オトナの階段 #1


ゴールデンメリー号の後部甲板から、ひとすじの紫煙がたなびく。少し前までそれは、麦わらのクルーの胃袋を預かるコックの居場所を示すものだった。だが、今は違う。
我らがコックさんは正面の甲板で「ナミさ〜〜ん、ロビンちゃ〜〜〜ん、本日のおやつは七色梨のタルトにすぐりのムースだよ〜〜」とハートを飛ばしている。
「野郎共のはラウンジだ」
男たちにそう言い放つと、いそいそと女性陣に紅茶をサーブし始める。その口元にたばこは無い。
「うめぇーーー!!!」
ラウンジから年少3人組の声が聞こえる。
女性陣とサンジは中央甲板、年少3人組はラウンジ。となれば残るはひとり。後部甲板からあがる紫煙を見ながらサンジは目を細めた。



 ◇ ◇ ◇

ゾロがたばこを吸い出した。
きっかり誕生日を境に。

○○歳になったから、たばこ解禁?
まさか――。
出逢った時には既にアルコールをガバガバ摂取していたゾロが、たばこに限って「喫煙は○○歳になってから」なんて文句を律儀に守るとは思えない。
一味の皆は奇異なものを見るように、ゾロの喫煙を眺めた。

ゾロにたばこをプレゼントしたのはサンジだ。もうすぐ剣士の誕生日だと知って、ウマの合わない奴だけど何かプレゼントしてみようかと思った。
ところが寄ると触ると喧嘩してきた相手だから、プレゼントと言っても酒くらいしか思い浮かばず、反則だと思いながら聞いてみた。『あー、てめぇってなんかものに執着しなさそうだけどよ、ほしいもんとかあるのか?』みたいに回りくどく。

するとなんと! ゾロはたばこを欲しがったのだ。

少なからずびっくりした。予想外の答えだった。
ぽかんと口を開けた拍子に、銜えていたたばこが口から零れたほどだ。
ゾロとたばこ――。
思ってもみなかった組み合わせだ。

『たばこねぇ…』
あいつがこんなものを欲しがるとは。
「へぇ、マリモも、大人の階段登ろうってんだな」
内心のドキドキを隠しながら、一歩先に大人の味(=たばこの味)を知っているサンジは、先輩面して余裕の表情を造ってうなづいてみせた。
『よーし、こうなりゃ、クソ剣士に合う銘柄を俺が選んでやるぜ。初心者にも吸いやすく、かつ、マリモが好みそうな味と香りのたばこをな!』
ニヤリと口角を上げながら無言でガッツポーズをとるサンジは怖かったと、その場にいた鼻と鹿は後日語ったそうだ。
そんなふうに周りを怖がらせたことなんぞ露とも知らず、サンジはフンフンと上機嫌だった。料理であろうと酒であろうとたばこであろうと、このコックにとって口に入れるものという点で同等で、ゾロ向きのたばこを考える日々は大層楽しいものだったのだ。

そして11月11日――。
いろいろ吟味して選んでやったたばこを、ゾロは不思議そうに眺めた。それからサンジの顔を見つめ、またたばこに目を落とす。
この銘柄じゃ無かったか? いやいやコックの俺様が選んだ食い物…正確には食い物ではないが口に入れるということでこのコックにとって(以下略)…に間違いがあるはずは無ェ。
「いいか、てめェはたばこ初心者だから知らないだろうが、こいつぁ、香りもいいし後味も悪くねェ。初心者でも吸いやすいし、てめェみてェな貧乏人にも買いやすいお値段と来た。てめェにうってつけだろ? いや別に必死に探したわけじゃねェよ。野郎のリクエストなんか聞く気もねェんだが。ちょっと市場に出たら目がついたっていうか、そういやてめェ、たばこを欲しがってたからちょうどいいなって、そんだけだ、そんだけ。うん、誕生日おめっとさん」
手の平に乗ったたばこを見つめながら黙ったままのゾロに、サンジはまくしたてた。

「そんだけだ」とさんざん言ったくせに、サンジはゾロがあのたばこを気に入ってくれるのか、とても気になった。
ほどなくして、ゾロの口元に、自分が選んだたばこがはさまるようになったのを、ぽわぽわ浮かれた気持ちで眺めた。



 ◇ ◇ ◇

「たばこくれ」
ゾロがそう言ってきたのは、サンジが食料の鮮度をチェックしている時だ。航路が夏島海域を掠めたので傷みそうなものから食わなければと思っていたところへゾロがやってきたのだ。
「たばこ? なんだ、切らしちまったのかよ。あの銘柄、また買っといてやるから、今は我慢しとけ」
「それでいい」
ゾロはサンジが銜えているたばこを指差す。
「これ? これは結構きついぜ。あんま初心者向けじゃねェよ」
「いい」
「あ、そう」
胸ポケットから一本取り出して渡してやれば、ゾロはそれをひょいと銜えるや、しゅっとマッチを吸った。
始めはぎこちなかった火のつけ方も、今では充分にサマになっている。癪(しゃく)なような見惚れるような、複雑な気持ちがした。
その後もゾロは、ひんぱんにサンジにたばこをねだった。俺の分が減る、と思いながらも、自分の隣でゾロが紫煙を吐き出すのを見るのは悪くなかった。



「火をくれ」
ゾロがそう言ってきたのは、サンジが不寝番で見張り台にいた時だ。夏島海域が遠ざかって、シャツ一枚での不寝番はさみィなとブランケットを持ちこんだ見張り台へゾロが上がってきたのだ。
「なんだてめェ、マッチ、落としちまったのか?」
「いや、失くした」
「てめェは持ち物まで迷子にしちまうのかよ。使いかけだが、これ使え」
ほい、と自分の手持ちのマッチ箱を渡すとゾロは一本抜き取ってから、箱を返そうとする。
「返さなくていいぜ。箱ごとやるよ。俺はキッチンから新しいの出すからさ」
「いい」
「あ?」
「また失くしちまうから、てめェが持っとけ」
「あ、そう」
それからゾロは、たばこを吸うたびにサンジに火をもらいにきた。
そのうち、いちいちマッチを渡されるのが面倒になったのか、ゾロはたばこの先同士をくっつけてきた。
顔が近ェよ、と思って心臓が飛び出しそうになったが、どうにか火を移すことが出来た。たばこが震えているのが、わかってしまったんじゃないかと不安だ。
一度そうやって火を移したら、ゾロはもうマッチを受け取ろうとはしなかった。いつも、サンジの銜えたばこから火をもらおうとする。
(なんか…やべェ…)
鍛錬のあとなんかに来られると、ほかほかと湯だったような身体から、ゾロの体臭が立ち上っている。それとたばこの香りが混ざる。そうなるとサンジはなんだか脳天が痺れるような、うっかりゾロの筋肉をがぶっと噛みたくなるような、妙な気持ちになるのだ。
それを何度か繰り返したのち――。
コレ(=火を移す行為)ってはたから見たらキスしてるみてェに見えるんじゃね?と思ったら下半身に来た。
えええ、これってもしかして欲情なんじゃないか? いやいやあの筋肉ダルマに欲情ってありえねェ、そりゃ俺はまぁそこそこヤツのことは嫌いじゃねェけどよ。て言うか、どっちかってェと、す・す・す・・・・ス・キ?(赤面)かもしんねぇけどよ、欲情ってまさか、そりゃ無ェわ、うん、無ェよ、無ェはずだ。うっかり勃起しそうになったのはなんかのミスだ。ほら、高性能メカでも誤作動ってあるじゃん、アレだアレ。

などとサンジがワタワタしはじめた頃、メリー号は海賊旗を掲げたガレオン船に襲われたのだ。


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