紙でできたお月様 #4
 

ことはほぼゾロの思惑通りに運んだ。想像と違っていたのはまったく修羅場にならなかったことだ。サンジは気が短い。ことに男に対しては顕著だ。
だから激昂して殴りかかるかもしれないと思っていた。

だがサンジはドアから一歩踏み込んだところで呆然と立ちすくんで、それからくるりと踵を返して無言で引き返してきた。
(まぁ、あの筋骨隆々のポーターに張り合ったところで、サンジが勝てるわけないよな)
ゾロはそう納得した。
「すぐに発つ。出かける支度をしろ」
硬い表情でそう言うサンジと裏腹に、ゾロは意気揚々と助手席に乗り込んだ。



その後の旅は楽しかった。『商売』も上々だ。
サンジは相変わらず女からは微々たる金しか取らなかったが、途中、ダンスパウダーという取引規制のある酒を密売しているクロコダイルという男をペテンにかけて大金を巻き上げた。
うまく行った時には二人で大笑いしたものだ。
サンジはちゃっかり自分用にその酒を数本くすねていて、酔った挙句、子供のゾロにも無理やり飲ませようとした。
「てめェ、俺の酌が受けられねェっていうのかよ〜」
げらげら笑いながらサンジがしなだれかかってくる。
11歳の子供にもたれかかってくだを巻くサンジが妙に子供じみて可笑しく、ゾロもつられてげらげら笑った。
「へぇ、てめェもそんなふうに笑うんだな」
サンジに言われて気づいた。俺、こんなふうに笑うのは何年振りだろう。

クロコダイルに掛けたイカサマはすぐに発覚して保安官が追ってきたが、派手なカーチェイスの末、追っ手を巻くのに成功した。この時も二人は大笑いして、サンジはビール、ゾロはジンジャーウオーターで乾杯した。
デービーバックレースという変な格闘競技に出場して、まんまと優勝して賞金を手に入れた時にも乾杯した。この時ゾロはサンジが見た目に反してかなりの手練れであることを知り、サンジはゾロが11歳にして結構飲める体質だと知った。

乾杯が重なるごとに金が増えていった。当初ゾロが要求した100万ベリーはとっくに超えていた。
所持金は500万ベリーに届こうとしていたが、ゾロは100万ベリーを返せとは言わなかった。言ったら旅が終わってしまう。
いや、言わなくても旅は終わろうとしていた。道路の標識はシモツキ村が近いことを示していた。

「もうすぐシモツキだが、その前にてめェの髪、ちょっと小ぎれいに整えたほうがいいな」
サンジはそう言って、シモツキの手前にある大きな町に向けてハンドルを切った。

「アンタが切ってくれんの?」
「まさか。俺は包丁なら扱えるが、シザーは持ったことねぇよ」
「今まではおふくろが切ってた。床屋に払う金が勿体無ェってさ」
「金のことは心配いらねェ。ま、あちこちにハゲが出来た斬新な髪型がお好みなら、俺が切ってやるけどよ」
サンジは笑いながら、伸びてあちこちに跳ねているゾロの髪をわしゃわしゃとかき回した。
ゾロの下腹がまたきゅんとした。最初にこの感覚があったのは、列車の駅前の食堂でだった。食いもんのことで遠慮するなと笑いかけられた時だ。
あの時、二人の仲はもっとよそよそしくて、サンジは文句ばかり言っていた。 今ではサンジはよく笑う。酔ってふざけてゾロに抱きついたりする。そのたびゾロの下腹がきゅんとする。ヘンな魔法にかかったみたいに身体が熱くなる。サンジは詐欺師じゃなくて、魔法使いなのかもしれない。

やがて大きな町についた。碁盤の目のようにきっちりと区画され、銀行や商店が並ぶ。
町の中心には駅があった。この駅名、見たことがあるとゾロは思った。
(あぁそうか、サンジがくれた切符に書かれていた駅名だ)
あの時100万ベリー返せと叫ばかなかったら、ゾロは列車に乗って独りでこの町に来ただろう。
それのほうが良かったかもしれない。
どうせサンジとは短いつきあいなら、さっさと別れておいたほうが良かったのかもしれない。詐欺師としては甘っちょろい手口に呆れ、女に甘すぎることにやきもきし、野郎をうまく騙せれば腹の底から一緒に笑い…そんな喜怒哀楽を知らないほうが良かったかもしれない。

しかしゾロの感傷は、サンジの浮かれた声で蹴散らされた。
「うひょー、さすが大きな町は美女が多いな!!」
サンジはいそいそとスーツの内ポケットから櫛を取り出して髪を撫でつける。彼の頭の中には、ゾロとの別れの感傷なんてまったく無さそうだ。
ゾロはぼそっとつぶやいた。「アホくせェ…」

「なんだと、麗しのレディ達のどこがアホなんだ!」
「違ェよ。自分に呆れただけだ」
「なんだソレ? あ、わかったぜ、美女の魅力がわからねェ自分に呆れたってことだな!」
「違ェよ!」
「大丈夫だ、じきにてめェにもわかるようになるさ!」
「だから、そういうことじゃねェって!」
「えっ、おまえってもしかして、女の子に興味が無いのか!?」
サンジは女の話になると論理的思考が脳みそから落っこちるらしい。思いもつかない方向へワープする。
「それより俺の床屋はどうなってるんだよ」
ゾロは強引に、話の軌道を女から引きはがした。
「あ、床屋ね。床屋は、この道をまっすぐ行って、2つめの四つ辻を右へ曲がって3軒目だ。独りで行けるか?」
「俺だけ?」
「俺は髪切る必要無ェし。てめェが済んだ頃に迎えに行ってやる。行けるだろ、11歳だもんな?」
「四つ辻だな?」
「そうだ。髪を切り終わっても、俺が行くまで床屋から動くなよ!」

ゾロは5000ベリーを受け取って歩き出した。
自分が床屋に行っている間にサンジがナンパに励むだろうことは予想がついたが、もう自分には関係ない。あと数時間後には自分たちは別れるのだから。
しかしゾロは床屋に行きつかなかった。
「まっすぐ行って、四つ辻を曲がるんだよな? そして3軒目…って肉屋じゃねェか! サンジの野郎、間違えやがって!」
肉屋で床屋の場所を聞いてみた。
「中央通りに戻って左に行って2つ目の辻を左だよ」
言われたとおりに歩いたはずなのに、またもや床屋ではない。
「おい、床屋はどこだ?」
尋ねながら歩いたが、どういうわけか町はずれに来てしまった。
「どうなってんだ、この町。やたらわかりにくいぜ」

いやいや、町は碁盤の目に区画されているからわかりやすいはずだよ、とそばに誰かがいたらつっこんだことだろう。
友達も親しい者もいなかったゾロには、ゾロが方向音痴であることを指摘してくれる者はいなかった。ここまで同行してきたサンジでさえ、ゾロが常にサンジの隣にいたから気づかなかった。気づいていたら、ゾロを独りで床屋に行かせようとは思わなかっただろう。

ゾロが床屋を探してどれくらいたっただろう。遠くでゾロを呼ぶ声がした。
サンジが俺を探してる…。
ゾロは急いで声のするほうへ走った。けれどサンジは見つからない。
また声がした。ような気がする。
「どっちだ? どこから声がしたんだ?」
石造りの建物が立ち並ぶ通りは、声が反響する。右から聞こえたような気もするし、左からのような気もする。
「サンジ!」
ゾロは叫んだ。返事は無い。
「どこだ? どこにいる?」

ゾロはやみくもに走った。四つ辻を右に曲がり、左に曲がり、自分がどこを目指しているのかもわからないまま、町中を走った。なんだか胸騒ぎがする。
途中で荷をつんだ馬車にひかれそうになって怒鳴られても、でっぷり太った男にぶつかってステッキで叩かれても、ゾロは走り続けた。床屋を探してそこで待っていたほうがいいという考えはゾロには浮かばなかった。じっとしてなどいられなかったのだ。

日はしだいに西に傾いていった。さすがにもう走れない。ゾロは銀行の壁にもたれかかって、ずるずると腰をついた。
こんな別れ方は嫌だ。たとえあと数時間後には別れる予定だったとしても、こんな別れ方は嫌だ。
「サンジ…」
つぶやいた声はひどく弱々しく掠れていた。
ポケットをまさぐると床屋代としてもらった5000ベリー札がくしゃくしゃになって出てきた。
くしゃくしゃになった札はゾロをみじめな気持ちにさせたが、札のしわを丁寧に伸ばしていくうち、冷静さが戻ってきた。
何か飲んで何か食べて、それからもう一度サンジを探そう。今まではただ名をを呼びながら走り回っていただけだけど、道行く人に尋ねたら、誰か知っているかもしれない。

「片目を隠した金髪でスーツの男? あぁ女と一緒だったぜ。ちらっとしか見なかったが気の強そうな美人」
何人目かに尋ねた男にそう言われてゾロは脱力した。
そうだ、サンジはそういうやつだった。自分より女を取る男だ。必死に探し回った自分が馬鹿みたいだ。彼を信じてアテにしていた自分が馬鹿だったのだ。

ゾロは持っている金を数えた。サイダーとホットドッグを買ったから、手持ちは1000ベリー札4枚とコインが数枚だった。
シモツキはここからすぐだとサンジは言っていた。4000ベリー払うと言ったら、連れていってくれる人がいるかもしれない。サンジに頼らず、自分で行けばいい。

そう思うのに、ゾロは閉店準備をしている雑貨屋で、床屋の位置を聞いていた。
「もう床屋は閉まってるよ」
「床屋に用があるんじゃねェ。店の前で待ち合わせしてんだ」
「そうかい。ちょうどウチも閉店時間だから途中まで送ってあげるよ」
親切な雑貨屋に連れられてゾロは床屋が見える辻に着いた。
「ほら、ここから3軒目。あそこが床屋だよ」
指し示された床屋の前は、がらんと空いていた。


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