有翼の獣たち #プロローグ
「おまえら、手を休めろ。休憩だ」
剣闘士訓練所の監督の声が響いた。たった今まで刀を打ち合う音が盛大に響いていた中庭から音が止んだ。人の動きがやんだ中庭には、もうもうと舞い上がっている黄色い土埃に日があたって光の筋が幾つも現われた。
その中を屈強な体躯の男たちが水瓶に向かって歩いていく。ひしゃくでざばりと水を汲んで、口元から水があふれるのも構わずに勢いよく口へ流し込む。休憩時間は限られているから、もたもた飲んでいると次の順番の者に途中でひしゃくをひったくられるのだ。
「雨でも降らねェかな」
訓練で身体を火照らせた剣闘士たちが恨めしげに空を見上げた。最近雨が少ない。いや最近だけでなくここ数年、干ばつが続いている。そのせいで水辺の地を奪い合う戦争が頻繁に起こった。敗けた側の兵士は戦争捕虜となり、奴隷市場で競売にかけられる。男はたいてい土木事業や農地での使役奴隷となり、女は屋敷の下女として買われていく。が、特に頑強さを見込まれた男は闘技会の興行主に買われて剣闘士にさせられる。ここに集まっているのはそうやって集められた男たちだ。
休憩時間がそろそろ終わろうというとき、訓練所の入口で番兵の声がした。
「新入りを連れてきました」
その新入りの身体は細かった。腹にも肩にもしっかりと筋肉がついているのはわかるが、重たい刀を振り回せるほどの胸板ではない。しかも肌が白い。剣闘士たちは戦争捕虜が多いから、いったいに日焼けした浅黒い肌をしている。新入りの肌の白さは訓練所の中では、ひどく場違いに見える。おまけに髪は、ぐしゃぐしゃと乱れているが蜜のような金色で、瞳は青い。
「おいおい、連れてくる場所間違えてんじゃねェの?」
ひとりがそう発したとたん、意味を悟った男たちの下卑た笑いが起こった。その言葉が届かなかったのか、新入りは無表情だ。
その笑いの波を制するように、訓練所の監督が番兵に命じた。
「牢舎へ入れておけ」
日が落ちて、その日の訓練を終えた剣闘士たちは、番兵たちが寄越すマズイ食事を受け取って鉄格子の中に入っていった。全員が入ると番兵が鍵の束を取り出す。牢の扉が、がしゃりと音を立てて閉じられた。昼間どれだけ意気揚々と強さを見せつけていても、けっきょく自分は奴隷なのだと感じる瞬間だ。訓練所である中庭には高い塀が張り巡らされているし、寝床は鉄格子のついた牢舎で雑魚寝なのだ。
「おい、新入りが寝ちまってるぜ」
一番最初に牢舎に入った男が、呆れたような声を出した。
20人ほどが雑魚寝できる牢舎の一番奥の暗がりで、ボロ毛布をまとって、新入りが寝ている。
「へぇ、案外肝っ玉据わってんな」
「わかってねェだけじゃねェのか、ここがどんなとこか」
「そうだろうな。先輩に挨拶もしねェうちに、のうのうと寝てるなんてよ。ちょっと新入りに礼儀ってもんを教えてやらねェとな」
そうだそうだとうなづきながら、5〜6人が新入りに近づいて起こそうとしたとたん、後ろから声がした。
「やめとけよ。そいつ疲れてんだろ」
ぶっきらぼうだが他を圧する声だ。
「でもよぅロロノア、こいつ、俺の毛布使ってんだぜ」
「毛布なら俺のを使え」
ロロノアと呼ばれた男はそう言ってボロ毛布を放る。
「滅相も無ェ。この訓練所で最強のアンタの毛布を俺が借りるわけにはいかねェよ。新入りから取り返せばいいだけだ」
そう言って、寝伏している新入りの毛布を強引にはぎとろうとした男は「あっ!」と声をあげた。
新入りの背中には無数の傷があった。皮膚が裂け、肉がのぞいたなまなましい傷は、最近彼が鞭打ちを受けたことを物語っている。
「こいつ、もしかして、グラバード卿に買われたっていう男じゃねェか?」
「夜伽を強要されてグラバードのキンタマを蹴り潰したっていう男か?」
「それで鞭打ちの重刑になったってヤツか?」
確かにつじつまが合う。
グラバード卿の淫蕩ぶりは有名だ。グラバード卿に買われた奴隷はもれなく性奴にされるとも言われている。お気に入りは、艶のある白い肌の持ち主で、気に入れば男でも女でも構わず閨での奉仕をさせるらしい。
「そんな攻撃的な奴には見えねェけどなぁ…」
新入りに礼儀を教えてやると言っていた男たちは毒気を抜かれたように、新入りの寝顔を眺めた。
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サンちゃんハピバー!!