嫁盗騒動 #1


バリバリバリ…
名前も行動も頭ん中もモンキーな船長が音を立てて煎餅を食べている。
バリバリバリ…
船長の隣では、鼻とトナカイが船長の立てる音に負けるものかと、これまた盛大に音を立てて煎餅をかじっている。

「何かしらね、この風景は…」
「いいんじゃない、たまには」
「退屈よ…」
オレンジの髪をかき上げて、たいくつたいくつアァつまんない、とナミは言う。
「早くログが溜まらないかしら」
「いいんじゃない? たまには、こういうのんびりしたのも」
退屈つまんない、を繰り返すナミに、ふふふと余裕の表情でロビンが言う。
だが、ナミは、たまんないわ、と首を振った。
「のんびりし過ぎよ。ブティックもない、カフェもない」
「カフェなら、あったわよ」
「岬のはずれの古ぼけた水出しコーヒー屋でしょ」
すすけた木の梁が天井に走っていて、水仙が開いたような形のスピーカーのついた蓄音機がある喫茶店。レトロと言えば聞こえはいいが、はっきり言って辛気臭いこと、このうえない。
「もっと、こう洒落たカフェよ。キュートな私に似合うような…」
「カフェなら俺にお任せをーーーっ!!!」
クルクル回ってクルクル眉毛がやってきた。
「はいはいはい。あら、そういえば、ひとり足りないわね。ゾロはどうしたの?」
「あんな寝腐れミドリ苔のことなんて、気にすることはありません」
このコックの男連中の扱いがぞんざいなのは今に始まったことではないが、いつもよりちょっと険のある言い方だった。また喧嘩中ってわけね…そんなふうにナミは思って気にせず聞いた。
「また寝てんの?」
「向こうの縁側で光合成の真っ最中」
陽のカンカン照る縁側で、延々と昼寝中らしい。
それはいつものことだけど、それにしてものどかだ。のどか過ぎる。のどか過ぎて退屈だ。
ナミは、こんなに退屈だとすることなくてダラダラ食べてばかりで太っちゃうじゃないの、もうっ!と、コックを蹴った。
「ああ、八つ当たりするナミさんも素敵だーー!」



ここはグランドライン。
とはいえ、活気があって栄えてる島ばかりではないのだ。
たまにはこんな、漁村しかないような島だってある。
そんなところに限って2週間も滞在しなくちゃログが溜まらなかったりする。

「ねぇ、ホテルとか、どこにあるのかしら?」
バカかこの女、この島のどこがホテルがありそうな景色だってんだ?と、珍しくゾロがまともな評価を下したように――もちろん心の中で、だ。口に出したら、名誉毀損とか言って賠償金を要求されかねない――、島の村民は「は? ホテル? んなもん、この島にあったっけ?」と一様に考え込んだ。

「もしかしてアンタら、ここに行きたいのかい?」
と、考えた末に島民が教えてくれたそのホテルの名は「ホテルかもめ荘」という。
正直、うさんくさい。「かもめ荘」という名前からしてホテルというより民宿?下宿?…んな感じだ。
それでも教えられたとおりに言ってみると、見事に予想を裏切らず、いやもう、完璧、民宿。
いや、民宿と言っていいかも微妙だ。
そこ、は、お客様をお泊めする「宿」とも言い難い、高校生の部活の合宿かよ!とツッコミたくなるような、雑魚寝の大部屋がドーンといくつか並んでいる宿だった。
いやはや、なんちゅーか、普通の田舎の平屋の、空いてる部屋を有効利用って感じが丸出し。

なんだコノ宿?とさすがに麦わらの野郎どもも目をまんるくさせた。
だが哀しいかな、ほかの島に上陸したって、ちんまりした額の金を配給のように分け与えられて「それで適当に泊まってね」と言われるのが常で、豪勢な宿にはまったく縁が無い野郎どもだ。
数分後には、親戚の家に泊まりに来ちゃいましたー、お邪魔しまーす、な勢いで、さっさと「ホテルかもめ荘」に上がってしまっていた。
はぁぁ、とナミが溜息をつく。
まあ一応、男と女が一緒の部屋で無かっただけ、感謝すべきかもしれない。
「…って誰に感謝よ、こんな宿! 宿代払うのもアホらしい。船に寝泊りするほうがいいわ!」
とナミはこぶしを作って宣言したが、お子様船長はイグサの香りのする床にすっかり夢中。ゴロゴロと寝転がっては「えー、船よりここがいいー」と駄々をこねる。
結局、泣く子と船長には勝てぬ、な結末となり、船番もいらなさそうで、つまるところ全員がここに寝泊りしているのだった。



島は見事なくらい、浜と漁港と畑ばかり。
食べ物は自給自足。
日用品を売る小さな雑貨屋の周りが一番栄えた繁華街という貧しい村だった。
航海士は一日にして「つまんない」と言い始め。
お子様3人組は夏休みに小さな村に来たようなはしゃぎぶり。
剣士はどこであろうと頓着せずに寝腐れており。
考古学者はそれらをのんびりほほえましく見守っている。

で、料理人はどうしているかというと、誰よりも「ホテルかもめ荘」に馴染んでいた。
夫を早くに亡くして息子3人を女手ひとつで育て上げた「ホテルかもめ荘」のおかみ、っていうか、おばちゃんとあっという間に仲良くなって、一緒に台所に立っていた。
そう、台所。厨房なんてもんじゃなく、台所。

「お客さんなのに、すまないねぇ」
「いいんですよ。好きでやらせてもらってるんですから」
サンジにとっては、こういう家庭料理を知ることがなかなかに楽しい。
家庭料理というものはレシピなんてなくて、ソースを入れるところを醤油を使う家があったり、味噌汁の具が地方ごとに違っていたり、大根を煮るのは輪切りが正しいと思っていたら乱切りする家があったり、と、方程式が無いようなものだ。
修行中のコックなら一流レストランでこそ学ぶものが多いのだろうが、元バラティエ副料理長にとっては家庭料理の、型にとらわれない部分が新鮮で楽しいのだった。
「それにウチには底無し大食いのバカと、飲むか寝るかのバカがいて、飯の用意をするのは普通のやり方じゃおっつかないですからね、手伝うのは当然ですよ」
サンジはそう言っておばちゃんに微笑んだ。
飲むか寝るかのバカが、ホントは、飲むか寝るかヤるか(ここでのヤるは「殺る」ではない。アッチの営みのことである)のバカであることは、黙っておく。

「大食いで大酒飲みなのは、ウチの息子たちも同じだけど、確かにアンタんとこは尋常じゃないね…」
大食いで大酒飲みだという、おばちゃんの3人の息子は、3人揃って漁師だ。それしか生きるすべはないのだ。この村では村長と医者と先生と子どもを除けば、男たちはみな漁師だと言っても過言ではない。毎日沖へ出て、海と魚と格闘する毎日だ。
それがちょっともったいなと思ってしまうくらい、3人の息子は、漁で鍛えられた立派な体躯と剛毅な心を持った若者だった。それなりに整った精悍な顔立ちでもあり、洗練されたセンスや振る舞いを身に付けたらさぞモテるだろう。
だが、こういう村にはありがちなことに、島の女たちは年頃になると別の島へ渡って夫を見つけ、島には帰ってこない。
過疎が進んだこの島には、適齢期の女性は少なかった。

そんな村へオレンジの髪のナイスバディのかわいい美女と、同じくナイスバディの黒髪も艶やかな美女がやってきたのだ。村の男共はこぞって浮き足立つ。
特に宿を提供している「かもめ荘」の3兄弟の舞い上がりようは尋常ではなかった。
ヲイヲイとツッコミ入れるくらいではおさまらないほどだ。
うちの客なんだから、うちらがまずはアプローチする権利があるとばかりに、ほかの男たちに牽制し、果敢にナミとロビンにアタックした。

そのアプローチの仕方も口説き方も、決してスマートとは言いがたいものだったが、朴訥とした感じが却って新鮮かも…なんて、日頃ラブコックの美辞麗句を聞きまくっているナミは思っちゃったりして、まんざらでない表情をしていた。
だいたいそのラブコック、最初のうちこそ
「ナミさん、俺というものがありながら、島のクソ野郎とデートだなんて!!!」
と悲しみにくれていたくせに、最近サンジくん寄ってこないわね、なんてナミが気がついた時には、すでにコックはおばちゃんと仲良しこよし。

この漬物はどうやって作るンですか、とか、この魚の味噌煮は…とか。
それじゃぁ俺もお返しに日持ちのするマリネを教えましょう…とか、とか、とか。
そのうち高いところに手が届かないおばちゃんに代わって、背の高いサンジが窓の上部を拭いてあげたりしてたりして。その次の日には、洗濯してたりして。さらにその次の日には、一緒に畑でマメをもいでたりして。
実に楽しそう。にこにこ屈託のない笑顔を振りまいている。

正反対なのは三刀流。不機嫌オーラを撒き散らしながら眉間に皺をつくっている。
「ったく、何やってんだ、アイツぁ…。クルクル眉毛が、またクルクル働いてやがる」
陸(おか)に上がった時くらい、のんびりすりゃあいいものを…。
一応俺たち泊まり「客」なのに、これじゃあ、船に入る時と変わんねぇ。。
いや待て。船にいる時より悪ぃじゃねぇか。
船ん中なら、いくらコックが働き詰めだって、夜になりゃ無理矢理ドスコイ押し倒せる。イヤだとか眠いとかほざいてる口を辛抱強く吸ってりゃぁ、じきにあんあん言い出すってもんだ。
それが、どうだ。
ここの宿、野郎どもがみんな一緒くたの部屋ってのは船の男部屋と一緒だが、ここには格納庫が無ぇ。つまり、ふたりでしけこむところなんてありゃしねぇ。
我慢できなくて、この前、コックが煙草を吸いにふらふら浜のほうへ出ていった時に追いかけた。草むらに引きずりこんで青姦しようとしたら、大層怒ってそれ以来、口もきいてくれねぇし、目も合わせねぇ。
どうしてくれるんだ、このムスコを! 悶々悶々…

ソロの悶々オーラが不機嫌を通り越して凶悪になるころに、ようやくログが溜まった。
やれやれ、やっと出航だ。
さよなら三角、また来て四角。
いや、また来んのは勘弁だ…。よっしゃ、船が島を離れたら、あのキンキラ頭をとっつかまえて、細っこい脚を開かせて、2週間分やってやる!

心の中で妙な誓いを立てながらブーツを履きかけていた剣士の後ろで、かもめ荘3兄弟が口々に言ったのが聞こえた。
「嫁に来てくれ!」

(あぁ、かなり過疎の島だもんなぁ。女っ気が無いわなぁ。ごうつく守銭奴でも、人骨平然と調べる暗殺女でも、もう女なら、それだけで恩の字なんだろうなぁ。あとになって、女なら誰でもいいなんて思ったのは失敗だったと後悔するのだろうに…)
ゾロはなんだか同じ男として、3兄弟を哀れに思いながら、頭だけぐるっと回して後ろを見た。
そして。
「へ???」
バカ面で固まった。それから、頬をぺちぺち叩いて、どうやら白昼夢でないらしいと判断した。

なんと。

3兄弟がプロポーズしているのは、ナミでもロビンでもなく、船が沖に出たら思うさま味わおうと思っていた痩身。クルクル眉のコックだった。
(へー、ナミやロビンでなくコックにプロポーズするあたり、なかなか人を見る目があるじゃないか)
と感心する余裕があったのは一瞬だった。


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