修羅の贄 #17



「さて、どうでるかねぇ、ロロノアは…。国主はやめるな、しかしサンジは救えって、おやっさん、無理難題を吹っかけたもんだ」
「フン、好いた奴を救えずに何が国主だなんて言う奴がいるがな、国主ってぇのは領民を第一に思ってこそ国主だろうが。滅私奉公できねぇやつはさっさと国主をやめりゃあいいんだ」
「おやっさん、さっきはやめるなって」
「あぁアレはうっかり言っちまった。言わずにいて、どうするか見定めれば良かったぜ。チビナスの気持ちが汲めねぇやつに、チビナスを救う資格はねぇからな」
相変わらず素直じゃねェ…。
ゼフについてきたパティとカルネは目配せした。
『 あれだけ助言しておいて ”言わずにおけば良かった” だってよ)
『 まあ複雑な親心ってとこじゃねぇか? 』





◇ ◇ ◇



「あ…」
女官の手がいちもつに掛かっている縄を解き始めて、サンジは思わず身体を硬くした。サンジの身体がびくりと震えると、女官たちもつられて緊張する。
「ごめんな」

好いた男のものでもねェこんなもの、触りたくないだろうに…。
サンジはため息をついた。

彼女たちはほとんど話さない。この塔に閉じ込められている者と言葉を交わすなと、言い含められているのかもしれない。

殿上人の館に奉公に来ているくらいだから、それなりの家の娘たちだと思う。玻璃城の奉公人たちも武家や大店の娘が多かった。男たちはあのゼフの元に集まっているだけあって蛮骨な者たちがひしめいていたが、そんな荒っぽい城であっても、城内で働くというのは、娘にとっても娘の親たちにとっても憧れの的であるらしかった。

ここの女官たちも、殿上人の館に奉公に上がると決まったときにはさぞ心躍らせたことだろう。それがどうだ。 こんな日も差さない塔の中で、囚人の世話だ。しかも、いたぶられて白濁をこぼした男の縄を解いて、その身体を拭かなければならないなんて。

「タチバナ!」
突然鋭い声が飛んできて、サンジははっと顔を上げた。女官頭が近づいてくる。男好きのする色気のある顔立ちだが、その身のこなしに隙はない。
「あなたが萎縮すれば、よけいにこちらはやりにくいのよ。いちいち女官たちに気を使わないで」
キリっとした声でそうサンジを叱責したあと、彼女はやや声を落として続けた。
「あなたに憐れまれる筋合いはないの。これでもここの女官たちは武芸の心得がある。滅多なことでは動じない訓練も受けている」
「だから、こんな仕事にも耐えられるって言うのか? そんなことねェだろ。彼女たちが武芸の嗜みがあることくらい気づいているさ。だからこそ余計に申し訳なく思うんじゃねェか。それはあなたに対しても同じだ。あんた、こんなイカれた幽閉塔の監視員をするような人じゃねェ」
「知りもしないくせに…」
「わかるさ。あなたは美しくて頭が良い。そして強い。相当の使い手だろ? 「鳩」の野郎と対等な口を利けるくらいなんだから。つまり、こんな仕事にはもったいない女性だ」
「裕福な国に生まれたあなたになんか、わからないわ!」

その言葉でサンジは理解した。彼女がこんな仕事に甘んじているわけを。


領土争いが激しくなった今でも、昔と変わらぬ理がある。奪った領土の帰属先を確定するのは殿上人だということだ。たとえ城を落としても、殿上人がその領地は元の城主のものだと言えば、そこから年貢は取れない。もっともそうされないために、落とした土地から強奪したものを殿上人に貢いだり、その地の利益の何割かを殿上人に献上することを約束したりするので、元の城主に領土が返還されることはめったにないけれども。

領土内での政治や産業の決まりごとは各国に任せられているが、その国々の上に君臨しているのが殿上人なのだ。 たとえば隣接する国と利権争いが起こった場合、調停するのも殿上人だ。だから各国は適当な付け届けなどをして、便宜を図ってもらう。しかし殿上人を喜ばせるものを持っていない国もある。そういう国は、優れた人材を貸し出すらしい。

「お国のためか…。国のために、あんな胸糞悪ィ殿上人の言うなりになっているのか…」
なんともやりきれないという顔をしたサンジに、女官頭は言い返した。
「あなただって…!」

サンジは虚を突かれて絶句した。
言われてみればそうだった。
女官頭のほうも言い返してみて、気づいたようだった。この男も自分も、同じことのために今を耐えているのだと。









秋の深まりとともに、夜の冷え込みは日に日にきつくなっていく。
とくに新月の晩は月明かりが差し込まず、重たい色に取り囲まれるので、寒さが強調されるようだ。夕餉のときには小さな灯明が燈されるが、半刻ほどでそれも尽きてしまう。夜の見張りも隅のほうで縮こまり、頭から厚手の布をすっぽり被って目だけのぞかせている。

だから、冬の荒海を知っていてめっぽう寒さに強いサンジにだけ、その声は届いた。
(…ご報告です。…嬢が……)
(シャルリア嬢が帰った? それでは霜月の待遇は悪くなるんじゃねェのか?)
(致し方ないとロロノア様はおっしゃっています)

…あのバカが! 殿上人の縁戚になれる好機を無駄にしやがって。ろくなことにならないとわかっていながら俺がここへ来たのはなんのためだと思ってやがる。殿上人の機嫌を損ねないためだろうが。

舌打ちをしかけてサンジは苦笑した。
なにが殿上人の機嫌を損ねないためだ。あいつらは最初から、俺に茶会の亭主をさせる気など無かったじゃねェか。最初からゾロに恥をかかせる気だったのだ。最初は利用できると思っていたゾロが、たやすく御せる相手ではないとわかってけん制してきたのだ。そのために自分を残酷に辱めた。
それでもシャルリア嬢とゾロが夫婦(めおと)になったら霜月国の地位は一気に高まりハリもきっと平穏だ。俺がここで暴れて、婚姻をぶち壊すわけにはいかねぇ。そう思ってきたんだがな…。


サンジは光の届かない虚空に向かってささやいた。
(伝えてくれて感謝する。だがこの塔に近づくのは今晩限りにしろ。危険すぎる)
(しかし…)
(俺のことは俺がなんとかする)

四半時ほどして伝令の気配は消え、クワッ、クワッと夜烏の鳴き声が断続的に響いた。








「あの人、最近、口数が少なくなってきたわよね」
女官のひとりがぽつりと口にした。
チャルロス卿の敷地内の塔にサンジが幽閉されてひと月以上が経ったが、その間、チャルロス卿は2度しか来なかった。代わりに三御所と呼ばれる者たちが頻繁にやってきてサンジを苛んだ。しかし彼らの来訪も次第に落ち着いてきた。
「お渡りが減ったのだから、もっとほっとするかと思ったのに」
「もう限界なのじゃないかしら」
周りの女官たちがうなづいた。

『 限界か…。そんなに弱っているように見えるのかね俺は…。まぁ元気とは言えねぇけどな 』
女官たちのささやきが耳に届いてサンジは苦笑した。
自分で選んだ結果とはいえなげやりになりそうな心を、サンジは北海や霜月の自然の変化を思い浮かべることで立て直す。
たとえば霜月の川のせせらぎを思い浮かべる。その川は山を下り玻璃の領内に入り、やがて北海に注ぎ込み、あの海原と一体になる。
天井の八角窓から見える雲は、雨を降らし、川を流れ、北海へ注ぐ。
この幽閉の日々が永遠に続くように思えても、月の満ち欠けは時の流れを告げてくれる。

そうやって立て直してもなお、変化の無い日々は人の心から感受性を少なからず奪っていく。 そんななかで与えられる唯一の刺激が、望まぬ官能だというのは皮肉なものだ。



「いらっしゃいましたよ。どうぞお支度を…」
声がかかってようやくはっと顔を上げる。
太い格子のかんぬきを外す音がして、縄を手にした男と女中たちが牢の中へ入ってきた。
「あぁ来たのか、あのジジィ共…」


三御所は、サンジを眺め、サンジの身体にしわがれた手を滑らすことを楽しみにしている。その際、老人に無礼を働かないよう、サンジは縛られるのだ。
縄がきゅっと肌に食い込むたびに、サンジは顔をしかめた。
いまさらながら、ギンは相当に熟練した縄師だったのだなと思う。無駄に皮膚を傷つけることはなく、呼吸を辛くさせることもなく、それでいて縄抜けできない。

「痛ェ!」

ぐいっと縄を引っ張られて、サンジは声を上げた。縄師がビクッと震える。
サンジが凶暴さ剥き出しの目付きで縄師を睨むと縄師は青褪めながら慌てて縄を緩めた。
ここ数回、そんな攻防が交わされるようになった。何回か前に、いたぶるように力任せに縛ってばかりいる男に腹に据えかねたサンジが、痛みでつい足が出てしまいましたという態を装って、男の顔すれすれに蹴りを叩き込んでやったせいだ。顔面に当たっていたら、間違いなく頭蓋骨が砕けていただろうと蹴りに震え上がった男は、それ以来、サンジを伺いつつ縄を締めてくる。

シャルリア嬢は霜月から去っちまったことだし、コイツやエロジジィを蹴り飛ばして逃げてェのはやまやまだが、そうなると責を負わせられるのは、ここの女の子と女官頭だろうなぁ。
女の子の涙は見たくねェし、逃げた俺の代わりにエロジジィの相手をしろとか彼女たちが言われたら最悪だ。

開脚したまままんぐり返しに固定されたサンジが、つらつらと考えていると三御所たちが来た。
「おぉ、今日もおまえの肌はひかり輝いているのぉ。美しい…」
(前回の縄目の跡がまだ消えてねェってのに、なにが美しいだ、このクソエロジジィ)
毒づく声は猿轡に飲みこまれ聞こえないせいか、彼らは目を細めている。

まつりごとから隠居し、権力誇示の必要もなくなって悠々自適に過ごしている彼らは、ほかの殿上人とは違っていた。芸術を愛していると言い、美しいものが好きだと言う。そのせいなのか虐待よりもサンジを縛って鑑賞することを好む。そうは言ってもサンジから見ればただの変態エロジジィだが。

「茶室には花が付き物だからの、花で飾ってあげようではないか」
透けた水干だけを身につけて足を開く体勢に戒められたサンジに、まず色づきかけた黄色や橙色の紅葉が散らされた。そして白の花弁の縁が桃色のぼかしが入った早咲きの山茶花と赤い実をつけた藪柑子の枝をサンジが鈴口にそろそろと差し込まれる。
「っ…」
小さな穴に異物が差し込まれる痛みにサンジが思わず涙を零すと、中御所は「おお可哀想に」と言いながら、あやすように目元や頬に触れる。時にはサンジの涙をすすったりする。
それでもそれらの細い枝は抜かれることなく奥まで差し込まれ、後孔には淫具を包んだ朱い袱紗を押し込まれる。
サンジが身もだえすると鈴口に差し込まれた花枝が揺らめいたり身体に散らされた花や紅葉がはらはらと落ちたりする。そのたび、三御所は芸術品を見るようにほうと感嘆の声を上げた。



こんなおじじに触られるのはいやかえ?
そりゃあいやでしょうとも。のう、橘、こんなおじじより愛しいおなごに触れられるほうがよいに決まっておるよのう
ほっほ。愛しいおなごか。ならそう思えばよいえ。この手は愛しいおなごの手だえ。
いとしい・・・?
そうだえ。橘には愛しいおなごがおらんのかえ? 触れ合いたいと思うような相手じゃ…
触れ合いたい相手・・・
頭の中にある人物がふっと浮かぶ。そのとたん橘は、ぽっと頬を染めた。
おお、いるようだの。こやつ隅におけぬわ。そりゃあ若いもんがそういう相手がおらんほうがおかしいえ
三御所はサンジの見せた初心な表情に喜んだ。

よしよし橘、目を閉じて、このおじじの手をその愛しい手だと思うが良いえ。ほら、おまえの愛しい者がおまえに触れるぞえ。
三御所は内股に手をかけてゆっくりとそれを開いた。
その手をサンジは頭の中で別の者の手に置きかえる。


唇に柔らかく温かいものがあたった。現実にはそれは餅なのだが、目を閉じて意識をよそへ飛ばしているサンジにはそれは柔らかい口づけのような気がした。
甘くて柔らかくて温かい。
陶酔はサンジを幸せにした。

そして幸せな表情のサンジの姿は、老人たちをも幸せにした。
老公卿の胸の内に、橘をチャルロスから遠ざけたいという気持ちが芽吹いていた。





それから遠くない日。
「ここは冷えるのう。ただでさえ冷える土地だというのに、天井が高いこの部屋はこれからもっと冷えるだろうて。橘、我らは毎年新嘗祭が終わったら、避寒に行っておって上巳の節会の前に都に帰ってくるのだがな、その間、おまえに会えないと思うと寂しくてたまらんぞえ。おまえもそう思わぬか?」

このジジィたちは何を言っているのだろう。むしろお前らが避寒に行ってくれれば俺はこんないかがわしい遊びにかり出されなくてすむではないか。俺がこの遊びを喜んでいるとでも思っているのかこのジジィどもは。
怪訝な顔をしたサンジにさらに誘いの言葉がかかった。
「おまえもこんな寒いところは辛かろう?」
(いやいや、てめェらに会わずに済むなら天国だ)
「それでな、おまえを連れて行きたいと思うとるのだえ」
「なに?」
サンジはガバっと身体を捻った。縛られていて身体を持ち上げられないのがもどかしい。
「どこへ連れて行くって?」
「避寒地だ。海に近いところに避寒用の館を持っておるのでな」
「ここの見張りをしている女の子たちも一緒に行くのか?」
「まさか。余計な女どもは要らぬぞえ。風光明媚で暖かいところでの、あの海岸の黒松におまえを縛ったらまことに美しい絵になるぞえ」

サンジはもう聞いていなかった。
この機会をどうやって生かすか…そのことだけで頭がいっぱいだった。


→次頁



ご感想などありましたら、右のサンちゃんからお寄せください。(web拍手)