とグル眉、てめェ、サンジだな?」

(なんでバレた?)
サンジはチラと、自分の頭部に意識を向ける。
どうやら黒髪のかつらは、頭を壁にもたせかけたまま眠るうちに身体のほうが下にずり落ちて外れてしまったらしい。
ふーん俺は結構有名人だったんだなーと妙に感心したが、正体がばれたことでジジィに迷惑がかかっちまうと思いあたると、自分の命よりそのほうが気掛かりだった。

自分の置かれた状況にうろたえるでもなく淡々としているサンジにゾロシアは再び声をかけた。
「パーティ会場はここじゃねェぞ、ドン・サンジーノ」
とたんにサンジがくわっと目をむいて敵意を全開にした。
「てめェっ!」と吼えながら、銃口が額に当たっていようと構わずに長い脚を振り上げようとする。
だが額を銃で押さえつけられ、倒れた姿勢のまま繰り出す蹴りではいつもの蹴りの威力の半分も伝えられない。ゾロシアに簡単に封じられた。
「銃がてめェの頭を狙ってんのに、無茶しやがる。それでこそ、ドン・サンジーノだ」
「その、ドン・サンジーノってのを、ヤメやがれっ!」
サンジは激昂した。

絶体絶命である筈なのに痩身の男は、ひるむことなくゾロシアを鋭く睨みつけてくる。
(おもしれェ…。コイツの目ェ見てっとゾクゾクする…)
好敵手を見つけた時のようにゾロシアの気持ちが昂ぶってくる。
(オヤジの手下に渡すのは惜しいな)
ゾロシアは激昂した感情に任せて罵倒の言葉を吐こうとしたサンジの口をバッと手で押さえ、
「デカイ声出すな。ほかのヤツラが来ちまうじゃねェか」と低く言うや、サンジの側頭部を銃の握りでガツンと殴って昏倒させた。
そして、自分の私邸へと運ぶようヨサクとジョニーに告げた。



「兄貴ィ、会場をちょっと抜けるくらいなら可愛いもんですけど、帰っちまうなんて、やっぱマズイんじゃないですか…?」
恐る恐ると言った感じでヨサクとジョニーが聞いてくる。
「それにそいつ、連れて来ちまったのもヤバイんじゃ…?」
チラっとゾロシアの肩に担がれた金髪の痩身を見て言いよどむ。

「探してるのは『黒髪のバーテンダー』なんだろ? だったらコイツじゃねェ」
自分でも屁理屈だとわかっているがゾロシアはそう言って二人を黙らせた。
その一方で、こんな胡散臭い男を私邸に運ぼうとしている自分の行動に驚いてもいる。
確かに「サンジ」に興味はあった。どんな男なのだろうとは思っていた。
会ってみて、そのブルーの瞳の鋭さとひるまぬ態度に更に興味を持った。
昏倒させて身体を探ってみて、武器をまったく所持していないことに呆れた。いくらバーテンダーの格好が武器を隠し持てる衣装ではないとしても、いくらサンジの得物が自らの脚だとしても、飛び道具無しに乗り込んでくる無茶な野郎は初めてだ。
興味はいっそう膨らんだ。だが、興味本位の行動が命取りになることは往々にしてある。争いにおいては冷静に状況判断を下す自分らしくないのものはわかっている。
だから自分で自分の行動が不思議なのだ。
(ま、怪我してる野郎に俺がタマ取られるわけねェだろ。もう少し生かしておくくらい問題ねェ)
ゾロシアは自分の行動を、とりあえずそう納得させた。



車に乗せて運ぶ途中で、ゾロシアの隣の座席に手足を縛られて転がされているサンジがぼんやりと目を開けた。車の振動で目覚めたのだろう。
だが意識は朦朧としているようで、瞼は開いたがちゃんと見えてないようだ。その証拠に瞳の焦点が合っていない。
そのうち苦しそうに荒い息を吐き始めた。脂汗をかきながら時々ぎゅっと眉根を寄せる。
苦痛を逃すために体勢を変えようとするが、後ろ手に縛られた身体は身じろぐのが精一杯だ。
ゾロシアがそのまま見つめていると、サンジは力尽きたように再びぐったりと意識を手放した。

私邸に到着して、こっそり呼びつけた医者が来るまでの間、とにかくこの冷たい水分を吸った衣服を脱がしたほうがいいだろうと、ゾロシアは思い当たる。
まず拘束を解いてベッドに寝かせ、サンジのネクタイを解く。
続いてシャツのボタンを外そうと首筋に指が触れたとたん、サンジが目を開けてゾロシアの手をパンと払った。
「そのまんまじゃ、凍えるだけだぞ」
だが、やはりサンジは脱がそうとするゾロシアから逃れようと抵抗する。
しかし、それはパーティの控え室で見た時よりもずっと弱々しいものだった。
(弱ってきているな……。あのキツイ視線も無ェ)
ゾロシアは、つい煽った。
「随分聞き分けねえな、ドン・サンジーノは」
とたんにギリッとサンジが睨んでくる。
(そうそう、この目だ)
気持ちが高ぶるのを感じながらゾロシアは「ドン・サンジーノ」と畳み掛けて煽る。
そう呼ぶ度にサンジの瞳と身体から青い炎のような怒りが立ち昇る。
医者が到着する頃には、ゾロシアとサンジは、余人が近寄れないほど凶悪な雰囲気でにらみ合っていた。

「ハッピーかい、ガキ共! けが人てのはどいつだい?」
到着した女医は、ヨサクとジョニーがハラハラしながら遠巻きに見ることしか出来なかったゾロシアとサンジに、いとも簡単に近づいて声を掛けた。ゾロシアを追い払い、サンジの治療を始める。
最初は警戒していたサンジだが、目の前の女医が100歳を越える女性であっても女性を尊重する精神が発揮されて、まもなく大人しくなった。濡れた服も素直に脱がされるままで、治療に協力する。

荒っぽい治療で途中で意識が吹っ飛んだサンジに抗生剤を打った後、事の次第をゾロシアから聞いた女医は、なんとも言えない溜息をついた。
「おまえさん、けが人を「拾った」から手当てに来いと、アタシに言わなかったかい?」
「言ったな」
「こりゃあ「拾った」とは言わないだろ、攫(さら)ったと言うんだよ」
「んなこと俺にはどっちでもいい。こいつのキツイ瞳(め)が面白かっただけだ」
「それがどういうことか、わかってて言ってんのかい?」
「どういう意味だ?」
「おやおや、抗争ごとは得意でも、この手の切った張ったはまだまだヒヨっ子かい。まあいい。変な期待はさせたくないから、はっきり言うが、おまえの望む「キツイ瞳」とやらは、下手すりゃもう二度と見れないかもしれないよ」
「どういうことだ? 銃創は深くないとさっき言ってただろうが」
「傷自体は致命傷じゃない。だが、銃創は高熱を引き起こしやすい。そして、みぞれに打たれて芯まで冷え切ってるこのガキは肺炎を起こしかけてる。しかも、失血で体力は奪われている」
「………」
「アタシの言わんとしていることがわかるね? さっきみたいに睨み合ったりして変なストレスかけるんじゃないよ、心が休まらなかったら身体も休まらない。休めなかったら病状は悪化する。わかったね。せいぜい看病してやんな。おまえが「拾った」んだから」

その言葉に従って、ゾロシアは、「せいぜい」どころかかなり看病しているつもりだ。
そうでなくてもサンジの看病は自然とゾロシアひとりに回ってきた。舎弟のヨサクとジョニーはサンジに不用意に近づいて蹴り飛ばされたからだ。
信用ならない人物に看病させて、男をかくまっていることがバレても困る。
結局、ほかの人間には任せられなかったのだ。
だがゾロシアなりの看病もむなしくサンジの高熱はいっこうに下がる気配が無かった。
脂汗を浮かべ、金の髪を額にべったりと貼り付けて荒い息を吐いている。
その汗を拭ってやろうとして彼に触れると、瞼をハッと開けて、こちらを睨む。

睥睨するその目は、ゾロシアが望んだ「キツイ瞳」とは似ているようで異なるものだった。
自信に裏打ちされた「手を出したら返り討ちにしてやる」とでもいうような力を宿していない。
身体の限界を悟っているから、伸ばされる手に緊張し、威嚇する。そんな目だ。
まさに手負いの獣の抵抗そのもの。
警戒心をピンと張り詰めさせ、近寄るなというサインをいっぱいに放出する。
緊張と警戒の限界が来ると、再びぐったりとまどろむが、そのまどろみも深くはない。
眠っていても表層だけの眠りで、警戒心を解いていないのだ。
何か気配が変わると、ピクンと身体を震わせて覚醒する。

それをゾロシアは苦々しい気持ちで見つめた。
女医はストレスが病状を悪化させると言っていた。
言葉のとおり、サンジは徐々に衰弱していく。
こんなことならコイツを無理に怒らせて敵対心を煽るんじゃなかったと、後悔した。
サンジの生気を奮い立たせるものだと思って放った「ドン・サンジーノ」という呼びかけは、サンジを追い詰めるだけだったのだ。



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