純情サバイバル #3


マフィアの組織は、ファミリーに入ること自体はそれほど難しくない。
ファミリーの幹部たちと証人たちとの前でいくつかの誓いの書に血判を押し、その文書のうちの1枚を自分の手のひらで燃やしてみせる。裏切ったらこの紙の様に炎に焼かれても構わない、という意思表明だ。その儀式が終わればもう、ファミリーの一員だ。

だが、その中で、「ドン」の称号を得られるのはひと握り。
実力は勿論だが、出自が違えば決してドンにはなれない。
曽祖父母の代までさかのぼって、この土地の出身かどうかを調べられる。
この土地は長きに渡って様々な人種や王国にかわるがわる支配されてきた。その歴史がよそものを容易に信じない習慣を作り上げた。
マフィアも同様だった。よそものの下では働かない。ゆえに他所の血が一滴でも混じっていれば「ドン」として認められない。

つまり、明らかにこの土地のものではない髪と瞳と白い肌を持ったサンジは、どれだけ実力と人望があっても一生「ドン」にはなれず、駒のひとつにしかなれないのだ。
本人もそれがわかっている。
凄まじい蹴り技と、人になつかれやすい性格を持っていても、ファミリーに入らずに別の生き方をしようとするのはそのためだ。
それでも混血の者や移民たちは、こっそりサンジを自分たちのドンとして「ドン・サンジーノ」と呼ぶ。
たかだか24歳の男だが、生粋の土地っ子でない彼らにとっては、サンジの強さと行動力は「希望」だからだ。

だが逆にファミリーの者がそう呼んだら、それはドンになれないサンジへの皮肉か嘲笑でしかない。
それに、サンジがこっそりそう呼ばれていることをファミリーのドン達は当然快く思っていない。リゾート開発の邪魔者だとも思っている。パーティ会場に忍び込んだ不審者でもある。
そんな状況で、いずれファミリーの「ドン」となるであろうゾロシアから、威圧するような視線で「ドン・サンジーノ」と呼ばれたのだ。
サンジがそれを、自分に向けられた敵意だと思ったのも無理はなかった。

「てめェを殺すつもりじゃねェ。殺すんなら、こんなとこに連れてこずに、とっくに殺してるだろう?」
何度もそう言ってみたが、サンジの瞳から警戒心が解かれることはなかった。



 ◇ ◇ ◇

3日が経った。サンジの容態はちっとも良くならない。
その晩ついにゾロシアは、サンジをどこかに移そうと思った。
白いいガウンを着せられてぐったりと横たわるサンジは見るからに重病人だった。
(てめェ、そのザマはなんだ…)
理不尽な憤りだとわかっているがゾロシアはそう思った。
闘志剥き出しのあのキツイ瞳が戻ってこないのが惜しい。
あれを見る前に手放すのは、どうにもこうにも苛立たしい。
だが、このままここに置いていたら心も身体も休めずに、衰弱して死ぬだけだ。
夜が明けたら、女医に相談してどこかに移す算段をしたほうがいい。
(こういう時、女だったら優しく抱いてやるだけで警戒心を解いてやることが出来るものを…)
そうぼやきそうになって、ゾロシアの頭に突拍子も無い考えが浮かんだ。
(抱いてみるか?)

高熱で衰弱している身体を抱くなんてとんでもない発想だ。
ことに、今のゾロシアとサンジのこじれた状態だったら、自分を「殺る」のが「ヤる」に変わったのかと思われかねない。警戒心の上に屈辱を植えつけるだけだ。
(ま、穴に入れて抱いちまうのはマズイだろうが、抱きしめるくれェなら、いいんじゃねェか?)
それならプライドを傷つけることもあるまいと、根が単純なゾロシアは結論づけた。

「うぉっ! 何するつもりだ、てめェっ!」
突然ベッドに入り込んできたゾロシアに、当然のことながらサンジは仰天した。
掠れた声で叫んで、抱きついてくるゾロシアを引き剥がそうとする。
「なんにもしねェ」
そんなゾロシアの答えを信じるはずもない。
残った力を振り絞って逃れようとするが、弱った身体で抗っても結果は明らかだ。
とうとうサンジはぐったりと手足を投げ出した。
「好きにしろよ」
あきらめたように言って顔をそむけた。
(犯されることを覚悟した顔だな…)
そむけられた青白い横顔を見ながら、なんとなく胸が痛いような気になる。
「何もしねェから、寝ろ」
汗を含んでしっとりと濡れた金糸を梳きながら、ゾロシアはもう一度言った。
「信じねェかもしれねェが、約束する。何もしねェ。だから、寝ろ」

サンジは身体を強張らせたまま、ゾロシアの様子をしばらく探っていた。
やがて、ヤるつもりでも殺るつもりでも、どの道今の俺はコイツに叶わねェと、腹を括った。
サンジは頑固だが、思い直したら行動は早い。この時も腹を括ってからが早かった。
抵抗しても無駄だと思うや、ゾロシアに身を任せた。
数分後、あれだけ警戒していたゾロシアの腕の中で、サンジは豪胆にも、深い眠りに落ちていった。



(…熱ィ…)
長い眠りの途中、サンジは一度だけ目を醒ました。
もぞ、と身体を動かしたとたんに、何かに触れる。
は?と目を開けると、デカイ傷が目に飛び込んできた。
(なんだ、これ?)
声を上げようとして、かわりにゼイゼイと掠れた息が出た。
喉がヒリヒリと痛む。頭もぐらぐらする。

しばらくして、目の前の身体がゾロシアのものであることに、ようやく気づいた。
顔だけ動かして、ゾロシアの寝顔を見上げる。
照明の落ちた部屋の中で見るゾロシアの寝顔は、陰影がくっきりと浮かんでブロンズの彫刻のようだった。
(ふーん、コイツ、結構整った顔してやがる、俺様ほどじゃねェが…)
自分を殺すつもりかもしれない男の傍らで、のんきにそんなことを思う不思議に気づかぬまま、サンジは再び眠りに落ちた。



 ◇ ◇ ◇

(…んぅ……眩しい…)
瞼の裏に光を感じてサンジは目を覚ました。
重く垂れたカーテンが少し開いていて、そこから光がもれている。
それがちょうどサンジが寝ているところに伸びている。
(どこだここは?)
見知らぬ部屋を見回して一瞬首を傾げ、それから、パーティ会場から連れ去られたことを思い出した。

約1日半たっぷりと眠ったサンジの身体は驚くべき回復力を見せた。
寝返りを打つのも苦しかった身体は、すっかり軽くなっている。
そうなると、敵であるだろう人物の家で看護されているなんて、認めたくない状況だ。ちょうど部屋には誰もいないし(この隙に、このままズラかっちまおうか)とも思う。

ゾロシアはなぜ自分を助けたのだろう。
会ってみたいと思ってはいたが、あの状況で自分を連れ去ったゾロシアの行動がわからない。
きっと、何か企んでいるのだ。
そうでなければ、どうしてファミリーから疎まれている自分を助けたりするだろうか。

(だがこのままズラかるのも、いかにもビビって逃げ出すみてェだよな)
サンジの負けん気が頭をもたげた。
企みが有ろうと無かろうと、助けられたという借りができたままなのも気に喰わない。
「とりあえず、この格好をどうにかすっか」
サンジはガウン姿の自分を見つめた。
ガウンの下にはゆるゆるのボクサーパンツ。サイズ的にみて、ゾロシアのものだろう。
もちろん新品だろうが、ゾロシアのものを身につけていることに、サンジは急にこっぱずかしい気分になった。

(クソッ、俺の服、どこにやりやがった?)
いつもの調子で勢いつけてひょいとベッドから降りたら、身体がふらついてぺたんと床に尻をついた。
無理も無い。丸4日半ベッドの上だったのだ。
その間、点滴だけでマトモな食事など摂っていない。右足の怪我だって包帯が巻かれたままだ。
いくら人並み外れた回復力でも、よろけるのは当たり前だった。

それでもサンジは雲の上を歩いているようにふわふわした足取りでベッドルームを抜け出し、隣の部屋のドアを開けた。
誰もいない。
リビングのテーブルに冷めたピザがひと口だけかじられた状態で置いてあるだけだ。
その歯型の反対側に食いついてみた。
(まずっ! なんだよ、いずれこの土地を牛耳る男とか言われてる割りには、シケたもん食ってんな…。こりゃどっかの冷凍ピザだな。生地はボソボソだし、チーズの配分がなってねェ。だいたいこのソースが…)
顔をしかめながら、口の中でピザのカケラをもごもごと転がしながらマズさを分析していたら「何やってやがる」と声がした。
驚いて振り向き。
「ブッ……ッ!!!」
ゾロシアの顔が鼻先15cmのところにあることに仰天して、サンジはピザを盛大に吹いてしまった。充分咀嚼して、あとは飲み込むだけのドロドロ状態になったソレを。
もちろんゾロシアの顔目掛けて。

ゾロシアは、どこかへ出かけるところだったらしい。
しわもゆがみも無く、ピシっとアイロンが当てられたシャツに上等のスーツ。その服の上に、流動食状のピザが、ゾロシアの顔からぼとぼとと滑り落ちた。

「あ、悪ィ……」
「この野郎ッ! 何してくれるっ!!!」
ゾロシアはサンジのガウンの襟を掴んですごんだ。
だが、サンジはこれでひるむような輩ではない。
ひるむどころか、俺は謝ろうとしたじゃねェかと、一気に頭に血が上った。
「てめェが、んな近くにいんのが悪ィんだろうが! フン、ゾロシアってのも、たいしたことねェな。んなもんも避けられねェとは」
「死にぞこないのてめェに添い寝までしてやった俺に、そう言うか、てめェ!」
「誰が死にぞこないだっ!」
「てめェに決まってんだろ。ドン・サンジーノは添い寝無しには、おねんねもできませんとは知らなかったぜ」
「てめえッ…ッ!!!」
ゾロシアの痛烈な揶揄に、サンジの脚が上がる。
ギリギリでかわされたが、次々に凶暴な足技を繰り出した。
顎を狙ったアッパーキックがゾロシアの右頬を掠めて、ゾロシアの瞳も本気モードになった。

だが、病み上がりで空腹のサンジのほうが、どうしても分が悪い。
おまけにガウンの裾が脚の動きを妨げる。
次第に押され始め、テーブルとソファの間に、ガウン1枚の身体が引き倒された。
毛足の長いラグの上に転がったサンジの身体に、すかさずゾロシアが馬乗りになる。
「どきやがれ! てめェダイエットしたほうがいいんじゃねェの? 重いんだよっっ!」
組み敷かれた体勢でも機関銃のようにまくし立てる口の勢いは止まらない。
「うるせェッ!」
ゾロシアの手がソファの下に伸びるのを見てサンジはハッとした。
ソファの下に武器を備えておくのはマフィアの常識だ。突然襲撃された時、ソファを盾にしながら武器を手に取れるからだ。
案の定、次の瞬間、ガチッと歯茎が嫌な音を立てた。
「ぅがッッ!…!」
口腔に突っ込まれたのは黒光りするライフル。
バレルの長いそれは、用意周到にサイレンサー装備だ。

クソッ…。
そう言おうとした口からは「グッ」というこもった音が出るだけだ。
口内の銃身を舌で押し出そうとするが、その舌の動きはすぐにゾロシアの手に伝わって、逆にグイと奥へと押し込まれた。
とたんにゲェっ、とむせる。
ゲッゲッとむせているのに、銃を押し込む力を緩めてもらえない。

クソ野郎と睨みつけてくる目をゾロシアは見下ろした。
むせて苦しいのだろう。生理的な涙がサンジの目じりに滲んでいる。
口の中には唾が溜まり、それが口の端から溢れてている。
身体のほうへ目を移すと、暴れたせいで脱げ掛けたガウンから、胸の突起が曝されている。
ガウンの裾はめくれあがって太腿まで露になった脚が突き出ている。
ゾロシアの理性は簡単に焼き切れた。


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