近月点ヴェエメンテ #1


流星群が接近しているらしく、月が斜め45度に上がった頃から、空には尾を引いた星がひっきりなしに流れている。しかもうまいことに明日は島に着く。こんな晩に宴会しない手は無い。
「流星の下でサンジ君のカクテルでも飲めたらロマンチックよね」
「ええ、素敵だわ」
美女二人の言葉に大いに奮起した料理人によって、大量の宴会料理が作られた。
船に備蓄できる食糧の種類なんて限られているのに、彼の手にかかると同じ食材が家庭料理からパーティ用の気取った料理にまで化ける。
それは、サンジの料理に慣れたクルーであっても未だに驚嘆と感動をもたらす。記憶を取り戻している途中のゾロにあってはなおさらだ。
だが残念ながら野郎どもは、その感動にいつまでも浸っているわけにはいかず。
ナミとロビンが優雅に流星とカクテルを楽しんでいる傍らでは、お馴染みの争奪戦が繰り返されていた。

船長が口いっぱいに肉を頬張り、さらにゴムの手を伸ばして、チョッパーの肉を取ろうとする。逃げ回っていたチョッパーは、ついに女性たちのもとへ避難してきた。
逃げ足となれば一流のウソップは慣れたもので、マストの影に隠れて皿をかばうようにしながら、さっさと料理をたいらげた。そのためゴムの手は、矛先を剣士の肉へと変えた。が、パシッと剣士にはたかれる。
そんな光景がアルコールが回ってルフィの動きが緩慢になるまで繰り返される。
騒々しい光景だが、ゾロが船に戻ってきた最初の頃は、こんな光景も見ることはなかったのだと思い、ナミはしみじみ言った。
「記憶って、いっぺんに戻るもんじゃなかったのねぇ…」
「うん。突然ひらめいたみたいに、すべてを思い出す人もいるけど、そういうケースのほうが少ないんだ」
ナミとロビンのもとに避難してきたチョッパーが応じる。
サンジとともにゾロが船に戻ってきた時、ゾロの記憶はまだ殆ど霧の中だった。
ゾロは泰然としながらも警戒を解かずにクルーに対面し、ルフィがいつもの癖でゾロの食事に手を伸ばした時などは刀を抜いたほどだった。
それに比べると、今のこの光景は、だいぶ元の船上風景に戻ってきたと言えるだろう。

「たいていは段階的に思い出していくんだよ。記憶の欠片が少しずつ戻ってきて、ジグソーパズルを組み合わせるように記憶を取り戻すんだ」
「剣士さんのジグソーパズルは、まだ完成前なのね?」
「うん、結構埋まってきたけどね。でも全部のピースが戻るとは限らないんだ。一部の記憶が戻らないままだったり、記憶が戻り始めてから最後の記憶の欠片を取り戻すまでに5年以上かかる人もいる」
「でも、最初の頃に比べたら、かなり良い感じよ。借金のことも思い出したし!」
そうなのだ。ロビンの予想通りゾロは記憶を失っているとわかったナミが最初に言った台詞は『ねぇ、記憶は無いかもしれないけど、アンタは私に借金してるの。ちゃんと払ってね』だった。
それで記憶の無いゾロは、ナミを「要注意人物」として頭にインプットした。もっともこれはサンジ以外の男性陣全員の頭にもインプットされていることではあったが…。

とにかくナミにとって最優先事項の借金の記憶が戻ったのだ。良かったわ〜とナミはマルガリータを飲み干したのだが、
「そうかしら…?」
ロビンは首をかしげた。
「良くないことでもある?」
ナミが尋ねれば、ロビンは答えた。
「最近剣士さん、不機嫌じゃない?」
言われて見れば確かに、このところ仏頂面だ。最初のうちは、記憶が少しずつ戻るに連れて、射抜くような眼光も和らぎ、表情も晴れやかになっていったというのに、これはどうしたことだろう?
「なかなか全部思い出せないから焦れてるんじゃない?」
そんなナミの推測をロビンは曖昧に笑って受け止めた。
船で最年長の美女は、ゾロの視線がサンジに向ける時だけ険しくなることに気づいていた。



翌朝。船番を残してクルーは思い思いの目的のために島に降りた。
サンジは当然市場に向かったが「ゾロはサンジ君と一緒にいて! 記憶が無いうえに迷子になられたら、堪んないわ!」というナミのひと言で、その後ろにはムスッとした剣士を従えている。
日持ちのするものは先に買い付けて船に運び、生鮮品は良心的な売り手の目星をつけて、サンジは宿を取った。安くて美味そうな昼食を出す店が見つからず、これなら自分で調理したほうがいいと踏んだからだ。
「米は炊くのに時間が掛かるからよ、サンドイッチでいいだろ?」
「ああ、任せる」
辛子バターとレモンバターを作り、ベーグルとライ麦パンに塗っていく。辛子バターにはコールドビーフを、レモンバターには野菜やフルーツを合わせる。スモークサーモンにはクリームチーズを塗ったパンを用意し、スライスオニオンとレタスとケイパーを挟む。
途中で買ったベイクドポテトは冷めてしまったので、マッシュポテトにしてサラダを作る。殻つきの小海老はカリカリにソテーした。
デザートはグレープフルーツを房からひとつひとつ取り出して、シロップをたっぷりかけたものを用意する。シロップをかけずにそのまま味わってもいいのだが、筋肉をつけたゾロの身体には糖類も大切だった。

「んで、聞くがよ…てめェ、何が気にくわねぇんだ?」
食事が済んで、この島特産のリキュールの味を確認しながら、サンジはおもむろに口を開いてゾロに尋ねた。
本当は二人きりになってから聞きたくてうずうずしていたのだが、買出し中では落ち着いて話せない。食前や食事中に不愉快な話題を出すのはサンジのポリシーに反する。よって、今、だ。
「ここしばらく、ずっと俺のこと、睨んでただろ?」
ロビンが気づいた視線を、サンジが気づいていないわけが無かった。問いただしたい気持ちはあったが、記憶の無いゾロを迎えて他のメンバーの間に多少なりとも緊張があったせいで、ここで悶着起こして気を揉ませたくなかった。
だが船を降りたら、遠慮はいらない。
「俺に言いたいことがあるんなら言いやがれ!」
ほら言え。さあ言え。
肩や背中をげしげし蹴られて、ゾロもやりすごせるほど大人ではない。
「なんでてめェのほうがキレてんだ! 怒ってんのは、俺のほうだ!!」

それを聞いてサンジがにやりと笑った。
「ほら見ろ。なんか文句あるんじゃねェか。もったいぶってねェで、さっさと吐きやがれ!」
額に青筋走らせて、ゾロの胸倉掴んで詰め寄った。
その目は真剣だ。ごまかしは許さないと、ゾロの瞳の奥を覗いてくる。蒼の中に炎がある。
それを見たらゾロは堪らなくなった。
「そうやって、もっと俺にぶつけてこい!」
言うなり痩身をぐっと抱き寄せた。
「んっ・・・ううっ…んうううっ…」
激しく口付けられてサンジがうめいた。
口の中のアルコールを舐め取るように、ゾロの舌がサンジの口腔を蹂躙する。口の端から零れた唾液を追って、唇が首筋を降りていく。
その感触にぞくぞくと身体を粟立たせながらも、サンジは必死でゾロを押し返した。
「ちょ、ちょっと待て、ゾロ! わかんねェよ! 言いたかったことはこれか? ここんとこ、やらせなかったから怒ってんのか?」
「違ェよ!」
「じゃぁなんだ? 何に怒ってたんだ?」
「てめェ、なんで俺がてめェから離れていくと思ってやがる!?」
「え…? なんでって…」

たったひとつの場所しか見ていなかったゾロが、自分と同じく己の夢に不安になり焦りを覚え苦悩する青年なのだとわかった時、他のものもたまには見ろと教えたのは自分だ。
だけどその関係を言葉で確かめ合ったことはない。だからと言って「処理」というほど割り切った関係でもない。
与え合った快感には優しさがあったし、温もりがあった。
そうでなかったらあんなに身体は悦ばなかったと思う。
だが執着はしなかった。いや、しないと自分を戒めていた。
ゾロはサンジの名を呼ぶことはついに無かったし、この関係に名前や意味を持たせることをお互い避けていた。
だからサンジは、執着してはならないのだと思ってきた。
(なのに何言ってんだよ、このミドリマンは…)
サンジはぐっと口を引き結んでゾロを睨んだ。

硬直したムードを落ち着かせるように、ゾロはふーっと息を吐いた。
「俺が船に戻る気になったのは、てめェを信用しても大丈夫だろうと俺の勘が告げたからだ。てめェのことを何か思い出したわけじゃなかった」
「ああ知ってる」
『船に行ってみるか?』とサンジがゾロに言ったのは、自分は確かに三刀流らしいとゾロが自覚したからだ。
あの事件のあとでゾロは言った。サンジが炭焼き小屋の瓦礫に埋もれたと思った時、腕をブンと振り回して材木や煉瓦を吹き上げたい気持ちに駆られた、と。
だがそれをしたら、サンジの身体まで舞い上がるだろうからダメだと思い直したらしい。
その時、感じたのだそうだ。確かにこの両手と口は刀の重みを知っている、と。
『てめェの刀は仲間に預けてあるぜ。船に取りに行くか?』
そんなサンジの言葉で、ゾロは船を見てみる気になったのだ。



→next



小説目次←