遠月点アダージョ #6


言ったそばからゾロは後悔した。
目の前には、身体を硬くしたサンジがいた。蒼い筈の瞳は、色を失ったかのように透明に見えた。
先ほどの強姦云々のやりとり以上に気まずい空気が漂う。
沈黙が小屋を支配した。
先に言葉を発したのはサンジだった。
「そうだな…。船に戻るよ、明日になったら…。だからてめぇも…行くのは明日にしろ」
そう言われては、酷い言い方をした自覚があるゾロはそれ以上反論できない。
苦い気持ちのまま、ゾロはすでに定位置になった壁際にどっかりと腰を降ろした。

サンジの言ったとおり、夕方から雨が降り出した。月も星も出ない夜は真っ暗で、昨晩月の光を弾いてキラキラと光っていたサンジの髪も今は重たい金色に見えた。まるで今の自分たちを表わしているかのように、すべてが沈んだ色をしていた。



 ◇ ◇ ◇

いつの間に眠ってしまったのだろう。眠るには不自然な体勢と寒さの為、サンジは夜中に目を覚ました。
『―――寝ろ寝ろ! 神経をピリピリ尖らしてばっかじゃ、逆に疲れて隙が出来るぜ。たっぷり寝とけ。んで、夜明けになったら、勝手に出てけ。お天道さんの昇るほうが谷だ。間違えずに行け』
サンジはその夜、そう言ってゾロにベッドを促した。
それでも壁際から頑ななまでに動こうとしないゾロに、ついには諦めのため息を吐いてベッドに腰掛けた。
腰掛けた体勢から上半身だけ倒してしまったらしく、膝から下はベッドの淵から落ちている。寝ている間に寒さを感じたようで毛布をくしゃくしゃとたぐり寄せているが、これも当然中途半端に掛かっているだけだ。
足を引き上げてベッドに乗せ、毛布を肩までたくし上げたところで、ハタとサンジは思い出した。
(アイツはどうした?)

見ると、睡魔に襲われる前に見た光景と、殆ど変わっていなかった。
違っているのは眠っているか起きているかだけで、ゾロは壁に寄りかかって寝息を立てていた。
その端正な顔を、サンジは見納めのように、見た。
顎のライン、すっと通った鼻筋、睫毛は意外と長い。広めの額。キスを繰り返した唇…。
それらを見ながらサンジは心の中で別れを告げる。
(バイバイ、ゾロ。俺は追いかけないし、待たねェよ…。記憶を失っていても、自分を失ってないんなら、それでいい)
船に戻る、と自分は昼間決めた。
(ルフィは怒るだろうが仕方無ェ。マリモは丸いから、どこまでも転がっていっちまうんですって報告しとくぜ。苔のつかねェローリングストーン顔負けにローリングマリモでしたって、な)
そう思うと、それがゾロの生き方に相応しいような気がした。この男は執着を望んでいないと、感じたのは初めてじゃない。今回も、同じことなのだ。

(見納めだ―――
サンジは再び、ゾロを形作るパーツのひとつひとつを、瞼の裏に焼き付けるように丁寧に視た。
眼を閉じたゾロの顔はその清廉な性格をそのまま映したように美しく、暗がりの中ではブロンズ像のように秀麗で、サンジはそれを見るのが好きだった。
ただ、今は、あの強く鋭く輝く瞳が見られないのが苦しいほど惜しかった。
(なぁ、てめェ、俺を見ろよ。最後に俺を、欲望を隠さずに俺を欲しがったあの目で俺を、見ろよ)
ずくりと身体の奥がざわめいた。
昼間の欲望が再び頭をもたげてくる。
主張を始めた熱が全身へ、特に下腹へと広がっていく。
意識した途端、それはいっそう強くなった。
(やべ、俺…。俺がコイツを欲しがってる…)
沈めようとしても、動き出したマグマは止まらない。
見納めのつもりだったのに、熱のほうはちっとも納まらない。
じわりじわりと裡からサンジを侵食してくる。

(欲しい…)
すでにスラックスのジッパーに手がかかっていた。
穏やかに眠るゾロに気取られないように、サンジはそっと寝返りをうった。
ゾロに背を向けて、ジッパーを下げる。
ジジ…というその微かな音さえも恥ずかしい気がしたが、溜まった熱には抗えなかった。
掌に包み込まれた自身は、待ち構えたように膨らみ、とろとろと先走りを零す。
(ん…ん…ふぁ…)

眠るゾロの傍で、息を殺して自慰をする自分は滑稽としか言いようがないのに、サンジは異様に興奮した。
どろどろに蕩けた先端から雫を掬い上げて乳首に塗りつけると、うっかり高い声が出そうになった。
それを寸前で噛み殺して、息を吐く。
ゾロの指を思い出しながら、乳首を摘まんだり押しつぶしたりすると、雄芯の先端からまたとぷとぷと透明な汁が溢れ出る。
『ドロドロじゃねぇか』―――そういうゾロの声が頭の中に響いた。
そう言いながらゾロは亀頭をばくりと咥えるのだ。
その刺激にサンジの身体が跳ねて逃げようとすると、サンジの腿をつかんで大きく開かせる。ほぼ180度に開いた股を閉じられないよう手で寝具に縫いとめて、ゾロは執拗な口淫を開始するのだ。

サンジはそれを思って自ら足を開こうとする。
足に絡まるスラックスのせいでろくに足が開かないのに焦れた。絡まるスラックスを蹴り飛ばしたいのだが、音を立てるとゾロが起きる。ようやく自由になった足を、サンジは、ゾロにそうされるように大きく左右に開いた。
(ん…んんっ…)
声を立てないよう、途中で寝具を噛んだ。
閉じたくなる足を押さえつけているのは、架空のゾロだ。架空のゾロがサンジをずっぽりと口に含み、舌先でちろちろとカリを嬲る。そして尿道口をざらりと舐め上げる。
(あ…あぁ…ゾロ…)
サンジは激しく手を動かした。競りあがる快感に、脳が、イク、イク…と繰り返し告げ始める。
まっすぐ上昇していく痺れの発射のタイミングを計ったように、架空のゾロが『イケよ』と囁いた。
(あ、ああああっ!!!)
サンジの手を盛大に汚して熱が爆ぜた。
それなのに…。

(あぁ、ダメだ…)
はぁはぁと上がりそうになる息を殺しながらサンジは思った。
(前だけじゃ、おさまんねぇ…)
貫かれたい、とうずく身体を持て余す。
後ろを弄ることなんて、普段の自慰ではしたことがなかった。
なのに今、後ろが、あの狭い穴が、あの男のアレをほしがって泣く。
サンジは吐精にねばつく自分の指に、さらに唾液を絡めた。
そして、そろそろと後ろへ手を伸ばした。



眠るゾロの意識を、何かが撫でる。甘く、それでいて引っ掻くように。
この数ヶ月そうしてきたように、ゾロはそろそろと意識を浮上させた。目覚めた気配を悟られぬように、ゆっくりと。瞼を開けぬまま、この空間にいるのは自分と金髪の二人だけだと気配を読む。

その金髪がもそりと動いた。
感情を必死で殺しているような息遣いに最初ゾロは、金髪が泣いているのかと思った。
何が哀しいのだろう。どうもこの男のことがわからない。ほいほいと近づいてきたくせに名前も名乗らない。飯を無理矢理食わせようとする強引さとは裏腹に、飯以外のことは踏み込まれるのを怖れるかのように慎重だ。そして自分との関係を何も教えようとしないまま、自分との関係を断ち切ろうとしている。
ゾロは「教えられても、それが真実かどうか判断できねぇし」と言ったことを棚に上げて、釈然としないものを感じた。

と、そこで男の気配が俄かに熱っぽくなった。
この気配は知っている。同性だからわかる独特の気配。
(コイツ、泣いてるんじゃねェ…。これは…)
サンジが何をしているのかを正しく理解したゾロは脱力した。泣いているのかと思って気にした自分が莫迦みてぇだと、舌打ちしそうになった。
船乗りだと言っていたから、上陸した時にはきっと溜まったもんを吐き出してるのだろう。それが今回は、俺に関わったせいで、女も買えず溜まったまんまだったに違いない。

勝手にそう結論づけたゾロは、吐精に喘いだ息を落ち着かせたサンジが、後ろに手を伸ばすのを感じ取って、ぐわんと頭を殴られたようなショックを受けた。
昼間の会話を思い出す。
(てめェ、男もいける口か?って聞いてんだよ)
確かにこいつはそう言った。飯を食わせただけでなく、自分をも食わせようとしやがった。
(こいつ、女でマスかいてんじゃねェのか! マジで男にケツを差し出してやがんのか…)
訳のわからない苦い気持ちが広がって、ゾロは奥歯を噛みしめる。
なのに、後ろを解すサンジの痴態に煽られる。

「ん…」
鼻から抜けるような甘い声が微かに響く。
苦い気持ちは次第にひと言では言い表せない複雑な感情へと変わっていった。
この痴態を別の誰かが知ってるのだろうという嫉妬やら、彼が独りで何かを抱えていることへの怒りやら、快感に耐えて震える身体を驚かせたくないような気持ちやら、漏れ聞こえる喘ぎ声に煽られてせり上がってくる情欲やら。
そんな入り組んだ感情を、ゾロはどうにか整理して冷静になろうとした。
だがそれを、あえやかに漏れてくるサンジの声が阻む。
「ふぁ…」
色に濡れた吐息が上がる。
尻のあたりで蠢いている白い手がせわしなく動く。
もう一方の手は前に回っているようで、前と後ろを同時に攻めているのだろう。中途半端にブランケットが掛かった身体をひくひくと震わせている。

(あぁクソ、目の前でサカってんじゃねェよ)
そう思ったとたん、一気にゾロの中心が熱くなってきた。
「サカる」という単語が頭に浮かんだとたん、複雑に入り組んだ感情が、情欲という一本の綱にまとめあげられようとしていた。
思えば記憶を失って以来、警戒のあまり、誰かと身体を重ねた覚えはない。自慰に溺れる姿に興奮するのは溜まっているせいなのか、目の前の男のせいなのか、ゾロにもわからなかった。
目を奪われたままベッドの男を見つめていると、
「んっ、あ…あっ…あっ…」
規則的に息が上がり始めて、白い腰が揺らめき始めた。
サンジの喉がくううっと反って緊張が高まり、その頂点で、感極まったようにひくっと白い身体が身震いした。

『ああぁーーーーーー』
そんな声が聞こえた気がした。実際はシーツを噛みしめたサンジからそんな声は上がらなかったのだが、ゾロの頭の中には想像とは思えぬほど鮮やかに彼の声が響いた。そしてその途端、ゾロの分身がびくんとと立ち上がった。
反応したのは身体だけではない。自分の感情も、はっきりと、目の前の男に入りたいと訴えている。あの声を実際に引き出したいと執着している。
だが、男がそれを許すだろうか?
免罪符を欲しがるゾロの頭に再び昼間の会話の、都合の良い部分だけが再生される。

『てめェ、俺に股開こうってのか?』
『あぁ…』

そうだ、コイツは、俺が欲しがればくれてやると言ったのだ。
欲しがれば、ほいほい男にケツを差し出すような男なのだ。
本人もケツに欲しがっているような男なのだ。
気にすることはねェ。船乗りってのは、そういうことも多いらしいし。

『俺を犯して、家も荒らしていってくれ』
そうも言ったな。

ゾロの心は決まった。
サンジは、自慰を終えて、射精の開放感と気だるさをまとって、うとうとと眠りに落ちたようだ。
それでも、しばらく待って、寝息が安定した頃にゾロはそっとサンジに近づいた。寝ているとわかっても、男にケツを貸すような奴だと蔑んでみても、優男の見かけに反して強いことは認めている。警戒は怠らない。

ゾロの不穏な感情に対して、サンジは金髪を乱れさせたまま無防備にすうすうと寝息を立てていた。
警戒と猜疑と淫欲に塗りこめられた自分の行動と、無防備そのものの金髪の姿があまりにもかけ離れていて、それがゾロを苛立たせた。
(俺は賞金首なんだろ? 凶悪な奴だと村人が必死の形相で追い払った奴なんだぜ? そんなやつの前で、てめェはなんて呑気に寝てやがるんだ?)
意地の悪い気持ちがむくむくと沸き起こって、脅してやるつもりで刀をすらりと抜いた。
が、切っ先を白い首筋に向けようとしたとたん、ぴくりと金の髪が揺れて、蒼い瞳がゾロを捉えた。
ゾロは、くくく、と心の中で笑った。
(コイツ、やっぱり、俺と同類じゃねェか。無防備だなんて、よくも思ったもんだ。殺気を出したとたん感づきやがって…。上等だ。敵だろうと味方だろうと、構わねェ。てめェの望みを叶えてやるよ。ケツにぶち込んでやるぜ)

「なんだ? どうした、ゾ…」
最後まで言わせずにゾロは襲い掛かった。
ベッドヘッドのほうへ反射的に跳び退ろうとした痩身をがっしりと押さえ込む。
「てめっ、その気がねぇんじゃなかったのかよ!」
「犯せ、と、てめェは言っただろう? 無理矢理やられたようなのがいいんだろ? 」
ゾロから殺気にも似た「気」が立ち昇る。
(これが、魔獣か…)
息を呑んだサンジに、ゾロはにやりと口角を上げて、残忍な声を出した。
「さぁ、どうぞって手を広げて待ってるところを襲ったって『無理矢理』にはならねェもんなぁ」



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