修羅の贄 #7



その晩、夢を見た。
薄暗い部屋の中央で、自分は首に縄を掛けられて立たされていた。
手は後ろ手に回され、胸にも縄が掛かっている。
縄は荒縄だった。いつもは柔かい紐で堰き止められる雄芯の根元に巻きついているのも荒縄だった。
下肢は自由だったが、身体を覆うものは何も無い。
すべてを取られて、ただ荒縄だけがサンジの肌を覆っている。

敏感な胸の紅花と股間に走るチクチクとした痛痒い刺激にサンジは悶えた。
その姿を何者かが見ている。
暗がりで誰かは判別しないが、明らかにサンジは複数の視線に曝されていた。
時折、嘲笑がさざなみのように起こる。おおかた、離れにやってきた側近たちだろう。
肌を上気させ、荒縄の刺激に身をよじるサンジを哂っているのだ。

と、黒い塊の一部が動いた。姿も顔もおぼろげなのに、この鋭い視線には覚えがある。
サンジのほうへ2〜3歩歩み寄ると、それが言った。
「脚を開け」
聞いたことのある声。聞いたことのある命令。

下肢には縄が掛かっていない。縄を引かれて無理矢理脚を開かされることはない。従う気が無いなら、閉じたままでいれば良い。
頭ではわかっているのに、夢の中のサンジは、その低い声に抗えない。
一方的な命令なのに、その声は甘い囁きのようにサンジの耳朶を打つ。
身体を震わせながら足がそろそろと開いていく。

冬の間、好きなように嬲られ辱められるうちにサンジは徐々に心を殺すことを覚え、足を開くことくらいでは動じずにいたはずだ。
だが、夢の中のサンジは、自分をじっと見つめる琥珀色の瞳に心がかき乱されていた。
肩幅程度に開いて動きが止まると、低い声の主は、いつのまにか後ろに回りこんでいて、サンジの耳元で囁く。
「もっとだ」

いやいやするようにサンジは首を微かに振った。
「いやだ…皆が…見ている…」
喘ぐようにそう言うと。
「感じてるだろう? 兆(きざ)してるぜ」
わかっている。だからこそ見られたくないのだ。
観衆たちの姿も、命ずる男の表情もサンジには見えぬのに、皆には自分は丸見えだという恥辱に身体が崩れ落ちそうだ。
それなのに、サンジの身体は萎えるどころか、触れられる瞬間を思って昂ぶっている。

その期待に応えるように布越しの熱い塊がサンジの後ろに押し付けられた。
サンジの先端から、透明な露がぷくりと溢れ出る。
咄嗟に脚を閉じて隠そうとしたサンジに鋭い声が飛んだ。
「閉じるな!」

酷い仕打ちだった。
蜜を零して震える前茎にも、サンジの身体にも、それ以上なんの愛撫も加えられなかった。
布越しの塊は、サンジの尻の割れ目を2〜3度往復してサンジの身体に火をつけておきながら、離れていった。

「ゾロッ…(もっと…ッ!!)」

言いかけたところで目が覚めた。身体が熱く重い。夢の余韻が残っているのだ。
だが身体の倦怠感よりも、夢の中とはいえ自分がロロノアの愛撫を請おうとした嫌悪感に吐き気がした。



「何か気に掛かることでも?」
遅い朝食の席でロビンはそうサンジに尋ねた。
「あ、いや、そんなことないよ」
そう答えたが、下手な嘘だとサンジ自身が感じた。
玄米飯、味噌汁、葉物の煮びたしか煮物…通常、それだけのはずの朝食に、今朝は鮎が添えられていた。

新鮮な魚を食べるのはここへ来て以来初めてだと大喜びしたのは、数日前、夕餉に鮎が上がったときのことだ。
サンジの喜びようをロビンが包丁人に伝えたに違いない。
そうでなければ、こんなに早く魚が食膳に上りはしない。

男の欲望の玩具となることを科せられたサンジは、体臭の元となる食材は殆ど口にできない。ニンニク、ニラ、鳥獣は言うまでもなく、魚類も発酵させたものや丸干しなどは極力避けられた。かろうじて食せる魚はおのずと鮎や山女など川魚に限られ、それもせいぜい半月に一度程度しか許されない。

だから今日の朝食は、魚料理を懐かしむサンジへの特別の計らいなのだ。
獲れたばかりの鮎であるのは、香りの良さでわかる。
その食事に殆ど手をつけてなければ、ロビンでなくてもおかしいと思うだろう。
サンジは謝罪と取り繕いのために口を開いた。

「ちょっとね、夢見が悪かったんだ」
「不吉な夢?」
「いや不吉じゃないけど不快な夢」
「嫌な夢というのは、前の日に気掛かりに感じたことや動揺したことなどが夢に現れるらしいわよ」
「前の日に動揺したこと…」
ギンの話の途中でロロノアの視線を思い出した、あのことが夢に繋がったのだろうか。
ロビンの言葉は新たな気掛かりを呼んで、サンジの箸は、結局、若鮎の上で長いこと止まったままだった。



しかし夢はその日限りではなかった。
『あの夢はロロノアは関係なく、ギンとの会話がもたらした産物だろう』
そう無理矢理結論づけて心を落ち着かせたころにまた夢を見た。
細かい点は違えど、大筋は変わらない。
サンジだけが昂ぶらされるのだ。
自由の利かない縛られた身体で、ひとり悶えるサンジをロロノアは放置する。
夢の内容が気になると、それがまた夢を引き起こす。

何度目かの夢で、ロロノアは酒に浸した張り型をサンジに埋め込んだ。
酒を飲みながらサンジを眺め、前茎を堰き止めた紐の端を引っ張ってはサンジに刺激を送る。
酒精のせいか昂ぶりはいつも以上に早く激しい。
床は先走りで塗れている。
そんなサンジをロロノアは冷ややかに見ている。
『あぁ…これがおまえの復讐なのか』
夢の中のサンジはそう思った。
『おまえが触るのを、おまえが入ってくるのを、俺の身体は待ってるのに…与えてはくれないのだな』
止まない狂おしい熱に浮かされて、サンジはついに「入れてくれ」と懇願していた。



目覚めたサンジは呆然とした。
『あれが俺の望んでいることなのか…? 俺は待ってるのか…?』
浅ましく腰を揺らめかせてロロノアの情けを哀願する自分。
あれが自分の本心なのか。

身体には、はっきりと夢の名残りが残っている。深いところが疼き、ふつふつと煮えている。
股間は確かめるでもなく張り詰めている。
『いっそ夢精してしまえてれば良かったのに』
どうやってなだめろというのだ、この身体を。夢の続きのように、ひとり悶えるこの身体を。

「クソッ!」
葛藤しつつも、サンジは、目覚めてなお、自分だけでは抱えきれない欲望が渦巻く身体に手を這わせた。
2〜3度扱いただけで、呆気なく射精しそうになる。
それでも、頭の隅で勝手に射精してはいけないと警告が走る。
『イってはダメだ!』
慌てて自分の根元を押さえた。
「んううっ…!!」
堰き止められた熱がサンジを翻弄する。
身悶えながらもう一方の手で双嚢の後ろをまさぐって、会淫の部分を押し上げた。
サンジの脳内で、ロロノアの灼熱がサンジを貫く。
「あ、あ、…ぁあーーっ……っ…」
射精しないままサンジは果てた。

身体は達したが、後に残るのは、虚しさと惨めさと自分への嫌悪感だけだった。
射精を管理されることに心までもが隷従しつつあることも、ロロノアを想像しながら果てたことも、サンジを打ちのめした。
心には挫折感と絶望感が重く溜まっていく。
サンジの手は無意識に鎖骨のあたりをまさぐった。
目的のものはそこには無い。
それに気付いてサンジは、ふらりと立ち上がった。

「橘どの、もう起きてらっしゃるの?」
奥の間の気配に気付いて、隣室からロビンが声を掛けた。
返事は無いが、明らかに奥の間で音がする。

「橘ど…の…」
襖を開けて奥の間に入りかけたロビンはぎょっとした。
サンジが肌着のまま、それをぞろりと引きずって立っている。
胸の袷は着崩れて、腰の三尺帯も解けかけている。
普段のサンジなら決してこんな格好でロビンの前に現れたりしない。
ロビンはサンジの異常に気付いた。
「どうしたの? 何があったの?」
「アレが…無ェ…。無くなっちまった…。俺が、あんな夢見たから…。こんな身体になっちまったから…消えちまった…」
そう言いながら、サンジは虚ろな表情で鎖骨のあたりに手をやる。
その仕草で『アレ』が何かロビンは理解した。
「無いなんて、そんなはず無いわ。探してあげるから、待ってて」

小間物を入れる棚の引き出しはみんな開けられて、中のものが散乱していた。
それを片付けながら、ロビンは引き出しのひとつひとつを丁寧に見ていった。



「有ったわよ、あなたの大事なもの」
棚の前から引き返してきたロビンは、サンジの手のひらに小さな銀色のものを握らせた。
サンジはそれを一度ぎゅっと握って、ありがとうと言った。
「嫌な夢を見たんだ。これはお守りだから…」
言い訳するようにそう言いながら、そろりと手を開いた。
一寸ほどの2本の管が並ぶ小さな銀の笛がそこにあった。

「あぁ…」
サンジは声を詰まらせた。みるみるうちにサンジの瞳に水の膜が張る。
それが目の縁からほろりと零れ落ちるや、サンジは銀笛を再びぎゅっと握りしめ、拳の上から笛に口付けた。
咽喉から零れる嗚咽を封じるかのように唇を固く閉じて。

眉根を寄せて肩を震わせたサンジの背をロビンはそっとさすった。
この子はいつも、こうして声を立てずに泣く…。
それが哀れでならなかった。嗚咽と一緒にどれだけの感情を飲み込んできたのだろう。

サンジが握る銀の笛が、ただの笛でも、ただのお守りでもないことをロビンは知っている。
あれは北海の荒海を乗りこなせる船乗りである証。
北海の海の男たちが肌身離さず身につけて、命と同じくらい大事にしているものだ。
長持ちに入れられて霜月城に運び込まれた時、白装束のサンジはそれを首から下げていた。
死ぬ瞬間まで、いや死後までも海の男であるために。

サンジを女として生かそうとするロロノアが、そんな笛を快く思うはずがない。
サンジの身体を検(あらた)めた時、笛の存在に気付いたロビンは、ロロノアの目に入らぬよう、そっとそれを奪って隠し、後日サンジに返したのだ。
以来、引き出しの奥に隠された笛を、時々取り出してサンジが眺めていたのをロビンは知っている。
「女として扱われても、これがある限り、俺は船乗りだ」
そう言ったサンジが、今、ロビンに問う。

「なぁロビンちゃん、俺はまだこれを持ってて良いんだろうか。これを持つ資格がまだ、俺にあるだろうか」



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