修羅の贄 #15



大社奉納の儀が終わると、茶宴とそれに乗じた乱痴気騒ぎも仕舞いになり、公卿たちは自らの館に帰り始めた。
チャルロス卿一行も自邸に向かう。と言っても宴の場から3里も離れていない。
サンジも一緒に連れていかれることとなった。
鳩や牛、女官たちに囲まれて小さな輿に押し込められようとした時、背後に喧噪が起こった。
離せ、俺も連れていけ、などと言う声が聞こえる。この声はギンだ。

「橘どの!」
制止の手を振り切ってギンが駆け寄ってきた。
だがもう少しでサンジに手が届こうというところで鳩に阻まれる。
「私も一緒に行きます!」
鳩の攻撃を受けながらギンが叫ぶ。

霜月からの伴たちはチャルロス邸への随伴は許されていない。サンジだけが連れていかれる。
それにギンが抗議しているのだ。
ギンにこうまで尽くしてもらう理由がサンジはわからなかった。
一度尋ねたことがある。どうしてこんなに尽力してくれるのかと。
ギンはただ、あなたが私に優しいからだとだけ答えた。
優しくした覚えなど無いと返すとギンは、それが良いのです意識的な優しさでないところが良いのですと微笑んだ。
それまでギンの笑った顔を見たことがなかったサンジは驚いて、回答の内容が要領を得なかったことなど頭から飛んでしまった。
それで結局事情はわからずじまいだった。

「橘どの!」
再びギンの叫び声がして、サンジは我に返った。
サンジを気にしながら鳩の攻撃を交わすのはそろそろ限界のようだ。このままではギンの身が危ない。
「ギン、俺のことは気にするな。ほかの伴の者たちと霜月に帰るがよい」
サンジは強い声でそう言った。

「しかし・・・」
「ならばギン、おまえに命ずる。ほかの者たちを無事に霜月に送り届けろ。良いな?」
言った刹那にサンジは心の中で苦笑した。つい『黒足』が臣下に指示を与える時の口調になってしまっている。
それだけではない。ナニがおまえに命ずる、だ。ギンは俺の家臣ではない。
そればかりか俺は地位も権力も失い、男として生きることを封じられ、名さえ取り替えられた囚人だというのに。

しかしギンは「ご命令とあれば…」とサンジの言葉をうやうやしく拝聴して頭(こうべ)を垂れた。そんなギンに対し、サンジも背を正す。
「ここまでの随伴、まことにありがたくご苦労であった。達者でな」
そうねぎらいの言葉を掛けながら鳩に釘を刺すのも忘れなかった。
「道中で襲ったりしねェだろうな? あいつらが無事に霜月に帰れなかったら俺も命を賭ける」
そういうサンジの眼には、確かに死をも厭わない意志が浮かんでいる。
「伴の者に自分の命を張るとは酔狂な…」
そう言いながら鳩は、ギンやサンジの伴には何もしないと約束をした。

「いいのか、彼らを国へ返しても。霜月に帰ったら、ここであったことを報告するだろうに」
牛がこっそりと鳩に尋ねる。
「かまわんだろう。ここでのことはとっくに密偵が霜月に知らせているだろうよ。チャルロス卿の館なら不審者も特定しやすいが、ここでは判別つかん。それにロロノアがやったことと我らがやったことにどれほどの違いがあるというのだ。奴は我らを責められまい」



チャルロス卿の御殿は贅を尽くしたものだ。しかし散らかった子供部屋のように無秩序だ。
それは珍しいものに興味を示してはすぐに飽きるチャルロス卿の気まぐれのせいである。
端から端まで半里(約2キロ)もあるその広大な敷地の中央には、時代がかった寝殿造りの御殿と庭が配されている。
しかし風雅なはずの池泉庭園には南蛮の彫刻が設置され、端麗を目指したはずの東屋(あずまや)には装飾過多な西洋燭台が掛けられている。
毛が短く四肢の長い洋犬が放し飼いにされていたこともある。
この洋犬は普段は柔和で大人しいが、小動物や小さな毬などを見ると追いかけてしまう習性があった。
犬たちによって草花が踏み散らかされた庭は、風情を楽しむとはとても言えない。

寝殿造りの母屋から離れた西方には、直径5町弱(約500m)はありそうな広大な池がある。
その池の中に石造りの塔が建てられていた。
塔の一階には入口がなく、塔の内部に入るには、塔の2階と池のほとりに建っている中華風建物の2階とを繋ぐ石橋を使うしかない。
石橋には壁も屋根もついており橋の途中から侵入できないようになっている。
サンジの輿はその石橋を渡って塔の3階に運ばれた。

輿から出されたサンジは、一方が木製の太い格子になっている部屋に運ばれたことを知った。
石壁には鉄枠と色ガラスで幾何学模様を描いた、はめごろしの窓が3つある。天井付近には八角形の明かり窓もあり、内部は意外と明るい。
窓の近くに文机と衣桁が置かれている。
床は畳敷きで右隅のほうに畳を重ねた寝台がある。
左隅にあるついたての裏は板張りになっており、二抱えほどもある大きな盥(たらい)と樋箱(ひばこ)が見えた。

座敷牢らしき雰囲気をいやがおうにも盛り上げている木製の格子を隔てた向こう側には、サンジの世話役兼見張り役の女官たちが揃っていた。
サンジのいる場所のほうが明るく、女官たちのいる間が暗いのはサンジのいる側をよく観察できるようにするためだろう。
やがて目が慣れてくると女官たちがいる場所の向こうにも格子があるのが見て取れた。つまり二重の格子になっているのだ。

外の様子は見えないが、サンジは今自分がいる建物の周りに水辺がある感じ取っていた。
輿が石橋を渡った時に、その壁に規則的に並んだ扇形の透かし窓から抜けてきた空気はわずかに水の匂いを含んでいた。
水鳥が飛び立つときに立てる水音も聞こえる。
ここが池か湖の中に建てられた塔であるのは多分間違いない。
部屋の内外の環境から察するに、ここはチャルロスが館主となる以前から、身分のある誰かを幽閉するために作られた塔なのだ。



世話役を兼ねた見張り役たちは、宿と同じく女性がほとんどだった。
彼女たちに武術の心得があるのは明白だったが、言葉遣いもサンジへの接し方も穏やかだ。
食事は質素ではあるが決まった時間に与えられた。衣服も適宜取り替えられた。身体を清潔に保つよう、日に一度は盥(たらい)にぬるま湯が張られた。
罪人として連れてこられた割には悪くない待遇だ。
それでもこれは、性奴としての最低の身だしなみのためなのだろうと思うと気が滅入る。
茶宴で味合わされた恥辱のダメージは大きかった。

「どんな仕打ちにも耐えてみせると覚悟してきたつもりだったのに…。結局俺は、まったく覚悟できていなかったということか…」
目隠しの効果もあってか、誰かもわからぬ手に肌を撫でまわされることが、叫びだしたくなるほどおぞましかった。
こんなものはただの暴力だ、やりすごせばいいのだと頭では思っていても、生理的に身体が拒否するのを止められない。
快感に翻弄されそうになりながらも悦びはなく、鳥肌が立った身体から冷たい汗が吹き出す。
逃れようとする身体にチクチクと毛羽だった荒縄が食い込み、それがまた神経を逆なでする。

「霜月城の茶室で鳩になぶられたときは、こうまで嫌悪感は無かったのに…」
だから他人の手に弄られても大丈夫だと思っていたのだ。
いや、そうではない。あの時はゾロの視線に守られていたから大丈夫だったのだ。
自分を鳩にいたぶらせたのは他でもないゾロ本人だが、それがゾロの本意でないと、自分では気づかぬうちに感じ取っていたのだ。
今回殿上人になぶられた時のように、心を放棄したくなるほど鳩に追い詰められたら、多分ゾロは見て見ぬふりなどしない。
守られていたのだ。そして自分も信じていた。本当に瀬戸際まで追い詰められたらゾロが助けてくれると。

ゾロが自分に特別な思いを抱いていることは、霜月と玻璃の間に戦が始まる前にはとうに気づいていた。あんな目で見つめられたら嫌でもわかる。
むろん、霜月に連れてこられてからのあの酷い扱いには、その思いは好意でなくて憎悪だったのだろうかと思ったこともある。
そのときでさえ、自分のことを憎んでも、きっと玻璃を悪いようにはしないと信じていた。
だからこそ、この男に密書を送ったのだ。
そしてゾロのほうでも、どんなことをしても俺がシモツキから逃げることは無いと思っていただろう。
思いを伝え合うより前に俺たちは深く信じ合っていたのだ。

「とはいえ、あいつが俺に課した屈辱的な格好は許さねぇけどな」
サンジはひとりごちた。そして霜月の四季を思い出した。
冬の寒さは厳しく、けれど張りつめた空気がゾロに似ていると思った。
春はゆっくりとやってきて、雪解けとともに互いの気持ちのこう着も少し解けたような気がした。
夏の雷は激しかった。夕刻になると連日やってくる雷は、山間に木霊して長く響き、最愛のロビンちゃんを怖がらせた。
そのことがはっきりと俺への気持ちを認めるきっかけになったのだから、夏には感謝しなくてはならない。
たとえ鳩が俺を値踏みに来て、シャルリア嬢に振り回された夏だとしても。

サンジは静かに目を閉じて、霜月の川のせせらぎを思い浮かべた。
その川は山を下り玻璃の領内に入り、やがて北海に注ぎ込み、俺の海と一体になる。
それを想うと暴れていた心がゆっくりと平穏を取り戻してくる。



与えられる快感に必要以上に抗うのをサンジは止めた。
抗おうと身構えているほうがかえって、わずかな刺激に敏感になることに気づいたからだ。
快感に従順になり、喘ぎたいときに喘ぐようになったサンジにチャルロスは『ついに橘を陥落させたえ』と喜んだ。
だが、抵抗せず空っぽの表情を見せるだけのサンジにチャルロスが飽きるのは早かった。
しょせんチャルロスにとっては強い者を屈服させることが楽しかっただけなのだ。性的に遊ぶには女の身体のほうがずっといい。

しかし、チャルロスが飽きてもサンジに興味を抱くものがいなくなったわけではない。
サンジは宴に来た者に強い印象を残した。
女楽も男色も貪欲に貪った者でさえ、サンジ…いや橘として生かされた両性具有の雰囲気を持つ生き物…の不思議な色気は特別なものに映った。
未完成の美少年のものとは違う美を持つ伸びやかで長い手足しかり。艶やかな黒髪こそが美であるはずの美意識を揺さぶる金の髪しかり。明るい海のような碧い瞳しかり。



「橘はどうしている?」
鳩は女官長に尋ねた。
「三御所の方々と『橘会』ですわ」
「またか! 今は誰が立ち会っている?」
「牛殿が見張っております」
答える彼女の表情に不快感がにじむのを鳩は見て取った。

三御所とは表向きは政治の世界から隠居していながら、裏ではいまだに発言力を持つ三人の老公卿のことだ。上御所、中御所、下御所の三人をまとめて三御所と呼ぶ。
彼らは他の者たち同様、サンジに強い関心を抱いた。
橘会とは、彼らの間で始まった遊びだ。茶道具を持って集まった彼らは縛られた橘を鑑賞しながら茶を楽しむのだ。
それが彼らなりの「風流」らしい。



サンジは衣服をはぎ取られ、三御所たちの前に裸体を曝していた。
手首には頭上の梁から下がっている縄が巻きつき、両脚は肩幅ほどに開かされて板状の足枷で自由を奪われている。
つま先がようやく床に届くほどに吊り上げられているので、不安定な身体のバランスを取るのが精いっぱいだ。
今も、三御所らの執拗な視線から逃れるように身じろいだとたんに片方のつま先が床から離れ、もう片方のつま先を軸にして身体がくるりと回った。
「うぅ…」
全体重が縛られた手首にかかってサンジは思わずうめいた。
ねじられた手首の縄が元に戻ろうとしてサンジの身体はまた反転する。
足が開かないせいで身体のバランスを戻すのが容易ではない。

たたらを踏むように左右によろめくサンジを支えるように三御所が手を伸ばしてきた。
腰を掴まれてようやくバランスを取り戻した身体を、彼らはさするように撫でた。
やがて股間の金の草むらにうずくまっていたサンジの雄芯をつまんだ。
「あッ…」
サンジの口から思わず声が漏れた。
しわの目立つ乾いた手に包み込まれ、柔らかな表皮を剥くようにしごかれる。
老人の手の中で、若い肉が堅く凝って芯を持っていく。
すらりと伸びた身体が快感と緊張に震えた。
刺激を送り込んでくる手から逃れようとして腰をよじるが、三人に腰を掴まれていてはそれもままならない。
透明な密があふれ始めた鈴口を、開くように指先でなぞられながら三御所に囁かれる。
「気持ちがいいだろう?」

しかし彼らはそうしてサンジが官能に身体を従わせかけたとたんに、張りつめたそこを突き放した。
白く引き締まった尻が、突然失われた刺激を求めて悶える。
十分に育って充血した前茎は、三御所のひとりが軽く爪を立てただけでひくひくと震え、さらなる刺激を欲しがるように揺らめく。
その反応に満足して、三御所は大きく張った傘のくびれに細い縄を絡ませた。
そしてその縄尻に、重さのある張形を取り付けたのだ。

上御所の手が張形を離した。
落下した張形の重みで上を向いていた肉茎が下へ強く引っ張られる。
「あああッ…」
サンジが大きく悲鳴を上げて身体を突っ張らせた。
落ちた張り型は床につく直前のところでゆらゆらと揺れながら、サンジの急所をキリキリと引き絞る。
もぎとられるような痛みにサンジは苦鳴をあげた。
「おやおや、苦しませるのが目的でしたかえ?」
下御所がそう言えば。
「いやいやわざとではないえ。老いぼれてくると手も滑ることが多くなるのだえ」
張形を落とした上御所は扇子で口元を覆いながらほっほと笑う。
「このままでは痛いだろうて。さぁ、これを銜えてらくにおなり」
中御所はそう言ってサンジの口元に張形を差し出した。

思わずサンジが顔をそむけると、彼らはまたするりと張形を取り落した。
「いあッッ…」
先ほどよりも高いところから落とされた張形はサンジの芯を引き絞るように締め、くびれに食い込む。
「…ううッ……」
痛みでぱたぱたと涙が零れ落ちた。
再び張形を口元に差し出されて、サンジはおずおずと口を開きそれを銜えるしかなかった。

淫具を銜えたまま白い胸を上下させて息を整えようとするサンジを老公卿らは満足げに見つめた。
それは加虐に燃える残忍な目ではなく、愛おしいものを見るような視線だ。
そして彼らはためらいなくサンジの身体に触れてくる。

若い殿上人がサンジにあまり触れずに淫具で殴ったり扇子ではたいたりするのは、「食いちぎられる」ことへの警戒と、「下々民の男なぞに触れるなんて穢れる」という侮蔑からだ。
だが老成した三御所たちはそんなものにはとらわれない。
彼らは美しい洋犬をなでるようにサンジの肉体に手を滑らせてくる。
「この肌理の細かさは絹のようだのう」
「わしはこの脚が良い。この内股の滑らかさは、肉のついた女のものとは違って、白磁の陶器を触っているようだえ」

つま先立って緊張している身体は、背中や腰、足を触られるだけでも反応してしまうのに、彼らはやがて、背後から乳首や性器にも触れてきた。
「んっ…ふ…」
決して乱暴でなく、官能を与えるようにやわやわと愛撫されて、サンジの口から嗚咽のような喘ぎが漏れ始める。
だが、うっかり口元を緩めて張形を落としてしまうとサンジの陰茎は強く下へ引っぱられ、今度は痛みに喘ぐことになるのだ。
甘美な快感と千切られるような激痛が繰り返され、サンジは自分の身体が快感に震えているのか痛みに震えているのかわからなくなってきた。

「汗がびっしりと浮いているぞえ。汗に濡れた橘も、てらてらと光って美しいのう」
「立った乳首もまた可愛らしい」
やはり彼らの口調には侮蔑はなく、魅せられたといわんばかりの口ぶりだ。

「橘、我慢することはないのだ。おまえが咥えさせてくれと言いさえすれば、我らはいつでもこの張形を拾って咥えさせてやるぞえ」
「いやいっそ下の口で咥えるほうが落とさずにすむというものだえ。どちらでも好きなほうを選ぶが良いぞ」
そう言いながら、彼らはサンジの双丘を割り開くように揉みしだき、指先で後門の肉襞を割ると、媚肉に水薬のようなものを塗りつけた。
氷を当てられたようにその部分が冷たく感じられた。薄荷(はっか)油だ。
だが冷風を吹き付けられたかのような涼しい感覚はじきに失われ、次第にヒリヒリとした痛がゆさにとって代わった。
「う…」
身もだえするようにサンジは腰を振った。
身体が揺れて手首に自重が掛かる。だがその苦しさよりも、尻の間からむずむずと広がってくる熱っぽいかゆみのほうが辛い。

サンジは何度も後ろの穴を引くつかせて疼(うず)きを鎮めようとした。
しかし疼きは蕾の中だけでなく、いつしか会陰から前茎のほうにまで伝染して、股間全体がぼおっと熱い。
「ああぁ…」
サンジは熱い息を吐いた。前も後ろも中も、何かでごしごしと擦ってもらいたくてたまらない。
「これが欲しいかえ?」
中御所が、頬を紅潮させて悶えるサンジに尋ねてくる。
「ほ…しい…」
「どこに? 上の口かえ? 下の口かえ?」
「…し…下に…」
中御所は白い脂を塗った張形を、疼きにひくつく後蕾に宛がった。そして、じらすようにゆっくりと埋め込み始めた。
「もっと……もっと早く…」
サンジは目を潤ませてねだった。



「どうした? 二人とも神妙な顔をして」
鳩と女官頭の二人に声を掛けたのは、角ばった鼻が特徴的な男だ。
「あぁ『山風』か。いや…。チャルロスが三御所に黒足を貸し出すのが、ちと過ぎるような気がしてな」
「そうかのう、特に問題は無いんじゃないか? 黒足が色に溺れるなら溺れたで、かえって御しやすいではないか。むしろチャルロスを通さずに我々が窓口になりたいくらいじゃ。三御所に貸しができるし、あの老爺たちが橘会の見返りにもってくる土産もなかなかの品だぞ」
『山風』と呼ばれた鼻の男は冷静にそう言った。

確かに黒足が色に溺れて腑抜けになってくれるほうが我々としても都合がいい。だが、なにか釈然としない…鳩は細い眉を寄せた。
そんな鳩の傍らで女官頭は言い切った。
「理屈はわかりますけど、チャルロス卿がやることも三御所がやることも、いかがわしい侮蔑行為であるのは確かです」
「おいおい、誰が聞いているとも知れぬぞ」
と『山風』は慌てて周りを見渡した。

女官長は日頃から、性的な侮蔑行為に対しては手厳しい。性暴力に対する女性ならではの嫌悪感がそこにはある。
では自分はなにが気にかかっているのだろうと鳩は自分の心を探った。
三御所が黒足に蹴られでもしないよう毎度見張らねばならないことの億劫さだろうか。
いやそれは些細なことだ。我々の仕事の最優先は黒足の監視であるのだから、それによってほかの仕事ができなくても咎められることはない。
では何が? 何が自分を不愉快にさせているのだろう。

やがて鳩は思い当たった。
これは失望だ。あまりに早く快楽に溺れてしまった黒足への失望だ。
霜月で9か月もの間汚辱を与えられながらも誇りを失わなかった黒足が、殿上人らのえげつない手練の前にはこんなにも早く陥落してしまうとは…。もっと気骨のある奴かと思っていたのに…。
そう思った自分に鳩は苦笑した。
俺は黒足に何を期待していたのだ? 従順にさせることが目的だったというのに、いざそれが成功してみれば手ごたえがないと失望するとは、俺も身勝手なものだな。



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