修羅の贄 #16



話は茶宴の頃に遡る。
『鳩』が予測していたように、霜月の隠密は、サンジが茶会でチャルロスの罠に落ちたことをすぐさまロロノアに伝えていた。
「茶会の罪を償うという名目で衆人環視の中、辱めを受けただと?」
「殿上人は橘どのを下々民として扱い、直接交わることを避けておりましたが…」

直接交わらなかったことがなんの慰めになるというのだ。チャルロスからなんらかの嫌がらせを受けるだろうということは半ば予想していたが、これほど屈辱的な仕打ちをしてくるとは思っていなかった。
ロロノアはやはりこの申し出を拒否するべきだったと激しく後悔した。
「すぐに抗議の文を出せ!」
「お言葉ですが、我々の抗議など殿上人は取り合わないに決まっています。もし我々の抗議に応じて橘どのの無罪を認めてしまったら、贖罪を建前にした橘どのへの蛮行の正当性が無くなりますゆえ。となれば、ここは橘どのに罪があったと認めるかたちで、放免を願う陳情書を書いたほうがよろしいでしょう」
悔しいが臣下の言うとおりだ。ロロノアは怒りを堪えて、陳情書を書いた。
だが返事はこない。使いも出したが殿上人にはもちろんのこと、鳩にもサンジにも会えずに帰ってきた。

「俺がじかに行って談判する!」
「なりませぬ。殿が行くなどもってのほかです。橘は捕虜ではないですか。捕虜のために国の主殿が出向くのでは、霜月は見下げられますぞ」
「捕虜であることなど関係ない。俺は、奴らが貸してほしいといったものを貸し出してやったのだ。それを返せというだけだ!」
ロロノアと臣下の押し問答は連日続いた。臣下たちの中でも、これは霜月への侮辱だと受け止める者と、北海の血筋の輩など嬲られればよいのだと思う者とに真っ二つに分かれた。
そうこうしている間にも時は過ぎる。追い打ちをかけるように、大社奉納の儀のあとでサンジが再び罰という名の辱めを受けたことが伝えられた。
「戦だ! 戦の準備をしろ!!」
激昂したロロノアは、その報告を聞いたとたんにそう叫んだという。


しかし冷静に考えれば、今は収穫の季節だ。兵は集まるまい。国境付近の警備兵から連日のように報告が入ってきていた。
「殿! また今年も曲技国の連中が侵入してきました!」
「東北の境では上槻国とのにらみ合いが続いています」

山間の国々が貧農の国であることは霜月に限らない。他国の田畑に押し入って、収穫を目前にした稲や農作物をごっそり刈り取って盗んでしまうのは、珍しいことではなかった。秋にはそのような近隣との小戦が頻繁に起こる。
まだ武士と農民の区別がついていない時代である。兵士たちは戦の無い時には田畑を耕すし、戦だと言われれば農民も武器を手に集まる。特に山の多い霜月の場合、男手が無ければ満足な農作業はできない。斜面にへばりつくように作られた段々の田畑はただでさえ重労働な農作業をより過酷なものにしたからだ。
そうやって出来た作物をむざむざ他国の民に刈り取られ奪われるなどもってのほかだ。
当然この時期は誰もが、田畑の警備に神経をとがらせ、気を張っている。
要するに、今は田畑を離れて遠征したい者など誰一人としていない。もちろん国としても、収穫量が減ることは打撃だ。

鳩のことだ。この時期は霜月は動けぬと見越してサンジを要求してきたのかもしれない。
ならばやはり自分一人、サンジ返却の陳情に行こうかとロロノアは思い始めた。
貸したものを返してもらうのは当然だと言っても、捕虜のために頭を下げるバカ者だと笑うだろう。それでもいい。サンジを取り戻せるならば。

「殿、私が陳情に参りましょう。使者の身分ではだめでも、私であれば鳩どのにも会えないということはないでしょう」
ロロノアの従兄弟のコーザがそう言わなかったら、ロロノアは本当にわずかな伴を連れて茶宴の宿泊所に乗り込んでいたかもしれない。
だが、このコーザたちもすでに遅かった。
茶宴の宿についたときにはすでにサンジはチャルロス邸に移されたあとだったのだ。
鳩は従兄弟の道中を労(ねぎら)う素振りを見せながらも、冷たく言い放った。
「ロロノア殿に伝えてくれ。チャルロス卿を責めるのはお門違いだと。ロロノア殿がやったこととチャルロス卿がやったことになんの違いがあるのだ。あの「黒足」を戒めて男の尊厳を踏みにじったことにまったく変わりはない。そもそもロロノア殿があの男をあのように扱わなかなければチャルロス卿もあの男を嬲るなどというお戯れを思いつかなかっただろうに」

詭弁であるが、鳩の言葉は深くロロノアの心に突き刺さった。
鳩が言うことはもっともだ。
たとえ自分の行動の中に、なんらかの想いや情があったとしても、やったことは凌辱だ。
いやそこに愛情があったなら、なおのこと自己中心的と言われても仕方が無い。
相手に苦しみを与えておきながら、愛ゆえだ、などと言うのは、ただのひとりよがりだ。

もっとも、鳩は愛だの情だのいうところでロロノアがサンジを取り戻したがっているとは夢にも思っていなかった。
黒足を生かしておくことは玻璃を牛耳るための質草として役立つ。それが鳩の考え方で、ロロノアも同じ考えだろうと見当づけていた。
『 黒足を犯すことでロロノアは、北海への恨みを晴らし、同時に財力のある玻璃を思い通りに動かすことができる。一石二鳥。だからロロノアは黒足を返せと再三言ってくるのだ… 』

鳩には、実姉を殺した一族であり虜囚である黒足との間に慈しみが芽生えるなどということは想像も理解もできないことだった。
さらに言えば、勝者と敗者である霜月と玻璃に、連帯が生まれるとも思っていなかった。
冷徹に生きてきた鳩は、人は時に損得や有益さでなく、情で動くのだということを知らなかった。



鳩から見て『敗者』のゼフがたった二人の伴を連れて『勝者』のシモツキを秘密裏に訪問してきたのは、従兄弟もギンなど橘に付き添った者たちもみな、霜月に到着してしばらくたったころだった。
ロロノアは表向きは彼らを茶会の賓客として迎え、茶室へ招いた。
「ふん…」
ゼフは茶室に入るなり、その造りが玻璃の茶室にそっくりであることに気づいたようだ。同時にそこに込められたロロノアの気持ちも察したに違いない。
ゼフはロロノアに代わって自分が茶を点てようと申し出た。そして茶を点てながら話しだす。

「重陽の節句には殿上人らが集まって茶会を開くのは世に知れたこと。我ら玻璃は今まで、その時に用いられる茶道具や毛氈などを様々ご用立てしてきたものだ。殿上人らは珍しいものや高価なものをこぞって使いたがるからな。玻璃が貴公の属国になった今も、取り引きの話は直接こちらに入ってくる。当然茶会の情報も入ってくる」
ゼフはそこで、茶碗をロロノアの前に置いた。
作法をあまり覚えていないロロノアは、深く一礼して、茶碗を両の掌で包むように持ち上げ、ぐいと飲んだ。
茶の湯の型とは違っていようとも、そこに卑しさは欠片もない。そのロロノアへゼフがずばりと切り込む。

「チャルロス卿の茶会の席主が無礼を働いて捕えられたともっぱらの噂だ。そしてその席主は霜月から派遣された者だと言われている。それはあのバカのことじゃないのか? こう言ってはなんだが、この国には殿上人の前で茶点ができるほどの者はいなかったと思う」
「お察しの通りです。誠に申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに。必ず取り戻します」
「謝ることはない。アレのことだ。どうぜ自分で行くと言ったんだろう。そういうバカだからな。だが俺が心配しているのはてめぇのことだ」
「は?」
「今、必ず取り戻すと言ったな。どうやって取り戻すつもりだ?」
「陳情書を何通も送っているのですが、なしのつぶて。この際はじきじきに陳情に伺おうかと」
「てめェが出向いたら、返してもらえると思うか? 交換条件に莫大な奉納金を要求されるか、はたまた土地を奪われるかするんじゃねぇのか?」
「……」
ゾロはうなった。その通りだ。

ゾロが殿上人に近づいた時、霜月はまだ東国の小さな国だった。弱小国が何を要求しても自分たちには大した影響がないとばかりに、殿上人は何かとロロノアに寛大だった。それに乗じてロロノアは、北海の国を滅ぼすための正当な後ろ盾として殿上人に取り入った。
その結果、霜月は玻璃城の領土を手にして大きくなり、ロロノアの戦力も評価され、殿上人にとってどうでもいい小国ではなくなった。
最初はシャルリアの恋心に乗じて、霜月を自分たちの味方に取り込もうとしたのだろう。だが、一向に自分になびかないロロノアに業を煮やしたシャルリアが恋情転じて憎悪を募らせていくと、殿上人は一気に霜月を排斥する方向へ傾いた。
自分の味方にならないばかりか敵にしておくと危険、それが殿上人からみた霜月の今の評価だ。

女特有の勘でロロノアの心が橘にあることを感じたシャルリアは、兄のチャルロスが、橘を畜生のように虐げたという報告を聞くと、恨みは晴らしたとばかりに、兵農一致の貧しい暮らしにはやはり耐えられぬと都へ引き上げてしまっている。
そんなところへサンジの返却を要求したら、ゼフの言うとおり、飛んで火にいる虫のごとく、金も土地もむしりとられるだろう。

「ロロノア、あのバカのことは捨てろ」
ゼフの思いがけない言葉にゾロは驚愕した。
「アレはこの国にとってただの捕虜だろう? 捕虜のために金や土地を出す国主がいるか。国主なら国全体で物を見ろ」
「ならば国主を捨てます」
「なに?」
「サンジを捨てるくらいなら、国主を捨てます」
「大したバカだな、てめェは。「そんなことアレが望んでいない」
「俺もサンジを捨てることを望んでいません。それに国を捨てるとは言ってねェ。国主を降りるって言ってるだけだ」
今までの慇懃な口調が変わって、いつものぞんざいな口調になった。
このやり取りが、かえって、ロロノアの心を決めさせてしまったことをゼフは感じた。
『 どいつもこいつも不器用なくせに直情型のバカ野郎共め… 』
真正面から反対しても聞くまいとゼフは判断した。

「簡単にそんなこと言うがな、譲位は殿上人に届け出て許可取らねェといけねぇんじゃねぇか?」
「なーに、”ご乱心”のため成敗されたとでもすりゃあ代替わりも致し方無いだろ?」
「ホントにバカだな、てめェは…。てめェが成敗されたと世間に広まったら、どうなると思う。この国はてめぇの威光でなんとか攻め込まれずにいるんじゃねぇのか?」
あぁ、そうだった。俺はサンジに玻璃を任されたのだ。その俺が死んではならない。たとえ狂言であっても。
「国全体で物を見ろと言っただろう。なぜ独りでやろうとする? なぜこの小さな霜月の状況だけで判断する? 玻璃はいまやてめぇの属国だろう? 玻璃の財力なり玻璃の馬鹿野郎どもなり、霜月に足りないものは玻璃から調達したら良い」
「しかし…」
「玻璃の連中は、てめェに敗れたとき、敗戦国につきものの略奪と暴行を覚悟した。財は奪われ、男は殺され、女は凌辱されると思っていた。だがてめェはどれもしなかった。交易で得た収入の上納金を収めさせただけで土地も職も人間も奪わなかった。それをどれだけ玻璃の人間が感謝しているかてめぇは知らないだろう。玻璃にはてめェのために働きたいと思う荒くれがわんさかいるぞ」
「それは俺の人間性じゃねぇ。俺はただ、玻璃があいつの国だったから壊したくなかっただけだ。ベラミーの土地だったら、略奪も暴行もしていたかもしれねぇ」
「んなこた、どっちだっていいじゃねぇか。大事なのは、玻璃にはてめぇの手足になりたい奴がいるってことだ。それがチビナスに関わっているとなりゃ、連中はいっそうはりきるだろうよ。俺が言うのもなんだが、あちこちで喧嘩ばっかしてた割にはあいつは皆に好かれていたからな。だが本気で取り返す気なら、一時の激情で動くな。アレがどんなところにいて、どんな見張りがついているのか、好機はいつか、綿密に計画しろ。焦る気持ちはわかるが、失敗したら二度とアレは帰ってこねぇぞ」
「なぜ、俺にそんなことを言う? アンタら自身で助けようとしねェのはどうしてだ? 俺がここでアイツをどう扱ってたか、玻璃の情報網ならとっくにわかってんだろ? そんな俺がアイツを取り返していいのかよ?」
「良くねェよ!」
それまで茶室の隅に控えていた髭面の頑強な男が叫んだ。
「俺たちはあのクソガキを夜伽に使ったてめェを許す気なんか無ェんだよ! だがな、おやっさんが、ロロノアがどこまでチビナスに本気なのか見てからだって言うから辛抱してんだろうが!」
「言うんじゃねェよ、パティ」
諌めながらもゼフは、そこで初めてロロノアを、敵(かたき)を見るような尖った目で見た。
「要するにそういうことだ、ロロノア。てめェが本気で無いと思ったら、俺たちが動く。その代り、二度とチビナスには会わせねェ」
そう言うなり、膝を崩してどかりと胡坐をかき、乱暴な手つきで茶を点てるや、ぐびりと一気に飲み干した。



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