紙でできたお月様 #2
 


「腹いっぱいになったか?」
ゾロの皿が空になってサンジは聞いた。正直まだ満腹ではなかったがゾロは頷いた。
だがサンジはウェイターを呼んだ。
「このガキにキッシュを」
「え?」
「食いてェんじゃねェの? おまえ、店に入ったとき、これをじっと見てた」
ゾロの顔にさっと朱が走る。

「ガキが食いもんのことで遠慮すんじゃねェよ」
サンジが今までにない優しい表情で微笑んだ。そのとたんゾロの下腹がきゅんと熱くなった。
サンジと離れたくないような、この笑顔が名残惜しいような、それでいて今まで感じたことのないようなムズムズする感覚をもてあましながらゾロは聞いた。
「なぁ、アンタ本当に俺の父親じゃねえのか?」
「違ェよ」
「父親でもないのに、葬儀に来たのか?」
「たまたまこのへんを通りかかって、知っただけだ」
「俺のオヤジは碧い眼だったって、おふくろは言ってたぞ」
「しつけえな、違うって言ってんだろ」
「だったら100万ベリー返せ」
「ああん?」
「あれは俺の金だろ。俺のオヤジでもねえ他人が俺の金持ってんのはおかしいじゃねェか」
「このくそガキ、盗み聞きしてやがったな!」
「てめェこそ俺の金ネコババしやがって! 返せ、今すぐ100万ベリー返せ!」
ゾロはサンジを睨みつけて大声を出した。店中の目が何事かとゾロとサンジに集中する。

「静かにしろ! 人聞きの悪いこと言うな。車を直しちまったから半分しか残ってねェことぐらいてめェだってわかってるだろ?」
「じゃあさっさと稼いで返せよ!」
「何様だ、てめェ」
「返せっ!!」
「大声を出すな、くそガキ!」

折れたのはサンジだった。人前で子供に『俺の金を返せ』と叫ばれたら、どうしたってサンジのほうが分が悪い。
「わかったよ、返すから黙れ!」
ゾロを小脇に抱えるようにして慌てて食堂を後にする。
サンジは、「クソッ」を連発しながら列車の切符を払い戻した。
こうしてゾロとサンジの二人旅が始まった。



100万ベリーをくすねた手口から想像はついていたが、サンジは詐欺師だった。注文してないものを代引配達だといって商品代をせしめたり、世間話をしながら釣り銭を多く貰ったり。
しかし大した額ではない。せいぜい1〜2万ベリーだ。
一度ゾロが代引配達に成りすましたサンジについていって、でっかい宝石のついた指輪をごろごろつけてる女に「7万べりーです」と吹っかけたらサンジは目をむいていた。
「ぼったくりすぎだ!」
「でもあのババア、文句も言わずに払ったうえに、俺にお駄賃までくれたぜ」
「マダムをババアなんて言うな!」

一緒に旅をしてすぐにわかったことがある。サンジは女に目がない。けれど、ひとでなしの漁色家ではい。むしろ異常なほど女を大事にする。だから、女からは大した金をふんだくれないのだ。
男に対してはまったく容赦なく高額をふっかけ、100万ベリーを奪い取るくせにだ。
こんなちまちま稼いでるようじゃ、100万ベリーまで溜まるのは相当先だなとゾロは思う。
それでも金は、ゾロの機転もあって、少しずつ溜まっていった。

サンジは時々ゾロに「てめェ、意外と鋭いな」と言う。
「詐欺師の見込みがある」と言われた時には複雑だったが、そのあと「一緒に組むか?」と言われた時には冗談でもちょっと嬉しかった。
自分が良い働きをすれば金も貯まるしサンジも喜ぶ。
ゾロは自然とサンジの「商売」に協力的になった。

シモツキまで半分くらいの行程を過ぎたころ、ちょうどカーニバルに出くわした。町の外れの広場には露店が所狭しと並んでいる。飲食店はもちろん、即席のメリーゴーランドやピンボールなどの遊戯施設もある。

「今日の夕飯はここでいいか?」
サンジはそう言ってゾロに食べたいものを尋ねた。
「フライドチキンとミートパイ、あとあれも食ってみたい」
「ケバブか。脂っこいもんばっかだな。せめてこれでも飲め」
サンジがレモネードを追加した。

肉類とレモネードの大きなグラスが並んだテーブルの端に、ビールと空豆のフライがちょこんと置かれた。
「それっぽちしか食わねェの?」
ゾロはどことなくそわそわしているサンジが気になってそう聞いた。
「俺のことは気にするな。ケバブはどうだ、なんかまずそうに食ってんなぁ。あ、てめェは美味いもんもまずそうに食うんだっけ。じゃあホントは美味ェのか?」
「いや、美味くねェ」
「ほー、少しは無表情じゃなくなったってか。ほかのはどうだ?」
「どれも大したことねェな。アンタがこのまえ作ったサンドイッチのほうが美味ェ」

サンジは一瞬呆気にとられたようにゾロを見つめた。それから、てめェもようやく味がわかるようになったかと言って煙草をスパスパ吸いだした。子供のゾロが見ても、照れ隠しだとわかる。
サンジの表情はわかりやすい。詐欺師としてはどうかと思うが、ころころ変わる表情は憎めない。

食べ終わるとサンジはゾロにこずかいを寄こした。
「ちょっと遊んでこい」
ゾロはためらいなく受け取った。だってこれは自分の金のはずだ。
手をひらひら振って「行ってきな」と合図するサンジを残して、ゾロはわくわくする気分で遊戯施設へ走った。サンジは十分な金をくれた。誰にもとがめられずに好きなだけ遊べる!

ピンボール、スロット、ダーツ…。浮かれた気分で興味のあるものを次々やった。
だが高揚した気分は、空気が抜けた風船のように、すぐにしぼんでいった。
自分の横でダーツをしていた親子が「次は何をする?」と言いながら去っていくのをゾロはぽつんと見送った。

遊戯に飽きたゾロはチョコレートバーをかじりながら、安っぽい電飾のテントの間をぶらぶら歩いた。
人の波に任せて歩いていると、紙と木で作られた黄色い三日月がある小屋に行き当たった。
大人の背丈より大きい三日月のバックには、空に見立てた青色のサテン布が垂れ下がっている。カーニバルではよく見かける、記念写真の小屋だ。

「撮っていくかね?」
人懐こそうに誘われてゾロは頷いた。
「三日月に座って。ほら笑ってごらん」
ゾロはうまく笑えなかった。面白いこともないのにどうして笑えるんだ、と思いながらモゴモゴと口元を動かしてみた。
その瞬間ストロボが炊かれた。
「15分くらいしたら現像できるから、あとで取りにおいで」
光の残像がまだ目の前でちらついていて、ゾロはしばらくそこに立っていた。
ようやく残像が消えたころ、三日月にはゾロと同じくらいの年恰好の子供と父親が座っていた。
「あの三日月、二人座っても壊れねェのか?」
ゾロが尋ねると小屋のオヤジは笑った。
「大丈夫だよ。そんなにやわには出来ていない。大人が恋人同士で座ることもあるくらいさ」
「じゃぁ俺も…父さんを…連れてくる……」

ゾロは走り出した。サンジを探しながら心臓がどきどきした。
きっと走っているからだ。それ以外の理由なんて無いに決まっている。

カーニバルの露店は無秩序に並んでいて、人の流れもめちゃくちゃだ。
ゾロは何度も人にぶつかりそうになりながらサンジを探した。
ようやく男たちばかりの列の前のほうにいるサンジを見つけた。
「サンジ!」
叫んだが、届かなかったらしい。金色の頭が小屋の中にすいっと消えた。
何の小屋だ?
近づいてみると小屋の看板には露出の多い衣装をまとった踊り子が描かれている。どうりで列には男しか並んでいないはずだ。

10分程でサンジは小屋から出てきたが、すぐさま列の最後尾に並んでいる。
ゾロが声を掛けると、こずかい足りなかったのか?などと見当違いなことを言う。
「そうじゃなくて、ちょっと一緒に来てほしいんだ」
「便所か? それならすぐそこだ」
「違ェよ! いいからちょっと来いよ。だいたいこのショー、たった今見たばかりじゃねェか!」
「何度見ても素晴らしいもんは素晴らしいんだよ。まあ、ガキのてめェにはまだわからねェだろうがな」
サンジは鼻の下を伸ばし、目からはハートを飛ばしている。
今の浮かれたサンジの目には、自分は映っていないとゾロは悟った。

三日月の記念写真小屋にゾロは1人で戻った。
「おっさん、さっきの写真、できてるか?」
「あぁ、よく撮れてるよ。おやじさんを連れてきたかい?」
「もういいんだ。ガキには理解できねェ用事があるらしいよ」
憮然とした表情でゾロは写真を受け取った。
写真には口をへの字に曲げたゾロが写っていた。



翌朝、ゾロの口がもっと曲がるような出来事が起こった。
サンジが女性を同伴してきたのだ。



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