紙でできたお月様 #1


母親の葬儀の日は、冷たくて乾いた風が吹いていた。参列者は牧師夫妻と役人と、みなしごとなったゾロのたった3人。誰も涙を見せなかった。11歳のゾロでさえも。もっとも涙が流れても、強い風が気づかぬうちに吹き飛ばしてしまっていたのかもしれないけれど。

そんな寒々しい葬儀で牧師が最後の祈りを捧げていたとき、若い男がやってきた。
金髪に碧い眼。眉毛がファンキーに巻いている。この近所では見かけない顔だ。

「故人のご親戚ですか?」
牧師夫妻が金髪に尋ねた。
「いいえ。何年か前にレディと親しくさせていただきましたが…」
「こちらへはお仕事でいらしたんですか?」
「ええまぁ、そんなものです」

それ以上彼の素性を聞かずに、牧師夫妻は彼をセールスマンと判断したようだ。実際彼は、乗ってきた車こそくたびれていたが、そこそこ質の良い三つ揃いのスーツに身を包み、まっとうな職業の人間に見えた。

「このあとお仕事はどちら方面の予定ですの?」
「イーストへ向かう予定です」
「それは神様のお引き合わせですわ!」
「はあぁ?」
「この男の子はゾロ。故人の忘れ形見です」
「言われてみれば彼女の面影があるような気がします。彼女はこんな緑の髪じゃなかったけど」
金髪はゾロをチラと見てそう言ったが、視線をすぐに牧師夫人に戻した。
ゾロには小指の爪の先ほども関心が無いことはゾロにもわかったが、善良な人ほどニブイのか、牧師夫人は続けた。

「この子の親戚がシモツキにいるのです。同じイーストですから送っていってくださいませんか?」
「は? 俺が? いや、俺は仕事がありますし。いくらご夫人の頼みでも…」
「そこをなんとかお願い致します」
牧師夫人はそう言いながら極上の笑顔でにっこりと微笑んだ。その瞬間金髪が身体をくねらせながら「喜んでレディ!」と言ったのを、ゾロは、なんの感動も無く聞いた。

「クソ、とんだ荷物を引き受けちまった」
牧師夫人へ別れを告げると、金髪は今までの慇懃な態度がうってかわって汚い言葉を吐いた。
「だいたい俺の車に乗っていいのは、レディだけだ。野郎かつ可愛げのないガキが乗るなんて」
小声で言っているが、風下に座っているゾロには丸聞こえだ。

自分を厄介に思うのは仕方がないとゾロは思う。自分だっていきなり初対面の子供を押し付けられたら閉口する。可愛げがないことも自覚している。しかしお愛想笑いをするつもりもない。
歓迎されないことくらい、いまさらどうってことはなかった。男相手の商売だった母親はこの小さな町では浮いた存在だったし、それを理由にゾロをいじめようとしたガキ大将はあっけなくゾロにのされて、それ以来ゾロに近寄るものはほとんどいなかった。

ひとしきり呪詛の言葉を吐いて金髪が黙ってしまうと、二人の間には沈黙が落ちた。
むっつりと黙ったままの二人を乗せて車が走る。
しばらくして、金髪は咥え煙草の口角を引き上げて、にやりと笑った。
「良いことを思いついた。てめェを送る手間賃を稼がせてもらうか」
言葉の意味はすぐに知れた。



「いい子にしてろよ」
金髪はどこかの事務所にゾロを連れていった。事務所には男がひとり待っていた。
「折り入った話とはなんだね? その子はなんだ?」
「この子は…えっと、ほら、自己紹介しな」
金髪はゾロの名前を覚えてなかったらしい。
尻をポンとはたかれて、ゾロはむっとしながら、ゾロだ、とだけ言った。

「そう、ゾロ! 私はゾロの後見人のジョンです」
忘れていたくせに金髪は高らかに言い放った。
そして、ここからは大人の話だからキミは出ていなさいと、ゾロを追い出した。

「ゾロは先日、母親を亡くしたばかりです」
ゾロがドアに耳を付けて中の様子を伺っていると、金髪の声がした。
「ゾロの母親は、あなたの弟さんが起こした交通事故で亡くなったんですよ。訴えてもいいんですが、あなたにも立場がお有りだと思いまして…」
なるほど俺をダシにして、金をふんだくろうという算段か。

部屋の中から示談金のやり取りが聞こえてくる。
金髪は、最初はかなり高額をふっかけていたが、100万ベリーなら即金で渡せると聞いて、手を打った。そして、せしめた100万ベリーの約半分を使って、オンボロ車を修理に出した。
おかげでエンジンは快調。座り心地もよくなった。今までのシートはガタガタ道の振動がダイレクトに響いて、この助手席に文句を言わない女なんてケツの脂肪がよっぽどたっぷりした女だけだろうよと、ゾロはこっそり思っていたのだ。



「ジョンってのはアンタの本名か?」
浮かれて鼻歌を歌いながら運転する金髪にゾロが聞く。
「んなわけねェだろ。俺はサンジだ」
「サンジは俺のオヤジなのか?」
「ナニ言ってんだ。んなわけあるか」
「でも俺のかぁちゃんと親しかったんだろ」
「親しいだけで、どうしてオヤジになるんだ」
「ガキができるようなことしたんだろ?」
「だからってできるとは限らねぇ! このませガキが!」

言うなりサンジはいきなりハンドルを切ってUターンした。
修理する前の車だったら、ゾロはロックの効かないドアから外へ転げ落ちていただろう。
「なんだよ、危ねェな!」
「あぁ、だからこんな危ない車からすぐに降ろしてやるよ。シモツキにはてめェ独りで行け!」
怒りを右足に込めて、サンジはアクセルを踏む。
「レディとの甘美な思い出を下種な言葉で台無しにされるいわれは無ェんだよ!」
乱暴な運転で着いた先は列車の駅だった。

「いいか、これがシモツキまでの切符だ。次に来る列車に乗ればシモツキにつく。母さんのいとこだかなんだかの遠縁のおじさんには迎えに来るよう電報を打っておいた」
「村まで送ってくれるんじゃなかったのか?」
「てめェとイーストまで一緒なんてぞっとしねェよ」
サンジは憮然とした表情で言った。
コイツ、まだ怒ってんなぁとゾロは思った。ガキができるようなこと、という即物的な言葉がよっぽど嫌だったらしい。
『レディとの甘美な思い出』とサンジは言っていた。周囲の人たちが母親を形容する言葉はたいてい『商売女』とか『あばずれ』とかいった類で、誰も『レディ』なんて呼ばなかった。
『レディ』…自分の母親にはなんて似合わない言葉だろう。けれど、ゾロはほんわかと嬉しかった。
あんな母親でも、大事に思ってくれる人がいた。それが自分の父親だったらどんなに良いだろう。

しかし現実はそう甘くは無い。
「途中で腹が減ったら、これでなんか食え」
サンジはそう言ってゾロに紙幣を握らせた。1万べりー札が10枚。子供の一日分の食費にしては多すぎる。こずかいを含んでいるとしてもだ。ということは…。
「シモツキって遠いのか? 何日か掛かるのか?」
「てめェ、頭の悪い下品なガキかと思ったら、変なとこ鋭いな…」
サンジは苦虫を潰したような顔をして、胸ポケットから煙草を取り出した。靴の裏でしゅっとマッチを擦って、火をつける。
思案気に煙を吐いていたサンジは、やがて、はぁとため息をつくと、ゾロの頭をぽんと叩いた。
「列車の時間までまだしばらくある。一緒にホットドッグでも食うか? ひとりで食う飯は美味くねェからな」



駅前の軽食堂に入ると、一瞬もわっとした湿気に包まれた。湿気の中にソーセージを茹でる匂いや揚げたてのポテトの匂い、チリソースの匂いなどが混ざっている。それらがゾロの鼻孔を刺激する。
ゾロの腹がぐううと鳴った。思えばここ数日大して食べていない。
牧師夫婦が出してくれた心づくしの料理は口に合わなかった。ゾロの母親は料理が好きではなかったから、ゾロの口はこういった軽食堂のデリの味のほうが馴染みだったのだ。

「食いてェもん頼め」
そう言われてゾロはホットドッグとサイダーを頼んだ。
熱々のソーセージの肉汁が歯ぐきにしみる。顔をしかめて、冷めるまで口の中で転がすようにしていたらサンジが聞いた。
「美味くねェのか?」
「いや、美味ェ」
「おまえ、ホント無表情だな。美味いもん食ってる時には美味そうな顔をするもんだぜ。どれ、ひと口寄こしてみな」
サンジはゾロが手にしているホットドッグをぱくんと齧って、うーんと唸った。サンジの口には合わないらしい。なるほど確かにサンジはまずい時にはまずいという顔をする。
「『一緒に』ホットドッグを」と言ったくせに、サンジの前にジンジャービールしかないのは、実はデリの味が好きではないからなのか、腹が減ってないからなのか。
どちらにせよサンジは列車の時間までゾロにつきあってくれる気のようだ。


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「絶対安全航海」の桧まくら様がこの映画を彷彿とさせるイラストを描いてらしたので、つい書いてしまいました。
ストーリーに大きな起伏はありません。ほのぼのロードムービーです。
映画の細かいところははしょっております。キーになるところだけつまんで、さくっと全4話です。
(2012.05)