うみへ #3
「見るな!」
ゾロが急いでドアをバタンと閉めた。衝撃で固まったままのサンジを自分の方に振り向かせて抱きしめる。サンジは逆らわずにくったりと体重を預けてきた。
死んでから相当時間が経っているのだろう。白骨化した死体に生々しさは残っていない。テラスのガラスが割れて部屋の中に風が強く吹き込んでいるせいで腐臭も既に消し飛んでいる。とはいえ、目にして良いものではない。子どもならなおさらだ。生き物の気配がないということだけで安心してしまったことをゾロは後悔した。
「すまねェ。俺が不注意だった」
「ゾロはなにも悪いことしていない。俺が…また出しゃばりすぎたんだ」
じっと目を閉じたままサンジは続ける。
「俺が出過ぎたことをすると…いつも誰かが死ぬ。客船のみんなも死んじゃった。ジジィはしぶといから死ななかったけど、もう少しで死ぬとこだった」
「そんなふうに言うな。おまえこそ、なにも悪いことはしていない。おまえのせいじゃない」
死体を見たショックとは違う理由で憔悴したような表情を見せるサンジをどうやったら元気づけられるのか、ゾロにはわからなかった。
逡巡した挙句、幼いサンジに効くかどうかわからないが、大人のサンジに対して言ったら間違いなく反応を示す言葉をゾロは口にしてみた。
「それよりも俺は……腹が減ってきた…」
サンジはぱかんと口を開けてゾロを見た。そして強張った面持ちをゆっくりと緩めた。
「あんなもん見たあとなのに、ゾロ、図太すぎるだろ…」
「図太いのと腹が減るのは関係無ェ」
「そんなわけあるか。気がかりなことがあることを『食べ物が喉を通らない』って言うじゃないか。あ、わかった、ゾロは感受性ってもんが鈍いんだな。しょうがないなぁ、さっきの豪勢なメインダイニングへ行くか? それとも外へ出る?」
サンジの舌が少しずつ滑らかに回りだした。伏し目がちだった瞳にもひと言ごとに光が戻ってくる。
それからサンジは、ゾロにもたれかかっていた身体をゆっくりと離し『行こう』というようにゾロの手を取った。
ふたりは玄関ホールに戻り、外へ出た。ゾロは下草が生えているところ腰を下ろして背負っていたブリキ缶を地面に降ろす。
「ゾロがついてくるとは思わなかったからコップは1個しか持ってこなかったんだ」
サンジが水を注いでゾロに差し出した。
「いや、おまえが先に飲め」
「俺はコックだからあとでいいの」
――クソコックと同じことを言いやがる…。三つ子の魂百までとはよく言ったもんだ。
水はぬるかったが、渇いた喉には美味しく感じられた。
ゾロが水を飲んでいるあいだにサンジは銀色の四角い缶のフタを開けて中味を取り出した。中味は4つの塊に分けられている。どれも銀紙と油紙で二重に包まれており、海を渡る際にうっかり濡れてしまうことのないように配慮されている。
最初の包みの中からはずっしりとした黒パンが2つ現われた。サンジは1つだけ取り出し、ポケットナイフで4分の1ほど切ってゾロに差し出す。それよりやや薄くきったものを自分の分にして残りはまた包みに戻す。
次の包みからは干しプラムが出てきた。
「ゾロにはこの量じゃ足りないかもしれないけど…」
プラムを差し出しながらサンジが申し訳なさそうに言いかけるのをゾロはさえぎった。
「じゅうぶんだ。本当なら、これはおまえひとりが食べるもののはずだろ。それをおまえは自分の取り分を減らして俺に分けてくれてるんだろ? もっとおまえはエラそうにしてていいんだぞ」
サンジはあいまいに笑って黒パンを口にした。
特別でもなんでもないごく普通の素朴な黒パンを、味わうように、ことさら大事そうに食べるサンジに対して、さっさと食べ終わったゾロが提案する。
「それ食い終わったら、さっき見つけた山芋みてェなのを取りに行かねェか? そしたら食糧が増えるだろ?」
「あの芋はナマで食べたらお腹を壊すよ」
「火を起こして芋を焼けばいい」
「それはダメ。煙が上がったら、この島に侵入したってわかっちゃうだろ」
「だったらさっき目印つけたのはなんのためだ?」
「あれは最終選択だ。食うもんが尽きて、宝も諦める気になった時なら食っていい」
そうだ、宝だ。忘れていた。ゾロはこの島を散策するような気持ちになっていたが、サンジは宝を手に入れるという目的で来たのだった。
「というわけで食ったら宝探しだ」
黒パンひと切れを食べ終わり、干しプラムをひと口かじったサンジが立ち上がった。
そのサンジの手首をぐいと下に引いて隣に腰かけさせる。
「芋ほりに行かないなら、もうちょっとゆっくりしたらどうだ。食ったら食休みだろうが。急いてはコトを仕損じるって言葉、知らねェか?」
「知らないよそんなの。俺が知ってるのは『チャンスは前髪をつかめ』だ」
言ってからサンジはゾロをじっと見た。なるほどなとつぶやいた。
「何がなるほどだ?」
「ゾロはハゲてて前髪が無いから、後ろ髪を掴むしかないんだな」
「ハゲてねェ! あるじゃねェか、ちゃんと!」
自分の前髪を指先でつまんでみせたゾロにサンジはケラケラ笑った。
ゾロは憮然としながらも、死体を見た時のサンジのこわばりが、完全にほどけたことに安堵した。
「爺さんの言ってた『裏の畑』ってどこなのかなぁ」
サンジは館の建物の壁伝いに歩き始めた。その後ろに水と食料を持ったゾロが続く。
まずは南側へ向かってみた。建物は途中で直角に折れており、壁が東に伸びている。その先は大きな岩のところで終わっていた。岩を迂回しようにもすぐに森になっていて、壁の裏側に回ることができない。
反対側から回っても建物の周りはすぐに森になっていて『裏の畑』どころか庭もない。
「そういえば骸骨があった部屋にはテラスへ出るガラスドアがあったな。中庭でもあるんじゃねぇか?」
「すげェやゾロ! きっとそうだ!!」
サンジは弾んだ声を上げた。
ふたりで玄関ホールへ入って、はたと気づいた。どこから中庭へ出られるのだろうか?
今のところ、例の惨劇部屋から中庭に行けそうだということしかわかっていない。
――別の部屋から行けるのか確かめてみるか…
思案するゾロを尻目に、サンジは殺し合いのあった部屋のドアノブに手を掛けていた。
「おい待て! そこは例の骸骨だらけの部屋だぞ!」
「でもここから中庭に出られるんだろ?」
「ほかの部屋からも行けるのかもしれねェ」
「確かめているより、こっから行ったほうが早い」
「怖くねェのか?」
「さっきはびっくりしただけだ。怖くねェよ。硬直してる死体は冷たくて重くて恐ろしいけど、ここにあるのは、もうただの骨じゃねェか」
――硬直している死体は冷たくて重い? 確かにその通りだが、そんなことをどうしてこんなガキが知ってるんだ…?
ゾロが知らないだけで、幼少期のサンジはそういう体験をしたのかもしれない。
――それとも、ここにいるのは俺が知っているサンジとは別の世界のサンジなのか?
ゾロが思案している間にも、気丈に部屋に踏み込もうとするサンジを止めてゾロは言った。
「俺が先に行く。おまえはついてこい」
ゾロの身体の陰になることで少しでも骸骨を視界に入れずに済むのならそのほうがいい。気休めかもしれないが。
そうやって抜けた惨劇部屋の先にある中庭は、バラが伸び放題になっていた。中庭もぐるりと見てみたが、畑もミモザの木もない。
「向こうの森の奥かな?」
中庭は三方を建物の壁に囲まれており、開けている部分には木々が鬱蒼と茂っている。サンジが指し示したのは、その木々の方角だ。
「考えていてもわからないよね。行ってみるだけだよな」
ゾロの反応を待たずにサンジはそう結論づけて、伸び放題のバラを避けながら中庭を進み、森へ入ろうとした。
「あっ」
森の手前、生い茂った下草に足をもつれさせてサンジが転んだ。
――思ったとおりだ。
操船で足を踏ん張り、島の勾配を上り、建物の中や周りを探り、サンジの足に疲労が来ているのにゾロは気づいていた。
「これ以上は明日にしねェか? 宝はそんなに簡単に見つかるとは思えねェ。簡単に見つかるところにあるんなら、もうとっくに見つかっちまってるだろうよ。それより俺たちの今日のねぐらを考えた方がいいんじゃねェか?」
ゾロは足元の影を指差した。大きく東へ伸びている。木々の梢にさえぎられて太陽の場所は確認できないが、この影の向きからして西へだいぶ傾いているだろう。風も涼しくなってきた。
外で火をたくのはダメだとかたくなにサンジが言うので、ふたりは結局建物の中に戻ってきた。
殺し合いがあった部屋から離れるように伸びている廊下を進む。床が寄木細工で美しい幾何学模様になっている廊下の両側に真鍮のドアノブが並んでいる。
今度はゾロが先に立ち、ドアを開けた。
一番最初に開けた部屋は小ぶりの応接室。続きの間はティールームのようだ。どちらも明るい壁紙で、調度品もクリーム色や薄いブルーなど明るく優しい色が使われている。
サンジが探していた厨房もあった。大理石をつかった広い調理台と3つもある大きなオーブンにサンジは感嘆の声を上げた。
二階に上がるとベッドルームがあった。客用寝室なのか壁紙は豪華で、草花のレリーフがついた大きな張り出し窓がいくつもある。
ベッドもいくつか残っているが、ベッドヘッドにえぐられた穴がいくつもあいている。おそらく宝石でも埋め込まれていたのだろう。
「このベッドで寝られるかな」
「床板が壊れかけているが、マットレスは使えるんじゃねェか?」
カバーの端が破けて中の詰め物が顔を出しているが、藁でなく馬の毛と羽毛が詰まっているのがわかる。上等だ。
ねぐらをそこに決めた。
ゾロたちはランプを探したが、不思議とどこにもなかった。
天井のシャンデリアもキャンドル立てもなく、館の中に残っているのは大きく重い家具だけだ。
殺し合いのあと持ち出せるものは持ち出しただろうし、あとから宝探しに来た連中も金目のものは略奪していったのだろう。
サンジはマッチを持っていたが、ランプもキャンドルも見つけられなかったので日が落ちると部屋のなかは急速に暗くなった。
「こっちなら明るいよ」
サンジが東向きの窓辺に寄る。月の光が差し込んでいる。
窓際の壁によりかかってサンジは四角い缶から包みを取り出した。昼には解かれなかった包みを開く。
なんとサラミソーセージだ。
「へぇ、用意がいいな」
「俺だってすぐに宝が見つかると思ってたわけじゃないからね」
冷静な言い方だが、表情からは大人に認められた嬉しさがにじみ出ている。
サンジは薄く切った黒パンに薄く切ったサラミを挟んだ。
「うまそうだ」
「うまそうなんじゃなくて、うまいんだよ」
聞き覚えのあるセリフを返されて、ゾロは大笑いした。
小さいサンジは何がおかしいのかわからないという顔できょとんとしている。
「うまかった。ごっそさん」
サラミサンド2切れは決して満腹になる量ではないが、ゾロは満足した。
「よし寝るか」
「ん…」
昼間の疲れが出たのか、サンジはぼんやりと返事を返した。
ゾロはとなりのベッドから馬の毛のマットレスを持ってきて二重にした。
壁に寄り掛かって寝入ってしまったサンジをゾロは抱き上げた。
そっとベッドにおろす。靴を脱がすと寒いのかサンジが足を縮めた。
道場に稽古にくるようになったばかりの子どもも、冬の床の冷たさに慣れてなくてよく足を縮めていた。
「足を縮めているとケガするよ。最初は冷たいかもしれないけど、足の裏全体で床をつかむようにしないとね」
くいなはそう言って、冷えた足を両手で包んで温めてやっていた。
リハビリの途中で、まだ自分の身体を支えるのがやっとのはずの小さい足。その足でサンジは船を操ってこの島へ来て、ここまで登った。宝を探して歩きとおした。ゾロはこの足が強くなる理由のひとつに触れた気がした。
しかしそれでも、今のこの幼い足は、冷たく凍えて小さな指を内側にぎゅっと折り込んでいる。
ゾロはサンジの隣に滑り込み、小さな足を両手で包み込んだ。ときどきそっとさすってやる。少しでも温かくなるといいと思った。
朝、目が覚めたら、自分がどこにいるかわからなくてゾロはキョロキョロとあたりを見回した。
ようやく昨日のことを思い出したが、一緒のベッドで寝たはずのサンジがいない。慌ててベッドから降りようとすると、バタバタっと足音が聞こえてきた。
「ゾロッ! 大発見だ!」
サンジが部屋の入口から飛び込んでくる。体当たりするかのようにゾロに抱き着いてきた。その勢いでゾロの身体がバタンとマットレスに倒れ込む。
「聞いてよ、ゾロ! 俺、畑を見つけた!!」
興奮するサンジはゾロに馬乗りになったまま話し出す。
「俺、早くに目が覚めちまったから、奥の部屋にも行ってみたんだ。そしたら、その部屋の角にある窓から畑みてェなものが見えたんだ!! 昨日、外側から回ってみた時、岩にさえぎられて終わってた壁があるだろ」
「南側のか?」
「そうそう。その壁の内側にもうひとつ壁があるんだよ。それが中庭の壁なんだ」
なるほど、建物はコの字型なのではなくてヨの字型だったわけだ。
「つまりその外側の壁と中庭の壁の間に畑らしいもんがあるってことだな?」
「そういうこと!!」
位置的に1階の厨房の東側だろうと見当をつけた。厨房に隣接した場所に食糧庫…もちろん今はからっぽだが…がある。
昨日は気づかなかったが、興奮気味のサンジに促されて再びそこを二人で奥のほうまで丁寧に探ってみると、食糧庫の奥に扉があった。
開けると確かに2階から見た空き地だった。
それから丸一日、ふたりは空き地をくまなく見て回り、あちこちを掘り起こしてみたが、何も見つけられなかった。
日は傾き、、空の南西に広がる雲は斜めからの日を受けて茜色の染まっている。
サンジは空き地に通じるドアの石段に腰かけて、はぁとため息をついていた。
「ここじゃなかったのかな。ミモザの木も無いし」
「ホントに畑のミモザなのか?」
「ホントだよ! 確かに爺さんの言葉は歯抜けで聞き取りにくい言葉だけど、聞きまちがえてないよ!」
「おまえが間違ってるって言ってんじゃねぇ。ミモザの下にあるってのがホントなのか、畑んとこのミモザってのがホントなのか、どれもがホラ話なのかってことだ」
「そんなこと俺にわかるわけねェだろ!」
ホラ話という言い方が癇に障ったのかサンジが突然キレた。
「あぁゾロの言うとおりだよ、宝がある保障なんてこれっぽっちも無ェよ! どれもホラ話かもしれねェよ! だから俺はついてこなくていいって言ったんだ。今頃そんな文句を言う気かよ!」
「文句を言ってるわけじゃねェ」
「ホラ話につきあってくれてありがとよ。でも俺が頼んだわけじゃねェ。いつでも好きなときに帰っていいぞ。もうおまえの手は借りねェよ!」
サンジはパッと立ち上がるや、身体ごとぶつけるようにゾロの腹にこぶしを打ち込んできた。
「落ち着けって」
なだめようとするがサンジは聞く耳持たない。
「ゾロのばかやろう!!」
ぽかぽかと繰り返しゾロの腹を殴り、どっかいけ! とか バカ! とか罵るサンジに、とうとうゾロは言ってしまった。
「あぁそうかよ! 確かに、頼まれたわけじゃねェな。関わる必要はねェよな!」
言ったとたんに、ゾロを殴っていたサンジがパッとゾロから離れ、キッと鋭くゾロを睨みつけた。
しまったと後悔しても遅い。
サンジはゾロが伸ばした手をするりとすり抜けて、脱兎のごとく食糧庫から走り去る。
「待て!」
とっさに呼び止めるが小さな身体は止まらない。あっという間に姿を消した。
――馬鹿か、俺は!
ゾロは自分のしでかしたことに腹を立ててそばにあった丸椅子を蹴り飛ばした。木でできた椅子は大きな音を立てて作業台にぶちあたってバラバラになった。
ゾロは食糧庫を抜け、厨房を横切り、廊下に出た。サンジの姿は見えない。
自分への腹立ちを押さえられないまま廊下を進み、玄関の扉を殴りつけるようにダンと開け放って外に出る。鳥小屋を住処にしていた鳥たちが、驚いていっせいに飛び立った。
鳥たちはいったんは空高く舞い上がったものの、もう夕暮れだ。ねぐらにしている鳥小屋に戻りたいのだろう。近くの木々に止まってじっと様子をうかがっている。
ゾロは手ごろな木の根元にどかりと腰を下ろした。
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(2023.04)