触れて あふれて #1


ドオォォォオンという爆音と振動が身体の真下で響いた。
その直後、4階の床にビキリと亀裂が入る。
その時俺は、亀裂のギリギリのところにいた。脚こそは床の上に乗っていたものの、 亀裂から吹き上がってくる爆風に煽られて身体がぐらりと傾く。そしてそのまま、まるで、氷河のクレバスに吸い込まれるように、俺の身体は亀裂の間に落ちていく。
ふわ、と床から脚が離れ、身体が空中に浮き…そして急速に下へ落ちる感覚が来た。

「ウソップ!!」
切羽詰まった声が間近で聞こえたが、返事なんてできるわけ無ェ。
せめて落下の衝撃から身を守ろうと、身体を丸めてかばおうとした。
そのとたん、がくんと腕がもぎ取られるような衝撃を受けた。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。床に叩きつけられた衝撃はない。身体はぶらんと宙に留まっていて…。

はっと我に返って上を見上げると、落ちかけた俺の手をつかんでいるやつがいる。亀裂のギリギリのところに腹ばいになって、俺の手を掴んでいる。ゴツゴツとした節ばった男の手だ。分厚い手だ。手のひらにはボコボコした固いマメがある。

助かった…。
って、まだ、俺は宙に浮いたままだけどよ。とりあえず、この差し伸べられた力強い手が俺を引っ張り上げてくれるのだろう。

だが俺を引っ張り上げるより先に俺の命綱である手の持ち主は叫んだ。
「ナミさんっ!!! ナミさんは無事かっ!?」




 ◇ ◇ ◇

2月28日、つまり、あと2日でサンジの誕生日という日に、ゴーイングメリー号はにぎやかな島についた。亜熱帯気候のその島はちょうど初夏の気候で、花々が咲き乱れ、空は青く明るい。
こういう気候だと、人は、自然と明るく開放的になるものだ。麦わら海賊団のクルーは、それでなくてもお気楽な面子だが、この島に到着して尚更テンションが上がっている。
もちろんコックのメロリン度数も急上昇。なにしろ露出の多い女達が多いのだ。巻き髪の可愛らしい娘に「おひとついかが?」なんてブーゲンビリアの鉢を手渡された時には、くるくると何回転したかわからない。

「アホが…」
いつものように剣士がボソッとつぶやいても。その鉢が売り物で、ぼったくられるとわかっていても。そんなことじゃぁサンジのメロリンは止まらない。
それでも料理人として成すべきことは忘れないのは、誉めて然るべきだろう。ゾロと俺を引き連れて市場で大量の食材を仕入れる表情は、楽しそうで真剣で活き活きとしていて、注目の的だ。ま、そんなことは、本人だけが気づいていないんだが。

それにしても…。
「なぁ、まだ買うのかよ?」
どんどん増えていく荷物に、とうとう俺は根を上げた。
今日の荷物持ちにはゾロもいるのだが、久しぶりの寄港と誕生日の宴会準備とが合わさって、3人で分けても相当の量になっていた。

「穀物と酒は届けさせるようにしたから、あとは新鮮なクリームを買うだけだ。…と、おい、クソ剣士! 食料持ったまんま、フラフラどっか行くんじゃねェぞ! 迷子になるなら、食料を船に届けてからにしろ!」
「ああ?」
「おい、ちょっと待てよ。こんなとこで、喧嘩すんなって! で、サンジ、あと何を買うって?」

いかにも喧嘩が始まりそうな険呑な雰囲気に、慌てて俺が口をはさむ。何を買うかなんて、ちゃんと聞こえていたが、これも喧嘩を回避するためだ。

「クリームだ。この島、新鮮なフルーツが豊富だからよ、俺様の誕生日にホイップクリームたっぷりのフルーツショートケーキ作ろうと思ってよ」
「おお、うまそうだな! って、待てよ、おまえの誕生日なのに、自分でケーキ作るのって変じゃねぇか?」
「変じゃねぇよ、俺の生まれ故郷ではな」
「生まれ故郷って、ノースの?」
「ああ。俺の生まれたとこでは、誕生日には、誕生日を迎えたやつがケーキを用意する慣わしだった」
「へぇ…お前の故郷は、みんな菓子屋かよ?」
「違ェよ、バカ。用意するっつったって、別に手づくりじゃなくたっていいんだ。買ったもので構わねぇから、誕生日を迎えたやつが、みんなにケーキを配る。で、みんなはそいつに祝福を送る。プレゼントとかキスとか。ま、なんつーか、生かされていることと生きていてくれることを互いに感謝し合うっての? 人は自分独りの力で生きてんじゃねェよ、ってことを確認する日っつーか…」
「へぇ…。生きていてくれてありがとう、生かしてくれてありがとうって訳か。ふーん、いいな、それ!」

やっぱ、世界は広いなー、自分たちの習慣が世界の常識だとは限らねェよなー、なんて俺はフムフムとうなづき、そこでハタと気づいた。
「ちょ、待てよ? ってことは、1ヵ月後の俺の誕生日には、俺がケーキを振舞わなくちゃならねェのか?」
「そういうことだ」
「えーー? ロビンの誕生日にはチョコレートケーキ作ってたじゃねェか!」
「俺は野郎には奉仕しねェ」
「ひでェ…。サンジのケーキが楽しみなのに!」
「俺は野郎には奉仕しねェ。…が、てめェがそんなに俺様のケーキが楽しみだってんなら、作ってやらねェこともねェ」

なんだかんだ言いつつも、結局誰の誕生日であっても…それがサンジ自身の誕生日であっても…サンジが最高の料理と最高のケーキでもてなしてくれることを俺たちは皆知っている。
だから。あとから思えば、あの時。
クルーの誰もが2日後のサンジの誕生日を前にして、ちょっと浮かれていたのだ。



その翌朝。つまり、今朝。
船番のロビンを残して、停泊した場所からすぐの広場に出たとたん、くすだまが割れて俺たちは紙ふぶきとクラッカーに出迎えられた。「開港○○○万人目のお客様です!!」なんて、やんやの喝采を受ける。
「記念に市長から、この市にちなんだ素晴らしいお品を贈答いたします」なんて言われて迎賓館に招待された。

今から思えば、相当胡散臭い。でも、前述のように、俺たちは、この島の気候と誕生日の宴会でちょっと浮かれていたのだ。
本来危険を避けて通ろうとする筈のナミが「素晴らしい品物」だの「贈答」だのに目がくらんでいつもの危険察知機能が鈍ったのもマズかった。連れてこられた建物が町外れにあったことも、最初から建物ごと俺等を吹っ飛ばそうという計画だったに違いない。
市長はほかのレセプションに出席していて、それが少々長引いているから、こちらでご自由にお待ちください、なんて置き去りにされたことだって、よく考えれば変だと気づくべきだったのだ。

前々から俺たちが次にこの島を目指していることがばれてたのか、上陸してからばれたのかはわからない。だが、とにかく罠は仕組まれ、俺たちはまんまとその罠にかかった…。



俺たちが到着した建物は、古くはあったが、昔は相当豪奢な迎賓館だったのだろうな、と思わせる内装だった。
今でこそ擦り切れたところや色褪せが目立つが、豪華だったことを思わせるペルシャ絨毯にビロードで出来た分厚い緞帳。壁にぎっしりと掛かった絵は、絵自体は大したことない肖像画だが(多分歴代市長なのだろう)、額縁が大層の代物だ。マホガニーの大きな書斎机には、めのうでできたペーパーウエイトがこれみよがしに置かれている。天井には、真鍮とクリスタルのシャンデリア。
ナミの目がすっかりお宝探しモードに変わったのは言うまでもない。

「ご自由にお待ちくださいって言ってたわよね…。ってことは、ほかの階に行ってもいいってことよね」
「今まで、お宝探しに、いいか悪いか許可なんて取ったことねぇだろ、てめェは」

あー、こういうところゾロって奴は怖いもの知らずっていうか、学習しないっていうか…。ほらみろ、やっぱ、ナミにげんこで殴られてやがる。
そうかと思えば、俺の左隣の奴はくねくねしながら「ナミさーん、俺がほかの階見てくるよ〜〜〜」と言ってるし。
少数精鋭集団なんて思われてる俺たちだが、本当に理知的かつ精鋭なのはこのキャプテンウソップ様だけだ。

「なにやってんだ、突っ立ってんじゃねェ長っ鼻! 行くぞ!」
「は? サンジ君、行くってどこに?」
「お宝探しに決まってんだろ!」
「いや、俺は、ほかの階には行っては行けない病…ぁあああぁぁっっ!」
言い終わる前に、階段の前まで蹴飛ばされた…。なんと乱暴な…。やっぱり知性があるのは、このキャプテンウソップ様だけだな…。

そんなこんなでハートを飛ばしたサンジに4階に引きづられていった俺たちが見たものは、がらんどうの空間。

「なんだ、4階はすっからかんだな。これじゃあナミさんが喜びそうなもんなんてひとつも無さそうだ」
コックのことだ。お宝を見つけて「サンジ君、お手柄ね!」なんて笑顔を(俺には悪魔の笑顔にしか見えないが)期待していたに違いない。明らかに落胆した表情で、しゅぼ、と煙草に火をつけた。

「あのシャンデリアでも持ってくかぁ?」
天井を見上げてサンジが煙をふううと吐いた。その直後。
ドオォォォオンという爆音と振動が身体の真下で響いた。
ビシリと石が割れる嫌な音が聞こえ。床からズシンと突き上げるような衝撃を身体に受け。そして俺たちの立っていた4階の床にビビビビッと亀裂が入った。

そして。
つまり。
冒頭のありさまだ。



「長っ鼻! ナミさんは無事かっ!?」
俺の身体を腕一本で宙にぶらさげているコックが俺の頭上で叫ぶ。亀裂の間で宙ぶらりんになっている俺を潜望鏡代わりにして3階にいたナミたちの様子を探ろうとする腹だろう。
しかし、こちらも、もうもうと吹き上がった粉塵で視界がうまく利かないのだ。
それでも真下には床らしきものがなくて下までずうっと、ぽかりと空間が空いていることは感覚でわかる。2階と3階の床はほとんど崩れ落ちている。この分だと1階にコンクリやら梁の鉄骨やらがゴロゴロした瓦礫の山を作っているに違いない。そんな瓦礫の山に落ちたら、無事で済む筈がない。

あらためて宙ぶらりんの自分の危機的状況を感じて、俺は早いとこ引き上げてくれ、と願った。
それでも頭の上でサンジが唾を飛ばして必死の形相でナミさんナミさんと叫んでいるので、こっちも必死で粉塵の空間に目を凝らすと…。
「あ! いたぞ! ナミは無事だ!」

3階にいたナミとゾロとチョッパーは、長く伸びたゴムの手に絡め取られるようにして、壁際に張り付いていた。壁沿いに1メートルほど床が残っており、壁伝いに避難すれば無事1階に降り立てるだろう。
そう言ってやると、サンジはほっとして一瞬力を抜いた。途端にズルリと落ちかける俺。
「うわあああっっ!!!」
俺の叫び声にハッと気づいたサンジが再び俺の手首が力強く握りこむ。その手はやっぱりデカクてゴツゴツしていた。



→next